比翼の鳥

月夜野すみれ

第一章

       一


 光夜は両国広小路りょうごくひろこうじすみに座って頬杖ほおづえきながら人混ひとごみに目をっていた。

 皆、光夜には目もくれずに通り過ぎていく。


 よれよれの着物を着た子供など珍しくないからだ。

 光夜の方も見返りもなしに手を差し伸べてくれる大人がいるとは思ってないし、めしたねになりそうにない人間に用はないから気にも止めてなかった。


 ねぇなぁ……。


 喧嘩が起きたら止めに入って助けたヤツに取り入り、用心棒にでも雇ってもらおうと思っていた。

 しかし、さっきからめ事を起こしているのは破落戸ごろつきや若い職人など、金を持ってなさそうな連中ばかりで雇ってくれそうなのはいない。

 光夜の腹が情けない音を出して鳴った。


 仕方ねぇ……。


 大道芸人と喧嘩を始めた破落戸を横目で見ながら立ち上がった。

 大道芸人も金は持ってないだろうが助けてやれば飯くらいおごってくれるかもしれない。

 そちらへ向かって歩き出そうとした時、目の前を若侍わかざむらいが通り過ぎた。


 こいつ、女だ。


 十五、六歳だろう。

 腰まである長い髪を後頭部の高い位置で一纏ひとまとめにし、白に近い薄紅色うすべにいろの地に紺色こんいろの柄の小袖こそで藍色あいいろはかま穿いている。

 身のこなしはまさに武士のそれだし腰に両刀を帯びているが間違いなく女だった。


 しかもつかえる……。


 女は大道芸人と破落戸の間に入ると刀を抜くこともなく、あっという間に三人の破落戸を倒してしまった。

 大道芸人は盛んに頭を下げながら懐から財布を出した。

 女は手を振って断ると両国橋の方へ歩き出した。


 しまった!

 女に気を取られて喧嘩の仲裁ちゅうさいに入るのを忘れた!

 でも……。


 光夜はられるようにして女の後を付け始めた。

 女はどこへ向かっているのか道から徐々じょじょ人気ひとけが無くなっていく。


 完全に人気が途絶とだえた火除ひよけ地――広い空き地に入ると女は立ち止まった。


「そろそろ出てきてはどうか」

 女が低い声で言った。


 やはり気付いてたか……。


 光夜がそのまま様子をうかがっていると、男達が飛び出してきた。

 さっき女が倒した破落戸とその仲間らしき牢人ろうにん風――というか間違いなく牢人だろう――の男達だ。

 牢人達は色褪いろあせた着物に刀を落とし差しにしていた。


「さっきはよくもやってくれたな。礼はさせてもらうぜ」

 破落戸の一人が言った。


 ……五、六、七。

 破落戸三人を入れて全部で七人か。


「そこもとは?」

 女が光夜の隠れている方に顔を向けた。


 バレれてた!?


 自分は気付かれていない自信があっただけに驚いた。

 光夜がへいの陰から出る。


「俺はそいつらの仲間じゃねぇよ」

「私に何用なにようか」

 女が両手をらしたまま訊ねた。

 牢人達は鯉口こいぐちを切っているのに女は柄に手を掛けてすらいない。


 大丈夫なのかよ……。


 すけが来る様子はない。


 女がそれなりにつかえるとしても七人を相手に勝てるのか……。


「てめぇ、無視してんじゃねぇ!」


 破落戸達が後ろに下がり四人の牢人が一斉いっせいに女に斬り掛かった。

 女の背後にいた男が真っ先に駆け寄って刀を振り下ろす。


 次の瞬間、背後の男が喉から大量の血を吹いていた。

 女が振り向きざま抜刀して喉を斬りいたのだ。

 それを見た両脇の男達の動きが一瞬止まった。


 女が背を向けた男が刀を突き出す。

 女は男に向き直るように身体を反転して刀をけ、その勢いのまま刀を横薙よこなぎにする。


 更に向きを変えて別の男と相対あいたいする。

 男が刀を振り下ろした。


 女が左足を引きたいを開いてける。

 女は刀を横に払って男の脇腹をいた。


「ーーーーー!」

 牢人が脇腹から臓物ぞうもつあふれさせながら倒れる。

 最後の牢人が袈裟に振り下ろした。


 間に合わねぇ!


 光夜は咄嗟とっさ小柄こづかを投げた。

 だがその時にはもう牢人は腹を刺されて倒れていた。


 全て一瞬の出来事だった。


 女は残心ざんしんの構えのまま倒れている牢人達に近付いていき、だ息がある牢人達にとどめをして回る。

 躊躇ためらいが無い。


 斬ったのは初めてじゃねぇな……。


 破落戸達の姿は消えていた。

 女はふところから取り出した懐紙かいしで刀に付いた血を丁寧ていねいぬぐってからさやおさめた。


「取りえず、ここを離れよう」

 女は光夜に声を掛けると背を向けて歩き出した。


いのかよ、俺に背を向けて。あんたのこと斬るかもしれないぜ」

「斬られぬ自信があるゆえ

 女は不敵な笑みを浮かべて振り返った。


 確かに後ろから不意打ちしても勝てそうにねぇ……。


 光夜は女の後にいて歩き出した。


 どうやら女は破落戸共と戦うためにわざと寂しい場所へ行っただけらしく、すぐに人通りのある道に戻った。


「一応、有難うって言っておくわね。名前は? 私は桜井花月かづき

 花月は女らしい柔らかい笑みを浮かべて言った。


 言葉遣いが変わった?


 声音こわねも普通の女の声で特に低くはない。


 光夜が怪訝けげんな顔をすると、

「女だって分かってるんでしょ」

 気付いてることもバレていたようだ。


 整った顔立ちだが頬の柔らかな曲線が優しげな印象を与えていた。

 女の格好をすれば誰もが振り返るだろうに。


「俺は菊市きくち光夜こうや

 花月が更に何か言おうとしたとき光夜の腹が鳴った。

「じゃ、お礼に御馳走ごちそうするわね。そこでい?」

 花月は微笑わらって蕎麦そばの屋台に目をった。


「礼って?」

「小柄、投げてくれたでしょ」


 牢人達と戦いながらそんなところまで見ていたのか。


 投げた時には倒していたのだから礼の必要などないだろうに。

 だが光夜にそれを断れるだけの余裕はなかった。

 花月は光夜の返事を待たず道端みちばたの屋台に向かう。


       二


「おじさん、お蕎麦二つ」

 花月が注文すると、蕎麦屋はすぐに蕎麦を二つ出した。


 蕎麦が目の前に出される

 光夜は黙って受け取ると、あっという間に平らげた。


「おじさん、もう一杯」

 光夜が蕎麦を食い終える度に花月がお代わり注文する。

 結局光夜は蕎麦を五杯食べた。


 花月は蕎麦屋に金を払いながら、

「何日食べてなかったの?」

 と訊ねてきた。


「二日」

「ひょっとして、これが目的で助けようとしてくれたの?」

 花月が小首をかしげて訊ねた。


「それもあるけど……その格好、なんか訳ありかと思って」

理由わけが知りたかったの?」

「いや、訳ありなら用心棒とか助っ人とか必要だろ」

「雇い主探してたんだ」

「そういうこと」

 光夜は肩をすくめた。


「残念。この格好は大小だいしょうすため。女の格好じゃ差せないでしょ」

「そっか。それじゃ、御馳走ごちそうさん」

 当てが外れた光夜ははしを置いてきびすを返そうとした。


「用心棒や助っ人はらないけど弟子なら取ってるわよ」

「弟子?」

「うち、剣術の稽古場ってるの」

束脩そくしゅうなんか払えねぇよ」


 束脩というのは入門するときに支払う謝礼である。


「内弟子なら必要ないわよ」

「寝るとことめしに困らねぇって事か?」

「そういうこと。じゃ、行きましょ」


 花月は蕎麦屋に「御馳走様ごちそうさま」と言うと歩き出した。


「おい、いのかよ。そんなに簡単に決めて。俺のこと何も知らねぇだろ」

「じゃ、教えて」

 花月の問いに光夜は言葉にまった。

「言いたくないなら別にいわよ」


 くねぇだろ!


 子供とはいえ素性すじょうも知らない相手を住まわせるなんて不用心にも程がある。

 いくら光夜より強くても寝ている時などに不意をかれたら負ける事はあるだろう。


「隠すような事はねぇけど、どっから話たらいのか分かんねぇ」

「住むとこがないって事は親はないの? 今まではどうしてたの?」

「三年前までは浜崎って牢人に育てられてた」

 光夜はぽつぽつと話し始めた。


       三


 浜崎が親ではないのは確かのようだった。

 長屋の連中の話を立ち聞きした事があって、それによると浜崎が光夜を連れてきたのは三、四歳くらいの時だったという。

 それまでは他の人間に育てられてたらしい。


「ま、俺としてはどっちでもいんだけどさ」

 裏店うらだな暮らしだったが剣術だけは仕込まれた。


 裏店というのはいわゆる長屋ながやの事である。

 通りに面している建物を表店おもてだなと言う。

 店という言葉が付いているが建物という意味で店舗とは限らなかった。

 四方を表店に囲まれた内側に裏店と呼ばれる長屋がある。

 通りに出る時は表店の脇にある路地を通らなければならない。


 浜崎は稽古場けいこば師範代しはんだいをして何とか食べていた。

 少なくとも光夜はそう訊いていた。


 しかし三年前、光夜が十歳の時、浜崎が殺された。

 ある日、光夜が空き地で素振りをしているとあわただしい足音が聞こえた。


「おい! 大変てぇへんだ! 牢人さんが大川端に……!」

 走ってきた大家おおやが息を切らして言った。


 大家はひざに両手をいて息を整えると、

「おめぇんとこの牢人さんが、そこの大川端おおかわばたで死んでるって……」

 と言った。


「本当に浜崎のおっさんなのか?」

 光夜は素振りをめて訊ねた。


 浜崎はうらぶれた姿の牢人だ。

 金目当てに襲うやつないだろう。

 それに稽古場で師範代をっているくらいなのだから簡単に辻斬つじぎりに負けるとも思えない。

 しかし夕辺帰ってこなかったのも事実だ。


「間違げぇねぇって、今、知らせが……。とにかく確かめに行ってきな!」

 大家の言葉に、光夜は長屋に木刀を置くと刀を差して大川端に出掛けた。


 長屋を出て大川に向かうと川岸に人だかりが出来ていた。

 光夜は人の間をうようにして前に出た。

 人垣を抜けた途端、浜崎の遺体が目に飛び込んできた。

 右腕は刀を握ったまま少し離れた場所に落ちている。

 肩から脇腹に掛けて袈裟けさに斬られていた。


 これが致命傷か……。


 仮にも剣術の稽古場の師範代を斬り殺したのだ。

 かなりのつかい手に違いない。


「どいた、どいた!」

 人混ひとごみが割れ、御用聞ごようききに先導せんどうされた武士が歩いてきた。


 黄八丈きはちじょう着流きながしに黒い羽織はおり

 八丁堀はっちょうぼり同心どうしんだ。


 御用聞きは浜崎の手首を十手じってで持ち上げたり懐を探ったりした後、同心と何やら話していた。

 同心はうなずくと、きびすを返してその場を後にした。

 残された御用聞きが野次馬に聞き込みを始めた。

 光夜もそこを離れると、そのまま二度と長屋には戻らなかった。


 浜崎は長屋の連中とは付き合いがなかったし、向こうも自分達を良く思っていないのは態度で分かった。

 井戸端でお喋りをしていても浜崎や光夜が通り掛かると黙り込むか、そそくさと自分の部屋へと戻っていった。


 それにみんな貧乏なのは同じ裏店うらだなに住んでるからよく知っている。

 なのに自分の子供に風車かざぐるまだのあめだのを買ってやっているのを見るとなんだか嫌な気分になった。


 だから、そんな連中の世話にはなりたくなかった。

 部屋の中に多少だがたくわえが置いてあったから、それで浜崎の埋葬まいそうくらいはしてくれるはずだ。

 仮に川に捨てられたとしても浜崎はもう死んでいる。

 土の中でも水の底でも同じだろう。


 二日後、光夜は大川沿いの柳にもたれながら後悔していた。


 ……甘かった。


 十歳の子供がどうやって食べていくのか、そんなことも考えずに出てきた自分を殴りたかったが腹が減っていて腕を動かすのも億劫おっくうだった。


 けど……。


 浜崎が仇持かたきもちだとは聞いてなかったから、斬られたとしたら辻斬りくらいしか考えられない。

 仇持ちというのは誰かの仇という事である。


 いつ仇討かたきうちで殺されてもおかしくなかったなら光夜にそう言っていただろう。

 浜崎が死んだら光夜は路頭ろとうに迷うのだから、いざという時どうすればいかくらいは言置いいおいていたはずだ。


 もし金目当ての辻斬りなら浜崎の持っていた金など一日か二日できるだろう。

 金が無くなれば再び辻斬りをするはずだ。

 そろそろ浜崎を殺したやつがまた動き出すに違いない。


 別に浜崎をしたっていたわけではないが育ててもらった恩がある。

 かなうかどうかは分からないが、仇をたなければいけない気がした。


 光夜は情けない音を出す腹をなだめるように夜空を見上げた。


 月はどこにも見えない。

 辺りは真っ暗だった。

 月の代わりに満天の星が競うように輝いている。


 ふと目のすみに光が映ったような気がして道に目を戻すとかすかに揺れる灯りが見えた。


 提灯ちょうちんか。


 光夜は目をらせた。

 辻斬りが提灯を持って歩くわけがない。


 その時、不意に殺気さっきを感じた。


 光夜を挟んで提灯とは反対の柳の陰だ。

 光夜に対してではない。

 あの提灯の持ち主を狙っている。


 辻斬りだ……!


 殺気の主はゆっくりと提灯に向かっていく。

 提灯を持っている男が異変に気付いたのか動きが止まった。

 提灯に照らされているのは二人の男だった。


 恰幅のいい大店おおだなの主人風の男と、見世みせのお仕着しきせを着た若い男だ。

 辻斬りは光夜から二間にけんほど離れたところで刀を抜いた。


 提灯の光がやいばで反射したのを目がとらえたのだろう、若い男が「ひっ」と声を上げた。


「金を出せ」

 辻斬りが言った。

 光夜は立ち上がると両者の間に立った。


「邪魔だ」

 辻斬りは光夜の方に一歩踏み込むと無造作むぞうさに刀を払った。


 光夜はけながら抜刀ばっとうすると刀を払い、返す刀で逆袈裟ぎゃくげさに斬り上げた。

 辻斬りのそでが切れる。


「あくまで邪魔をするのか!」

「そっちが先に掛かってきたんだろ」

 光夜は刀を構えたまま言った。


「邪魔をする気がないならせろ」

いぜ。だがその前に聞きたい事がある」

 辻斬りが怪訝けげんそうな表情を浮かべた。


「二日前にここで牢人を殺したのはお前か」

「なんだ、あやつの縁者えんじゃか」

「お前がったのか!」

 光夜が殺気さっきみなぎらせる。


拙者せっしゃではない」

 辻斬りは牽制けんせいするように光夜に切っ先をき付けた。

 後ろで男達が逃げていく足音がした。


「なら、誰だ」

「知らん。あやつは返り討ちにったのだ」

「返り討ち? 仇でも討とうとしてたのか?」


 浜崎に仇がいると言う話は聞いてなかった。

 仇持ちだとも。


 光夜の言葉に辻斬りがわらった。

 嫌な笑い方だった。


「あやつも拙者せっしゃと同業の者よ。金のありそうな男から金を奪おうとして用心棒に斬り殺されたのだ」

「何だと!?」

「あやつも辻斬りで食っておったのだ」

「馬鹿な!」

「でなければ、あんな牢人がどうやって食うておったと思っておるのだ」

 辻斬りは呆然ぼうぜんとしている光夜を嘲笑あざわらった。


 光夜は殴られたような衝撃を受けた。

 下ろした刀をかろうじて右手で握っていた。

 剣術の師範代というのは嘘だったのか、それともそれだけでは糊口ここうしのげなかったから辻斬りもしていたのか。


「お前のせいで獲物に逃げられ……」

 辻斬りが最後まで言う前に光夜は深く踏み込み刀で男のしんぞうつらぬいた。


「……!」

 辻斬りは驚愕きょうがくの表情を浮かべて死んだ。

 光夜は辻斬りの懐を探って財布をるとその場を後にした。


 所詮しょせん、牢人なんて野良犬だ。

 食うために殺し合う。

 野良犬なら野良犬らしく死ぬまで殺し合うだけだ。


       四


「金を出せ」

 辻斬りが見世のお仕着せを着た男に刀をき付けた。

 男が悲鳴を上げる。


「金を置いていけば殺しはしない」


 殺気丸出しでよく言うぜ……。


 逃がす気がないのは明らかだ。

 光夜は布を顔の下半分に巻くと刀を抜きながら辻斬りと男の間に割って入った。


「なんだ、てめぇ!」

 光夜は辻斬りの言葉を無視して、

「いくら出す」

 肩越しに出来る限り低い声で男に訊ねた。


「え?」

「いくら出す。金次第では助けてやる」

 光夜がそう言うと、男は探るような目を向けてきた。


「そうはいくか!」

 辻斬りが斬り掛かってきた。

 光夜は刀をはじくと後ろにびさすった。

 金をもらう前に倒してしまうわけにはいかない。


「自分の命の値段だ。よく考えろ」

 辻斬りに刀を向けたまま言った。

「い、一両で」

いだろう。金をそこに置いて早く逃げろ」

 男は震える手で懐から財布を出すと中を探った。


「もし誤魔化ごまかしてたら、お前を捜し出して殺す」

 男はおびえた表情でうなずくと二朱銀にしゅぎんを何枚か地面に置いて後ずさった。


「行かせるか!」

 辻斬りが刀を袈裟に振り下ろした。


 光夜は刀をけて道に転がった。

 切っ先が光夜の肩をかすめる。

 着物がわずかにけた。


 光夜は転がった姿勢のまま刀を横にいだ。

 辻斬りの右膝から下が地面に転がった。


「ぐあ!」

 辻斬りが倒れる。

 光夜は素早く立ち上がると男に近付き、心の臓に刀をき立てた。

 辻斬りは一瞬痙攣けいれんして死んだ。


 光夜は道に置かれた二朱銀を拾ってちゃんと八枚あるのを確認してから懐に入れた。

 視線をあげると三間さんげんほど離れたところに牢人らしき男が刀を抜いて立っていた。


「金が目当てか」

「悪く思わんでくれ。わしはもう三日も食ってないのでな」

「別に」

 光夜は肩をすくめた。


 野良犬が生きるために他の野良犬を殺す。

 それだけだ。


「俺を殺せたら持ってけよ」

 光夜は刀を構えた。


       五


 光夜は二年ほどそうやって糊口ここうしのいでいた。


「そういえば、お金次第で辻斬りから助けてくれる人がいるって噂聞いてたけど、あれってあんただったの?」

 花月が訊ねた。

「さぁね。噂なんて知らねぇよ」

「小さいから子供じゃないかって話だったけど、本当に子供だったのね」


 ある時、男達のいさかいに行き合わせた。

 別に知らん顔で通り過ぎても良かった。

 いつもならそうしていた。


 しかし、その時はもう二日も食べていなくて腹が減っていた。

 それで金を持ってそうな方に味方した。


 光夜が助けた男は諏訪町すわちょう賭場とばを開いている親分で伍助ごすけと言う名だった。


「おめぇ、強ぇじゃねぇか」

「まぁな」

 そう答えた時、光夜の腹が鳴った。

 伍助は笑うと光夜を自分のうちに連れていった。


 家に入ると、五歳くらいの男児が伍助に駆け寄ってきた。


「父ちゃん!」

「おう、嘉助かすけ。帰ったぞ」

 伍助は嘉助を抱き上げた。


「お房、こいつに飯食わせてやってくれ」

 下働きらしい女にそう言うと、嘉助を連れて奥の部屋へ入っていった。

 光夜は刀を外すとそれを抱えて部屋のすみに座った。


 光夜は嘉助の遊び相手兼用心棒になった。

 屋根の下で寝られて毎日飯が食えるならと思って引き受けたがすぐに後悔した。

 伍助が嘉助を可愛がるのを見るのは不快だった。


 そういえば長屋を出たのもそれが理由だった……。


 とはいえ辻斬りと斬り合う毎日に疲れていたのも事実だ。

 雨漏あまもりのする廃寺はいでらで寝起きするのも、辻斬りを斬って金を稼ぐのもうんざりだった。


 廃寺は冬は寒いし、何よりきっぱらを抱えて、いつ辻斬りの仲間が仇討ちに来るかと気を張りながら寝るのは楽ではない。

 警戒をいたわけではないが、少なくとも伍助の家なら飯は食えるし雨風もしのげる。


 光夜は他の子供と遊んだことがない。

 長屋ではいつも剣術の稽古をさせられていたし、他の子供は光夜に近付かないように言われていたのか誰も側にってこなかった。


 そのため遊び相手と言っても何をすればいか分からない。

 だから嘉助の遊び相手は佐吉と言う年を取って親分の用心棒が出来なくなった男に任せていた。


 幸か不幸か嘉助を狙うものはいなかったので光夜はひまを持てあましていたので大抵は素振りをするか、部屋の隅に座ってぼんやりと嘉助と佐吉が遊んでいるのをながめていた。


 そのまま半年ほどった頃だった。

 その日も嘉助は佐吉と遊んでいた。


 不意に障子しょうじが勢いよく開いたかと思うと伍助が家に飛び込んできた。

 遠くで半鐘はんしょうが鳴っている。

 光夜は刀を持って立ち上がった。


「嘉助! 来い!」

 伍助は嘉助を呼んだ。

「親分! どうしたんでやすか!」

「火事だ! 大火事だ!」

 伍助はそう言いながら嘉助を抱き上げると駆け出していった。


大変てぇへんだ! 早く逃げねぇと!」

 佐吉や他の使用人達も我先われさきにと逃げ出した。

 一人残された光夜も刀をかかえて飛び出した。


 火事は深川の大半を焼きくした。


 伍助達とははぐれてしまった。

 辺り一面いちめんけ野原で、もうどこに伍助の家があったのかも分からない。

 どうせ伍助も自分のことで手一杯だろうから帰っても無駄だ。


       六


 光夜はまた辻斬りを斬る生活に戻った。

 何度か斬られ、そのうち何回かは大怪我おおけがだったが死ぬことはなかった。

 傷だらけになりながらも光夜は今日まで生きてきた。


 倒したばかりの辻斬りの前に刀を捨てると、辻斬りが持っていた刀を取っての部分に目を走らせた。

 さびはないようだし光夜はどこも斬られなかったから血も付いてない。


 自分のさやも捨てて牢人のものをると腰にして納刀のうとうした。

 さっき男が置いていった金を拾って数える。


 俺は何をってるんだろう……。


 光夜は手のひらの上の二朱銀を見下ろしながら、ふとそんな事を考えた。

 どうせそのうち誰かに殺されるだけなのに、なんで飯を買う金が必要なんだろう。

 ぼんやりそんな事を考えていると殺気を感じた。

 光夜は金を懐にしまうと抜刀した。


 その後、辻斬りに出会でくわさない日が続いた。

 金もき、当てのないまま彷徨さまよっているうちに両国りょうごく広小路ひろこうじ辿たどいた。


「そう、あの時の大火たいかで……。運が悪かったわね」


 江戸はとにかく火事が多い。

 そのため庶民の内風呂うちぶろは禁止されている。

 家に風呂がないから皆湯屋ゆやへ行くので湯屋も多い。

 火付ひつけは大罪たいざい火炙ひあぶりの刑だがそれでも火事は頻繁ひんぱんに起きた。


「でも、もう心配ないわよ。うちに来れば剣術だけに打ち込めるしご飯の心配もいらないし。あ、賭場とばへの出入りは禁止だからね」

博打ばくちなんかに興味ねぇよ」


 花月の家にどれくらいられるかは分からないがしばらくの間だけでも飯の心配をしなくていのならそれで十分だ。


 ここは本所ほんじょか。

 光夜は辺りを見回した。


 花月の家は本所なのか……。


 そう思っていると花月は仕舞屋しもたやの前で立ち止まった。

 武家ぶけにしろ町人にしろ見世みせでもない限り表札ひょうさつという物がない。

 だから知らない家には誰が住んでいるのか分からない。


「ちょっと、ここにっていくから」

 そう言って花月が門の中に入っていく。

 花月は玄関のところで振り返って光夜が道に立ち止まっているのを見ると手招てまねきした。

 光夜がそばに行くと花月は戸を開けて中に入った。


「いらっしゃいませ」

 玄関のがりかまちのところに初老の女性がいた。

「こんにちは、お伊佐さん。この子はうちの弟子の菊市光夜。お菓子でも出してあげて」

 花月は大小を渡しながら言った。

 光夜も刀を抜いて伊左に渡す。


かしこまりました」

 お伊佐と呼ばれた女は一礼すると奥へ入っていった。

 花月はき物を脱いで玄関に上がると再び光夜を手招きする。

 光夜が後に続いた。


 廊下を歩いて少し行くとふすまの前で立ち止まった。


「花月です」

「お入りなさい」

 と言うしわがれた女性の声がした。

 花月が襖に手を掛ける。


「おい、俺はどうすればいんだよ」

 光夜は小声で花月に訊ねた。

 こんなところでの作法さほうなんて教わった事はない。


「私のななめ後ろに座ってて」

 花月はささやき返すと、

「失礼します」

 と言って部屋に入っていく。


 部屋の中に初老の女性が座っていた。

 光夜は取りえず言われたとおり花月の斜め後ろに座る。


「お祖母様ばあさま、お久し振りです」

 花月がそう言って頭を下げた。


 伊佐が入ってきて、花月がお祖母様と呼んだ初老の女性と花月、光夜の前にお茶を置く。

 伊佐は光夜の前には小皿も置いていった。

 見たことのない小さいもの――おそらく菓子なのだろう――が載っている。


「そちらの子は?」

 お祖母様とやらが訊ねた。

「菊市光夜と申します。うちの弟子です。お祖母様が女の一人歩きはくないとおっしゃいましたので連れて参りました」


 おいおい……。


「花月さん、あなたはだそのような格好をしているのですか」

「この格好でないと大小が差せませんので」

「差す必要はありません! あなたは女子おなごなのですよ!」


 そこからお祖母様の説教が始まった。

 花月は殊勝しゅしょうな顔をしているが聞いてないのは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 光夜が皿に載ったものを見ていると、

「早く食べちゃって」

 と、お祖母様の隙を見て花月が囁いた。


 自分の孫の付き添いに毒を入れたものは出さないだろう。

 光夜は思い切ってそれをまむと口に入れた。

 口の中に初めての味が広がる。

 うまいのか不味いのかよく分からない。

 光夜が首をかしげていると、お祖母様がお茶に口を付けた。


「お祖母様、それでは私はこれで失礼いたします」

 花月はすかさずそう言うと、お祖母様が止める間もなく素早く廊下へ出た。

 光夜も急いで後に続いた。

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