第77レポート きたれ!瑠璃鏡鶫!

ジルは緊張していた。

彼女がいるのは魔法審査機関の応接室。

分不相応な革張りソファに腰掛け、大きなテーブルに出された紅茶を見つめている。


いつも通り起床し、いつも通り朝食を摂り、いつも通り研究しようとしていた。

自室の前でサリアと出会い、そのままこの部屋に通されたのだ。


基本的に審査機関に呼び出される理由は二つある。


一つは特別な研究成果を認められた場合。

以前エルカから聞いた事がある、そうであれば事前に書状が届くはずだ。


もう一つは、考えたくはないが研究に不正が認められた場合。

隠蔽いんぺい工作が出来ないように突然呼び出される、と聞いた事がある。

今の自分が置かれている状況、そのままではないか。


だが、身に覚えが無い。

本当に全く覚えが無い。


だからこそ困惑して硬直しているのだ。


部屋の端、籠の中で瑠璃色のつぐみが鳴いている。

泣きたいのはこっちだ、とジルは思っていた。


「お待たせして申し訳ありません。」


扉が開き、恰幅の良い狸の獣人が入って来た。

緑癒りょくゆの賢者、リドウだ。

何かの書類を手にしている。


ジルは弾かれたように勢いよく立ち上がり、直立不動で挨拶をする。

それに対し、リドウは微笑みながら着席を促す。


彼が座るのを待ってから、ジルは恐る恐るソファに腰掛けた。


「さて、いきなりお呼び立てして申し訳ありません。」


リドウはそう言って手にしていた書類を机に置いた。

その書類の内の一枚を抜き出し、ジルが読めるように回転させて差し出した。


「この件について至急お聞きしたい事があったものですから。」


テーブルに差し出された書類の表題に目がいく。

そこには『眠り病と夢乃獏ソーニタピーに関する実例報告』とある。


先日のルマナの件を纏めて、他ならぬジルが提出した報告書だった。


「一応確認ですが、これを記したのは貴女あなたで間違いありませんね。」


リドウの問いかけにジルは一つ頷いた。

ジルの様子に気付き、リドウは微笑みかける。


「失礼。別に処罰しようとか、そう言った話ではありません、楽にして下さい。」

「そ、そうなんですか・・・・・・?」


恐々こわごわと顔を上げる。

はっはっ、とジルの懸念を振り払うようにリドウは軽く声を出して笑った。

ようやくジルの肩の力が抜ける。


「はぁぁぁぁ~~~~~、良かったぁぁぁぁぁ~~~~~。」

「先に説明するべきでしたね。」


安堵し、大きく息を吐く。

申し訳ありません、とリドウは頭を下げる。


「ああ、頭を下げて頂くような事じゃ・・・。」

「いえ、少々気がはやりました。長年の課題に解決の糸口が見えたもので。」


リドウは頭を掻いた。


「眠り病は私と魔法医学の長年の課題でした、治療の見込みが全く無かった。」


目を瞑り、今までの苦労、苦悩、そして助けられなかった者への哀悼あいとうを思い出す。


「まさか魔獣が関係しているとは思いも寄らなかった。」


夢乃獏について記された報告書の一部をリドウは見る。


「知覚出来ない魔獣がいる、というのも今まで分からなかった事です。」


少しだけ言葉を止めて、そしてリドウは言った。


「ですが、私は、いや私達は貴女を、この成果を評価する事が出来ないのです。」

「え?」


リドウが言いたい事をジルは理解できず、思わず声が漏れた。

その疑問にリドウは答える。


「召喚術の知見が無い我々は、物証がない以上、検証を行えない。」


ああ、そういう事か、とジルは理解する。


「つまり、私が言っているだけ、と判断できてしまうから、という事ですか?」

「ええ。ですが今回は魔法とは無関係の人物からの証言もある。」


ザジムの家族、特にルマナから貰った手紙の写しをジルに見せる。


「ですので、完全に嘘であるとも考えられない。」

「なるほど。」

「改めて聞きます、この報告書に虚偽はありませんね。」


リドウの問いにジルは彼の目を真っすぐ見て一言、はい、と答えた。

その返答にリドウは微笑む。


籠の中の瑠璃色の鶫がその返答を言祝ことほぐように一声ひとこえ鳴いた。


「おやおや、元気に鳴いていますね。ジルさん、あの鳥は何色に見えますか?」


突然の関係ない問いにジルは驚く。


「え?えぇと、青?いや、もっと鮮やかだから瑠璃るり色?」

「ふむ、良かった。」


リドウは安堵するように一つ息を吐いた。

意味が分からず、ジルは首をかしげる。


「あの鳥は瑠璃鏡鶫 ―ラピロワークラル― と言うのです。」

「それが何か・・・・・・?」

「心にやましい事がある者には灰色に見える。つまり貴女は嘘をいていない。」


ジルは閉口した。

つまり、報告書に関する問いはおとりであり、鳥に関する問いこそが本命だったのだ。


「意地悪い事をして申し訳ありません。誰であれ、無条件に信用は出来ないので。」

「いえ、その、理解できます。」

「そう言っていただけて助かります。」


ジルの返答にリドウは微笑む。


この国には様々な研究をしている者がいる。

その全てが順風満帆じゅんぷうまんぱんではない。

行き詰まり、苦悩し、困窮し、絶望する者も多い。


あわよくば、と虚偽の研究成果を捏造して報告する者もいる。

褒められた事ではないが、全く理解できない事でもない。


それだけ、未知の物に挑む、という事は困難な事なのだ。


「評価や褒賞は与えられませんが、貴女の研究に関して便宜べんぎは図ります。」

「便宜?」

「ええ。外出の期間延長や頻繁には無理ですが申請して頂ければ転移門ゲート利用も。」

「えええっ!?」


ジルは驚愕する。

リドウが提示した内容はつまり、3等級研究者相当の権利を与える、という事だ。

落ちこぼれ、と言われていたジルにとってはあり得ない程の話である。


「それだけ貴女の研究に期待している、いや興味を持っている、という事ですよ。」

「あ、ありがとうございます!リドウ様!!」


勢いよく立ち上がり、ジルは頭を下げる。

それに対してリドウは笑う。


「はっはっは、礼を言う相手は私ではありませんよ。」

「え?」


ジルはその言葉に首を傾げた。




「本当に良かったんですか?」


ゼンの部屋を訪れたアスカディアは彼に問う。


「構わん。可能性があるならばそれを伸ばすべきだ。」


眼鏡をかけたゼンはそう言って紙に文字を書き記す。

普段の彼からすると実に違和感のある光景だ。


「ですが評価を公にしないのに便宜を図るのは他の研究者が不満を・・・。」


その言葉にゼンは筆を置き、アスカディアに向き合った。


「他の者に不満を抱かせない事が重要か?」

「え?そ、それは勿論。公平性といいますか・・・。」

「ふむ、お前はそう考えるのだな。」


ゼンは立ち上がり、書棚から一冊の本を抜き出し、アスカディアに渡した。

そして百二十二頁122ページを見るように指示する。

彼の真意を測りかねながら、指示通りにそのページを開いた。


「これは・・・・・・。」


そこに書かれていたのはゼンの研究に関する事だった。

彼がまだ二十代だった頃の研究成果。

そしてそれを高く評価したのは当時の賢者である。


「この内容、これで評価されたのですか?」


アスカディアは信じられなかった。

今のこの国の主流派である魔法素学、その創始者であるゼンの研究は当時では異端。

そうでありながら、本の中に書かれている内容は高く評価されている。

そしてこう付け加えられていた。


『我々が現在望む研究成果ではないが、未来においては異なる可能性がある』


「その言葉は未来を見据えた当時の賢者の言葉だ。」

「未来・・・・・・。」

「我々が見るべきは過去と今、そして未来。特に未来こそが重要であると言える。」


ゼンはそう言い切った。


「召喚術は未知の研究だ。今回の研究報告を評価は出来ん、が却下も出来ん。」

「・・・・・・未来のこの国を助ける可能性があるから。」

「その通りだ。形の無い褒賞ならば他者は気付かず、国内に大きな波風は立たん。」

「そこまで考えての裁定だった、と。」

「ああ。公平とは言いづらいが、賢者の権限の内に収まる程度の対応だ。」

「そういう事なら、私も同意できます。」


そう言ってアスカディアは本を閉じた。


ゼンは椅子を引き、再び筆を執る。

そして彼は一つの文章を書き記した。


召喚術はいずれ世界を変革する可能性がある、と。

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