01-011 博士

「ところでつかぬ事を伺いますが……」

 ナオが資料を読み進めていると、横でケイイチが急に姿勢を正し、改まった口調で言った。


 どうせまたロクでもない事だろうな……と思いながら、ナオは「何?」と雑に返事する。

「先輩、とお呼びしても?」

「何で?」

「……いや、先ほど何度かお名前でお呼びして、この愚かな若輩者がお名前で呼ぶのもおこがましいと感じたというか何というか……」

「なる」


 先の会話の途中、ケイイチが自分の名前を呼ぶ時に妙に詰まっていたのが少し気になっていたナオは、合点がいったとばかりに頷く。

「人としての上下を明確にするためにもここは先輩とお呼びするべきなのでは、と」

「キミにしては悪くない考え」

「恐縮です」

「許可」

「有難き幸せにござりまする」

「その口調は微妙」

「……すみません」

「じゃあボクは助手って呼ぶ」

「……なぜに助手?」

「「ケイイチ」とか「ゴミムシ」とかは長い」

「長さの問題!?」

 自身の名前と一緒に挙がっている候補が地味に酷いのはさておいて、ナオが名前をきちんと認識していてくれた事のほうに地味に感動してしまう程度には、ケイイチの負け犬根性には筋金が入っていた。


 二人がそんなことをしていると、玄関のほうから物音がして、

「悪ぃな遅れて」

 セクシーな低音ボイスとともにギンジが現れた。


 ギンジはコートを脱ぎながら二人の顔を交互に見遣り、

「少しは打ち解けたか?」

「別に」

「先輩にはしっかりご指導いただきました!」

 相変わらずのナオに対して、目をキラキラさせているケイイチ。


 そんな二人の様子に、

「先輩、ねぇ……」

 ギンジはニヤニヤと面白がるような笑みを浮かべる。

「何?」

「何でもねぇよ」

 ギンジは睨みつけるナオの視線をひょいとかわし、

「で、どうよ?」

 と、ナオに訊ねた。


「とりあえずこの子の社畜資料は一通り目を通した」

「社畜資料ってなんだ?」

「これ」

 ナオがギンジに向けて小さく何かを投げるような動作をする。ARで受け取ったギンジは「おお……?」と一瞬驚いた後、ナオの言う「社畜資料」という言葉の意味を理解したようだ。どこかげんなりしたような表情になった。


 一方でケイイチは、「一通り目を通した」というナオの言葉にクエスチョンマークを浮かべる。

「あれ、今の今まであれこれ話してましたよね」

「読みながら暇だったから話してただけだけど」

 ナオは「何言ってんの?」とでも言わんばかりの表情だ。

 そういえば会話の間、目線があまり合わないような気はしていたのだけど――。

「えっとそれはつまりあの話をしながら資料読んでて、しかも全部読み終わったって事ですか?」

「ん」

「……」

 ケイイチは唖然として言葉を失う。


 あの膨大な資料を高速で読み進めながら、あの密度の会話をするってどんなチートスキルですか? 転生したらもらえる種類の何かですか?

「あー、嬢ちゃんは大体こんな感じだからな。いちいち驚いてたら身がもたねぇぜ」

様子から察したギンジが同情するように言ってくる。

 ナオが何やら特別な頭脳を持っている、という話はギンジからちらりと聞いていたが、それにしてもちょっと常人離れしすぎていやしませんか……。


「電脳はたしかに綺麗に一致。電脳以外は共通項なさそ」

 呆然とするケイイチをよそに、淡々と話を進めていくナオ。

「収穫ナシ、か」

「すみません」

「いやいや、それが分かっただけでも前進だ」

 ギンジはそう言って「あんがとよ」とケイイチを労い、

「そうなると……あとは記憶のほうか」

「ん」


「兄ちゃんに聞きてぇんだが、アンドロイドのバックアップ記憶領域、ってのは知ってるか?」

「そういうのがあるのは知ってます」

「どこにあるかは?」

「えっと……いくつかの機体で知ってるのがある、くらいで……。とりあえずこの間見せていただいた機体だと全然わからないです」

「知ってそうな奴もいねぇか?」

「うーん……コミュニティの他のみんなも同じような感じじゃないかと……。みんな興味はあるんですけど、アンドロイドって人が修理したりはしないんで、たまに見る機会がある電脳以外は中がどうなってるか知る機会ってあまりないんですよね……」

「なるほどな。コミュニティとやらの外だとどうだ?」

「大学とかにいる研究者レベルの人ならもしかしたら……」


「だ、そうだが嬢ちゃんの周りとかに詳しそうなのいねぇか?」

「おじさん」

「あーそうだったな」

「おじさん?」

「ああ、嬢ちゃんの知り合いにアンドロイド研究者がいてな。ラクサ……なんとかって」

「まままままさかラクサ・エイジ博士ですか!?」

「ん」

「博士とお知り合いなんですか!?」

「ん」

「どどどういうご関係なんですか?」

「おじさん」

「……?」


 時々思うが、ナオは言葉が足りない事がある。

 ケイイチがクエスチョンマークを浮かべていると、「小さい頃から色々と面倒見てもらってたんだよな」と、ギンジが助け船を出してくれた。


 なんでもナオは幼い頃に事故で両親を亡くしており、両親に代わって幼いナオの面倒を見てくれた一人がラクサ博士だったそうだ。

「えらい食いつきようだが有名なのか?」

「アンドロイド好きの間で知らない人はいないですよ!」


 ラクサ・エイジ博士といえば、AIやアンドロイド研究の最前線で活躍していた研究者であり、アンドロイドおたくの間では崇拝されるレベルで尊敬を集める研究者の一人だ。電脳や体のパーツのおおまかな動作原理を解明し、人がアンドロイドの状態を確認できるようなインターフェースを作ったり、その技術を人間の能力の拡張に活用する道を開いたり、その功績は枚挙に暇がない。

「は、博士って普段どんな感じの人なんですか?」

「別に普通のおじさんだけど、今はその話の時じゃない」

「あ…………すみません……えっと、バックアップ記憶領域の話ですよね」

「ん」

「ラクサ博士くらいの知識があれば、記憶領域壊すくらいは簡単なんでしょうけど……」

「おじさんはそんな事しない」

 ちょっとムッとした様子のナオ。

「あいや、もちろんそうですよ」


 ケイイチだって今回の犯人が博士だとは微塵も思っていない。

 博士の著作や論文はそれなりの量読んできたが、あれほどの研究は対象への深い愛情あってこそ、という気がするし、そんな研究者がアンドロイドを壊すとはまるで想像できない。

「他にできそうな研究者とかって心当たりあるか?」

「うーん……博士は孤高、って感じの人ですし……」

 ケイイチはしばし思案顔になるも、すぐに「ああでも、博士の研究を元に発展させてる人とか、近い分野の研究者なら何人かいますね。ちょっとリスト出します」

 と言ってAR端末を操作し、ローカルに保存してあるアンドロイド研究者DBを呼び出した。

 それを見ながら、「この人は視覚系……この人は音声専門で……この人は電脳系だから」などと何やらぶつぶつ言いながら何人かの研究者をピックアップしていく。


「……」

 その様子を横で見ていたナオがあからさまにドン引いている。

「えっとなんで引かれてるんでしょう……?」

「そこまで詳しいの、感心を通り越して気持ち悪い」

「いやこれくらいは普通というかこれくらい知ってないとついていけないというか……」

「キミが普段接してるコミュニティっていうのにちょっと興味湧いてきた」

「興味あるんですか!ぜひ加わっていただいてラクサ博士の話とか色々と」

「いやROMで」

 熱量のこもった早口のケイイチの言葉を、ナオがシャットアウトするように鋭く言い放つ。

 ROMというのはRead Only Memberの略、要するに読むだけで発言する気はない、という意味だ。

「えぇぇ……」

 ケイイチは落胆の声を上げる。


 しかし尊敬するラクサ博士の事とあらば、容易く折れるわけにはいかない。

「そこを何とかお願いします!」

 そう言って、全力で頭を下げるケイイチ。

 その言葉と姿に、ナオと、そしてなぜかギンジも一緒にどこか苦い表情になった。

「……」

 いつもやや食い気味で即答を返してくるナオが、珍しくしばしの間考え込むように黙り込む。


 あれ……? と、ケイイチが戸惑っていると、ナオ苦みの混じったような微妙な表情と声で、

「少しなら……」

 と言った。

「へ……?」

 きっと情け容赦なく拒否されるに違いないと思っていたケイイチは、言われたことの意味が頭に入ってこず、思わず間の抜けた声を上げてしまう。

「タダで情報だけもらうだけなのは悪いから少しなら」

 どうやら、ケイイチの願いを聞き入れてくれた……みたい?

「まじですか!」

 ケイイチは、おたく仲間にすごいお土産ができたと大喜びしながら、しかし同時にどこか腑に落ちない、なんとも不思議な感覚を味わっていた。


 いや、もちろん願いを聞き入れてもらえた事は嬉しい。でも、なんでこんなにあっさりとOKが出るのか。

 思い返せば元旦のあの時もそうだった。

 ケイイチがアルバイトする事を最初は拒否していたのに、ケイイチが頭を下げたら、妙にあっさりと許してくれた。

 ……この人はやっぱり、頭を下げられると弱いんだろうか。

 普段はツンツンしていて、実は押しに弱くてチョロい……?

 ツンチョロ?

 押しに弱いから、押されないように普段は敢えて冷たい態度を取っている、とか……?

 だとしたら……なんというか、ちょっと可愛いような……。


「何か無礼な事考えてる」

「いやいやそんな事は……!」

「むー」

 何やら大変不服そうな表情のナオ。

「兄ちゃんよ、盛り上がってるところ悪ぃが……」

「あ……すみません。リストこれです」

「ありがとよ。……んじゃまちょいと洗ってみるかね」


 ギンジはケイイチからデータを受け取り、「嬢ちゃん椅子借りるぜ」と言ってダイニングテーブルのところにあった椅子を雑に引き寄せると、どっかりと腰を下ろして空中で手を動かし始めた。AR端末で情報を精査しているらしい。

「なんか意外ですね」

「何がだ?」

「ギンさんって、ARとかそういうの苦手な人かと思ってました」


 先日の現場でもタブレットを使っていたし、わざわざ物理的フィジカルな煙草をふかしたりもしていた。

 ARのような仮想的バーチャルな物ではなく、物理的フィジカルな物を好む人なのだろうな、とケイイチは勝手に思っていたのだが。

「なかなか失礼な事言いやがるな。ま、確かに好きではねぇけど」

 口元にどこか皮肉げな笑みを浮かべて言うギンジ。


「これくらいの事はやらねぇと薄給がさらに薄くなるんでな」

「え、警察って結構もらえるんじゃないんですか?」

「大抵のことはAIがどうにかしちまうからな。人の出番が少ねぇ分、給料も安いってわけだ」

「なるほど……」

 やはり警察みたいな「世のため人のため」の組織であっても、人の出番というのは少ないんだな……。少しがっかりしたような、でも納得したような、そんな微妙な心持ちになるケイイチ。


「がっかりしたか?」

「あ……いや……」

 ケイイチの微妙な反応を、ギンジは金銭方面の意味で受け取ったようだ。

「嬢ちゃんのほうが金持ちだぜ? なんせプライベート持ちだしな」

「はい……?」

「どうせ嬢ちゃんの事だから何も説明してねぇだろうし言っとくが、一応お前さんの雇用主は嬢ちゃんだからな」

「は……?」

 警察に関わる事ができただけでも奇跡的な出来事だと思っていた事もあって、時給がどうとか雇用主がどうとかいった雇用条件は全く気にしてなかったのだが、雇用主がナオというのは一体どういう……。

 というか、18歳でプライベート持てるほどの納税してるって一体……


 お金を稼ぐ未成年者というのは少なからずいるが、プライベートを持てるレベルとなると、それはトップクラスの音楽家やアイドル、スポーツ選手やゲーマーなどほんの一握りだけだ。

一体この小さな先輩は、何をしてそこまでの収入を得ているのだろう。


 ギンジの言う、「警察が薄給」というのが本当だとすれば、警察の捜査への協力で大金を稼いでいるというわけではなさそうだし、それ以外となると……白衣姿やラクサ博士との関係からして、何かの研究や発明だろうか。


「やっぱり聞いてなかったか」

 AR作業しながら可笑しそうに笑うギンジに、ケイイチは「はい」と答えながら、帰ったら一応雇用条件とかに目を通しておこう、と心に決めた。

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