風花の舞姫 小太刀

百舌

第1話 小太刀

 白鞘の小太刀を正面に置く。

 鞘に覆われているが、反りの少ない刀だ。

 刀身は大ぶりで一般では日本刀として扱われる長さだ。

 それでもこれは神事で、お祓いに長年用いられてきたという。

 ただしこの家にある段階で、もう銃刀法違反になる。

 自宅のリビングのデスクについた。そこは食卓としても味気なく、仕事場としては趣味性の高いデスクで、右隅には朝食時に使った皿と、左隅には作りかけの艦船プラモデルが置いてある。

 そしてクランプでデスクに固定した、可動式スタンドの光に翳してみる。アルミの骨材と関節、スプリングで自由に光源の位置を変えられるので、古文書や遺物をルーペで観察するときに便利だ。

 小太刀の鯉口を切る。

 ぎらりと鍛鉄の色が眼を打つ。

 波文が波打ち、高温で焼かれた沸出来にえできの目が出ている。

 こしらえとつばはなく、白鞘と同じ素材の柄で素っ気無いが、刀身を留めるはばきは金無垢のようだ。

 工具を使い目釘めくぎを抜く、そうすると刀身を柄から抜き出せる。銘は井上国貞とある。江戸初期に大坂で活躍した刀工だ。儒学者の熊沢蕃山の諭しで、後に大名のような名前から、井上真改を名乗る。彼の作は別名で大坂正宗といわれる逸品だ。

 国貞の銘は珍しい。壮年期の作品と思われる。

 つまりは戦さの実用品として造られたものだ。

 つまり彼女の言葉に嘘はない。

 江戸初期の慶長新刀ということ。

 既にたっぷりと血を吸っていること。

 当時、彼女は大坂で娘時代を過ごしていたこと。

 その頃から数世紀の間、心血を注ぎ鍛えてきたこと。

 それは鳴神六花という雪女から預かった小太刀だった。 

 

 その夜から悪夢に苛まれ始めた。

 内容はよく覚えていない。汗だくになって目が覚めるが、何者かに追い立てたれる切迫感と、その逃げ場のない憔悴感だけが残っている。誰に追われているのかはわからないが、負傷はしているらしく、体が重い。

 闇に白目がぎょろりと浮かび、荒い呼吸で追ってくる。背後から金具が擦れ合う音が断続的に続いている。

 今の時代とも思えないが、雪女に関わるうちに尼飾城跡で真田の亡霊兵と闘った。その記憶が混濁しているのかもしれない。

 それでも夢であるので、痛覚はない。

 ただ寝覚めは、悪い。

 それはもうすこぶる、悪い。

 眼が覚めて脳髄が動き始めると、波紋が湖面の月を崩すように、脆くなって消えていく。

 上体を起こしてベッドの脇に散らかっている山からシャツを取る。洗濯は済んでいるが畳んではいない。アイロンも必要ない。皺は着ていれば肉の厚みと体温で延ばされていく。

 下着でさえ頭は通っても、太い猪首は通らない。なので襟元をナイフで切っておく。同様に袖は拳は通っても肩が回らない。上腕二頭筋は小柄な女性のウェストの数値に近い。下手に動くと生地が裂けてしまうので、フリーサイズでも既製品だと気を使う。袖口になぜボタンがあるのも理解はできない。あれって一般人なら締めることができるのか。

 高校生時分は制服の全てがオーダー品になってしまい、本当に母親には迷惑をかけた。試験前に何度も破いては、母親が夜中にミシンで縫ってくれていた。その母はもう年老い、背を丸めて実家に独りで暮らしている。

 僕が家庭を作らないのをずっと気に病んでいたが、そればかりは親不孝者だと陳謝しないと気が済まない。

 大学助教という職を得るまでは、フリーの学芸員として何年も渡り暮らし、発掘調査にも赴き、趣味が嵩じて口に糊する生活を嗜んでいた。それでは嫁の来ようもない暮らしだ。

 今日は信州大学でゼミを持っているので、ジムニーで出勤する。

 講義内容は来年の発掘実習に選んだ場所だ。 

 

 長野市に皆神山という神域がある。

 古くは修験道の霊山だったという。

 海抜700m足らずの低山ではある。

 周囲を外輪山のように囲まれたなかに、その山だけが独立して、お椀状の山影を見せている。その屹立している様子が異質なほどで、ピラミッドという説もあるくらいだ。

 地質的には溶岩の噴出でできた溶岩ドームであり、その安山岩の粘性の高さからお椀型になったという。

 そしてこの山を都市伝説として名を馳せたのは、異様な群発地震の記録だ。1975年から5年間にわたり70万回もの微弱な地震が発生して、その震源地がこの山になる。そしてその影響で数mの隆起があったらしい。

 さらに謎の発光現象が起こっている。

 それは雷でもなく、識闇しきやみの山影から蒼白い光が数秒間、透けて見える。見たところそれは日食のくらい太陽にまといつく蒼に近い。常の世を切り取り、冥府の瘴気が溢れ出しているような光景だ。

 僕は思う。

 それは魍魎の存在ではないかと。

 雪女との闘いではなかったのか。

 それで鳴神六花に質問してみた。

「その場所では維新前後からは、闘ってはいないわ。それほど本気になるような敵は新政府になってからは居なかったもの」と素っ気ない返事だった。

「先日の石女尼まではね」と付け加えた。

 しかしながら僕は思う。

 去年の初冬、鳴神六花の闘いに僕は巻き込まれた。

 尼飾山の城跡の、その望台から全てが臨める。

 それが皆神山なのだ。

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