第35話
道明寺は稽古場の隅に置いてあった文箱から二枚の紙を取りだして、オレと夏美に一枚ずつ渡した。オレがその紙を見ると・・・こう書かれていた。
『平家物語 冒頭
平家物語 第一巻「祇園精舎」より 』
なんだ、これは? 古文の授業か?
すると、道明寺が背筋をピンと伸ばして、またも高らかに声を張り上げたのだ。
「古典日本舞踊 扇子の基本動作 その2 『平家物語』」
驚いて道明寺を見つめるオレと夏美の耳に、道明寺の声がひびいてきた。
「それでは、この文章に合わせて、日本舞踊の振付をしていきます。二人とも私の振りをよく見ておくのよ。まず、『
そう言うと、突然、道明寺は「
道明寺の不思議な踊りは続く。ついで「
その次には「鐘ェェェェ のォォォ 声ェェェェェ」と大きく叫ぶと、再び立ち上がった。今度は内股で扇子を眼の上に水平に持っていって、扇子で何やらお寺の釣り鐘を突くような仕草をする。その内股の仕草がまた何とも色っぽい。
道明寺の摩訶不思議な踊りと叫び声に・・・オレと夏美は面食らってしまった。オレたちは唖然として道明寺を見つめるだけだ。
道明寺の振りが色っぽいのはいいが・・・いったい何が始まったのだ? 全く理解ができない・・・
道明寺はここで動きを止めると、茫然として口を開けているオレたちを見た。
「二人とも分かりましたか? まず、『
オレの頭は混乱した。京都タワーだって?・・・オレは写真で見たことがあった。JR京都駅の北側に当たる
道明寺が続ける。
「次の『
オレは絶句する。『京都祇園にある障子屋の娘』だって? その娘が障子を貼っているんだって? 何なんだ、それはいったい? それにしても、障子貼りなんてものは畳屋さんや建具屋さんなんかがしてくれると思うのだが・・今どき、障子貼りを専業とする『障子屋』なんて商売があるのだろうか?
オレの疑問にかかわらず、道明寺の声が続く。
「それで『京都祇園にある障子屋の娘』が障子を貼る仕草ですが、ここは、このように
オレは感心する。扇子っていろいろなものに見立てることが出来るんだなぁ。まるで、落語家が扇子を使って落語を演じているようだ・・・それにしても、肌色のレオタード姿の道明寺が内股にしゃがんで障子を貼る姿は、何度見てもゾクリとするほど
オレの耳に夏美の感心する声が聞こえた。
「さすが、
それに引き続いて、オレの耳にさらに道明寺の声が入ってきた。
「次の『鐘の声』では、こうして扇子を水平にして・・『鐘突き棒』に見立てて、扇子を使って釣り鐘をつく仕草をします。つまり、障子を貼り終わった『京都祇園にある障子屋の娘』が、近所のお寺に行って、お寺の釣り鐘を突く格好をするわけです」
『京都祇園にある障子屋の娘』が、どうして近所のお寺に行って、わざわざ釣り鐘を突くんだ。そのお寺の住職は近所の娘が勝手に寺の鐘を突いても、何にも文句を言わないのだろうか?・・・太っ腹な住職だなぁ・・・しかし、近所の人は迷惑だなぁ。昼夜を問わず、お寺の鐘がゴーン、ゴーンと鳴らされるわけだもんなぁ・・・
茫然と見つめるオレたちを気にせず、道明寺の説明は続く。
「では、次の『
揉み手をして「まいどあり~」だって? さすが『京都祇園にある障子屋の娘』は商売人だ。大阪商人も顔負けじゃないか・・・
「さて次の『
『京都祇園にある障子屋の娘』が「タダなんてできると思とんのかい。顔でも洗って出直してこんかい。このボケ!」なんて言うのか! なんて柄が悪い娘なんだ。家では障子貼りを手伝っているが、きっと、学校ではスケバンなんだ。怖いなぁ・・・
「それでは、次の『
なんで『京都祇園にある障子屋の娘』が皿を拭いてるの? 障子屋は食堂も兼業しているのだろうか? きっと、障子貼りの本業があんまり儲かっていないんだな・・気の毒だなぁ・・
「次の『花の色』ですが・・・ここでは、こうやって・・・」
そう言うと、道明寺は右足を一歩前に踏み出した。それに
「・・・背中の桜吹雪を見せるのです。ここでは、ぜひ『てめえ、この背中の桜吹雪が見えねえのかい! このボケ!』と
うわ~。『京都祇園にある障子屋の娘』は背中に桜吹雪の刺青をしているのか! それにしても、京都の娘なのにセリフが『べらんめえ口調』の江戸っ子になってるのはどうしてなの? それに、江戸町奉行の遠山の金さんが下手人に向かって言うセリフだが・・花のお江戸のお奉行様が下手人に対して・・『桜吹雪』を見せて「このボケ!」なんて言うのかなぁ・・・
「そして次は、『
肌色レオタード姿の道明寺が、内股のままで、片足を順に上げてタクシーに乗り込む格好をする。内股なので、足を上げる際に尻が大きく横に振れる。あまりの色っぽさにオレは道明寺の仕草に見とれた・・・
「次の『
『京都祇園にある障子屋の娘』はいつも『ヒスイ』を持ち歩いているのか? 障子屋以外にいろんな商売をしてるんだなぁ。しかし、こんなところで、なんで『ヒスイ』が出てくるの? それにしても「運ちゃん、わての持ってるヒスイを買わへんけ?」とは・・・柄が悪いなぁ。おまけに京都祇園の娘なのに、なんで
道明寺が続ける。
「そして次の『
オレは絶句する。「このボケ!」って言うのが好きな娘だなぁ・・・学校でも同級生の男子に「このボケ!」って言ってるんだろうなぁ・・・
「従って、ここは、このように、まず扇子でポカリと運転手の頭をブツ格好をして、それから片足ずつ上げて、タクシーから降りる格好をするわけです。その仕草をしながら、娘の『なんや。ヒスイを買う金も持ってへんのんけ。ケチくさいタクシーやな! こんなタクシーに乗ってられるかい。このボケ!』というお上品なセリフを必ず言いましょう」
『京都祇園にある障子屋の娘』は、一度乗ったタクシーから降りるのか! タクシーの運転手はとんだ災難だな・・・それにしても、娘が言う「なんや。ヒスイを買う金も持ってへんのんけ。ケチくさいタクシーやな! こんなタクシーに乗ってられるかい。このボケ!」というのがお上品なセリフなのかなぁ?
そこまで言うと、道明寺はオレたちの前に立って、満足そうにオレたちをながめた。
「あなたたちは初めてですから、今日はとりあえず、振付はここまでにしましょう。それで、『古典日本舞踊』では二人ペアで踊りを披露します。つまり、一人が古典の文章を『能の謡曲』のように
ここで道明寺は夏美とオレを交互に見た。
「じゃあ、夏美ちゃんが謡いをやって、小紫君が踊りをやってちょうだい。それでは、今のところを謡いと振りをつけて実際にやってみましょう」
そう言うと、道明寺は稽古場の奥から、あの肌色のレオタードをもう一着出してきて、オレに差し出した。
「さっ、小紫君。これを着るのよ」
「えっ、な、なんで、オレが・・・」
「決まってるでしょ。これを着ないと『花の色』のところで、背中の桜吹雪を見せることができないじゃないの。それにね、この『桜吹雪』は『平家物語』以外にも『古典日本舞踊』のさまざまな『古典』で登場するのよ。だから、これから『古典日本舞踊』を踊るときには、あなたは必ずこのレオタードを着るのよ」
そんなぁ・・・こんな肌色のレオタードなんて・・・素っ裸みたいで恥ずかしい。しかも、背中に桜吹雪のプリントがあるなんて・・・とても正気の沙汰とは思えない!
しかし、オレは道明寺に逆らうことはできない。『おしとやか』になるために日本舞踊を習うことは、山西からの厳命なのだ。
こうしてオレは赤いダンス部のレオタードを脱がされて、無理やり肌色のレオタードを着せられた。もちろん、オレの肌色レオタードの背中には桜吹雪の柄がプリントしてある。道明寺が奥からキャスター付きのミラーを出してきた。ミラーを見ると・・・まるで素っ裸のオレが映っている。ミラーの中のオレの顔がみるみるうちに真っ赤になった。
それから、オレと夏美は道明寺に『平家物語』の冒頭をたっぷり練習させられた。稽古場の中に『
しかし、『古典日本舞踊』ねぇ・・・『京都祇園にある障子屋の娘』ねぇ・・・『桜吹雪』ねぇ・・・
こんなんで、果たしてオレたちは山西が言っていた『おしとやか』に無事に変身することができるのだろうか?・・・
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