第66話 お願い

「ここでいいよ! ありがとうね、彰!」


 秋葉原駅から少し歩いたところで、梨々花は立ち止まる。

 そして俺から買い物袋を受け取ると、ニッコリと微笑む。


「そう? 近くまで送らなくてもよかった?」

「うん! ――あんまりお店の近くだと、色んな目もあるだろうし」


 ああ、なるほど……。

 たしかにメイドさんが、店の側で男と二人でいるというのはちょっと不味い気がする。


「分かった。じゃ、バイト頑張ってね」


 俺は梨々花にそう伝え、ここで別れることにした。


「あ、ちょっと待って!」


 しかし梨々花は、そう言って俺を引き留める。

 そして何か言いたげな様子で、ソワソワとこっちを見てくる。


「ん? どうした?」

「あ、いや、そのぉ……」

「その?」

「よ、寄ってくぅ?」


 何事かと思えば、梨々花は明らかに挙動不審な様子で、俺のことを誘ってくるのであった。


 ――寄ってくってなんだ?


 まるで、「うちでご飯でも食べて行かない?」というノリで告げられたその言葉。

 まぁ今の状況から察するに、それはメイド喫茶に寄ってかないと言っているのだろうが、様子のおかしい梨々花に俺は一応確認する。


「えっと、寄ってくって言うと……?」

「メ、メイド喫茶!」


 ああ、やっぱりそうなんですね……。


 しかし、どうしたものか――。

 前回はみんなと一緒だったから良かったものの、今回は俺一人だ。

 そうなると、俺は一人であの空間をやり過ごさなくてはならないわけで……。


 ――それはちょっと、しんどいかなぁ。


 別に人の目を気にしているわけではない。

 ただ俺自身、そんな空間で上手くやれる自信がないのだ。


「ああ、えっと……今回は遠慮しておこうかなぁ……」


 だから俺は、せっかくのお誘い申し訳ないが、今回はお断りさせていただくことにした。


「……やだ」

「え?」

「大丈夫だから!」

「だ、大丈夫?」

「そう、だからきて!」


 そう言って、どうしてもここで俺を帰したくない様子で引き留めてくる梨々花――。


「でも、どうしたらいいか分からないっていうか……」

「わたしがずっと接客するから!」

「そ、そんな余裕あるの?」

「作る!!」

「そういうもの!?」

「だから、絶対に大丈夫!!」


 そう言って、是が非でも俺に来て貰おうとする梨々花。

 未だかつて、こんなにも懇願されたことがあっただろうか――。

 だから俺も、そこまで来て欲しそうにされてしまってはもう折れるしかなかった……。


「……分かった。じゃあ行くよ」

「ほ、本当!? ありがとう!!」


 嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる梨々花。


 まぁこれも、社会経験だ。

 この間だって、俺達の他に一人で来ているお客さんはいたし、あとは梨々花が助けてくれるだろう。

 そう思い俺は、梨々花の支度も含めて、だいたい三十分後にお店へ行くこととなったのであった。



 ◇



「「いらっしゃいませ! ご主人様~!」」


 適当に自販機で買ったジュースとスマホで時間を潰した俺は、きっちり三十分後にメイド喫茶へやってきた。


 すると今回も、扉を開ければそこは別世界——。

 可愛いメイドさん達が、満面の笑顔とともに俺を迎え入れてくれた。


 ――うん、メイドはいいなぁ。


 さっそく満足感を抱きつつ、俺は店内を一度見回す。


 ――あれ? いない?


 たまたま裏に引っ込んでいるだけだろうか、店内に梨々花の姿は見当たらなかった。

 まぁ仕方ないかと、もう入ってしまったからには逃げられない俺は、別のメイドさんに席へと案内される。

 見れば、今日も一人で来ている他のお客さんの姿があり、思ったよりも疎外感はなくて安心する。


「緑のメッシュ……それじゃあご主人様、少々お待ちくださいませ」


 案内してくれたメイドさんは、そう言ってすぐに奥へと下がって行ってしまった。


 なんか今メッシュとか言ってなかったかと思っていると、すぐに奥から別のメイドさんが出てくる。

 そしてそのメイドさんは、店内をキョロキョロ見回したかと思うと、こちらへ向かって駆け足で向かってきた。


「いらっしゃいませぇ!!!! ご主人様ぁ!!!!」


 他のメイドさん達の慣れた挨拶とは違う、テンションの高すぎる全力の挨拶。

 言うまでもなく、梨々花だった――。


 そして梨々花は、胸元に抱えてきたメニュー表を差し出してくる。


「メニュー表になりますっ!」

「あ、うん――じゃなくて、はい」


 差し出されたメニュー表を受け取った俺は、とりあえず飲み物だけ注文しようとページを捲る。

 すると、ページの間に白い紙が挟まっていることに気付く。

 それはメニュー表というより、別で挟んだだけのような紙だった。

 明らかに異質なそれが気になった俺は、一体何なのか取って確認する。


 ”スペシャルなご主人様専用スペシャルメニュー”


 なんだこれ、スペシャルが二つ……。

 ただ紙にペンで書かれただけの、クセしかないその謎の追加メニュー。


 ”専用メイドとチェキ&チェキ! とにかくチェキ! (ドリンク付き)”


 だから、なんなんだ……チェキ&チェキって……。

 俺は呆気に取られながら、テーブルを挟んで向かいに立つ梨々花に目を向ける。

 するとそこには、ワクワクとした様子でこっちを見つめる梨々花の姿があった。。


「ご主人様ぁ! どうしますかぁ?」


 そして、この圧である――。

 要するに梨々花は、俺にこれを頼めと言っているのだろう。

 だから俺は、深いため息とともに注文する。


「――ウーロン茶で」

「はい?」

「だから、ウーロン茶で」


 残念ながら俺には、この場でチェキ&チェキなんてよく分からないものに踏み込む勇気はなかった。

 だからここは、梨々花には悪いが当たり障りないメニューを注文させてもらうことにした。


「ご主人様?」

「はい、なんでしょう……」

「専用メイドは、必要じゃないですかぁ?」

「いやぁ、どうだろうね……」

「……分かりました。じゃあウーロン茶ですね」


 俺の返事に、梨々花は露骨にガッカリしながらもここは折れてくれた。

 そんなにもガッカリされると、俺も何だか申し訳なくなってきてしまう……。


「……でも、今日は特別にサービスさせていただきますね」

「サービス? ――えっと、一応それが何か聞いてもいいかな?」

「はい、チェキ&チェキです!」


 ああ、そう――。

 もう絶対なんですね、そのチェキ&チェキは――。


「ではご主人様? すぐ戻ってくるので、ちょこーっとだけ待っていてくださいね!」

「あ、はい……」


 そして梨々花は、結局その謎のオプションを注文にねじ込むと、大急ぎで厨房へと向かって行ったのであった。


 ――これ、大丈夫か……色んな意味で……。


 やっぱり来たのは失敗だっただろうかと、色々と不安になってくる……。

 それでも、何やらずっと挙動不審になりながらも嬉しそうにバイトをする梨々花の姿は、見ていてちょっと面白かったりもするのであった。

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