㉒血の門


 首長を眼前で失ったダヌヴェ人たちは、女王を失った軍隊アリのように騒ぎ立てる。しかし科学なき世界に於いて神官の力は著しく、「控えよ」というたった一言で獅子のごとき益荒男たちは鎮まった。


 わたしは足元に転がってきた首長の生首を、嘗て先祖がそうしたように、雑に蹴って先生のもとへ送る。初めて人の死を目の前にしたが、思いの外呆気なく、我ながら恐ろしいほどの虚無感と感じた。今目の前にあるのは微塵個ほどの知能もないただの肉のかたまりである。


「ねえ、よもやそれを見せるためにエヴァンジェリンが来るのを待ってたの? 急に死体を見せられるこっちの身にもなってほしいわ」

 アーサリン女王は心底迷惑そうな顔をしてため息をつく。わたしも似たような表情を浮かべていたと思う。レイフはいつの間にかわたしの腕をずらし、まるでこうなることを分かっていたかのように死体を眺めた。


「平気か、レイフ」

「はい。すべてのいのちはいずれつきるものですし、ひつじたちとちがってなにもしらずにしにましたから」

 その言葉に強がりというのは見受けられなかった(そもそも彼が泣いていたり、強がるような場面を見たことがないのだが)。これも妖精の血が入っていたが故か、はたまた生来の気質であるかは測りかねる。しかしアーサリン女王としては子どもに遺体を見せるのは憚られることであったのか、ダヌヴェ人たちに対して速やかに死体を始末するよう求めていた。


 ところが彼らが動く前に先生が立ち上がり、手を翳し民どもを制していた。嫋やかな裾をオーロラのように靡かせ、この骸で祭壇を建てるように命じた。


 するとにわかに、ダヌヴェ人戦士らの動きが変わった。彼らは阿片を吸ったかのように瞳孔を開き、雄叫びを上げて首長の遺体へ群がっていく。


 まずは首長を革の敷物に乗せ、次いで斧や剣を振り翳し鉄を一発叩き込んだ。硬直しかけていた血肉に跳ねるほどの力などなく、首長の死体は既に解体されたヒツジのように刃を受け入れていた。


 骨が折れる鈍い音。臓物が潰れる湿った音か響く。

 この凄惨な光景には勇敢なホルスロンド兵も目を逸らし、女王も蛮行に憤りを隠さない。彼女は真っ直ぐ立ち上がって威嚇した。


「やめてっ! やめなさい! 我が地で無駄な流血など許さないわっ!!」

 異国の女王の叫びなど、猛るダヌヴェ人には響かない。彼らはウォーダンの呪いにかかったように狂い、神への捧げ物として血を流し、それらを袋詰めにしている。


 手が空いている騎兵はホルスロンド兵と剣を交えている。足元で泥が弾け、鉄の音が風に吸い込まれる。


 狂瀾するダヌヴェ騎兵の猛攻は暴れ馬がごとく、ホルスロンド兵たちに鎗を向けた。幸いにも多くの兵が怯まずに立ち向かったが、士気を上げていく相手では時間の問題かもしれない。わたしはレイフを木陰に隠し、腰に佩いていた剣を抜いて立ち去ろうとした先生の背に向けて振りかぶった。彼は袖に隠していたアキナケス剣を抜き、受け流し、まだ閉じていなかったわたしの右肩の傷を抉るように突いた。


 わたしが神経が焼き切れるような激痛に悲鳴を上げると、女王がわたしの腰を掴んで背後へ投げ飛ばす。草の上を転がったわたしを、レイフは小さな手でいそいそと立たせようとした。


 女王は豪腕で邪魔なダヌヴェ人を吹き飛ばし、先生に向かって殴りかかっていた。あらゆる刃も通さない精霊の皮膚は、さながら鋼のように硬く鎗を弾く。わたしはその強さを信じ、レイフを守るためその場を離れようとした。


 しかし「女王!」と叫ぶラルフの声に足を縫い留められた。咄嗟に振り返ると先生が袖から取り出した金のアキナケス剣で彼女の腕を斬っていた。銀の刀身に茶色い毛と血が付き、臙脂が鈍く輝く。


 一方女王は懐に飛び込んできた先生を腕の中に閉じ込め、万力のように締め上げた。巨大なクマのハグなど人間ならひとたまりもない。彼女の背中で先生の顔は見えなかったが、直後にエビのように反れた身体が地に伏したところが見えた。


 その流れにわたしは息が詰まり、瞼が熱くなる感覚を覚える。


 いや、あの肉体は先生ではなくユーリーという男のもの。死んだのは先生ではないと考えることが筋であろう。わたしは深く深く呼吸をして、震える唇をレイフの額に押し当てた。 


「ねえさん」

 レイフは小枝の腕を伸ばし、わたしの首元に縋り付いてきた。四歳児の小さな小さな掌だ。わたしは彼の手を握り、頬擦りする。僅かな彼の温もりが伝わり、肩の痛みが引いていく。


「ゆめをみていたのではないですか? こはくいろのゆめを」

「レイフ。なぜお前がそれを……。いや、見たのは確かだが何か知っているのか?」

「ねえさんはかみさまにあうひつようがあります。そのためにはいまここでながれているちにくをたいかに、もんをひらかねばなりません。いまにげたダヌヴェのひとをおいましょう。かれらがもんをつくり、ねえさんがとびらをひらくのです。さあ」

 レイフはわたしの手を引いて、白い陽光を浴びる木々の間をするすると抜けていく。一見獣道もないそこを彼は迷うことなく進み、やがてダヌヴェ人の群れを見つけた。


 彼らは首長の血肉が入った袋を持ち、血と骨の祭壇を拵えていた。血に塗れながらも手際よく作業している姿はまるで屠殺場のようで、見慣れると惚れ惚れするほど美しかった。

 

 彼らは黙って作業してきたが、わたしたちに気付くと騒ぎ出した。もちろんわたしに彼らの言葉は理解できないため、代わりにレイフが声を掛ける。彼らはすっと大人しくなった。


 ダヌヴェ人らは揃ってわたしに顔を向け、腰の剣を抜いて歩み寄ってきた。どことなく先生と似た顔立ちであることに若干の緊張を覚えながら剣を構えると、またレイフが彼らに向かって何かを言った。


「ねえさん。あらためてあのもんにはいりましょう」

「あれは祠ではないのか?」

「ほこらでもあり、もんでもあります。かれらはあそこにねえさんをいれて、たましいをぬくためににすることでたましいをとりだすつもりでした」

 レイフの話ににわかに血の気が引くのを感じた。

 血のワシとはヴァイキングが用いる伝統的な処刑方法である。


 受刑者をうつ伏せに寝かせ、肋骨を背骨から剥がし肺を翼のように拡げ見せしめとする。


 例えば『オークニー諸島人のサガ』ではオークニー伯トルフ・アイナーがハラルド美髪王の子、脚長のハルフダンを処刑するときに用いている。


「でも、こんどはちがうやりかたでおくりだします」

 レイフの紫眼がダヌヴェ人らに向く。


 彼らは粘り気のある紐でわたしを後ろ手に縛り、鉄臭い祭壇の中へ転がした。視界いっぱいの赤と黒。肉と骨。手を縛るものもただの紐ではあるまい。あまりの血腥さに吐きそうになる。レイフは隣に横たわり優しく手を重ねてきた。


 わたしは血と骨の壁を見た。見れば見るほど悍ましい壁であるが、いずれも日に当たってかカラカラに乾いている。レイフ曰く地面に血を吸わせないための加工だという。


「しゅちょうさんも、ぬののうえでさばかれていたでしょう。こうきなちと、くもつのちはながしていけないのです」

 我々はまるで他人の心臓の中で会話しているようであった。いよいよ慣れてきた鉄の部屋で、レイフはわたしが佩いていた剣に手を伸ばした。


「レイフ、なにを」

 彼はなんと白い親指を刀身に押し当て、傷を作った。わたしは文字通り血の気が引いて止めようとした矢先、彼はその指を突き出して血を舐めるよう言った。


「なぜ」

「いっしょにむこうへいくためです。ねえさん、あなたはつよくなければいけません」

 おずおずと舌を出すと、鉄の味が口内に広がり、鼻を抜ける。レイフの血は思いの外すっきりとして、飲みやすかった。


 レイフもさっきできたわたしの肩の傷に吸い付き、口元を真っ赤にしながら血を啜る。不快ではないが妙な気分に、腹の奥がやや疼く。


 祠の中に五人のダヌヴェ人が入ってきた。豪奢な装飾からして神官と見た。彼らは我々を囲むように座ると、彼らの言葉で祝詞らしきものを唱え始めた。

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