第1話 深淵の王子様、行動を開始する

神崎かんざきさんはどうして思い出係に?」


 校門付近に植えられた桜の木々に青々とした葉が見事に生い茂った五月上旬。入学してから一ヵ月も経つと、クラスメイトの顔と名前も一致してきた。係や委員会の仕事も割り当てられ、高校生活もいよいよ本番を迎えた頃。星ヶ丘ほしがおか高等学校一年A組の教室には、思い出係という名のクラス写真を撮影する役割となった二人の男女が残っていた。


「そうだなあ、みんなが楽しそうにしているところを撮りたかったからかな。あと、私自身は写真に写るのが苦手で。カメラマンが良かったの」


 そう答えた神崎鈴乃かんざきすずのは苦笑した。

 写真写りの悪い彼女には、小学校、中学校と卒業アルバムに、良い思い出がない。大事な時にかぎって、目を瞑ったり、引き攣った笑顔をしていたり。自分で見てもあまりに酷い顔なのだが、隣席の男子にまで指摘されたことがあるほど、自他ともに認める写真写りの悪さなのだ。だから、カメラマンになれば、自分が写ることを回避できると思った。


「そういう神谷かみやくんは?」


 前に座る神谷壮馬かみやそうまは、その形の良い口元に笑みを浮かべた。


「神崎さんが立候補したからだよ」

「え?」


 鈴乃は驚いて目をしばたたかせる。神谷壮馬は、非常に端正な顔立ちをしていて、色白で、まるでおとぎ話から飛び出てきた王子様のような風貌だった。とはいっても、残念な王子様である。黒い髪は癖が強く、毛先はあちこちにはねていて、ボリュームも多い。髪は全体的に鳥の巣のようで、前髪も伸び切っており、せっかくの顔立ちを隠してしまっていた。それに、黒板の字が小さいときなどは厚ぼったいフレームの眼鏡を掛けることもあり、そうなると更に王子様とかけ離れる印象となるのだった。


「君と一緒がよかったんだ」


 壮馬はそう言って、照れたように笑った。その笑顔の破壊力ときたら。鈴乃は顔を赤らめた。口から出た言葉より、その笑顔の破壊力で。でも、ふと彼の台詞を反芻して、更に顔を赤くする。


「そ、そうなんだ? そ、そ、それはありがとう……」


 語尾が尻すぼみになりながらも何とかそう返して、鈴乃は仕事に戻る。現在、思い出係の撮影するあれこれを紙にまとめていた。これから、遠足、学祭、体育祭等のイベントが目白押しなのだ。

 彼の視線を感じて、鈴乃は顔から火が出そうだった。


(君と一緒がよかったんだ? そう言ったよね、言った。一体全体どういう意味なんだろう。私が実に仕事熱心なカメラマンに見えたから、楽できるかもー! とか? 席が前後で顔見知りだからとか? そうだよね……特に深い意味はない! 大丈夫!)


 鈴乃は平常心を取り戻すべく、自分にそう言い聞かせて、深く息を吐いた。


(大丈夫、大丈夫、落ち着いて)


 どうにか書き終えたメモで、自分の顔を隠すように両端を摘み、壮馬の前に掲げた。


「お疲れ様」


壮馬は首を傾けて、メモ用紙の横からのぞき込むようにこちらを見た。優しく労わるような微笑み。反射的に鈴乃は飛び上がる。その拍子に椅子が思い切り後ろの机にぶつかった。




「もうもたないかもしれない……」


 夕方六時を過ぎた電車内はいつものように混んでいた。部活を終えて、電車に乗り込み、

車掌室の前の壁を陣どった女子高生三人組の中の一人、神崎鈴乃は両手で顔を覆って首を振っている。


「何があったの?」


 三人の中で一番の長身で、長めの前髪を横に流し、それを二本のピンで留めた姿がトレードマークの須藤彩香すどうあやかが、怪訝な顔で問う。


「もう笑顔がね……笑顔が、笑顔の破壊力がね」


 鈴乃がなおも顔を覆ったまま、要領を得ないことを並び立てるので、彩香はもう一人の友人、佐久間安奈さくまあんなの顔を見た。安奈は、一五〇センチに満たない小柄な少女で、茶髪に染めた長い髪を耳の上のほうでツインテールにしている、大きな目が愛らしい女の子だ。


「すずちゃん、何のはなし? えがお?」


 安奈が小首を傾げると、鈴乃はようやく顔を見せて、二人を交互に見つめた。


「神谷くん、神谷壮馬くん。席が前で、係が一緒で、それで笑顔がね、まぶしすぎるの」

 彩香と安奈は顔を見合わせる。


「神谷くんって、確か《深淵の王子様》なる異名を持つ人だよね。噂を聞いた」


 彩香が右手を顎に当てる。


「私も聞いたかも。イケメンで、背も高いのに、すごく変わり者って。しかも、髪の毛ぼさぼさで、身だしなみに無頓着。いつも無愛想で、無口で、にこりともしないって」


 安奈も嬉しそうに自分の聞いた噂を口にする。


「で、その王子様がなんだって? 笑顔がまぶしい?」


 彩香が疑わしいと思っているのを隠さない声でそう言って、上気した顔を手でひらひらと仰ぎ、熱を冷まそうとしている鈴乃をじっと見据える。王子様然とした壮馬の笑顔を思い出して、またも血がのぼってしまったのだ。


「その噂、半分当たってて、半分間違ってる気がする。だって! 一緒にいるといろんなバリエーション笑顔が出てくるんだよ⁉ はにかんだり、くすっと笑ったり、とびきりの笑顔だったり。しかもそのひとつひとつがすさまじい破壊力を持っていて! 私はもちそうにありません……助けて」


ああと言いながらまたも顔を覆ってしまうので、友人二人は顔を見合わせる。

彩香は眉を寄せて肩をすくめ、安奈は目を輝かせて嬉しそうだ。


「噂は当てにならないみたいだね」

「素敵! きっと高校デビュー!」


 問題は何も解決しないまま、電車はガタゴトと揺れて、次の駅まで急いでいた。


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