第7話 紘の提案
朝食を運んでいくと、式乃は勢いよくそれにかぶりついた。
理由は分からないが何故か涙目で、美味しい美味しい言いながらも……なんだろう? 秘密の趣味を部屋で隠れてやっていたら、親が入ってきて慌てながら隠す、みたいな? 勢い的にはまさにそんな感じだった。
まあそんな感じで食べていたので、彼女はマッハで食事を終えた。
汚れた口元をティッシュで拭き取る最中の式乃に聞く。
「落ち着いたらでいいんだけどさ、意識飛んだ理由、聞いても?」
俺がそう質問すると、彼女は目線だけをこちらに向ける。
そして拭いたティッシュをゴミ箱捨て、答える。
「……ただの疲労です」
彼女は嘘偽りのない目で俺に訴える。
「本当に、それだけ?」
確認する。
予想していた答えであったが、一応の意味を込めて。
「はい。疲労、いえ過労です」
しかし彼女はそれでも答えをブラさない。
やはり、本当に原因はそれだけなのだろう。
「……まあ考えてみればそうだろうねぇ。下黒の活動時間が夜8時から深夜2時。その間ずっと俺の家周辺で下黒を倒し続けて、時間が過ぎたら家に帰る。帰ったら風呂とか色々と支度済ませて、結局寝る時間は3時くらいになるんじゃない? しかもそれを毎日。過労で倒れるのも当然だよ。で、疲れすぎて昼早退したっぽいし」
「はい。朝もなんだかんだで早いですし、ご飯も碌に食べる暇もなく」
「うーん……ハードすぎて何も言えない」
これに関しては本当にそうだ。
何せ利用されているとは言っても、俺はそれに助けられている。
なので俺が彼女に対して無理をするなとか、自分をもっと大事にしろだとか、言える訳がない。
でもせめて———
「俺に何かできればいいんだけど」
「い、いえいえいえ、そんな。これは私が私の為にやっていることですから、先輩には関係ないことですよ」
ポツリと言った言葉に式乃は反応し、即座に拒否する。
「関係ない、か。一応守られてる側なんだけどなぁ」
守っている意識自体、彼女にはないのだろうけど。
式乃は膝に置かれているお盆を「ご馳走様でした」とお礼を告げながら渡してくる。
それを受け取ると、彼女はベッドから床へと足を付け、立ち上がった。俺はその意味を悟る。
「あれ、もう帰るの?」
「はい、睡眠と食事でもう十分体は回復したので。それにこれ以上の迷惑はかけられないですし、とりあえず帰ります」
「でも、また今夜来るんでしょ?」
俺の言葉に式乃はなんともいえない笑みを浮かべる。
「……はい。やっぱり魔力はできるだけ多く回収しておかないと、いざ戦いになったら枯渇するかもしれないので」
「それはそうかも、だけど」
やはり何も言えない。どうしようもない。
何もできない俺では。守られてばかりの俺では……
↓
「それでは、昨晩からありがとうございました。お陰様で何もかもがスッキリしました」
玄関前で式乃は俺に頭を下げる。
それは一昨日の謝罪のものではなく、それとは対照的な感謝の意を表すものだ。
俺はそれに対して笑顔で返す。
「こちらこそ、助けることができてよかったよ。今夜も……ううん、気をつけて帰って。お家に帰るまでが何ちゃらって言うからね」
俺の言葉に、式乃はフフフと笑いだす。
「そうですね。では言いつけられた通り、気をつけて帰らせてもらいます」
彼女はそう言うと、こちらに背を向けて一方通行の道に向かって歩き出した。
俺はその消えてゆく背中を見つめながら、どんな表情をしていただろうか。
自分でもよく分からなかったが、多分、悔しいような悲しいような顔をしていたのかもしれない。
↓
式乃が去った後、しばらく勉強に取り掛かり、台所で昼飯の準備をした。まあ、カップラーメンだけど。
夜勤明けで未だに眠っている姉の分も用意し、器にお湯を入れて出来上がるのを待つ。
タイマーは3分。相変わらず早い。
「よし、セット完了。後は待つだけ……あ」
その時、俺のやることが消えた。
勉強は終わらせたし、スマホも今は気分じゃないし、家事云々も終わっている。
……暇だ。
俺はやることも無いので、とりあえず台所にある椅子に座った。
3分、たった3分だ。
3分経てば寝ている姉を起こしに行き、飯を食った後の処理もやらなくてはいけない。
だからこれは一呼吸程度の休息。何も考えずにボーッとしていればあっという間な筈だ。
「……」
だが俺はその3分という短い時間の中、神崎 式乃のことを考えていた。
いや、そういういやらしいようなことではなく、真面目に今後の彼女についてだ。
先程、彼女は何もかもがスッキリしたと言っていた。
だがそれは一時的なもので、期間限定だ。
何日か経つと、またあの過労状態に陥ってしまうだろう。
それはダメだ。彼女が戦えなくなる、それは俺の死を意味する。
それに、式乃には死んでほしくないし、俺自身も死にたくない。
「……無理だろ、それだと」
矛盾だ。それに欲張りだ。
彼女が心身をボロボロにすることで俺は守られて、
彼女が自分自身を大事にすることで俺は死ぬ。
これは絶対に揺るがない道理だ。
でも……それでも————
やがて、3分にセットしたタイマーがピピピと鳴り出す。
それはカップラーメンの完成を告げる音であるのと同時に、俺の今後の行動を確定させる音でもあった————
↓
昼食後。
家を出た俺はスマホ画面に表示されたマップを見ながら、指定した目的地を目指していた。
目指す場所は、神崎 式乃の住んでいるアパートだ。
彼女の家は、俺の家から学校を中心に反対方面に位置している。だから、俺の家からだとかなりの距離であった。
当然だが、彼女のアパートに向かうのはその必要があるからだ。
1日でも早く、彼女に伝えなければいけないことがある。今後の彼女にも、俺にも関係のある重要な話だ。
昼食が遅めであったのも相まって、時間で言えば既に夕方になってしまった。
示されている経路を進んでいると、古い家の並ぶ住宅地に辿り着いた。
古い家とは言っても、古民家などではなく、築数十年レベルのものである。
その中でも、一際目立つ古さを醸し出しているアパートが俺の目的地。つまり式乃の住処だ。
「ここ、か?」
にわかには信じられなかったが、マップが示している場所はここの様なので、信じざるを得ない。
アパートの目前に立ち、建物全体を見渡す。
「確かこのアパートって言って……部屋番号は202、2階か」
俺は事前に聞いていた部屋番号を元に、アパートの2階に上がろうと外付けの階段へと向かう。
錆で覆われ、今にもそこが抜けそうな階段を見て、俺はつい「うわぁ」とドン引きの声を漏らす。
それもそうだろう。俺は過去に、こんな錆で覆われた階段なんて間近で見たことがない。
つまり慣れていない。初見の感想としてはハッキリ言って汚い。すごく汚い。
だがここ以外に上へと続く階段はないので、渋々その階段を上った。
階段と同じく錆びついた扉の前で、取り付けられたナンバープレートを確認する。
202……ここで間違いないようだ。
俺は扉の側にある茶色のインターホンを鳴らした。
ピンポーン
弾みのある音が響く。その後、中から「はーい」と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
声と同時に中から足をパタパタさせる音も聞こえ、扉を開けようとしているのが分かった。
ガチャリ
扉が開く。
そしてその隙間から銀髪の少女、式乃が顔を出してきた。
式乃は俺の顔を見ると「あっ」と声を漏らす。
「あ、式乃さん。ごめん、こんな夕方に」
苦笑いしながら軽く謝る。
「————」
だが式乃は反応しようとしなかった。
どうやら、目の前に俺がいることに心底驚いて固まってしまっているのだろう。
そりゃそうだ。急に出会って数日の男が家に押しかけてきたらこうなるのも当然だって。今俺、相当やばい奴認識で見られてんだろーな。
「式乃さん?」
だが、俺は別にそういうつもりで来てるわけではない。
俺は固まる彼女の目を覚まさせるために声を掛けた。
すると彼女はビクッと動き出した。
「あ、はいっ、すみません。ちょっとびっくりして」
「無理もないよ。急に男が家に来たら気持ち悪いし。でも、そこのところ申し訳ないんだけど、上がってもいいかな?」
「ッ! は、はい、どうぞ。何もない部屋ですが」
式乃はそう言うと錆びついた扉を大きく開き、俺を部屋へと入らせてくれた。
部屋の中はというと、ハッキリ言って質の良いものとは言えなかった。
あったのは六畳の畳の間と、狭い台所、トイレ、テーブル、押し入れ。あと中にはないものの、部屋の外には洗濯機が置かれている。
その他には何もなかった。エアコンも、テレビも、ゲーム機も、何もかもなかった。
———ただ、目を引いたものが一つだけあった。
それは、台所の窓際に飾られていた家族写真だ。
そこには幼い頃の式乃だと思う女の子と、その子よりも幼い男の子、そして2人の両親が笑顔で写っていた。
そういえば、彼女の家族って……いや、考えないでおこう。
「先輩?」
写真を眺めていた俺を不思議に思った式乃が声を掛けてくる。
俺はその声で我に帰る。
「あ、ごめん」
「いえいえ。では、テーブルの側に座っててください。何か出しますから」
式乃はそう言うと、台所に向かう。とは言っても、何かあるようには見えないのだが。
「いいよいいよ、そんなにしなくて。ちょっと話しに来ただけだから」
式乃はそれを聞くと、台所に向かおうとした足を止めた。
そして振り返り、同じくテーブルの側に座る。
「話、ですか?」
「うん。話、というより提案なんだけどさ。できるだけ即決でお願い。返事を遅らせた分だけ、君にも負担がかかると思うから」
「はあ……」
俺は一呼吸間を開けるという意味も兼ねて、一度座り直す。
そして、俺は持ってきた提案を彼女に話した。
「————式乃さんさ、しばらく、俺の家に来ない?」
瞬間、式乃が再び固まった。
だろうね! そういう意味で変な意味で捉えられてもおかしくないよね! 分かってた! 他の言い方探せよバーカ!
真剣な表情を貫いていたが、俺の内心はかなり乱れていた。
少しすると、式乃は固まっていた口を開き、気まずそうに聞いてきた。
「……何故、です?」
提案について理解不能のようだった。
だから、誤解を解く為にも説明に移ることにした。
「……君自身分かってると思うけど、今の君の生活はハッキリ言って最悪だ。魔法少女として命が掛かってるから、仕方ないのかもしれないけど、それだと君の心身は持たない。いずれ崩壊する。————そこで、俺は考えたんだ。君のその負担をどうにか軽減する方法を」
「それが、先輩の家にしばらくの間移る、ということですか」
俺は「うん」と頷く。
式乃は低く唸りながら視線を下に逸らし、顎に手を当て考える。
俺は追い討ちを掛けるかのように続ける。
「抵抗はあると思う。俺もその気持ちは理解してるつもりだけど、でもそれを承知の上で提案したんだ。だから頼むよ。俺は君のことが心配なんだ……」
考えている為に目を合わせようとしない式乃に敢えて目を合わせ、切実にお願いする。
式乃は俺の言葉を聞いた後に、しばらく考え、やがて目線を真っ直ぐ俺に合わせた。
そして、俺の求めていない最悪な答えが返ってきた。
「ありがとうございます。先輩が私のことを心配してくれていたなんて、感謝と嬉しさでいっぱいです。でも、ごめんなさい。やっぱり私は、先輩に迷惑を掛けたくないんです。こう言えば、先輩は大丈夫としか言わないと思いますけど、それでも私は……ですので、お気持ちだけ貰っておきます」
式乃は申し訳なさそうに、けれど優しい笑みを浮かべながら、感謝と謝罪の意を述べた。
「わざわざ、こんな所まで来てくれたのに、すみません。お詫びと言ってはなんですが、家までお送りします。こんな所にいても何も無いので、長居したくもないでしょうし————」
彼女はそう言うと立ち上がり、玄関を向かおうとする。
————何、笑ってんだよ、君は。
だが俺は、歩き出そうとするその腕を掴んだ。
「待って」
「え?」
急に手を掴まれたことに式乃は驚き、腑抜けたような声を漏らす。
俺はそのままの状態で冷めたように話す。
「まだ俺の話は終わってないよ、式乃さん」
「話……でも私は————」
「ああ知ってるよ。式乃さんにその気がないのも。でもさ、君前に言ってたよね。“この町がどうなろうと、誰が死のうと、どうでもいい”って。あれって、嘘なの?」
その瞬間、式乃は凍りついた。そして眉間にシワを寄せ、赤い瞳を震わせる。
俺は続ける。
「その言葉の意味、理解してるよね? つまり君はこう言ったんだ。自分の願い以外はどうなってもいいってね。町も、人も、その何もかもを切り捨てる覚悟がある人のみが言える言葉さ。だったら、俺の心配をするのおかしくない? だって、どうでもいいんでしょ? 俺の命だって」
「それは……」
「じゃあ何? テキトーにあんなこと言ったの? そんな覚悟もないのに」
「ッ!!!」
一瞬。彼女の目に、怒りが湧いた気がした。
そして明らかに刺々しい声で反発する。
「そんな、わけないです……ありますよ、覚悟。ありますとも! 私は、ただ願いの為に戦ってるんです! 何を犠牲にしてでも、叶えたい願いなんです!」
「じゃあ、その為だったら、俺を殺せるの?」
彼女の視線はブレない。そして真っ直ぐに言い返す。
「————殺します」
それは俺に対して怒りを覚えたが故の勢い任せなのかもしれないが、少なくともその言葉には、固い意志、願いがあるように思えた。
殺せる、か。こっちは、その答えを待ってた。
「じゃあ、利用すればいいじゃないか、俺を。何、下黒共を集める程度じゃなく、それ以外も徹底的に利用すればいい。そして今、俺はその利用材料を持ってここに来ている。なら、君の言うべき言葉は、一つしかない筈」
「—————」
俺の言葉に、顔を歪める式乃。
だがそれも一瞬。すぐに答えを返してきた。
「……分かりました。なら、先輩をもっと利用させてもらいます。私の願いの為に」
とうとう、俺の求めていた返事が返ってきた。
俺はその言葉に頷く。
「うん、存分に利用して、俺を。俺だって、自分が死ぬのは嫌だからね」
ああ、しちゃった。自己中発言。
ほんと—————自分のことしか考えてない風を装うのは、嫌だなぁ……
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