第4話 情勢
「エルヴァリのクーデター政権と日本政府との関係は今どうなっているんだ?」
もらった資料を斜め読みしながら私は尋ねた。
クーデター首謀者はヤーコブ・リュトゥコネン少将。
国内が中立融和派とNATO加盟派で二分されている所に乗じて対東側強硬政策をスローガンにしたクーデターを起こし、さらにエルヴァリ国内の基地使用をNATOに確約する事によって対東側前線への補給ルートを欲する西側諸国の指示を取り付けたと言う、中々の辣腕ぶりだった。
「直接利害関係の薄い日本政府はお得意の玉虫色外交を決め込んでいますわ。表立ってクーデターなんて手段を支持したくはないが、かと言って他の西側諸国と間で軋轢を起こしたくもない。大勢が決まるまでは旗幟を鮮明にしたくない、と言うのが正直な所じゃありませんかしら」
一気に喋ってからイーリスはパンを口に運び始めた。
「私が日本に亡命を表明しても、簡単には行かないよね?」
ソルヤがフォークを使って器用に目玉焼きを分けて行く。私とイーリスの皿にそれぞれ六分の一ほどを移し、それで三人の目玉焼きは均等になった。
「流石に門前払いはされないと思いますけどね。父親を殺された王女が、それも十七歳の美少女が亡命、などと言う事になったら日本の世論は一気に反クーデター政権の感情に沸くのは目に見えています。それを考えると日本政府にとってあなたはかなりの厄介者でしょうね」
「仮にソルヤが保護されても動きは悪くなるな」
「ええ。日本政府が自分から強制送還するほど思い切った事はしないでしょうが、保護能力はあまりアテに出来ないでしょうね。ま、全部我らが日本国の裁きに任せると言う分の悪い賭けも選択肢ではありますが」
「お前日本人じゃないだろうが」
「失敬な、人種差別ですか。ちゃんと日本国籍持っていますよ!偽造ですけど!」
「知ってるから大声で言うな」
ソルヤは話を聞きながら視線を落としていた。食事を取る手は進んでいない。落ち込んでいるのだろうか。だとしても自分が孤立無援だと言う事は、とっくに分かっていたはずだ。
「しかし」
資料を読み終え、自分も朝食を取り始めると私は疑問を口に出した。
「これを読む限り、エルヴァリは国王に政治的な権限はほとんどない典型的な立憲君主制国家なんだろ?リュトゥコネン将軍の主な政敵も国王じゃなく前首相だったとある。影響力はあっても実権は無い国王を殺し、王女を国外でまで追い回すような理由がクーデター政権にあるのか?」
エルヴァリ王室は国民の高い人気を誇っていると言う。私の感覚で言えば、クーデターを起こすなら人気のある王族には手を出さず、せいぜい軟禁して利用価値を見付ける方がずっといいはずだ。
「そう、それはワタクシも気になっていたのですよね」
イーリスはソルヤの方を見やった。
「表向き、エルヴァリの先王は王宮制圧時に警備兵の誤射によって逝去された事になっていますが、普通に考えればそもそも王宮をわざわざ武力制圧する必要もなかったはずです。先王を殺害した事でリュトゥコネン将軍は各方面から反発を受けて国内の掌握に苦労しているようですが、そこまでして王室を狙う理由があちらにはあったんですか?」
「それは、私にも分からないよ」
ソルヤが首を横に振る。
「クーデターの気配はあったけど、実際に起こるまで誰も王宮まで攻撃されるとは思ってなかった。私は念の為国外脱出の準備をしてから、王宮で本当に何が起こったのかも分からない。大使館に移ってからも、私が執拗に狙われている事に皆戸惑ってたよ」
「ソルヤ以外のエルヴァリの王族は?」
「調べてみた限り大抵が国内で軟禁か国外脱出ですわね。ソルヤ殿下ほど執拗に追われている方は今の所いませんわ」
イーリスがコーヒーをすすると、まるで好奇心旺盛な猫のような瞳をソルヤに向けた。
「ひょっとしたら何か王家の隠し財宝の場所でも知っていまして?ソルヤ殿下」
「残念だけど。私が持ち出したのは適当な宝石や貴金属、現金だけだよ。クーデター政権がわざわざ国外まで追うような価値はないと思う」
ソルヤは彼女のスポーツバッグに目をやった。
「まさかその将軍とやら、自分が新国王になる事を願っている訳じゃあるまいな」
「さすがにそんな事をしたら国内外から物笑いの種だし、それが分からないほど馬鹿な人ではなかったと思う……」
心当たりがない、と言うソルヤの言葉に嘘は無さそうだった。
「しかしまあ、とんだ厄介ごとに首を突っ込んだ物ですこと、キザキ」
イーリスがにやりと笑った。
「この日本でたまたま亡国の王女様とそれを追うスパイに出くわすのは非常識もいい所ですが、それに出くわしたのがよりにもよってキザキだったとは。連中にとっては大きな災難でソルヤ殿下に取っては小さな幸運でしたね」
小さな、と言う所に若干の棘があった。
「うん、キザキには助けられた。あらためてお礼を言うね、ありがとう」
ソルヤが顔を上げて私の方を見た。
「好きでやっただけだと昨夜も言ったはずだ」
「あまり気にされない事ですよ、殿下。この男は時々気紛れで見返り無しに色々やるんですよ。不良が雨の中、子猫に傘を差しているような物です。その気紛れがいつまで続くか分かりませんが」
イーリスの物言いは、やはり挑発的だった。何に対しての挑発なのか、束の間私は考えた。
「生憎助けた猫は最後まで面倒を見る主義でな。問題がどうにかなるまでは付き合うつもりだ」
「それは、さすがに」
ソルヤは驚いたように口に手を当て、イーリスは呆れたように首を横に振った。
「イーリスさんの話は聞いていたでしょ?本当に私は今世界中の厄介者なんだよ?私とこれ以上関われば、君も追われる立場になるよ」
「子どもがそんな事を気にするんじゃあない」
「けど」
「今は他に頼る人間も、行く当てもないんだろう」
「……うん」
「だったらしばらくは、大人の親切に甘えろ」
「でも、どうして、そんなに親切にしてくれるの?」
「さあ。気紛れ、同情、正義感、庇護欲、英雄願望。君が納得行く理由を選べばいい。困っている子どもが大人に助けられるのに、大した理由は不用だと思うがね」
「一目惚れと言うのは選択肢に無いんですか、一目惚れと言うのは」
イーリスが横から茶々を入れて来た。返答をせず、私は代わりにイーリスの皿から目玉焼きを取り上げた。
「ああ!ワタクシの目玉焼きを!」
「元々俺のだろうが」
「だったらワタクシの分もちゃんと追加で焼きやがれでしてよ!」
「常温に戻した卵をあらかじめ準備していないと目玉焼きは上手く焼けない」
「ワタクシそう言う細かいこだわりは全く分からないのでただ目玉焼きがあれば満足です」
「お前みたいな奴には俺が作る飯を食わせたくないな」
私とイーリスのやり取りに、ソルヤは笑い始めた。笑い声に次第に嗚咽が混じり、やがて号泣に変わる。
何かが彼女の中に張り詰めていた堰を切ったようだ。
「あーあ、泣かせちゃいましたね」
「俺が泣かせた訳じゃない」
今まで何不自由なく暮らしていたはずの十七歳の子どもが父親を殺され、国を追われ、大使館からすら追い出され、自国の諜報員に付け回される。
本当は出会った時点に絶望の底で、何も出来ず泣いていてもおかしくは無かったのだ、彼女は。
そうせず気丈に抗おうとしていた。それが私の心の中の何かに訴えかけていた。
「まあ、まずはゆっくり朝飯を食うんだな」
泣いているソルヤと向き合っているのがいたたまれなくなり、そう言って私は席を立った。
誰よりも食事が早いのは、昔からずっとそうだった。
イーリスから取り上げた目玉焼きは、結局そのままだった。
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