第3話 わたくしが今、出来ること

 「一体何用ですの」

 「相変わらずつれないなぁ」


 ルナリアが睨むが、男は何処吹く風だ。


 男の名前はレーヘルン・バルムヘルテ。

 バルムヘルテ伯爵家の三男で、同じ学年の男生徒だ。

 そして、彼も攻略対象の一人である。


 ルナリアはこの男があまり好きではなかった。


 彼は、女性に対して見境がない。

 女性受けが良いその容姿を活用して、日夜遊び歩いている。


 ゲームの記憶から、彼の遊び癖の理由を知っている。

 確かに彼の生い立ちには同情をするものがあった。

 それに、彼がヒロインに一途になっていく様は良いものだった。

 男性を形容する言葉として適切かはわからないが、その愛らしさを守りたい気持ちにかられた。


 しかし、それは前世の私によるゲームの感想である。

 『識って』いてもルナリアは、彼が好きではなかった。


 「貴方とお話することは何もありません」

 「そう言わないでよ。暇でしょ? 今日は殿下がいないから」


 ルナリアの眉がぴくりと上がる。

 それを見て、レーヘルンはくすりと笑った。


 「俺は、愛しの殿下を転入生に取られちゃった雛鳥を、慰めにきてあげただけだよ」


 ルナリアは、無言でお弁当を片付け始める。


 「あれ、怒った?」


 ルナリアはすっと立ち上がり、レーヘルンに目をやらずに歩き出す。


 「ちょっとちょっと、無視は流石に傷付くって」


 レーヘルンがルナリアの前に立つ。

 ルナリアは溜息をついて、髪を手の甲でなびかせた。


 「気安く話しかけないでくださいませ。私は、リヒャルト殿下の婚約者ですのよ」


 こんな男と二人きりで話して、変な噂でも立ってしまったら。

 それはリヒャルト王太子殿下の名をも汚すことになるのだ。

 そんなこと、ルナリアが耐えられるはずもない。


 「……君は相変わらずだな」


 レーヘルンが、嫌そうに眉をひそめる。


 「失礼いたしますわ」


 ルナリアは形式ばかりにお辞儀すると、今度こそその場を後にした。


 「その地位は絶対じゃないって、覚えといたほうがいいよ」


 レーヘルンが、背後から言葉を投げつけてきた。


 そんなこと、私が一番知っていますわよ。


 ルナリアは、奥歯を噛み締めた。





 学園の門へ行けば、通学用の馬車は既に到着していた。

 早めに到着してくれていた御者にお礼を感じながら、ルナリアは馬車に乗り込む。


 ごとごとと揺れる馬車の中、ルナリアは溜息をつく。


 まだ半日しか経っていないのに、どっと疲れた。

 それもそうか、とルナリアは窓に映る自分を見る。


 自分が破滅する原因となる少女を見つけた。

 どうすれば自分が破滅を回避できるのかと考えた。


 前世の記憶を総動員して。


 普通ならあり得ないことを、あり得ない知識で考えている。


 「疲れて当然ですわね」


 最後に嫌な男にも会いましたし。


 ルナリアは、レーヘルンに言われたことを思い返す。

 学園に転入してくる人というだけならば、そこまで珍しくもない。

 養子に取られた人や、他国留学から帰ってきて転入することなどもあるからだ。

 学園の門はいつだって、開かれている。


 貴族に対してならば、だが。


 平民の生徒など前代未聞だ。

 それだけで、噂の格好の的だろうことは想像に難くない。

 しかもそれが、千年に一度しか現れないという光魔法の使い手。

 人の興味を惹きつけてやまないことだろう。


 なのに。


 なのに、彼女は考えなしにも殿下に近付いていく。

 最初に話をした生徒だからという、浅ましい理由だけで。


 殿下が学園の案内を申し出るのは、仕方がないことだ。

 だって殿下は、今期の生徒会長を務められている。

 それでなくても、優しくて人情深い御方だ。

 自分のクラスに転入生がいれば、進んで学園の案内を申し出ることだろう。


 お忙しくされているというのに、周囲への気遣いを忘れない。

 なんて優しく頼もしい御方なんでしょうか。


 けれど、少し心配でもある。

 そんなに抱え込んでしまって、お体を壊しはしないだろうか。


 いいえ、いいえ。


 彼はこの先、国を治めていく御仁である。

 自分の身が如何に大事なものかは、幼い頃から熟知されている。

 そんな方ですもの、できない無茶をするはずがない。


 それに。


 もし、本当に体調を崩されることがあるのならば。

 そんな時に支えるのが、殿下の隣に立つことを許された私の努め。


 私がしっかりとしなければ。

 なんて、思うけれど。


 ルナリアは、握りしめた拳をゆっくりと開いた。


 ――……その地位は絶対じゃないって、覚えといたほうがいいよ


 レーヘルンの言った言葉が、ルナリアの心をさくりと刺す。


 そんなこと、言われなくても一番知っている。

 自分が疎まれて、笑いものにされて、切り捨てられる未来を知っている。

 殿下の婚約者として相応しくないと言われることを『識って』いる。

 

 「ああ、殿下にお会いしたいですわ」


 そうすれば、この胸のモヤも晴れるのに。


 ルナリアはそっと、目を閉じた。





 家に辿り着いて、馬車を降りる。


 「おかえりなさい、ルナリアお嬢様」


 ルナリアを出迎えたのは、彼女専属の侍女ベルーナだ。


 「ベル、今日の予定に変わりはないかしら」

 「はい。この後、政治学の講師様がお見えになります。その後は、古代文字の講師様が」

 「ありがとう。ああ、今夜中に刺繡を完成させたいから、そのつもりでいてね」

 「かしこまりました」


 予定の確認をしている間に、ルナリアの着替えが終わる。


 「はあ、春休み中に終わる予定だったのに。始業式の日にまで延びてしまうなんてね」

 「三日も床に臥せっておいででしたからね」


 そう、本来なら一昨日には全て終わっている予定だったのだ。

 今日頼んでいる政治学の授業も、古代文字の授業も。

 今週末に控えている淑女教育の授業での刺繍の確認も。

 全て、学園の休みに合わせてにいれたものなのだ。


 しかしルナリアは、不覚にも春休みに風邪をひいてしまった。

 そのため、春休み最終日までには終わっていたはずの個別指導が残っているのだ。


 ああ、情けない。

 こんなことで将来、王太子妃を務めあげられるかしら。

 それに、その先だって。


 「ですが遅れを取り戻せたのは、ひとえにお嬢様の頑張りでございましょう」


 ベルーナの声に、いつの間にか下がってしまっていた顔を上げる。


 「私はお嬢様を誇りに思います」

 「ベル……」


 優しく微笑むベルーナに、ルナリアは感動した。


 と、いうことはなかった。


 「本音は?」

 「お嬢様がお庭で元気にはしゃがれたせいで、風邪をお召しになったわけですしねぇ」


 風邪をひく前日、ルナリアは屋敷の庭で剣術の鍛錬をしていた。

 本当は「淑女が剣を持つな」と止められている。

 しかしルナリアは「未来の王太子妃たるもの、自分の身は自分で守らなければ」との思いから、こっそり剣を振っているのだ。

 護身術と体力向上程度のものなのだから、とやかく言われたくないのがルナリアの本音である。


 そうして、その日も時間を見つけ、剣術の鍛錬をしていた。


 そこでふと、ルナリアは考えたのだ。


 私の魔法と剣術を重ねたら、どのような効果があるのかしら。


 むくむくと膨れ上がる好奇心に、ルナリアは抗えなかった。

 そして、試しに剣に己の魔法を乗せてみた。


 しかし、不慣れなことをしてしまったがために、魔法は暴発。

 あらぬ方へと霧散した。


 「きゃあっ!」


 体勢を崩したルナリア。

 しかし、奇跡的に手足を捻ることも、怪我をすることもなかった。


 何故なら、近くにあった池に落ちたからである。


 それを幸いと呼ぶか、不幸と呼ぶかは人による。

 とにもかくにも池に落ちたルナリアは、全身に水をかぶった。

 そしてそのせいで、風邪をひいてしまったのである。


 「どうせ自業自得ですわよー!」


 ルナリアの叫びを、ベルーナがどうどうと静めようとする。


 「いいえいいえ、お嬢様の探求心は立派ですし、怪我をされなかったのは喜ばしいことにございます」

 「どうせ仕事増えちゃったなーとか思ったのでしょう!?」

 「この程度で思っていては、お嬢様の侍女など務まりません」

 「どういう意味ですの!?」

 「他意はございません」


 しれっというベルーナに、ルナリアはむむむと頬を膨らませる。


 「お嬢様、お顔が大変なことになっております」

 「誰のせいよ、誰の!」


 しかし、いくら自室で気心知れた侍女しかいないと言えども、これはやりすぎかもしれない。

 こほんとルナリアは一つ咳ばらいをして、心を静める。


 「それよりも、先生がいらっしゃるまでまだ時間はありますわよね?」

 「ええ、お嬢様のお帰りが異様に早かったので」

 「あなたは一々含みを持たせないと、喋れませんの……?」

 「他意はございません」

 「あった方がいっそ気楽ですわよ!」

 「では、ご下命通りお茶を用意してまいりますね」

 「まだ言っておりませんわ!」


 退室するベルーナを見送る。

 ルナリアは、ぐったりと椅子に座り込んだ。


 時間があるだろうから、紅茶で一息つきたかった。

 その思考は侍女に筒抜けだったらしい。


 本当に彼女は、頼りになる。


 ベルーナとの会話のお陰で、学園でささくれだった心が少し落ち着いた。

 あの態度はどうなんだろうかと思うことも少なくない。

 しかし、救われていることの方が比べるまでもなく多かった。


 「……本当、良い侍女を持ちましたわ」


 少し癪ですけれども。


 「勿体無いお言葉、ありがたく頂戴しますね」


 ドアの向こうから、ベルーナの声がした。

 ルナリアは、椅子から飛び上がりそうなほどに驚いた。


 その後、扉がノックされる。


 「お嬢様、失礼いたします」


 そうして、紅茶と少しの茶菓子を持ったベルーナが入ってくる。


 「順番が逆ですわよ!」

 「はて、何のことでございましょう。もしかして、わたしの独り言が聞こえてしまいましたか?」


 それは大変失礼しました、とベルーナがまったく悪く思っていなさそうな顔で言う。


 まあ、独り言なら仕方ないのかしら。


 疲れたルナリアは思考を放棄して、注がれる紅茶を見つめる。

 きらきらと明るい色と、若々しい緑の爽やかな香りが漂ってきた。


 「本日の紅茶は、ダージリン・ファーストフラッシュでございます」


 一口含めば、爽快な渋みが口の中に広がっていく。


 「お嬢様は、さっぱりとしていらっしゃる時が最も魅力的ですよ」


 その言葉に、どきりとする。

 この侍女には、落ち込んでいたことなんて筒抜けだったのだろうか。


 「この後の勉学も、無理せず適度に頑張ってくださいませ」


 ルナリアの右隣、素知らぬ顔でベルーナが言う。


 「本当に、かないませんわね」


 ルナリアは、再び紅茶に口を付ける。

 まるで涼やかな風が、心のモヤを吹き飛ばしてくれるようだった。


 そう、落ち込んでいる暇などない。

 立派な王太子妃となるために、今日も研鑽を積んでいく。


 そんな未来、なくなるとわかっていても。


 それでもルナリアはまだ、リヒャルト殿下の婚約者である。

 妥協は許されない。

 

 それに生き延びることが出来たら、別の形でお支えできるかもしれない。


 ルナリアに出来ることは、未来があると信じること。

 来たるべき時のために、理想の淑女を目指し続けること。


 全ては、愛しの殿下のために。


 「さあ、今日も勉学に励みますわよ!」


 ルナリアの元気な声に、侍女がくすりと微笑んだ。


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