傘
ラビットリップ
第1話 再会
給湯室でコップを洗っていた時、旅と女をこよなく愛する真田が、歯にチョコレートをねっとりと付けたまま距離を詰め、私をパーソナルスペースへ入れてきた。
真田は長期休みになると、女を連れて主にヨーロッパを巡ることを唯一の楽しみにしている人だった。給料分以上のことは致しません、定時に上がらせて頂きます、という毅然とした姿勢を前面に出し、日々淡々と事務的に業務をこなしている姿に、私はふてぶてしさだけでなく、ある種の潔さも感じ取っていた。私が担任をしていたクラスの技能教科を持ってもらっている縁と、旅好きという共通点も重なり、よく放課後、旅談議に花を咲かせる機会も多かった。
基本的に私は毎度、聞き役に徹していた。以前、自身のバックパッカー旅行の話をしたとき、反吐が出るといった表情を、遠慮なく浮かべられたことがあったからだ。
真田は教員以外にも仕事をしており、収入にゆとりのある人だった。そのため航空会社だけでなく宿、食事と全てにおいて金をかける人だった。だから中国の航空会社を使うことや、宿はホステルやゲストハウスを好んで使用し、水シャワーの宿でも平気であるといった話は、真田からしたら軽蔑対象の何物でもなかったのであろう。こいつに対して嫌悪感全開の表情を浮かべても、罰は当たらないとジャッジされた私は、その後、旅先のエピソードを振られても、真田に対して一切、自分の話はしなくなっていった。
「本間先生、吉野さん、お越しです。教室へのご案内でいいですか?」
事務の齋藤が帰り支度をしながら声を飛ばしてきた。もう定時をとうに過ぎていた。
「それでいいです。ありがとうございます。」
私は真田のパーソナルスペースからさっと出て、机上から通知表の入ったファイルをひったくるようにして取り、教室へ向かった。
つい先日、真田は女房が出て行ったこと、今は独身を謳歌していることなど、こちらが聞きもしないのに個人情報の開示をしてきた。今日の距離感と言い、私を射程圏内に入れて来るという意思表示を大胆に給湯室でやってのける点に、この分野の玄人臭を感じ取った。経験値から、この程度の雌なら遊びやすいとかぎ取ったのかもしれない。
吉野亮太の母親が教室前にいるかと思っていたが、一年三組の教室前に立っていたのは、野暮ったく姿勢の悪い男だった。
「遅い時間にすみません。」
「とんでもないです。お父様ですか。お仕事の後、申し訳ありません。」
「僕の方が、仕事が早く終わりますから。」
私は父親と名乗った男性を教室に案内した。
「こちらが亮太君の通知表になります。」
この男の発する音に聞き覚えがあるな、と過ったが、時間も時間だったので、さっさと受け渡しを終えようと、通知表を目の前に広げ、父親の左手側に一緒に渡すチラシなどを置いた。
吉野亮太は、知能指数も低かったが、それ以上に生活面において多動性が強く、毎日のように給食や物を床に落とし、周囲の児童から顰蹙を買うことも多かった。終いには、他の保護者からも、
「あの子と近い席にしないで欲しい。うちの子の服が汚れるから。」
といったクレームを頂くようになっていた。
大なり小なりのクレームをもらうようになり、当該児童の親にまでその情報が入ることがあっても、母親は頑として、特別支援学級を希望しなかった。
「小学校くらいは、みんなと同じ教室で勉強させたい。」
母親の意思は、石のように固く、岩のようにびくともしなかった。当然ながら職員は、親が希望していないのに特別支援の話はできない。障害名を付けるのは医者であり、それに基づいて、我が子の適切な進路を決めるのは親である。せいぜい担任ができることは、
「もしお困りのことなどありましたら・・・・。」
とさりげなく教育相談施設の案内をすることだけだ。
翌年、特別支援学級に入るには、前年度の九月三〇日までに親に希望を出してもらわなければならない。一学期の通知表渡しの際に、言葉を慎重に選びながら、やんわりとこのようなこともできますよ、いうニュアンスでお話ししてみたものの、母親は我が子の特別支援を求めなかった。
学校は、その子が数時間過ごす場所でしかない。しかし親は、自身が死ぬまで子と向き合っていかねばならない。産んだ者の責任、と突き放す論が蔓延る日本において、毎年増え続けていく障害児とも向き合う仕事をしていると、己の無力さを痛感する場面も少なくない。
以前、研修の一環で、障害者の就労移行の支援をしている会社で数日勤務をしたことがあった。その会社のマネージャーは、
「ご本人の意思が大事ですから、本人の行きたい会社へ見学しに行き、就労へ結び付けていくのが我々の仕事です。」
と顔を高揚させ、語気を荒げ気味に話していた。
確かに今の時代、障害者雇用促進法なる制度があり、障害者を雇用すると、企業側は助成金を受けられたりする。短期間お世話になった会社さんも、その話を手土産に、会社でお世話している障碍者の方を紹介し、就労に結び付けようと躍起になっておられた。もちろん、雇用しなければ、罰金制度もあるよ、と言う話も添えて。
実際、私もその会社で勤務する方と共に、企業回りをしてみたものの、反応は鈍かったことをよく覚えている。
当たり前だが、事細かく障害のことを説明されると、どんな猛獣が来るのかと相手側も身構える。しかし伝えなければ、その職場で安心して、スムーズに働くことはできないと考える、雇われ側の気持ちも痛いくらいに理解できる。
何件か企業周りをしたが、手ごたえを感じる芳しい回答は皆無だった。
いっその事、障害なんか公表せずに就職活動をした方が就労できるのではないか、と思ったほどだった。
日頃から人と接する仕事をしていて強く感じるのは、人間は全員グレーゾーンであるということだ。障害者手帳をもらう人は、その色が強く出た人であって、私達はコミュニケーションや学習などにおいて、大なり小なり障害を抱えていると思う。だからこそ人は支え合ってではないと生きていけないのだ。
吉野亮太も将来、就労できるのだろうか。それとも親は子の面倒を一生見ていく覚悟を持っているのだろうか。
一学期末の通知表渡しでは、母親の口から、そんな覚悟の言葉は聞かれず、
「体育と図工が好きで、それを楽しみに学校へ来ている。」
と聞く人によれば、何と呑気なことを言っているの!と叱責を受けそうなセリフをニコニコと語っていた。しかし、もしかしたら、私の前で笑顔を浮かべながらも家では毎晩泣いているのかもしれない。
二学期は父親の登場か。あの担任からまた特別支援を勧められるのは嫌だと思い、母親は父親を送り込んだのだろうか。
「ちょっと失礼します。」
父親は、眼鏡と帽子を取り、通知表に顔を近づけた。私はその瞬間、息を飲んだ。予感が確信に変わった瞬間だった。
(この顔、知っている!この男、見覚えがある。背中の丸め方、不器用な短い指先。)
汗をかいていたのか、父親は少しマスクをずらし、ハンカチで顔を拭った。
(山崎隆、間違いない!)
目の前で、見るも無残な通知表を食い入るように見ている男の薬指に光る指輪を、私は突然発生した動悸の音を必死に隠しながら見つめた。
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