呪い狐狗狸 -盈月譚-

須賀 鼎

【壱】好きで化物になった訳じゃない

 モノ

 日本に古来より存在する獣の能力を持つ人種。

 現在確認されているものは、狐型、狗型、狸型。

 嘗ては妖術により人間に敬わられ、恐れられ、人里に溶け込み共存してきた。

 然し西欧化を目指した明治新政府は、廃仏毀釈を始め、日本の文化・風習を排除し始めた。それに便乗し、秘密裏に異種族を絶滅させようと、『或る組織』に命令を下す。

「害ヲ為ス物ノ怪共ヲ駆除セヨ」と。


  ◆


 大正十一年――東亰府。

 近代化が進み、都市部は瓦斯ガスとうの普及により夜でも昼のように明るく街を照らしていた。だが、少し路地に入れば辺りは闇に包まれる。

 獣は夜目がきく。

 女性や子供は勿論、成人男性であっても、夜に出歩く者は殆どいなかった。

 ――私を除いては。

「危ねえなァ、お嬢ちゃん」

 荒い息遣いと男性の声。その呼び掛けに私は立ち止まった。

 この路地を照らすのは満月の明かりのみ。ちらりと伸びる影を横目で見ると、長い腕に人間とは違う、獣のような脚。近付いてくるのに足音は殆どしない。

 背負しょい箱の底に隠していた硝子のかんざしを、そっと気付かれぬように手に取った。

「それじゃあ……犯してくれって云ってるようなモンだろうがよォ!」

「問題ございません」

 私は振り向き、興奮し襲い掛かろうとする物ノ怪に、無表情のまま告げ、簪を投げ付けた。

 瞬間、ぐちゃり、と柔らかいものが潰れ、弾ける音。

 物ノ怪の右目には、先程の硝子の簪が刺さり、血が滴り落ちる。

「あが……ッ! ああ……ああああ……ッ!!」

 右目の視界が閉ざされ、激痛が走り思わず物ノ怪は蹲った。足元の土は徐々に黒く染まっていき、砂利が固まっていく。

 血で汚れないよう、私は背負い箱を置き、満月を背にしてをじっと物ノ怪を見下ろした。

「ご心配いただかなくても、貴方のような『害のある物ノ怪』を駆除するのが仕事ですので」

 物ノ怪は浅く呼吸をし、此方を見詰めている。

 その目には不都合な事が起こった焦り、人間――それも己より体躯の小さな女に傷を負わせられ矜持を傷付けられた怒りの色が滲んでいる。

 抑々そもそも、此方は先に襲われた被害者なのだからそのような感情をぶつけられる筋合いはないのだが、此方を『視て』くれているのは都合が良い。

 物ノ怪の血走った左目と視線を合わせる。今にも襲い掛かりそうな程、憎しみが溢れている。

 私は深呼吸をし、両眼に集中した。

 血液が眼へ集まっていく感覚。

 視界が紅く染まり、『眼』が物ノ怪を『捕える』。


 ――《呪體じゅたい反転邪はんてんじゃ


 キイィィン、と耳鳴りがした直後、物ノ怪は目を見開いた。

 何が起こった、と考える間もなく、私の瞳から逸らせないでいた。

「あ……ぁ…………」

 その目に映るのは先程とは違う、怯え。恐れ。嫌悪。

 本来の《邪視》は人間が視てしまうと発動するものだが、私の場合は発動するものだ。

 その効果呪いは厭世、嫌悪、そして――。

「ああああああああああ!! ああああああああああぁぁああ!!!」

 此方が手を下さずとも、強烈な自殺願望により

 物ノ怪は半狂乱になり、右目に刺さった簪を引き抜き、己の左目を突き潰した。二度と瞳を視ないように。瞳から逃れるように。

 一度発動した《反転邪視》は、私でも止める事は出来ない。

 目を合わせてしまったら、死ぬまで苦しみ、何処までも憑いてまわる。

「その気色悪ィ目! お前! 〝盈月堂えいげつどう〟の女かぁ!!」

 大声で叫ぼうが、こんな夜更けに『普通の人間』は誰も出てこない。

 月明かりの下に立つのは、『物ノ怪』と呼ばれる獣人と、彼等を取り締まる『普通ではない人間』だけ。

 それが、今の東亰府だ。

「先程の私に対する暴行未遂も含めると二十件余り……情状酌量の余地無し」

 ガリガリ……

「貴方には婦女暴行、傷害、強盗殺人により駆除命令が出ました」

 ガリガリガリガリ…………

「恨むならご自身を」

 ぐちゃり。

「……今まで何人『視て』きやがった……えぇ?」

 ひゅうひゅうと空気が漏れる音。

 先程から引っ搔いていた喉元には赤黒い肉が見え始めている。

 目玉は己で繰り抜いたのであろう。両目は窪んで血に塗れているというのに、口元だけがニタニタと下品に嗤っていた。

「化物女が」

 最期に喉を思い切り引き裂き、噴き出した血で声も上げられず、その場に倒れ込んだ。

 思わず顔を顰める。

 死に様や履き物に血が飛び散った事も多少あるが、それ以上に只々投げ掛けられた言葉が不快だった。

「……好きで化物こんな眼になった訳じゃない」

 絶命を確認し、《反転邪視》を解こうとした瞬間、背後からガサッと音が鳴り振り向いた。

 街中とは反対方面へ軽やかに走り去る、人影。

 ――あの足音は先程の物ノ怪と似ている。恐らく、同じ狗型の物ノ怪。

 東亰府には身体能力に長けた狗型が多く分布される。

 京都府には妖術を扱える狐型が生存確認されているが希少種。

 狸型は変化能力を扱えるため正確な生息域の特定は困難だ。

 先程の物ノ怪の仲間か、否か。

 何れにせよ、駆除現場を見られたのならば仲間に伝えるかもしれない。

 そうなると、駆除命令の承認待ちの物ノ怪を逃がしてしまう恐れがある。

「……しまった……」

 厄介な事になる前に捕まえなければいけない。然し、狗の物ノ怪に走って追い付ける訳がない。

 ちらりと地面に置いていた背負い箱に目を遣る。

 ……売り物なのだが、何せ緊急事態だからしょうがない。

 背負い箱の中から一番頑丈そうな安物の大皿を一枚取り出し、私は足元目掛けて思い切り投げ付けた。

「痛っえ!」

 ゴンッと鈍い音と共に盛大に転ぶ物ノ怪に向かって駆け寄る。

 不意打ち用の簪は先程使ってしまったが、自前の簪が残っている。暴れて危害を加える危険性も考えて、《反転邪視》も。

 地面を蹴り、倒れ込んだ物ノ怪に向かい、押し倒す。

 外套を剥ぎ取り、動かぬよう喉元に簪を当てて――彼と目が合った。

「物ノ怪じゃない……?」

 そこには人間の青年がいた。

 焦げ茶交じりの黒い癖毛に、小銭を垂らした変わった耳飾りを付けている。

 遠目では分からなかったが、恐らく私よりも少し年上――十七、八歳頃だろうか。

 この街では見た事のない顔だ。

 青年は青褪め、両手を上げて降伏の意思を表している。

 それを無視し、簪を更に近付け、皮膚に食い込ませた。

「ひっ!」

「何故、この時間に人間が出歩いている? 先程襲い掛かってきた物ノ怪の仲間?」

「ち、違う……」

 私は青年を睨み付ける……が、多少の威嚇にしかならない。《反転邪視》は人間には効かないため、こうして簪等と併せるしかない。

 見た処、戦意は無いようなので、私もこれ以上の威嚇は為るべくしたくはない。

「あと考えられるのは誰かに雇われたのかしら? ……此処で起こった事、私が何をしていたのか、見たの?」

「み……! みみみ……見てないです……!」

 否定はするものの、目が泳いでいる。

 絶対見たわね。

「はぁ……」

 嗚呼、どうしよう……。

 このまま店まで連れて行った方が善いのだろうけれど、大人しくついて来てくれる保障なんてない。

 僅かな油断、隙を作れば、何をしでかすか分からない。

「ご、ごめん! わざとじゃなくってその……!」

 色々考えを巡らせていたのか、『ああ』だの『うう』だの唸り、ころころと表情を変えていたが、何か決心したかのような真剣な眼差しを向けてきた。

「見た事はバラさないから、代わりにご飯食べさせてください!」

 ぐうううぅぅう……。

 深夜に響く、盛大な腹の虫。

 青年は気まずい顔になっていくが、なおもこちらを見詰めたままだった。

 本気なのは伝わった。伝わったのだが……。

「貴方、今の状況分かってますか?」

 溜め息を吐き、私――天満月あまみつきは瞳の《呪い》を解いた。


  ◆


「……チッ」

 男は建物の影に隠れ、様子を見ていた。

 先の狗型の物ノ怪を駆除ころす現場。

 は厄介だ。十代半ば程度、長い黒髪の良家の女のような見た目に騙されれば、酷い最期が待っている。

 苛つきを鎮めるように、ガリガリと女の死体の胸を引っ掻く。

 何度も引っ掻き、皮膚の薄い瘦せこけたそこは肋骨が見え始めていた。

 少し前、遊郭から逃げ出した女らしい。

 身形を見る限り、売れない遊女だったのだろう。

「必死に檻から逃げ出した矢先に狗に襲われるなんて、こいつも運が無えな」

 痩せた指を一本、ポキンッと折って捥ぎ、嚙み砕きながら考えた。

「〝盈月堂〟……。あの女の眼は面倒臭え。られる前にるか――」

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