第3話 アイドル、やってます

 あたしはあたし。片桐朝茶子。

 最近身体が硬いってことが判明したから、毎日お風呂上がりにストレッチを日課にしている女の子なんだ。

 さて、そんなあたしがストレッチ以外にしていることといったら、それは芸能事務所に土日通うこと。けっこうこれ、大変なんだ。電車で行かなきゃだから、遠くって。


 でも、あたしはアイドルで頑張るって決めたから。そのために苦労がちょっとあるのって仕方ないよね。

 今日も、十時までに街をとことこ、事務所に顔を出したよ。笑顔ってアイドルの人気の秘訣だって教えてもらったから、あたしは真似たニコニコで事務所の皆に挨拶するの。


「ゆうちゃん社長に、まこさん、リュウハさん、おはようございますー」


 そう、三人きりのスカスカ事務所におはようございます。お辞儀をして、あたしはまた前を見たよ。

 すると、三人のニコニコがあたしに返ってきた。嬉しいよね、こういうの。真っ先に、ゆうちゃん社長こと田中勇作社長があたしに返事するよ。


「おお、朝ちゃんおはよう。今日も元気そうだね」

「はいー! ゆうちゃん社長も……元気ですよね?」

「おいおい、どうしてそこで疑問形になっちゃうかなー。いや、元気も元気、万全さ!」

「良かったー」


 元プロ野球選手でその後芸能人になってから、プロダクション社長になった、尊敬するゆうちゃん社長は元気みたい。

 なんだかちょっと目の下に隈があるきがしたから心配だっだけど、本当に良かった。ひょっとしたらアイシャドウ失敗したのかな。男の人も、化粧するのかもね。

 手を胸に当ててほっとしながらあたしがそんなことを考えていると、今度は寄ってくる大柄な姿が。あたしは安心してその人に笑顔を向けるよ。

 肉体的にはすっごい筈の運動選手の社長よりも大柄な人、そうこの人はお笑い芸人の肉々(にくにく)リュウハさん。彼こそ、今日も元気に挨拶してくれたんだ。


「おっはよう、朝茶子ちゃん! いや、キミにまた会えて嬉しいよ! 僕はマヨネーズの次にキミのことが好きだからね!」

「あたしもリュウハさんに毎週会えるの楽しみです! それにあたしもあたしよりマヨネーズ好きですよー」

「朝茶子ちゃんは、マヨネーズよりも自己評価が下なのか……んぅっ! ロカボだね!」

「ろかぼですー」


 ろかぼとか、多分英語なのかな。よくわかんないけど、あたしは頷いたよ。でも、それで返事が良かったみたいで、リュウハさんは頷いて顎のお肉をぷるぷるさせてる。可愛いね。

 リュウハさんは、脂肪系芸人っていう新しいらしいジャンルで活躍しようと頑張っている新人さんらしいの。

 でも、ゆうちゃん社長と一緒にテレビに出たことが何回かあるみたいで、まだ特に何もしてないあたしより先輩にあたるんだ。


 ただリュウハさんってとっても優しくって、何時も帰りに牛丼とかラーメンとかをご馳走してくれるの。

 社長たちには内緒だよ、って言ってたけど、色んな食べるところ知っててぷにぷにしてるから、あたしこの人好きだなー。


 あたしを上から下まで見つめてから、リュウハさんは続けたよ。


「ふふ、それにしても朝茶子ちゃんはまだまだ薄造りだね……もっとお肉食べるといいよ!」

「そうですねー。お肉美味しいですから、もっと食べてみます。あたし、食べても体重増えないので、食べ放題ですからー」

「それはステキだ! 肉ドルとか、僕的に最高だからね……って何! 食べても太らない?」

「そうですけど?」

「んぅっ、こりゃ、三段腹アイドルの育成作戦は早くも暗礁に乗り上げてしまったか……あ痛っ」

「はぁ。そんな作戦とっとと破り捨ててしまいなさい」

「まこさん!」


 そして、リュウハさんとあたしが楽しくお話してたら、ぱしんとメガホンみたいに丸めた紙でリュウハさんの頭が叩かれたの。

 横にとっても大きな彼の後ろから現れたのは、とっても細身でグラマラスな渡辺まこさん。

 彼女は色々役職持ってる上に最近あたしのマネージャーまで買って出てくれた、元アイドルのお姉さんなんだ。

 見事に冷たくツッコミをしたまこさんは、でも何時も優しく携帯電話越しに起こしてくれる優しい人。

 ただ、リュウハさんとはあんまり仲が良くないみたい。よく怒った様子でハタキとかボールペンとかで彼にツッコミをしているよ。

 あ、でもそれもひょっとしたらリュウハさんに対する訓練なのかも。だって、芸人さんってツッコまれるのが花とか聞くしね。日常がコントって、すっごいなあ。

 あたしが感心していると、こほんと一つ咳払いしてから改まった様子でまこさんはあたしに挨拶したよ。


「おはよう、朝茶子。今日も遅れず、偉いわね」

「わわ、当たり前ですよー」


 するとおはよう、って言葉が終わらないくらいにまこさんはあたしの頭を撫でてきたの。

 どうしてだろ。よく分かんないけど、それが偉いっていうことの労いだとしたら違うと思うんだ。

 だって、無遅刻無欠席くらいやってないと、あたしはダメな子過ぎるもん。

 あたしはだから、当たり前って言ったんだ。


「……ですってよ? 社長」

「……ははは。まあ、遅参は余裕の表れってことで……ダメかな?」

「駄目に決まってます。朝茶子を見習って、せめて遅れる前には一報を下さい」

「善処しよう」

「……奥さんに、チクりますよ?」

「分かった! これからは遅刻は減らすから、家内に私のだらしないところを報告するのはやめてくれ! もうあの辛い辛い別居は懲り懲りなんだ!」

「ふわー」


 まこさんに頭を下げる社長を見て、まこさんスゴイなあとあたしは思う。おっきな胸を張って、何時もこの人は立派な感じ。

 でも、ほうれん草って大事って聞くから、社長も大切にしないとね。青物ってビタミンとかたっぷりらしいから。


「それで、朝茶子。いいかしら?」

「あ、はいー」


 あたしがそんなことを思いながら口ポカンとしてたら、まこさんが今度はこっちを向いたの。

 何かな。今日の予定を教えてくれるのかも。

 また今日は身体測定とかテストとかするのかな。それとも、芸能人の名鑑をまたリュウハさんと一緒に暗記するゲームをするのかもね。


「今日は、スタジオでレッスンをするから、よろしくね」

「え」


 そんなことを考えて、あたしはすっかり自分がアイドルなんだって忘れてた。だから、あたしはまこさんの口から、そのらしい予定を聞いた時、びっくりしちゃった。

 口をまたまた大きく開けるあたしに、どうしてかまこさんは申し訳無さそうな顔をしたよ。そして、言ったの。


「あー……今までこういう、それらしいことはしていなかったから、驚いちゃったかしら?」

「えっと……はい、正直あたしはあたしがアイドルだってこと、すっかり忘れちゃってました!」

「そうね……それに関しては、ひと月もあなたの性能のチェックと修正に時間をかけてしまったこちらの問題があるわね。申し訳なかったわ」

「わ。頭を上げて下さいー!」


 そして、下げられたふわふわ茶っこい髪の毛にあたしはびっくり。だって、何も謝罪が要るような辛いことなんてこれまでなかったから。

 身体測定とか、自分のカップの成長を知れて楽しかったし、テストは文字が多かったけどなんか答えがいっぱいある珍しいのだから面白かった。

 それに、リュウハさんと芸能人のことをたくさん知れたのは、とってもためになったもの。何もまこさんが指示したことであたしは損してない。

 だから慌てるあたしに、まこさんは頭を上げて、やれやれという表情をしたの。


「はぁ……朝茶子。この程度のポーズに慌てすぎ。芸能界はそこそこ綺麗になったとはいえ魔界なのだから、気をつけなさい」

「えっと?」

「つまり、レッスンスタジオでは、もうちょっと真面目な顔をしなさいってこと」

「あ、そうですね……頑張ります!」

「うん。……惚れそ」

「んぅ?」


 真面目な顔。なるほど、にこにこしてばかりだと、ほっぺふやふやになっちゃうもんね。

 だから引き締めるのも大事だと理解して、あたしはきりり。すると、どうしてだかまこさんがあたしを鋭い目で見て冗談を言ったよ。よく分かんないね。

 そのまま少し、時間が流れたよ。どうしようかなと思った時、まこさんの右手がぴくりとした途端、ゆうちゃん社長の声がかかったの。


「……まこ君」

「あー……はい。それじゃ、向かい行きましょうか。何時ものワゴンを使うから」

「はい!」


 なんだか、不思議な間だったけど、上司の声でまこさんも何時もに戻ったよ。そして、気を取り直してあたしを先導しくれるの。

 それにしても、楽しみだなあ。レッスンってどんなのがあるんだろ。声のトレーニングとか、それともダンスを頑張ったりするのかな。

 どっちにせよ、あたしには必要なものだよね。これは気合が入るよ。


 そんなことを思っていたら、何を思ったのか振り返ったまこさんは爆弾を落としたの。そう、それはあたしを本気にさせるに十分な衝撃。


「向こうにはあなたの他にアイドルの子が居るから、できれば仲良くしてね?」


 仲良くしてね。それはつまりあたしが仲良くして良い相手がそこに居るということ。

 ああ、それはなんて。


「あたし、頑張る!」



 かわいそうなんだろう。




「着いたー」

「着いたわね」


 そして、ご飯を中華屋さんで二人軽く食べてから、あたしたちはスタジオってところに着いたよ。

 そういえばあたしはただラーメン美味しかったねと思ってたけど、その後すぐベロになんか口にハッカ味みたいなスプレーしてもらったんだ。

 まこさん曰く、エチケット、らしいけれど、ラーメンの匂いとかあたし気になんないけどなあ。

 ただ、こういう時は大体あたしより皆のほうが正しいだろうから、あたしは大人しくしてないと。


「じゃあ、私は先に話を通しておくから、朝茶子は待っててね」

「はい!」


 そう思って、あたしはまこさんが確り皆に挨拶している中で、後ろでぺこぺこ。そして言われたとおりに真面目な顔もしていたよ。ほっぺが攣りそうだったけど。

 まあ、そんなこんなでこれまで頼もしいまこさんの背中をずっと見ているばかりだったけれど、なんだかはいはい言ってたら扉の向こうにいなくなっちゃった。

 扉も大げさ、防音設備しっかりしてそうな部屋の中の人の声は、外からじゃ聞こえてこないね。どうしよう。暇になっちゃったなあ。


「待つ、かあ……」


 呟くあたし。一人になると、それこそあたしの場違い感がとんでもない気がしてきちゃう。

 これまでこの建物を通ってきた中で、派手な感じのものや人ばかりだった。そんな中で、大したことのない、むしろ凹んでるあたしが一つきり。

 そんなの、目立つどころか掃除されちゃいそう。邪魔だよ、ぺって外に追い出されるのがオチじゃないかなあ。


「あれ」

「んぅ?」


 そんな風に、あたしがこわごわしてたら、後ろから声が。

 振り向いたら、ジャージ姿のもさもさしてるあたしと違う、ぴちぴちの上にTシャツな女の子がいたよ。

 頭にお団子ふたつ付けたその子は、急に向かいになったあたしを見て口をあんぐり。


「え……」


 ああ、どうしたのだろう。そう考えてから合点をいかせたあたしは、少しがっかり。でも、それでも頑張って真面目な顔を続けて。


「あなた、ひょっとしてあたしをお掃除に来たの?」


 そう言ったよ。ああ、とうとうあたしは汚物は消毒だ、ってされちゃうのかな。

 そんなことを考え、悲しくなったあたし。でも後で考えてみたらこんな身体のラインを出しちゃうくらいに真剣なトレーニングウェアをしてる子が、ただの清掃員さんな訳がなかった。

 それに、よく見たらとびっきり可愛かったし。瞳大きくって顔もちっちゃくって、なんともすっごい子だった。


「えっと、わたし、あなたというかその奥に用があるというか……」


 そう、だから案の定。彼女はあたし以外に用を持っていて。そうして。


「アイドル、やってます……」


 あたしと同じだったの。


「ふぇ」


 なんだ、残念。あたしはついついそう思っちゃったよ。

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