紅く染まる倒流香炉
それから数日後の夜、春鈴が言う通りの時間、月は赤く染まっている。
「探すか……」
「はい!」
何故か元気になった九垓まで付いて来た。
まあ、人手が多い方が良いと思って頼むか。
志遠はその月の不気味さに何故だか嫌気がして来た。
あれと同じだ、まったく――そんな心の声も見透かされたように春鈴は努めて元気に言った。
「ところで、志遠様。この中だけでなく、外は探したのですか?」
「どういう事だ?」
「ほら、もしかしたら、あるかもしれませんよ?」
ひょんなことだ。
それではまるで知ってる風だ。
「では、春鈴。お前がそこを探せば良い」
「えぇー!」
彼女はとても嫌そうな声でそう言った。
その声は遠くの者にも聞こえたらしく、ひょっこり顔を出す者もいる。
どうやらその中にはいないらしく、春鈴は志遠様も一緒に探しましょう! 中はたくさん居りますし……と甘えたことを言う。
そうしていると一人の下女がタタッと静かにその近くを走り去るのが見えた。
「あれはここの者か?」
「ええ、そのようですね。このような些細な騒動でさえ、利用しているように思います。こんな夜には何もできませんからね」
普通なら――と続くのであれば、それは証拠になるだろう。
行くのですか? と近くに居た九垓が声に出して問わずとも志遠は動き出す。
さて、何が出て来るのやら? それはドキドキというよりも少し怖いものであった。
「とても一生懸命ですね」
少し遠めの草陰から見守ることもないだろうに、春鈴はひょこっと出て行きそうな感じを抑えて言った。
「お前が言ったのだろう。静かにしていれば現れると」
「そうです、こうしてあの時も……」
美味しそうな感じがして来るのは春鈴がその時に嗅いだ物を思い出しているせいか……。
少し志遠は呆れながらもそんな手を休めない下女を見やる。
確かにあの者は一度も見たことがなかった。
「あれの親しくしている者は誰だ?」
それは調べないと分かりません。と言いはしない。
ここを知っている者では? そんな答えが聞こえて来そうだった。
「志遠様は武の才能がおありなのですね」
「ああ、こいつよりもある」
「九垓さんよりもあっても……ですが、ここに雨露さんが居たら完璧でしたね」
そんな事を言って、春鈴はその時を待っているようだった。
何故、そんな事を急に言い出す? となって気付く。
ここはあの武官達が肉を焼いていた場所に近い。だからあの者も居るのだろう。
ここは後宮よりは遠く、だが出るに出られない場所。
それでもすがりつくのは何かあるからだ。
だが、それとは違う何かがあったら、守ってやれるのは自分しかいない。
少しばかり九垓の方が春鈴より強そうなのは良いが、不安は残る。
下女はハッとしてそちらを見た。
気付いていなかったのか、音無く近付き、それを見続けていたその者の存在を。
下女とその背格好から見て武官らしき人物が一瞬目を合わせた。
怪しんでいたなら即座に取り押さえて訳を聞くのだろうが、そうしない所を見ると事情があるということになる。
掘れ! と目で促されたのか、下女はまた掘ってばかりになった。
それであれを出したとすれば大手柄なのだが、そんなもので満足はしないだろう。
掘って掘って、道具も使わず、自分の手だけでそれをし続ける彼女はいつしか疲れたのか、それを見つけたのか動かなくなった。
「どうした?」
「どうやら、その時が来たみたいですよ」
案外それを言ったのは九垓だった。何やらその声の調子は楽しんでいるように感じる。
まったく……と思ったのも束の間。
「とうりゃぁ~!」
と大きく出て行ったのは春鈴だった。
あのバカ! と思ったのは間違いなかった。
事前にこの二人は打ち合わせをしていたのか、それともはたまた偶然か、春鈴は九垓よりも動ける体を目一杯に使い、下女のその手にあるそれを奪い取る。
「それをどうにかしてください!」
それがその時の春鈴の最後の言葉だった。
辺りは一面、何もしていないのにその倒流香炉から無限に出て来る煙を紅く染め上げ、たちまちその煙を吸い込んだ者を次々とその場に倒れ込むように眠らせると洋々その煙の中から歩いて出て来たのは事もあろうにあの忌々しい綺霞だった。
金の卵の時に聞いた通りの姿で、少し嫌らしく笑った。
「お久しぶりね、あなた達。それで長年の願いは叶ったかしら?」
その眼はずっとそれを吸い込んでも大丈夫だった志遠ではなく、他の者達と同じようになった春鈴の姿を捉えていた。
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