第17話 通訳できる理由、明らかに
「かんっぜんに、誤訳です!!」
【誤訳? えー、間違ってたン?】
全員が、呆気にとられた。そして、二の句が出てこない。
間違っているといえば間違っているが、普通の会話においても、このような行き違いは起こるだろう。今回はただその問題が大きすぎた、というだけで。
――少なくとも、この中に激高してこのエルフを責めよう、という者はいなかった。
「あの、じゃあ別に今すぐ備えなくても……?」
【それが、そうでもないんだヨネ~】
【どういうことだ】
思わずテーブルの上に身を乗り出すガウル。リリは目を細めて鼻をぴくぴくさせている――恐らく感情の匂いを探っているのだろう。
『君が異世界からやってきたことは、言ってもいいのかな?』
「!!」
杏葉はびくりとして、ダンとジャスパーに目を向けた。
「あの……ランヴァイリーさんが、私のことを言ってもいいか? って」
「あじゅ……」
「アズハ。俺は、ガウルとリリは信頼できると思っている。アズハに任せる」
「ダンさん! ありがとうございます! ランヴァイリーさん。自分で、言わせてもらえませんか?」
ランヴァイリーは、何度かぱちぱちと瞬きをしてから、ふわりと笑った。
『ランでいいよ。うん、分かった』
「はい、ランさん。……ガウルさん、リリ」
【どうした?】
【アズハ、怖がってるにゃん。何があったんにゃ?】
どういう反応をされるのかは怖いが、言うなら今しかないと思った杏葉は、
「私は、この世界の人間ではありません」
と切り出した。
【!?】
【にゃっ!?】
二人の耳がぼわ! と立ち上がったのを見て、可愛いと思うと同時に怖さも感じる。
不快感ならどうしよう、と不安になったからだ。
「別の世界で生きていました。でも気が付いたら、リュコスの国境の川辺に倒れていたんです。そこでタヌキが話していて驚いて、誘拐されそうになったところをダンさんたちに助けられ、ここまで来ました」
「アズハに、危険が多いからそのことを隠せと言ったのは俺だ」
ダンが頭を下げる。
「隠し事をさせて申し訳なかった」
ジャスパーも、それに合わせて黙って頭を下げた。
特にガウルの反応が怖かった杏葉は、
【そうだったのか……ならば、あのもふもふというのは、アズハの世界の習慣か何かか?】
とあっけなく受け入れた彼の態度に驚く。
「えっ」
【ダンもジャスパーも、何を謝っているのかわからんが、その必要はない。頭を上げてくれ。むしろ、大変だっただろう。未知の世界に来たことも、それを助けることも】
「ガウルさんんんんん!」
だん! と立ち上がるや否や
「やっぱりだいすきいいいいいい!!」
がばり、と椅子に座った彼の横からひし! と抱き着いた杏葉を、ガウルはおっと、と受け止める。
頬にスリスリされ、またか! と思いつつも
【おいアズハ、ちょ】
「かっこいいですうううう」
【うぐ】
自分にとっては激しい求愛行動にあたる
「はあ~もふもふ……あったかい……かっこいい……大好き」
これ以上はシャレにならん! とガウルが強く吼えて、しぶしぶと杏葉は離れ、席に戻った。
【うっわー、熱烈だねえ……それに耐えられるのスゴイネ。さすが騎士団長】
ランヴァイリーが目を細める。
【ごっほん!】
「耐える、って?」
【気にするなアズハ】
【え! 言ってナイノ!? わー】
「え? え?」
【ああ。ランヴァイリー。俺はもう騎士団長ではない】
【へえ。セル・ノアにやらレタ?】
【……よく知っているな】
【マーネ。これでも次の里長ですカラネ】
「えっ、次の里長なんですか? ランさん」
人間の全員がぎょっと目を見開いたのを見て
【彼が次代の里長なのは確かだ。獣人王国リュコスは、彼をエルフの大使として認めている】
ガウルが肯定し、ランヴァイリーが
【オイラ、これでも二百歳】
と眉尻を下げる。
「ににに二百歳!」
「うわ! 俺と変わらないと思ってた!」
「それは驚いたな」
【エルフは長寿なんだヨン。さあて、話が長くなりそダネ。お茶のお代わりいるカナ?】
杏葉は立ち上がってランヴァイリーを手伝うことにし、ついでに【獣人語】だとすごく訛っていることを教えてあげた。
【げげ。そうかあ! それも含めて、話をしなくちゃネ】
◇ ◇ ◇
ふう、と再び温かいお茶を飲んでから、ランヴァイリーは姿勢を正した。
『訛っているというなら、エルフの【共通語】は完璧じゃないんだろうなあ』
「エルフの共通語が、完璧でない……ガウルさん達の言葉は、共通語と呼ばれているのですか?」
ガウルとリリが、息を飲んだ。
『そう。地上の生き物の言葉。でも時が経って、エルフの中には話せなくなってきている者もいるよ』
「共通語ということは、人間も話せる!?」
ダンとジャスパーは目を見開いた。
『かつては話せたんだけどね。でも、効率よく魔法を行使するため、魔力で独自の言語を作り出したことで魔法が強まってしまってね。神がそれを憂いて、人間の魔力のほとんどを封じて彼の地に隔離した結果、共通語を失ったんじゃないかな』
「ならば、魔法を使えない人間が増えて来たのは……!」
ダンが驚愕で思わず立ち上がったが、
『私たちは何百年も生きるから、実際にその変遷を隣人として見てきた。だから言えるけど――君たちの所業の結果と言わざるを得ない』
ランヴァイリーの冷たい言葉を杏葉から伝えられると、もう一度ストンと座った。信じられない、というように頭を振って。
『魔素が世界に溜まって、それを悪用した人間が魔族を創っている、と私たちエルフは考えている』
【人間から自然と産まれるのではなく、意図して魔素を悪用する、一部の人間が創っているということだな!】
ガウルの声には、力がある。
それは、今を大きく変えるきっかけに思われた。
リリのヒゲが戦慄でビリビリ震える……自分はもしかしたら、歴史的な瞬間にいるのかもしれないのだ。
『そうだねえ』
続けてエルフはその輝く翠の目を細めて、杏葉を見やる。
『話は戻るけど、魔素の具合から見ても、二十年くらいかな~と思っていた魔王の出現が、早まると思う』
【なんだとっ!!】
「それは、なぜ……」
『アズハが来たから』
「わたし……?」
ランヴァイリーは大きく咳払いをしてから、テーブルの上で手を組んだ。
『気づいていないと思うけれど、アズハの魔力はとても膨大だ。その魔力があるから、この世界の全ての生き物と意思疎通が図れる――この世界では、言語も魔法の一種だからね』
「私の……魔力……」
杏葉は、思わず両手を眺めてしまう。
「アズハ?」
「どうした、あじゅ。大丈夫か?」
「これは、魔法なんですって……」
自覚のない未知の力は、ただひたすらに、怖い。
しかも自分の魔力が、魔王の出現を早める?
「魔力……魔法……」
【アズハ、どうした?】
【あぶにゃい!!】
リリが飛ぶように立ち上がって杏葉に駆け寄り、その上体を支える。
――杏葉はショックで気を失ったのだった。
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