第11話:カルス・アムラの森

【某刻プレラハル王国王都】


 白く聳える高い塔の上には鮮やかな青い屋根が伸びる。どこまでも高く伸びるそれは、まるで天に瞬く星に手が届くのではと思わせるほど。寄る闇の中でもハッキリと目視できる純清のそれは、一国の国力の象徴。富と豊穣の発展を祈り守る礎としての覚悟を燦然と見せつけるそれは、下町に暮らす民草の日々の安寧を約束する。

 その王城の中で最も高い屋根の上、下町からは決して見えない高さを誇る位置に一人の少女は立つ。一部が茜色に染まった黒い髪は長く伸びて柔らかく纏められる。小柄な体格は年端もいかない少女のよう。背中には純白の翼が三対六枚携えられ、彼女の身体を優しく抱擁する。その翼の隙間から覗く猫のような目は優しく垂れ、紅色の瞳は城下町を見下ろしていた。

 彼女は王城から見て北西に広がる平原のその先に広がる小さな森を見つめる。紅色の瞳が金色に輝き、肉眼では捉えることができないものを露わにする。そして、彼女はそれを見つけた。優しく温かな相好が更に増進させ、まるで運命の人に再会したかのような笑顔を見せる。


「そうですか。貴女もこの星に戻ってきたんですね。つまり、龍魂の欠片はこの星に必ず存在するということ。10,000年振りに仲良くしましょう、アルピナ」


 しかし、と彼女は心中で反駁しつつ、観測した魔力と同量の聖力を放つ。それは必然的に彼女が天界に縁ある存在であることの証左でもあった。


 昔のあの子なら地上が焦土と化してもおかしくはないはず。様々な世界を見て回るうちに精神面が成長しましたか。それとも、それができないわけがあるのか……。少々警戒した方がよさそうですね。


 彼女の周囲に一対翼の天使達が集う。その姿はいずれも人間に酷似しており、皆そろって彼女に対して首を垂れる。


「ふふっ。久しぶりに騒がしくなりそうですね」


 彼女の合図を知らせに、天使達は一斉に飛び立つ。白い翼を背負った天の使者は、やがて四方の空闇に溶けて消えた。


 少女は上一対の翼で顔を、下一対の翼で身体を覆い隠すと残りの翼で宙に舞う。そしてゆっくりと王城の周りを周遊すると、月光を背に一人で微笑むのだった。




【輝皇暦1657年6月9日 プレラハル王国カルス・アムラの森】


 カルス・アムラの森はプレラハル王国の西側に展開する広大な大森林。鬱蒼と茂る木々は深緑に塗れ、他の地域とは趣の異なる植生を見せてくれる。木々の隙間から覗く木漏れ日は僅かで、地上はそれまでと異なり常に薄暗い。決して視界が悪いほどではないが、どこか陰鬱とした印象を与えてくれる。

 クオンとアルピナは森の入り口で機械馬から降りる。木々が邪魔で道がそれなりに細くなっていたこと、なにより所々に茶濁した泥沼が原因でこれ以上は機械馬でも進めないだろう、という結論だった。

 馬を降りたアルピナは機械馬に軽く指示を飛ばす。すると、機械馬は何処かへと駆けだして黄昏色の渦の先へと消えていった。

 さて、とアルピナは浮き上がると、森の木々より更に高く上昇する。金色の魔眼を開いて周囲をグルリと見渡すとそこからほど近い場所から暴力的な聖力が溢出していた。それに対して不適な笑みを浮かべつつ、彼女は心中で独り言ちる。


 この距離まで近づいてもスクーデリアの魔力は感じられないか。あいつほどの魔力が感じられないとなると、あの聖力の主は相当な実力者のはず。……しかし、一体何者だ? 昔懐かしい聖力のようで、どこか違う聖力のようでもある。近いのは王都から感じる聖力だが、しかし……


 思考を進めつつアルピナは地上付近まで降りる。コートのポケットに手を入れたままぶっきらぼうにクオンを呼び、森の奥へと足を進める。

 そのまま暫く二人は森の奥へと進む。荷物は幸いアルピナの魔法で別次元に収納してあるため苦労はない。その為、森の中とは思えない軽装備でクオンは歩き続ける。その少し頭上ではアルピナが同じ速度で飛び、周囲を見渡す。


「暫く見ない間にこの辺りは沼地になったのか?」


 アルピナの視界の先には木々の隙間を縫うように複数の沼地が点在する。そのどれもが薄汚れた泥濘のように混濁し、煙とも霧とも言えない何かが立ち込めている。


「ああ、昔からそうだと聞いてるが、お前が知る時代は違ったのか?」


 周囲を見渡しつつ疑問符を頭上に浮かべて問いかけるアルピナに対し、クオンは尋ね返す。


「この辺りはそれなりの大きさの湖が広がっていたはずだ。確か当時の人間達はカルス・アムラ湖水と呼んでいたな」


 アルピナは当時——彼女が知る時代なので少なくとも10,000年以上昔になる——を偲ぶように語る。その顔はいつもの傲岸不遜な相好とは僅かに異なる優しさがあるような気がした。


「地殻変動でもあったんじゃないか? お前がいた当時なんてかなり前の話だろうし」


「本当にそうだと思うか?」


 アルピナは近くを駆ける掌大の小動物を魔力で浮かせると、そのまま沼の浅瀬に放り込む。血も涙もない行動だな、と憤慨したくなる気持ちが湧き上がる。しかし、ヒトの子と神の子では命の価値観が異なるのだろう、と断じてクオンは口を噤む。

 そして、アルピナにより泥沼へ放り込まれたそれの末路にクオンは瞠目する。沸騰したように湧き上がる泡沫がその小動物を包み込むと、瞬く間にそれは骨だけの残骸となって浮かび上がる。


「これは……」


「全て毒だ。まったく……ふざけたマネをする」


 舌打ちを鳴らしたアルピナは、そのまま苦笑を浮かべたまま腰に手を当てて毒沼を睥睨する。


「これも何か関係あるのか?」


「聖獣か、或いは天使の仕業だろう。至る所に聖力が満ち溢れている」


 尤も、こんなことができる奴はシャルエルをおいて他にいないか……。


 彼女が脳裏に思い浮かべるのは一柱の天使。神話に語られる時代から互いに血を流し続けてきた稀代の天使。彼こそカルス・アムラの一件における最重要人物であると確信する。

 しかしそれを反駁するように思い起こされるのは、辺りに立ち込める聖力の正体。それは王都から感じられるそれと類似した、しかし同時にシャルエルともまた類似している様でまたどこか異なる天使のようにも感じられるのだった。

 その得体のしれない違和感を拭いきれないアルピナはしばしの無言を挟んだのちに、徐に呟く。


「……この近辺に集落や町があればそこで何か話が聞けるだろう。ヒトの子から有益な情報が得られるとは思わないが、しかしこのまま進むよりはマシだろう」


「そうだな。確かここからもう少し奥に進んだところに龍人が多く暮らす町があったはずだ」


「リュウジンだと?」


 アルピナは足元に広がる毒沼から視線を外すと、訝しむような視線でクオンを蛇のように睥睨する。何か可笑しな事を言ったか、と呆気に取られる彼を見据えつつ、彼女は驚嘆と疑義の念を併含する声で問う。


「名前の響きからおおよその予測は立つが、何故そんな種族が存在する?」


「確か龍と人間の混血を始祖とする種族の末裔みたいなことを聞いたことがあるが、そんなに意外なことか?」


 クオンが予想だにしていなかった点で躓くアルピナの様子に、彼は純粋な疑問を投げかける。そんな彼を切り捨てる様に、アルピナは答えを吐き捨てる。その相好はいつになく険しく、どこか深刻な問題が浮上したのではと思わせるほどだった。


「当然だ。天使や悪魔なら可能性も零とは言い切れないが、しかし龍となれば話は大きく変わる。君は犬と蜥蜴との間に子を生すことが可能だと思うか?」


「不可能だろ。種族が違い過ぎる。……つまり、その理論がそのまま龍と人間との間にも当てはまるってことか? だが、龍はお前達悪魔とか天使と一緒で神の子なんだろ? だったら、人間に似た姿が取れるとかあるんじゃないか?」


 クオンを含むプレラハル王国民がよく知る神話において、龍とは爬虫類に類似した様相をとる巨大な異形種だとされる。翼や四肢の有無、或いは身体形状に多少の差異はあれども共通して人間を小動物扱いできるほどの大きさを有しているという特徴が記載されている。

 そしてそれは間違いではない。事実、神の子に属する実在の龍もまたその記載と寸分違わない外見を有している。しかし、唯一一点誤っているのは龍に対するクオンの解釈である。


「それは倒錯的な考え方だ。ワタシ達悪魔や天使が人間に類似した姿をとっているのではない。人間が天使や悪魔を基にした姿で創造されただけだ。対して龍は人間以外の生物、即ち動物の原型となっている。つまり、龍は龍であり人間に酷似した姿をとることは不可能だ」


 そもそも、とアルピナは片足を近くの岩場に乗せる。


「神の子とヒトの子との間に子を生すことは禁止されている。それが破られたとなると、また面倒ごとが一つ増えたことになる。可能ならこの場に限り盲目になりたいほどだ」


 チッ、アルピナは舌打ちを零しつつ話の俎上に載った町がある方角の空を見上げた。丁度その時、澄み渡る青空の中に白い影の群れが複数体混ざる。地上から目視でその正体を捉えることは出来ないが、彼女に宿る金色の魔眼はそれを可能にした。

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