第五章

       一


 男が三人、信之介の前で刀を構えていた。

「信之介!」

 花月と光夜が信之介の両脇に並んだ。

「花月さん! 光夜殿!」

「これで三対三、対等たいとうという訳か」

 男の一人が言った。


 信之介と向かい合っていた男達は殺気立っている。

 しかし、こざっぱりした小袖に袴というで立ちだし月代さかやきっている。

 牢人だが辻斬りじゃねぇな……。

 構え方からして剣術はたしなんだ程度だ。

 おそらく実戦経験はないだろう。

 花月も同じ事を考えたらしい。


「待たれよ」

 花月が低い声で言った。

「貴殿らは辻斬りには見えぬ。人違いをしておられぬか」

「白々しい! 力試しか試し切りか知らぬが父の仇! 覚悟しろ!」

 男達が一斉に斬り掛かってきた。


「ちっ!」

 光夜は舌打ちして刀を抜いた。

 花月も抜刀して男の刀をはじく。

 普段なら武器を持って攻撃してきた相手ならそのまま斬り捨てているところだが信之介の前で殺したくないようだ。

 打ち込んでくる男の太刀をただ左右にさばいている。

 花月が信之介に殺すところを見せたくないなら光夜が斬ってしまうわけにはいかない。


 花月ならともかく、光夜が人を斬ったところを見たら信之介は対抗心を燃やして自分も、などと考えかねない。

 斬れないなら体術で叩き伏せてしまおうかと思ったが、花月はあくまで道場剣術でなんとか退しりぞけたいようだ。

 花月は男二人の刀を交互にさばきながら男達が信之介の元に行かないように防いでいる。


 信之介は刀を構えているものの、どう動けばいか分からないようだ。

 迂闊うかつに斬り掛かったらかえって邪魔になると言う程度のことは理解出来ているらしい。


 花月と光夜の二人で三人を相手にしている時点で力量の差を悟れそうなものだが、男達は頭に血が上っていてそこまで考えが至らないらしい。

貴殿きでんらの御父君ごふくんを斬ったのは我らではない。何より先日この辺りで殺された者の仇討ちなら免状めんじょうの発行はだであろう」

 花月が男達をいさめようとした。


 仇討ちは届け出をして御公儀ごこうぎ(幕府)から免状をもらう必要がある。

 例え仇討ちだろうと免状なしで殺したら罪に問われるのだ。


「我らから主を奪った公儀こうぎの許可など求める気などない!」

 こいつら改易かいえきになった家の家臣か……。


 直参じきさんの武士は主が将軍だから自分の家が改易になることはあっても主が改易になる事はない。

 だから自分の家が取り潰されない限り家自体は続く。

 ろくが減っても家さえ続いていれば再び日の目を見る事もあるだろう。

 だが主が将軍ではない武士は違う。

 どこかの藩の家臣だったにしろ大名か大身の旗本の家臣だったにしろ主の家が改易かいえきつぶれたらろく家屋かおくも全てし上げられてしまう。

 与えられていると言っても実際には貸与たいよのようなものだからだ。


 家を奪われ親も殺されたのならもう失うものはないだろう。

 死ぬまで引かない気だ。

 そのとき男の一人が花月の隙を突いて、

「やああああ!」

 と叫びと共に信之介に斬り掛かった。


 咄嗟とっさに信之介は刀を振り上げた。

 おそらくはじくつもりだったのが目算もくさんあやまったのだろう。

 信之介の切っ先が腹を横に斬り裂いた。

 男が悲鳴を上げる。

 腹から大量の臓物ぞうもつと血をあふれさせながら倒れた。


「兄上!」

「貴様ぁーーー!」

 男二人が同時に信之介に斬り掛かった。

「クソ!」

 光夜が男の心の臓を突き刺すのと花月が男の首筋を裂くのは同時だった。

 男達が声もなく絶命ぜつめいする。

 信之介が斬った男は地面に倒れてうめいていた。


「おい、とどめを……」

「光夜」

 花月は光夜を制止すると男にとどめをした。

「花月さん! 医者にせれば助かったかも……」

臓物はらわたが出ちまってんだぞ。どんな医者だって助けらんねぇよ」

 光夜の言葉を聞いた途端、信之介がその場に戻し始めた。


「助けられないけど死ぬまでには時間が掛かる。せめて、これ以上苦しまないようにしてあげるのが武士の情けよ」

 そう言いながら花月は信之介に止めを刺させなかった。

 光夜が訊ねるように視線を向けると、

「仇は作らないに越したことはないから」

 と答えた。

 そうか、婿養子になったら町人ちょうにんか……。

 刀を差して歩けなくなるなら仇はいない方がい。

「村瀬さん、立てる? 人に見られたら不味まずいから一先ずここを離れましょう」

 花月の言葉に光夜は信之介の腕を取って立たせた。


 光夜と信之介は花月の後にいて歩き始めた。

「……これが人を斬るって事だ」

 少し歩いたところで光夜は口を開いた。

「武士のほこりだ矜持きょうじだなんてのは関係ねぇ。どんだけきれいごと並べようとただの殺し合いなんだよ」

「花月さんと光夜殿は人を斬った事がおありだったんですね」

 信之介が地面に目を落としたまま言った。

「えぇ、まぁ……」

 花月はばつの悪そうな顔で答えた。

 活人剣がどうのと言ってしまった手前、今まで散々人を斬ってきたとは言いづらいのだろう。


 花月はしばらく黙って歩いていた。

 それから信之介の方を振り返った。


「村瀬さん、光夜の言う通りよ。刀は人を斬るための道具だし、武士のつとめは人を斬ること。そして人を斬れば仇が出来る。その覚悟が出来なければ武士は務まらない」

「…………」

「とはいえ、なるべく斬らずにませるというのが我が稽古場うちの教えという事に変わりはない。麻生さんはわざわざ人を斬るために辻斬りを探し回るような事をしたから返り討ちにった」

 それから後ろを振り返って溜息をいた。

「麻生さんを殺したのは辻斬りかもしれないけど、麻生さんが斬ったのはただの牢人だったようだし」


 一人が「父の仇」と言っていた。

 おそらく麻生は誰かを斬りたくて仕方なかったのに誰もいなかったから偶々たまたま通りかかった牢人を斬ったのだろう。

 麻生が斬った牢人も今の三人も本来なら死ななくてかったはずの人間だ。

 それを思うと今まで散々人を斬ってきた光夜でさえ後味あとあじが悪い。

 少なくとも今まで花月や光夜が斬ってきたのは辻斬りや破落戸の類だ。

 罪のない者を手に掛けたことはなかった。

 ましてや、あんな格下かくした、本来なら相手にしないのに……。

 分かれ道で、帰っていく信之介を見送ると、花月と光夜は帰途にいた。


       二


 翌朝、素振りを始める前に花月は弦之丞に頭を下げ、

「お父様、申し訳ありません」

 と謝った。

 慌てて光夜も隣で頭を下げる。

「何があった」

 弦之丞の問いに花月は前夜の顛末てんまつを話した。

慢心まんしんしておりました。剣術だけでどうにかなると。すぐに体術で叩き伏せていればあの三人の命を奪わずにみました。そうすれば……」

「その三人にいつまでも仇として狙われることになっていただろう。お前と光夜はともかく、村瀬は三人がかりで襲われたら太刀打ちできないのではないか」

「それはそうですが……」

「その反省を今後に生かせば良い」

「はい」

「始めるぞ」

 弦之丞の言葉に花月と光夜は立ち上がると木刀を握った。


 朝餉のために素振りを中断した時、

「花月、光夜」

 宗祐が声を掛けてきた。

「はい」

「刀は片刃かたばだ」

「あっ!」

 花月と光夜が同時に叫んだ。

 殺さないようになどと考えた事がなかったから忘れていたが峰打みねうちというものがあったのだ。

 二人の表情に宗祐は苦笑しながら母屋に入っていった。


 信之介はあれ以来、一層稽古に励むようになった。

 光夜もそれに対抗して今まで以上に熱心に稽古をしていた。

 午後の稽古が終わり弟子達が帰ると光夜と信之介は残って試合をしていた。

 木刀なら光夜と信之介の力は拮抗きっこうしている。

 花月は審判として二人の試合を見ていた。


 翌日、午後の稽古が終わると、花月と光夜は弦之丞に連れられて家を出た。

 着いたのはどこかの稽古場だった。


 中に入ると一人の男が複数の男を相手に戦っている最中だった。

 一人で戦っている男は次々と他の男達を倒していったが、あと二人というところで喉元に脇差を突き付けられて負けた。


 戦いを見ていた初老の男が弦之丞を見付けて笑みを浮かべた。

 強い……!

 このじいさん、只者ただものじゃねぇ……。

 まず間違いなく弦之丞よりも強い。

 花月も同じことを思ったらしく表情が引き締めていた。


「桜井殿。久し振りでござるな」

 そう言ってから、花月と光夜を見て、

「なるほど。なかなかの逸材いつざいですな」

 と言った。

「花月、光夜、今泉師匠だ」

「桜井花月と申します」

「菊市光夜です」

 二人は同時に頭を下げた。

「見ての通り、ここでは複数の者を相手にしたときの戦い方を教えてましてな」

「夜の稽古で教えてきたのはここの武術だ」

「桜井殿の後継者なら歓迎するからいつでも来なさい」

 今泉が優しそうな笑顔で言ったが目は鋭く光っていた。


 翌日の午後、稽古の後、いつものように光夜と信之介が手合わせをしていると中間の弥七が花月と光夜を呼びに来た。

 客間の前に来ると、花月が、

「父上、花月と光夜です」

 と声を掛けた。


 弦之丞から入るようにと言われて花月が襖を開ける。

 あ……!

 中を見た光夜は思わず声を上げそうになった。

 弦之丞と宗祐の向かいに座っていたのは、以前助けた家臣だ。

 どうやったのかは知らないが光夜達を探し出したらしい。

 しかし何の用かが分からない。

 光夜は首をかしげた。

 改めて礼でも言いに来たのだろうか。

 いくら何でもそこまでするほどの事ではないと思うが……。


「桜井花月と菊市きくち光夜です。して、御用ごようの向きは」

 弦之丞が年配の家臣に向かって訊ねた。

「それがしは西野家の者で篠野源太夫と申します。先日、我が江戸留守居役えどるすいやくの乗った籠が襲われたおりに、こちらのお二方ともうお一方に助けられもうした」

 篠野はそう言うと一旦口をつぐんだ。

 その表情を見ると礼を言うためにわざわざ来た訳でもなさそうだ。

「あの、もうお一方ひとかたもこちらの御弟子おでしでは……」


只今ただいま呼んで参ります」

 花月はそう言うと、すぐに信之介を連れて戻ってきた。

 信之介は光夜の斜め後ろに座った。

「村瀬信之介と申します」

 花月から話を聞いていたらしく、信之介は驚いた様子もなく礼儀正しく頭を下げた。

「あのとき襲ってきた中でも一番の手の者を桜井殿と菊市殿二人がかりだったとは言えほぼ互角に戦っていたのを拝見して護衛をお頼みしたいと……」

「護衛? しかし、この二人はまだ未熟……」

「あ、いえ、お二人にではなく、こちらの稽古場の遣い手の方にお願いしたいと」

 篠野が慌てて手を振った。

 まぁ、そうだよな……。

「御弟子の中には部屋住みの方もおられましょう。こちらの留守居役が腕の立つ者なら何人か召し抱えても良いと申しておりまして今回の御役目を無事果たして頂けた暁には……」

「確かに我が稽古場には腕の立つ者がおります。しかし、それはそちらの御家中にもおられましょう。何故なにゆえ我が稽古場の者が必要なのでしょうか」

 弦之丞がそう言うと、

「それが……」

 お恥ずかしい話ですが、と断って篠野が話し始めた。


       三


 今の西野家の当主には二人の息子がいる。

 どちらも違う側室そくしつが産んだ子である。

 最近、正妻せいさいが子を残さないまま逝去せいきょした。

 諸事情により新しい正妻は置かないことになった。

 既に息子が二人いるし側室二人も元気で未だ子をなすかもしれない。

 当主は長男・文丸ふみまるを跡継ぎとして公儀こうぎ(幕府)に届け出て許可が下りた。


 それだけなら何も問題はなかったのだが、次男・次丸つぎまるを生んだ側室とその親戚達が次丸の方が世継よつぎに相応ふさわしいと言い出した。

 少々ひ弱な文丸より、丈夫さが取り柄の次丸の方が継嗣けいしに向いているという次丸の母の言葉に同調する家臣も現れた。

 今は次丸の母の親戚の方が政治的な発言力が強いから、次丸の母や親戚の言葉を無下むげにも出来ない。


 一方、健康面だけが理由で世継ぎを変えるはいかがなものか、既に御公儀ごこうぎにも届けを出して受理されている、と言う家臣の言葉にも頷けるということで、どっちつかずの状態が続いているという。

 世継ぎを変えるのに反対している家臣はおそらく役方やくかたなのだろう。

 世継ぎを変えるのには膨大ぼうだいな事務手続きと老中などへの莫大ばくだいな付け届けが必要になる。

 新しい正妻を迎えるのを控えているのは財政が逼迫ひっぱくしているからだろうし、それなら特に問題もないのに変更手続きのために多額の金を出すだけの余裕はないだろう。

 健康が、と言っても、次丸が丈夫すぎるくらい丈夫なだけで文丸は別に病弱というわけではない。


 冬場に風邪を引きやすい傾向けいこうはあるが学問は出来る方だから有能な当主になる素地そじがあると当主は期待しているらしい。

 そんな当主の態度と、文丸が死んだわけでもないのに世継ぎを変える理由がない、と言った家臣の言葉を聞いた次丸の母の一派が実力行使に出た。

 生きてるから変えられないのなら殺してしまえばいいと言う訳だ。


 文丸派の家臣がいなくなれば出世出来るという者達が次丸派に味方した。

 そして国元から腕の立つ刺客を送り込んできたのだ。

 この前襲ってきたのはその刺客達だという。

 今や家臣は二つの派閥に分かれていて誰がどちらなのか分からないため、外の者を雇うことにしたのだという。


 つまりお家騒動ってヤツか……。

 馬鹿馬鹿しい……。

 こんなありきたりの話を長々と聞かされるくらいなら稽古していたかった。

 しかも俺、関係ねぇし……。

 光夜が横目で不機嫌な視線を送ると花月が我慢しろと目配せしてきた。


「少し考えさせて頂きたい。護衛を頼むとしたらその者の承諾も取る必要があります故」

 弦之丞が答えを保留した。

 花月が事の顛末を話したから弦之丞は刺客の腕がかなり立つという事を承知している。

 一人で花月と光夜の二人を相手にして互角以上の強者つわものである。

 安易に承諾するわけにはいかない。


「分かり申した。それと、そちらの村瀬殿にもお頼みしたい事があるのですが」

「花月達に何を……」

「いえ、花月様は御旗本おはたもと御息女ごそくじょ。危ない事をお願いしてお怪我けがでもされては大変です。そうではなく村瀬殿に」

 篠野が滅相めっそうもないというように手を振った。

「それで、この村瀬に何を」

「まず、村瀬殿は文丸様に良く似ておいでなので影武者役をお願い出来ないかと」

「影武者?」

 流石さすがの弦之丞も驚いたようだった。


「実はこの稽古場に話を持ってきたのも一つには村瀬殿のことがあったため」

 篠野によると文丸はあまり剣術の稽古に熱心ではないのだそうだ。

 信之介に影武者をしながら稽古の相手もして欲しいのだという。

「殿様になるなら別に無理に剣術を習わせる事ないだろ。どうせ家来けらいに守られるんだし」

 光夜が言った。

「いえ、我が当主は尚武しょうぶ気風きふうを大事にする方ゆえ


 剣術指南役けんじゅつしなんやく新陰流しんかげりゅうの流れをむ者を当主自ら探し出してきたのだという。

 丈夫だと言っているくらいだから次丸は学問より剣術の方が得意なのだろう。

 尚武の気風を大事にするなら学問の出来る文丸より、剣の腕が立つ次丸を選ぶかもしれない、と危惧きぐしているようだ。


「師匠、師匠のお許しさえ頂けるのでしたら拙者はこの話をお受けしたいのですが」

「え!?」

 光夜は思わず声を上げた。


 影武者になったら常に文丸と一緒にいなければならない。

 場合によっては文丸の代わりに殺される事も有り得る。

 断れ、と言いたいが、この件が上手く片付けば西野家の家臣になれる。

 商家に婿養子に行く必要がなくなるのだから邪魔するわけにはいかない。

 そう考えて止めたい思いをぐっとこらえる。


「出来れば、光夜殿にも一緒に行って稽古の相手になって欲しいが無理強いする気はない」

 その言葉に篠野が驚いた顔をした。

 光夜にまで頼む気はなかったのだろう。


 厳重な警備を破って襲ってくるとしたらこの前の覆面と互角かそれ以上のやつだ。

 信之介一人で太刀打ち出来るとは思えない。

 もっとも花月と二人がかりでも倒せなかった相手を光夜と信之介だけで倒せるとも思えないが。

 光夜は溜息をいた。


「分かった。俺も行くよ」

 篠野は困ったような顔をしたが断らなかった。

「あの、篠野様」

 花月が口を開いた。

「何でしょうか」

「剣術指南役の方は新陰流の流れを汲んでいると仰っていましたが、それは江戸柳生の……」

「そうですが」

わたくしは常々柳生新陰流の教えを受けたいと思っていました。私も……菊市や村瀬と一緒に稽古に行ってもよろしいでしょうか?」


 花月が怖いくらい真剣な表情で申し出た。

 弦之丞と宗祐は「やれやれ」という顔で苦笑しているだけで思いとどまらせようとする気配はない。

 信之介と篠野が驚いた様子で花月を見詰みつめる。


 かなわねぇな……。

 花月の剣術への貪欲どんよくなまでの姿勢は、生き残るためだけに剣を振るってきた光夜には逆立ちをしても真似出来ない。

 花月は常に高みを目指している。

 多分その姿勢は死ぬまで変わらない。

 きっとこれが花月の強さのみなもとだ。

 そんな花月は、光夜にはの光のようにまぶしく思えた。


「い、いえ、新陰流の教えをうたのは昔のこと。その後、回国修行かいこくしゅぎょうなどをしたため今では全く別のものになっております故」

 篠野が慌てたように言った。

「それでも構いません。どうかお願いいたします」

 花月が頭を下げた。

「篠野殿、花月は皆伝まではいっておりませぬが伝書を得ていない者の指導が出来る程度にはつかえます故、ご迷惑でなければご指導のほどお願い頂けないでしょうか」

 弦之丞が言葉をえた。

 師匠って稽古以外では花月には甘いよな……。

「教え方は我らよりも上手いかもしれませぬ」

 宗祐も続ける。

 若先生もだけど……。

 光夜はあきれて弦之丞と宗祐を見た。


「しかし、花月様は御旗本の……」

「私は跡継ぎという訳ではありませんから死んでも困りませんし、もし怪我けがをし……」

傷物きずものになったら俺が貰ってやる!」

「万一の時は拙者が一生お世話致します!」

 光夜と信之介は同時に叫んでいた。

 部屋中の視線が光夜と信之介に集まる。

 光夜と信之介の交わした視線に火花が散った。

怪我けがをしたときの身の振り方も決まりました」

 花月がにっこり笑って言った。

 結局篠野は桜井一家に押し切られる形で承服させられてしまった。


       四


「光夜、ここにいたんだ」

 屋根の上で寝転んでいた光夜が気付くと花月が樹の枝の上にいた。

 光夜が屋根に上るのに使った樹だ。

 登ってきたのか!?

 光夜は目をいた。

 下から見られたらどうすんだ……。


「そっち行ってもい?」

 光夜が頷くと花月が屋根に移ってきて隣に腰を下ろした。

「何か考え事してた? もしかして邪魔?」

「そんなことねぇよ」

 光夜が口をつぐむと花月も黙った。

「……あんた、すげぇな」

「何が?」

 花月が意外そうな表情で光夜を見た。


「他流の教えをいたいって頼み込むところ」

「だって柳生新陰流よ! 柳生新陰流と言えば柳生十兵衛でしょ!」

「………………………………え? 柳生…………十兵衛じゅうべえ!?」

「あれ? 柳生十兵衛が柳生新陰流だって知らなかった?」

「い、いや、そうじゃなくて………………そこは西江院様(柳生宗矩)じゃねぇの!?」

 自分で江戸柳生って言ってただろうが!

「何言ってんの、日ノ本一ひのもといち剣豪けんごうと言ったら柳生十兵衛でしょ!」

 ええ!?

 宮本武蔵でも塚原卜伝でも、それこそ西江院でもなく、柳生十兵衛!?

「あんたお芝居とか講談とかで聞いたことないの?」

 芝居!? 講談!?

「…………」

 俺の感動を返せ……。

 光夜は花月を睨んだ。

「何その目付き」

「いや、ちょっとだけ、あんたすげぇなって思い掛けてたのに……」

「どこが?」

「強くなろうって言う気持ち」

 光夜の言葉を聞いた花月が自嘲気味じちょうぎみの表情を浮かべた。


       四


「……私が強くなりたいのは臆病おくびょうだからよ」

「あんたが臆病?」

 冗談だろ、と笑って花月を見たが、花月は真面目な表情で庭を見下ろしている。

 花月は膝を抱えたまましばらく俯いていた。

「……三年前ね、お祖母様に強く言われて女の格好したの」

 花月はぽつぽつと話し始めた。

「あの方に見てもらいたいっていうのもあった」

「…………」

「お祖母様の家から帰る途中、人気のないところで破落戸達に襲われたの」


 抵抗したが十三歳の小娘だ。

 破落戸は五人もいたし花月は丸腰だったため茂みに連れ込まれて押し倒された。

 恐怖で声も出なかった。

 上にのしかかってきた破落戸が花月の着物に手を掛けようとした時、その男の懐に匕首が見えた。


「その後の事はよく覚えてない」

 気が付くと男達は死体となって転がっていた。

 花月が手にしていたのは破落戸が持っていた長脇差ながわきざしだった。

 匕首あいくちを取ったと思っていたが長脇差の方を掴んでいたのか、途中で持ち替えたのか、自分でも分からない。

 辺りは血の海で、花月も全身返り血で真っ赤に染まっていた。

「そこからどうやって帰ったかも……」

 とにかく、それ以来女の格好はしていない。

 弦之丞や宗祐は何か気付いていたようだが何も言わなかった。


 光夜は黙り込んだ。

 その恐怖だけは分かってやれねぇ。

 世の中には幼い男児を好む者もいるし、男が好きというわけではないが手近なところに女がいないからと言う理由で力の弱い男児を代わりにしようとする者もいる。

 光夜も何度か襲われた事があった。

 無論られる前に斬り殺してやったが。


 それでも女が暴行目的の男達に押さえ込まれた時の恐怖は男には想像も付かない。

 ましてや男を知らない若い娘なら尚更恐ろしかっただろう。

 殺すために襲ってくるよりも怖いかもしれない。

 とはいえ江戸ではその手の事は珍しくない。

 何しろ男の方が圧倒的に多いのだ。

 白昼堂々と女をかついでさらっていくような無法者むほうものも珍しくない。


「あのね、伝書の話したとき、言ってなかったことがあるの」

 言葉に詰まっている光夜に気をつかってくれたのか、花月は急に話題を変えた。

「印可の上には奥義があるの。普通の人はそこまで。でもね、本当は更にその上の奥義があるの。まぁ、秘奥義ひおうぎってとこかな。その秘奥義ってね、一子相伝いっしそうでんなのよ」

 秘奥義に一子相伝か。

 両国広小路に座ってたとき講談がそんな話しるのが聞こえてきてたな。

「欲しいと思わない?」

「一子相伝って子供だけじゃないのか? 若先生がもらうんだろ」

「血の繋がりや人数は関係ないの。子供に限ったら途絶とだえちゃうでしょ」

 確かに子供の中に剣の才のある者がなければ伝授でんじゅ出来ない。


「強ければもらえるんだからだから、お兄様を追い越せば私達にだって可能性は出てくるってこと」

「すげぇな」

 光夜は思わず笑みを浮かべた。

「そう思うでしょ!」

 花月が嬉しそうな顔で身を乗り出した。

「そうじゃなくて」

「え?」

 花月が小首を傾げた。

「あんたのそう言う前向きなとこ、嫌いじゃないぜ」

「あ、なんか馬鹿にしてるでしょ」

 花月が唇をとがらせた。

「してねぇよ」

 意外に子供っぽい仕草を見せた花月に苦笑した。

「あんたはお日様みたいだなと思ってさ。俺は絶対あんたみてぇなお日様にはなれねぇ」

 花月は光夜の言葉に首を傾げてから空を見上げた。


 しばらくそうやって空をながめていた時、

「ね、あそこ! あれ、見える!?」

 突然花月が空をした。


 何かと思って見ると、それは白い点だった。

 青い空の中に白い点が見える。

 雲ではない。

 空は快晴で雲一つない。


「あれ……星、なのか?」

「子供の頃にも見た事あるの、あの星。昼間に星が見えるって、お父様とお兄様は信じてくれたけど、他の人は信じてくれなかった」

「昼間に星……」

 光夜は信じられないような思いで空を見上げていた。


「光夜はあの星になれば?」

「え?」

「お日様になれないって言うなら、お日様の光にも負けずに輝く星。あの星になればいのよ」

 真昼の星か……。

 花月の言葉を聞いていたら、つまんないことで落ち込んでいた自分が馬鹿らしくなってきた。

 高みを目指すって言うのも案外難しい事じゃねぇのかもしれねぇな。

 光夜は思わず笑みをらした。

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