第33話 想いは制約されない



【ブランカ嬢……何を言っているのか分かっているのか】


 マルセロは、わなわなと震える身体を隠そうともしない。


【分かっております】

【婚約は、契約事項だ。フォーサイスは、デルガド家の支援から手を引くことになるぞ】

【あら、おじさま。世界の終焉に、家の存続などと……それこそ滑稽こっけいですわ】

【な、にを言っている!】

【セル・ノアに何を言われたのです? フォーサイスだけは残すとでも? そんなの、嘘に決まっていますよ】


 ブランカが冷え冷えとした声で語り掛けると、キーンと耳鳴りがし、それを合図にしたかのようにマルセロは苦痛に顔を歪ませた。

 

【っ】


 このブランカの発言には、当然この場の全員が凍り付き――最も反応を見せたのは、やはりガウルだ。


【グアルルルルル! どういうことだっ!】


 親ですら食い殺しそうな勢いの銀狼を、慌てて後ろから羽交い絞めで止めるのはクロッツだ。

 アクイラはそのクロッツを補助しようと動き、ウネグは呆然とした顔のまま動けないでいる。

 

【団長! 落ち着いて!】

【落ち着いていられるかっ! まさか、セル・ノアに加担しているのではあるまいな!】

【……黙れガウル。既に騎士団長でない貴様が何を言っても無駄だ。ブランカ嬢も、世迷言よまいごとはやめなさい。とにかくそういうことであれば、デルガド家とは金輪際こんりんざい関わらぬし、投資からも手を引かせてもらう】


 ブランカは、それでも凛として引かない。

 

【伯爵。この世界は、このままでは終わりますよ。それでも良いのですか?】

【そんなはずはない。魔王など、おとぎ話だ】

【違います! この危機を止めるためにも、あの】

【っ部外者どもが! 何を言っても無駄だ! 去れっ!】

 

 顔を歪めながらも、彼女の主張をその咆哮で無理やり封じるマルセロは、鬼気迫る様子だ。

 

 それを見たガウルが

【なるほどな……セル・ノアが俺を解任しようとしたのは、父と決別させるためか。これでフォーサイスは、デルガドも失ってバラバラになった】

 と静かに唸ると、杏葉は眉尻を下げて溜息と共に

「黒豹は、いつだって狼をおとしめたいのだ」

 遠い目で言う。

「変わらぬなあ。獅子の前で虎は肉を喰らうだけだが、豹は名誉を欲する。狼が孤高に駆けていくだけで、誰もが信望し付いていくのが羨ましいのだと」

【アズハ……】


 杏葉は目に力を入れて、マルセロを見返す。

 

「だがその狼もまた富を喰らうようになったのなら、獣人王国は真に滅んでしまうぞ。目を覚ませ伯爵」

【グルル……精霊の子などとはよく言ったもの。怪しげな存在を連れて来て、ブランカ嬢まで巻き込んで……帰れ!】

「なるほど。自身だけはノアの舟に乗るか伯爵。滑稽だな」

【黙れ。セル・ノアは獣人のために動いているのだ!】


 牙を見せて威嚇するマルセロに、今度はランヴァイリーが言葉を投げかける。

 

【聞き捨てならないナァ、伯爵】

 

 指先をパチン、パチン、と鳴らす度に、光が散る。

 それを見てハッと我に返った杏葉がまぶたを閉じると、共通語がもう一度ダン達の耳に入ってきた。――密かに、ダンとジャスパーは肩の力を抜く。彼らの魔力をもってしても、やはりほとんど聞き取れていなかったからだ。


「それってサ、エルフや人間は死んでもいいってコト?」


 杏葉の言語フィールドが復活したということは、杏葉の自我も戻ってきたということか、と密かにランヴァイリーはダン達とアイコンタクトを交わす。

 

「……黙れエルフ!」

「種族で呼ぶのって暴言ダヨ。醜いネエ」

「ああーっと! はい! そこまでにしましょっ!」

 

 今にもマルセロに戦いを挑みそうなランヴァイリーの前に、勢いよく飛び出したのはジャスパーだ。

 

「伯爵!」


 見ろ、と言わんばかりにリリを顎で指すと、何度も頷きながら『分かった』とハンドサインを出していた。サリタがそれを察し、硬い表情のままマルセロの腕から手を下ろすと――なんと、肘から下が血で染まっている。

 絶句する全員を見渡し、ジャスパーは唇に人差し指を当てながら目配せをして、喋らせない。さらに、リリが片手をあげて手のひらを見せ、親指だけ中に入れるハンドサイン『危険』に変えた。パーティメンバー全員がそれを視認し、頷く。

 

「っぐ」


 苦痛に顔をゆがめるマルセロの袖をサリタが無言でそっとまくると、複雑な紋章の腕輪が深く食い込んでいた。そこから、血がしたたっている。


「ガウルさん! 話し合いはあきらめて、帰りましょう!」

 ジャスパーの必死の訴えに、ガウルは

「……わかった」

 と様々な言葉を飲み込んだと分かる、苦々しい顔で返事をした。


 ブランカもランヴァイリーも、マルセロの尋常ではない様子を悟り、ジャスパーと目を合わせて無言で頷く。

 

「ふん。分かればいい」


 マルセロはそう吐き出すと、脂汗の浮いた顔で離れた場所に立つリリへと目をやった。

 たちまち耳としっぽがびん! と立ち上がる彼女に対して

「――交渉は決裂だ。オウィス! 

 と強い口調で指示を出したかと思うと、背を向ける。

 全員が立ち尽くす中、マルセロはサリタに付き添われ、ガゼボを出て屋敷へと歩き出す。その額には脂汗がびっしりと浮かび、足取りには力がない。

 

 リリは、口を引き結んでその背中に礼をしてから、執事に両手を差し出した。


「お見送りの握手にゃね!」

「っ……」


 オウィスは、涙を浮かべながらそれに応える。


「リリ様。ご立派になられて」

「にゃー……オウィス」

「はい」

「アタイ、オウィスのこと食べにゃいよ」

「っ、はい」


 深々とお辞儀をする執事を残し、リリは皆に屋敷の外に出るよう促す。

 それぞれの馬を引き取って敷地の外に出たのを確かめ、さらに無言で『ついてこい』とハンドサインで指示を出した。

 素直に従う面々に加え、ブランカもまた、クロッツのエスコートで追従していた。




 ◇ ◇ ◇




「ふむ、ここなら大丈夫にゃね」


 リリの声で、ようやく全員が深く呼吸をした。

 

 フォーサイス伯爵邸から少し離れた、小川のほとり。リリが率先して周囲を索敵し、『大丈夫』のハンドサインを出す。

 自然豊かな森の入口、といったところだろうか。

 足元には草が生い茂り、遠くに鳥や小さな獣の気配が感じられた。

 

 杏葉はガウルの操る馬上で、記憶も取り戻したままであることに混乱していた。膨大な知識と記憶が流れ込み、頭痛と目眩、吐き気がする。


 一方で、ブランカと共乗りしていたクロッツが、馬から降りるや気を利かせて草むらの上にブランケットを敷く。女性陣へそこに座るよう促すのを見ながら、ようやくランヴァイリーが口火をきった。

 

「あーあ……セル・ノアって奴、ずいぶんひどいことスルネ」

「ラン! あの親父の腕輪は、いったいなんだというのだ!」


 ガウルが感情を抑えきれないのも、無理はなかった。

 ランヴァイリーはいつもの飄々ひょうひょうとした口調ではなく、低く慎重な声でガウルに向き直る。


「制約の腕輪。――呪いの一種だネ。ジャスやリリが声を出すなって言ったところを見るに、会話も聞かれてたのかもネ?」

「!」

「なんてことっ」


 叫ぶような悲鳴を上げるブランカに対して、頷くリリやジャスパー。ガウルが、ブランカに詰め寄る。

 

「ブランカ! まさか、セル・ノアが」

「……ええ。一週間前に突然来たそうよ。ガウルたちが怪しげな人間を連れてくるだろうから、拘束しろと言ってきたと」

「っ!」

「おじさまは抵抗されたと、おばさまからはお聞きしていたわ。だから、今日の態度はわたくしも途中からおかしいと思ってた」

 

 リリが、小さな声で言う。

「伯爵、最初からアタイに気を付けろってで言ってたのにゃ……」

 ジャスパーが、そんなリリの背を撫でながら、付け加える。

「うん、それをハンドサインでリリから教えてもらったから、俺も一緒に様子見てたんすよ……そしたら、冒険者ギルドで使ってる通信魔道具の起動音がしたんす。キーンて、耳鳴りしませんでした?」


 全員が、ごくりと唾を飲み込んだ。

 それでもまだ、耳鳴りがしているかのようだ。


「くそ……どうする……」


 苦悩のガウルがウロウロ歩くのを、杏葉はブランケットの上に座ったまま、ぼうっと眺める。


「大丈夫にゃ。これがあるにゃ」


 リリが、皆の前に出した手のひらには、革の小袋。中からは、真鍮の小さな鍵が出てきた。


「オウィスが、こっそりくれたのにゃ」

「リリ、それは……!」


 ガウルの目が輝き、しっぽが太く膨らんだ。


「裏庭の、門扉もんぴの鍵だな!」

「そうにゃ! 橋、使えるにゃっ」

 

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