第4話 違和感にザワつく。

「ねー、そういえばさー?」

「川越、きみ、いつまでココにいるの?」

 私のカップと皿は、既にからになっていた。今はイヤホンも外して店内を流れるジャズに耳を傾けている。

「お? そんなに早く帰って欲しいんか? あたしの事は気にしないで行っていーから。遅刻はあかん」

 今は十二月、スカートの下にタイツを穿いてはいるが、外はかなり肌寒い。ぶっちゃけ外に出たくない。もう少しだけ、暖房の熱に、身を委ねたい。

「そんなにブラックじゃないよ。少なくともこの店が終わるまでは大丈夫。それより何が『そーいえばさー』?」

「急にシフト入るのって結構あるの? せっかくのイブなのに。へへ、寂しーやつ」

「君、学校の時となんか違うよ?」

「あたしは常に平常だっつーの」

「川越も一人だろ? 君さえオッケー出せば、僕はピザ屋、フツーにサボるよ?」

「あはは、サイテー。でも残念だったな? あたしはウチでケーキ食べてプレゼント貰うんだわー。へへへ、ざんねん、ざーんねん」

 不意に田所は私との会話の途中で顔を、カウンターの奥へ向ける。

「マスター! ケーキのソースにアルコール入れてないですよね!?」

 ——ん? アルコール?

「入れてるわけねーだろーがバカタレ! 今俺の邪魔すんじゃねー!!」

「なら良いですー!」

 田所は顔を戻した。

「マジで大丈夫? この店」

 客である私がいるのに、アルバイトに対してこの言葉遣い。裏で遊んでる事も隠そうとしてないし、店がなのもうなずける。

「大丈夫だから営業できてるんでしょ?」

「つーかあんた、さっきあたしを酔っ払いみたく思っただろ? え? 怒らないから言ってみ?」

「つーか酔っ払いにしか見えないし」

「この隠キャ! 言いやがったなー?」

「僕みたいな隠キャがどこにいんのさ?」

「ココにいんだろーがよ?」

 ——あ、でもたしかにマズイ。ちょっとリラックスし過ぎかもしんねー。

 私はリラックスするといつも、こんな感じだ。普段外ではこんな姿見せないんだけど、きっとこのお店の暖かさと、スイーツのせいだろう。それに、今では田所をそんなにキモいと思わない。イライラしてる時はやっぱりウザいけど。私の中の今の田所なら、ギリギリ許容範囲である。

 こいつに対してそう思えるようになったのは、学校祭の準備期間中に起きた、とある事件がきっかけだ——————。


 美空と矢嶋のコンビのおかげで、学校祭の準備の打ち合わせは、とどこおりなく進んだ。矢嶋が仕切り、美空がまとめる。矢嶋が皆んなを引っ張り、美空が細かな部分を補佐した。

 二年生や三年生の人達は既に学校祭がどういうモノなのかを体験を経て知っているし、その準備も四月から始めているので、演劇だとか、喫茶店だとか、お化け屋敷だとか、色々なモノに手を出したりするそうだ。しかし、一年目の私達が上級生と張り合うためには、経験値と時間が足りず、できる事が限られている。ならば、皆んなが一丸となって取り組める展示物の作成へと話が進んだ。

 どんな展示物を作るのかというと、なんと、「コーヒーカップ」である。遊園地とかでよく見るやつだ。召集日にお母さんと話し込んでいたオバサマの娘、こうさかが提案したのだ。

 そのちえりには三つ歳上の、高専生の彼氏がおり、自分の学校を無理矢理サボらされてこき使われている。そんな理不尽な扱いを受けていても妙に嬉しそうなのは、シンプルにドMなのだろう。

 他校生の力を借りるのはフツーにズルなんだけど、米林センセーは勝つ為に手段を選ばないタイプのたんしゃなので、私達の出し物は破綻せずに済んでいた。センセーいわく「世の中キレイゴトだけではやっていけない」そうである。ちなみにコーヒーカップは人力で稼動するというもので、当日、男子達の活躍に期待がかかる。

 なんだかんだで田所も、バイトがない日は残って話し合いやら図面作りやらに参加していた。校庭でちえりの彼氏と図面を見ながら話し込んでた田所にちょっと聞き耳を立てたら、「僕はチーズよりも明太子マヨが好きです」「甘いな、男ならやっぱニンニクの芽だろう?」などと、牛丼の話で盛り上がっていた——なんだこいつら。

 それでもいざ作業を始めるとなると、参加する人数が少ない事もあり、それに進むまでの過程で思ったよりも時間がかかる。


 そして、学祭まであと二週間となった以外はいつもと変わらないように見える、そんな帰り道、もう一つだけ、変わった事があった——。


 その日の美空は、ジャージのまま、下校していたのだ。


 私と違って小柄な美空は、ジャージを着ている、というよりも、というような感じである。

 私が気になったのは、何故今日はジャージのままなのか、という事。普段はよっぽど帰りが遅くならなければ、キチンと着替えてから下校している。私みたいなガサツな女とは違うのだ。


 その時は「まぁそんな日もあるか」と流していたのだけど、次の日美空は、ジャージで登校した。

「美空、どうしたの? あんたが校則破るなんて」

「え、はは。校則なんて、大げさだよ。この期間はけっこう上級生もジャージ着てる事多いでしょう? 真似してるだけ」

「それなら良いけど、さ……」


 ————その日の移動教室の途中、私は前を歩く矢嶋に目が向いた。学校祭の準備期間に入ってからは、作業が始まる前からも矢嶋は毎日ジャージを着ている。

「ねえ、矢嶋。ちょっと良い?」

「あん? なんだよ?」

 私は矢嶋に声を掛けた。

「あんた昨日も美空と一緒だったでしょ? あの子に、なんかあった?」

「知らねー」

 矢嶋は素気なく返事した——おかしい。こいつは何かあるといつもオーバーリアクションで対応する。仮に何も知らなかったとしたら「何!? 谷口になんかあったのか!?」とか騒ぐはずだ……怪しい。

「ま、良いわ。今日もヨロシク、責任者さん」

 私は矢嶋を解放した。

「そ、そうかよ」

 矢嶋はそそくさと廊下を歩いて行った。そして美空を追い抜くとき、チラッと美空を見て、後ろ姿の美空の顔も、矢嶋に向いてるような気がした。これは——。

 ————「何かある」

「うわ!」

 私は突然後ろから聞こえた声に驚き、転びそうになった。

 声の主は田所。私の背中に手を回して倒れないようにしてくれてるけど、そもそもの原因はこいつの声だ。

「ちょっと!」

「ゴメン、セクハラじゃないから」

「それを決めるのはあたし!」

 私は田所の手を払う。

 払われた田所はいつものようにヘラヘラしていない。そのひとまぶたの下には、鈍く鋭い眼光があった。

「さて、川越。君は?」

「どっちって、何がよ?」

「谷口さんのジャージ姿、とても可憐だけど彼女的には普通じゃない。その原因は快晴にあるのか、それとも快晴は何か知った上で口止めされてるのか。君はどう思う?」

「あいつが原因に決まってるでしょ! きっと変な影響を受けたのよ!」

 美空はただジャージを着ているだけである。別に騒ぐような事でもない。でも何故か、するのだ。私は明らかに、いらついていた。

「川越らしくない答えだね。もっと自然で、平凡で、卑劣な原因がある、と君は考えてるんじゃないのかな? そして、親友にそんな目に遭って欲しくないという願いがそれを、曇らせる」

 ——こいつは……。

「言いにくいなら僕が言うよ? 谷口さんは制服の一部、或いは全部を失った。快晴はたまたまショックを受ける谷口さんと現場に居合わせて、谷口さんに口止めされた。その理由は目立ちたくない、若しくは『皆んなの空気を悪くしたくない』かな?」

「……根拠はある、の?」

「ないよ? ないから、憶測するんだよ。物事の行間と、空気を読む能力は、人間に与えられた、特別な力だ」

 ちょっと、何言ってるかわからない。わからない、けど、私もそう、思ってしまう。

「探偵ごっこは卒業したはずなんだけどね。川越、協力してよ? それと——」

 ——探偵ごっこ? 協力?

「その過程でさ、僕は谷口さんと親しげに話さなければならない。だから——」

 ——美空に親しげに? なんで? で、何が、——?


「——だからしっ、しないでね?」


 こんな時に、こいつは何を言ってるのか。

 だけどこの時の私には、田所を罵る言葉が、見つからなかった————。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る