第6話 はじめましての日⑥
「ソフェーリア、他にも仮説があるのではなくて。」
殿下とお勉強させていただくとき、何度も私にくださった問いかけだ。
あくまでも仮説だ、自由に発言して良いと仰られている。それも今日で卒業と思うと、少し淋しさが込み上げた。
瞳が潤んでしまっていないか。ソフィアメーラ殿下を見つめると、どこからかヒュっと息を飲む音がした。
「男どもって邪魔ね。」
リリアーネ様が、美しい唇で辛辣な言葉を呟く。ふとこの麗し過ぎる侍女は、何故ここに居るのかの意味が少し腑に落ちた。お蔭で涙も引っ込む。
「ソフィアメーラ殿下にお答えいたします。」
王女殿下が頷く。
「先程のロジュール伯爵令息のことです。彼は何度か見かけました。最初はプリシラ様のお近くで、次は殿下のご挨拶に並ぶ列の近くで、さらにホール中央近くで。
ロジュール伯爵令息は昨年Sクラス、私が覚えていたように多少誰かしらからは覚えられているものです。わざわざ鬘を使うか髪を染めてまで、卒業夜会に招待客でなく出たのは、誰かを探すためと考えました。」
「なら、プリシラ様が見張りとしてお願いしたのは。」
ソフィアメーラ殿下の緑水晶の瞳には、私の姿が映っている。
「ロジュール伯爵令息です。しかし、プリシラ様はダンスに出られるまでは、テラスに近い机のそばに、扇子で顔を隠していらっしゃいました。そこに飲み物をサーブして、動かなくて良いと伝えたのではないでしょうか。」
なるだけ、プリシラ様が目立たないように。
「そして、ロジュール伯爵令息は探しに行きます。ペアーズ子爵令息と、彼をプリシラ様の側から排除できる証拠を。
そうすることをロジュール伯爵令息に命じた、あるいは希望させたのは―。」
緊張で声が裏返りそうだ。
「リード侯爵です。ロジュール伯爵令息とプリシラ様の関係は恐らく従者か幼なじみ。あるいは、――次女であるプリシラ様が、マインツ王子の婚約者候補にあがるまでの元婚約者。」
大きく息を呑む。皆様は静かに、推測でしかない私の話を聞いてくれる。
「彼は嫡男ではなく、昨年のサマーパーティーでは王女殿下に、兄の手伝いをすることになったと告げていました。少なくとも領地を守り収入を得ることはできていた。領地の持つ子爵位などを得るため、時期を見ていたかもしれません。それなのに、リード侯爵家から、何者かの横槍が入り、プリシラ様が格下の子爵家に嫁ぐかも知れないと仄めかされたらどうでしょう。」
ここからは更に仮説でしかない。
「ロジュール伯爵令息は、見合いのある卒業夜会までに探しました。羽振りのいい子爵家に接触している人物。子爵令息が何かを受け渡すことができる人物です。」
「見つけた取引相手というのは。」
「魔法講師のジェレミー先生です。恐らく密かに運ぶのは、魔法薬の原料。学院のカフェテリアへの積荷に持ち込めば、毎回でなければ、他の料理人も不審に思わない。受け取りのある時は野菜を洗う用のエプロンを干しておき、その木箱に入っているなどとすれば、定期的に子爵令息は収入を得られました。」
先程ホールの裏側でみた光景だ。そして、そこから作られる魔法薬に、禁止薬が含まれるとしたら。
「なるほど、原料なら運ぶのもそう難しいことではない。それにナツメグなどの高騰しやすい香辛料を融通すれば。」
「はい、料理人とは、最初はそういった関係ではなかったでしょうか。」
領地の果物箱に近寄る新入生の令息と、人好きのする料理人を、想像するのは簡単だ。
そして、ジェレミー先生の自信や羽振りの良さ。先程のホールでのように、伯爵令嬢をうっとりとさせるくらいの何か。
王子宮で捨てられる宝石。
リリアーネ様のご友人が見たという魔法講師の行為――。
これ以上は詮索してはいけないものだ。
「そちらは、憲兵に任せましょうか。」
「そうね、王女宮でできることはないわ。」
「仮説です。あくまでも。見当違いで絵空事かもしれないのに、動かれるのですか。」
「禁止薬が王立学院にあるなら、噂でも放って置くことはできないわ。さらにいかがわしい類いのものであれば尚さらね。ただ、宮廷魔法士から、王立学院に講師に出るものを探さなければならなくなりそうね。」
横槍を入れてまで、低位の子爵嫡男に便宜や利益を得させようとした人間がいるかもしれない。それは恐らく製造された禁止薬を売り捌く側の人間で、侯爵位のリード家に意見ができる人物だ。
これ以上私が口に出すことはないだろう。
「あなたが今日、気がついてくれてよかったわ。王城一帯では魔法防御があるから、普通の生活魔法なら大丈夫だけれど、マリウスの遮音魔法や、手紙を飛ばす風魔法などの魔法防御に緩衝するものは、一部の決められた場所でしか使えなくなっているの。無理に使うと、宮廷魔法士に使った場所がある程度分かってしまうのよ。」
王女殿下が、常に言葉を選ぶ理由だった。唇に指先を乗せている仕草が、おかわいらしい。
「だから、王宮で話せないことも外出にマリウスを連れていけば私達と話すことができるわ。それが、今日伝えておきたかったことのもう一つね。」
それは専属侍女のお二方を、外出に連れて行く息抜きでもあるようだ。
そして私は、もう一度覚悟を決めた。
「王女殿下、私にお側を離れて、プリシラ様に話しかける許可をお願いいたします。私の浅慮は必要ないと思われますが。万が一に、プリシラ様の決意が実らなかった場合――。」
「あなた、まさか。」
――――――
夜会は後半を過ぎたところだが、卒業夜会は盛り上がり、帰る人影は疎らだ。
馬車の駐車スペースに着くと、そう並ぶことなく、車寄せに侯爵家の馬車を呼び寄せることができた。たったそれだけのことだが、今日も運がいいと思えた。
年上のおしとやかな侯爵令嬢の手を取り、馬車に乗せた。高位貴族令嬢というのは本当に美しく上品だ。
ただ自分にはもう少し可愛い令嬢が好みだという気もあったが、今日は断わられる前提の見合いだ。自分に全く靡くことなく、静かに拒否されたのには驚いたが。
「今日はありがとうございます。お送りできず申し訳ありません。リード侯爵にもよろしくお伝えください。」
「こちらこそ、夜会の貴重なお時間をお取りしましたが、もうお会いすることはないでしょう。公爵夫人に良しなにお通しくださいませ。」
流石は大貴族の令嬢だ。だれに呼び出され、しがない子爵嫡男ふぜいと見合いさせられているのか、見当もついているようだった。
見合いなど自分もそのうちと思いながら、カフェテリアで友人と過ごしたり、剣技を習ったりの時間が楽しく学生の時間はあっという間だった。
途中からカフェテリアに香辛料を融通しているのを魔法講師に見られて、講師にも薬草を卸すようになったが、どこから嗅ぎつけたのか、さらに東部の公爵夫人から講師への依頼が届くようになった。
これも卒業が潮時と思っていたが、結局カフェテリアに出入りできるように王都に商会を作り、ルベリング港の商会の支店として王立学院の業者選定を通してしまっていた。学院も休みに入る。今日受け取る荷物と薬品で、あの教師も夫人もしばらく納得してくれるだろう――。
車寄せから少し離れ、朝夕の渋滞を避けるための、出口専用の門に向かう。メタセコイアの並木の馬車道の向こう側は寮に繋がる歩道になっていて、寮はタウンハウスを持たない家や持っていても敷地内から直接通いたい者が利用していた。
夜中で街灯がなければ見えにくい道だが、今日は夜会のためか、ポツポツとランタンが置かれていた。
ヴォルフはよくあのベンチに座って本を読んでいた。ふと懐かしさが込み上げて涙を拭こうとしていると、御者は当たり前のように、昔と同じベンチの近くで速度を下げた。
「お嬢様、いらっしゃいました。」
「え。」
御者が台から降りて、踏み台を置く音がした。
誰かに止められたのか、出なければならない方かとあわててハンカチをしまおうとする間に、扉が開けられた。
手すりを持ち、大きな身体を屈めて、フロックコートと小さな旅行カバンを持った鳶色の髪の男が、馬車に入ってきた。
「ヴォルフ。どうして。」
「ここでお待ち下さいとテラスの前でお伝えしたのに。ネザールさんに声をかけておいて良かった。」
座席の下に、荷物をおきながら、それでは寒くありませんか、とドレス姿の私にフロックコートをかけて来た。
涙で、滲む。
―――――
私はまた、大きく息を吸い込んだ。
「プリシラ様は恐らく修道院に向かわれると思います。それも今日の夜会に、ロジュール伯爵令息が来られなかった場合は、プリシラ様の中で決定していたはずです。だけれども伯爵令息は来られたため、もう一つの可能性が。どちらにしてもダイヤモンドは持参金に、プリシラ様が持ち出されたのだと思います。」
耳に光るイヤリングは、他は慎ましやかなため色彩が異質だった。ご自身の色味のアメジストやトパーズではなく輝きのよいカットの石を選ばれたのは、お持ちの中で一番高価に思えたからではないだろうか。
そして、その姿で侯爵家を出る際に引き留められなかったということは、リード侯爵は、今日のプリシラ様の行動を把握されているだろう。
「プリシラ様はご自身で婚約者候補から退かれたため、碌な慰謝料を受け取られておりません。」
エミリア様は、先程の針山のようなものをもう一度王女殿下にお見せになった。
「そうね。廃棄されるもので申し訳ないけれど。換金しやすいものを見繕って差し上げて。ヒュー、そろそろ戻って良いかしら。」
「ああ。」
ソフィアメーラ殿下が右手を差し出すと、ヒュンベルト様は頷きながらその掌を掬い上げた。立ち上がり、扉に向かうと、ふとマリウス様の前で足を止められる。
「マリウス。あなたなら、元婚約者が助けを求めて来た場合どうするの。」
「私ですか。私なら、元婚約者を攫って領地の城の門を閉めてしまえば、入れることも出すこともしませんが。」
マリウス様の少し女性的な微笑が、野性味を持つ。
ソフィアメーラ殿下は、ヒュンベルト様の腕をそっと掴まれた。
「攫わないで、無事に連れて戻って来てくれるかしら。」
「御意。」
「あなたね。ソフェーリア、気をつけていきなさい。」
少し離れた私を振り返り、ヒュンベルト様と出ていかれ、あわてて私は礼を返す。
「気持ちの悪い男――。今だけでなく、王宮でもお気をつけなさい。」
私だけに聞こえるくらいの小さな声で、リリアーネ様が呟かれる。何を気をつけるのだろう。
「それと、これは少し前のお話なのだけれど―。」
―――――
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