第13話 深淵の王子様、海へ行く

 自宅の最寄り駅、新上田駅には、駅から直結したちょっとした商業施設がある。一階にはスーパーマーケットや写真館が入り、二階にはレンタルビデオ店、本屋、ゲームセンター、それにカフェやファミレスといった飲食店が並ぶ。三、四階には小さなコンサートホールがあるらしいが、鈴乃は一度も足を踏み入れたことはなかった。彼女が利用するのは、専ら二階エリアで、飲食店の並ぶ広めの通りは駅に行く人々が使う通路になっていて、人がひっきりなしに往来する。

それ以降の高層階はマンションとなっており、遠くから見るとこの地域で一番高い建物だった。

 午後五時半過ぎ、鈴乃、彩香、安奈の三人は飲食店エリアの通路中央に置かれたベンチに座っていた。それぞれカフェで注文したジュースを飲んでいる。ベンチの脇には背の高い観葉植物が置かれていて、心なしか気分が落ち着く。


「へえ、神谷くん、なかなかやるね」


 彩香がストローで、最後の一口をずずっと啜り、鈴乃の顔を見た。


「もう、これは付き合ってると言っても過言ではない、だね!」


 安奈は既に空になったプラスチックのコップの中の氷をからから回しながら、嬉しそうに言う。

 鈴乃はまだ半分残っているオレンジジュースを両手で持ち、両側に座る友人の顔を交互に見た。


「何だか、今の状況がうまく吞み込めないんだよね」


 鈴乃は、全てではないが、今日までにあった壮馬とのエピソードを掻い摘んで二人に話した。ここのところ、壮馬といる時間が多く、仲の良い二人とゆっくり話す時間が取れなかったのだ。

 壮馬の家に行き、書式など最終的な確認を終えたので、ひとまずそれぞれの原稿に集中するということで、その日以降は目立った活動はしていない。

 今日は学校の図書館で調べ物をした後に、部活帰りの二人と合流したのだ。二人と時間を取って話すのも、壮馬も参加した紅茶部のお茶会以来だった。


「男の子が積極的に話しかけてくるのも、本屋さんや喫茶店に行くのも、手を繋いだり、相合傘するのも、家に行くのだって、全部はじめてのことで。こんなに一気にいろんなことが起こると、感情が処理しきれないというか、なんというか」


 神谷壮馬と同じ係になって、接点を持ってからというもの、今まで経験したことがないことばかり起こっており、鈴乃はそれをどう捉えて、どう対処したら良いのかわからなくなっていた。戸惑いばかりが大きくなって、自分が今どういう状況に置かれているのかよくわからない。


「すずは嫌なの? 神谷くんのそういう行動」


 彩香が横目で鈴乃を見て言った。


「……嫌じゃない、かな。でも……少し怖いかも。神谷くんが何を思ってこういうことをするんだろうって考えると」


 鈴乃が俯くので、彩香と安奈の目が合った。


「聞いてみたら?」

「……なんて?」

「どうして、こういうことするんですか、私のこと好きなんですかって」


 鈴乃は顔を上げて、「そんなこと聞けないよ!」と顔を真っ赤にして抗議する。

 彩香は苦笑して、鈴乃の肩に手を置いた。


「ごめん、ごめん。さすがに無理か」


 しばらく黙っていた安奈が立ち上がり、「これ捨ててくるー。それも貸してー」と言うと、彩香の分も受け取り、ゴミ箱へ駆けて行った。そして戻ってくると、くるっと回って腰を下ろし、膝の上に肘を乗せ、その上に顎を乗せた。


「いっそのこと、付き合ってほしいって言われたほうが楽だよねー」


 鈴乃は目の前を行き交う人々を眺めながら、壮馬に「付き合ってほしい」と告白される場面を想像して、かっと体が熱くなるのを感じた。


「で、次の予定は?」


 冗談めかして彩香が聞くと、鈴乃は一瞬動きを止めた後、「明後日」とぼそりと答える。

 彩香が言葉に窮していると、安奈が目を輝かせ、詳細を聞きたいと身を乗り出した。

「部誌の表紙に写真を使うんだけど、その写真を撮りに、海まで」

「うみー‼ いいなあ!」


 昨日の夜、壮馬からメールが入り、写真を撮る為に海へ行かないかとお誘いがあった。校外部活動中、部誌の表紙には海の写真も候補に入れたいという話をしていたからだ。お互い、原稿の目処が立ってきたので、日曜日に海へ行くことにした。鈴乃たちの住む地域は比較的海に近く、電車で一時間もかからない。


「もう、これはデートだね! 部活にかこつけたデート!」


 ますますにこにこする安奈を横目に、彩香は鈴乃を労わるように見つめた。

 鈴乃が飲み終わると、三人は立ち上がった。


「じゃあ、また来週ね」

「ばいばーい!」

「うん、来週!」


 本屋に寄って行くという鈴乃を残し、彩香と安奈は歩き出した。

 建物を出て、珍しく雲のない夕方の赤と青の混じる空の下、長いエスカレーターを降りる。


「神谷くんって、絶対すずちゃんのこと好きだよね」

「確実にそうだろうね」

「でも、何で告白しないんだろう?」


 安奈は心底わからないというように首をかしげる。


「彼には彼の事情とかやり方とかあるんだろうけど、すずは振り回されてるよね」


 彩香が答えると、安奈はうんうんと頷き、しばらく宙を見つめた。

そして、とんでもないことを言い出す。


「ねえ、日曜日、尾行しない?」

「はっ?」


 エスカレーターから降りて、小さな横断歩道の信号機の前で、安奈は彩香を大きな瞳でまっすぐ見つめている。面白半分ではなく、大真面目なのだと言わんばかりに。


「私たちが、ふたりを後押ししようよ! それにはまず、情報収集! ね、決まり!」


 彩香は頭を抱える。ずいぶん詳しく、日曜日の話を聞き出していると思ったら、こういうことだったのかと。なおも安奈が、やれ唯にも声を掛けるだの、何時にどこどこ集合だのと、しゃべり続けるので、頭が痛くなってくる。安奈は言い出したら聞かない子なのだ。


「なあ、今の話だけど、俺も混ぜて」


 突然背後から声がして、二人はぎょっとして振り返る。


「土屋智己!」


 そこには、いかにも機嫌が悪そうに眉を寄せた、土屋智己が立っていた。




 空は青く、海も青かった。

 まだ梅雨時期が続いているが、今日は雲も少なく、青空が見えている。

 夏が間近に迫っているので、気温も高く、半袖でないと暑いくらいだ。

朝、九時には壮馬が鈴乃の最寄り駅までやってきて、二人はそこから海へと向かった。

 普段見慣れた制服姿と違って、灰色の半袖シャツに、濃紺のジーンズを履いている姿はどこか新鮮だった。鈴乃もお気に入りの白地のワンピースを着てきたが、壮馬の目にはどう映っているだろう。

 待ち合わせの駅から下り電車に乗って、終点の大きな駅で別の路線に乗り換える。十時前には目的の駅に着き、そこから十分程歩いて、海に出た。

 ワカメや貝、ゴミなども打ち上げられた砂浜は、既に遊びに来た人々で賑わっていた。午後に近づくにつれ、もっと増えていくだろう。

 人の少ないうちにと、二人は持参したデジタルカメラで、寄せてくる波、海岸沿い、砂浜など十数枚写真に収めた。

 波の音を聞き、潮風に当たっていると、心の奥が疼くような感覚に襲われる。

 鈴乃と壮馬は、波打ち際から離れた石の階段の上に腰を下ろした。

カメラで撮った写真を確認して、壮馬が満足そうに頷くので、鈴乃は彼のカメラを覗き込んだ。


「綺麗に撮れてるね」

「うん、イメージ通りのものが撮れた。神崎さんは?」

「私も」


 鈴乃も自分のカメラの画面を見せる。


「これも良いね」


 壮馬は感心したように頷いたあと、鞄にカメラを仕舞い込み、


「まだ時間ある? そこに水族館もあるし、あそこには展望台もあるし、せっかくなら寄って行かない?」


 鈴乃の方を見て、優しく問う。


「あ、そうだよね。せっかく来たんだから、どこか寄って行こうか。他にも写真撮れるかもしれないし」


 水族館に展望台。まるでデートみたいではないかと内心、慌てていたのだが、平静を装ってどうにか答えた。


「よかった。じゃあ、どっちが良いかな?」


 壮馬は目の前にある水族館と、少し遠くに見える山の上の展望台を見やる。

 鈴乃も壮馬につられて、水族館、展望台の順に目を動かした。

 その時である。


「よお、神崎じゃないか。奇遇だな」


 聞き覚えのある声がして、振り向くと、仁王立ちする土屋智己と、その後ろで小さくなっている彩香、安奈、唯が気まずそうにこちらを見ていた。


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