第3話 7
城の中央棟は主に行政区画になっているんだが、その東にはウチの村がすっぽり収まるくらいに広い練兵場がある。
俺はバルディオと約束した通り、朝から騎士や衛士の鍛錬を見てやっていた。
今回の来訪目的――兵騎の改修はといえば、今日はまず外装の剥ぎ取りになるらしい。
騎体を動かす必要がないから、身体が空いたんだよ。
それならってワケだな。
村でいつもそうしてるように、練兵場の外周を走って、それから柔軟。
よく身体がほぐれて温まったところで、模擬剣を使っての素振りだ。
この辺りで、新人衛士からは脱落者が出始めた。
鍛錬が足らない証拠だな。
素振りを終えると、今度は打ち込みだ。
本来は練兵場の隅にある木杭相手にやってたそうだが、俺はふたり一組を作らせて、攻め手受け手交代で行うように指示する。
動かない木杭相手にいくら斬りかかったところで、人相手に慣れてない奴の鍛錬にはならない。
ああいうのは、ちゃんと戦ってる相手をイメージができる奴がやる鍛錬なんだよな。
「……それにしても、だ」
俺は正面に立って、剣と盾を構えるバルディオを見る。
「なんで閣下まで一緒に鍛錬してるんです?」
騎士達の目があるから、俺は敬語で尋ねる。
「いやあ、普段は政務ばかりだからね。
たまには鍛えないと、勘が鈍るだろう?
せっかく君が来てるんだから、ね」
と、バルディオは爽やかな笑みを浮かべる。
政務ばかりと言う割に、走り込みにも素振りにも遅れることなく、むしろ先頭を走っていた俺のすぐ隣を走っていたバルディオだ。
日々の鍛錬はしっかり熟していたはず。
となれば、目的はひとつ。
俺との掛り稽古をしたいってトコか。
騎士達の中には、バルディオの全力に応えられる奴はいないみたいだしなぁ。
「まあ、そういう事なら……」
俺が模擬剣を構えると、バルディオが盾を前に突進してくる。
柄をぶつけてそれをいなし、突き込まれた切っ先を半身にかわして。
伸び切ったバルディオの長剣に、俺は手首を回して長剣を持ち替え、下方からすくうようにして打ち上げる。
剣を弾かれたバルディオは、しかしその勢いに逆らわず、身体を回して半歩後退。
俺の追い打ちを警戒して、剣を横薙ぎに振るった。
一瞬の攻防で、バルディオがまるで衰えてないことがわかる。
周囲で騎士達の手が止まっているのがわかった。
「相変わらず、強いね。君は……」
構えを整えながら、バルディオが笑う。
「――閣下こそ」
俺も笑みで応えて。
数合を打ち合ってる間に、周囲は見学する騎士達に囲まれていた。
「前々から聞きたかったんだけどね、君、剣術はほぼ独学の我流って言ってたけど、術理がしっかりしてるだろう?
――誰かに習ったのかい?」
振り下ろしの一撃を剣の腹で受け流し。
「基礎は実家にいた時、家に仕えてた衛士に教わりました」
切っ先までバルディオの剣が滑り落ちたところで、弾くように剣を振るう。
バルディオの右手が弧を描くように泳いで、右腹ががら空きとなった。
そこに蹴りを振るって。
当たる直前で、その動きを止める。
「――参った……」
と、バルディオは剣と盾を落として、両手を上げる。
周囲の騎士達が歓声をあげた。
「やっぱり君にはかなわないか。
その衛士殿の名前を訊いても?」
すぐ上の兄さんも教わってたおっさんだ。
衛士の仕事よりも、いつも庭師と一緒に土いじりしてばかりいるような人だった。
「……アールベインっておっさんです」
途端、バルディオの目が驚きに見開かれる。
「――トム・アールベインかいっ!?」
「ん? 閣下、ご存知なんで?」
「ご存知もなにも!
王室剣術指南役だよ! 剣聖さ!
――そうか、仕えていた家が不満で出奔したと聞いていたが、ルキウス本家だったのか……」
「……あのおっさんが剣聖?」
寝耳に水とはこの事だろう。
確かに頭おかしいんじゃねえかってくらい強かった覚えがあるが、それでも当時は俺もガキだったしな。
そう感じていただけって思い込んでたんだよな。
「知らなかったのかい?
ある日ふらりと王城に現れて、仕官させてくれって訴えたそうでね。
その場に居合わせたロスキア将軍が悪ノリしてさ。
実力テストと称して騎士達をけしかけたら、剣聖殿に片っ端から叩きのめされたって――王都ではかなり有名な話だよ?」
……なにやってんだ、あのおっさん。
「なるほど、君の剣術はアールベイン流に支えられているのか……」
「――は? なんだそのなんとか流って?」
驚きのあまり、俺は敬語を忘れて尋ねる。
「剣聖殿が立ち上げた剣術流派だよ!
長剣と手足すべてを使っての術理は、言われてみれば確かにアールベイン流だよね。
やっと納得できたよ」
「いや、あのおっさん、王族にこんなケンカ殺法教えてんのか……」
兄さんは、俺同様にあのおっさんに剣術を教わっていたが、拳打や蹴撃を多様するから、一番上の兄貴は貴族の剣じゃないっつって、教わるのを拒否してたんだよな。
そんな剣を王族に……
誰も止めなかったのかよ。
「シリウス殿下――第二王子が特に熱心に学ばれているそうだよ」
苦笑するバルディオ。
「そう考えると、私達は本当に幸運だ。
剣聖の剣を学び、冒険者として実戦で研鑽された技を教わる事ができるんだから!」
バルディオの芝居がかった大袈裟な発言に、しかし周囲の騎士達は感極まったように顔を紅潮させて、何度もうなずく。
「いや、俺の剣はそんな大したもんじゃねえぞ?」
照れくさくなって、頭を掻く。
「――バルディオ様ぁっ!」
女の金切り声が聞こえて来たのは、そんな時だ。
夜会のような派手なドレスを着た金髪の女が、練兵場に駆け込んで来る。
「……ボルドゥイ夫人」
おや?
その女に視線を向けたバルディオが、一瞬鋭い目をして。
だが、すぐに笑顔の仮面を貼り付けるのがわかった。
俺達に向ける笑みではなく……あれは社交界向けの貴族としての顔だな。
「どうした?
今の時間はクラウの授業の時間では?」
「……そ、それが――聞いてくださいませ、バルディオ様!」
ボルドゥイ夫人と呼ばれた女は、バルディオの胸にすがりつく。
「アレイナ様が、わたくしを解雇なさると仰るのです!」
「……へえ」
バルディオの目が細められた。
「それはどんな理由で?
一応、あなたの言い分も聞いておこうか」
ん? その言い方って……
「そ、それが――」
「――その方より家庭教師に相応しい方が見つかっただけですわ」
ボルドゥイ夫人の言葉に被せるように、練兵場の入り口からバルディオの嫁――アレイナの声が響いた。
視線を向けると、アレイナのすぐ後にはユリシアが立っていて。
さらにその後には、アシスを抱えたサティとクラウ、半べそかいた知らない女児の姿もあった。
……なんだこれ?
疑問に思う間にも、事態は勝手に進んでいく。
ていうか、一部の騎士や衛士達のアレイナやクラウを見る冷たい目はなんだ?
主の嫁と娘だぞ?
「――アレイナ、君はちょっと黙っていてくれるかい?
今は彼女に訊いているんだ」
バルディオが低く抑えた声でそう告げると。
「……はい」
アレイナは唇を噛んでうつむく。
ボルドゥイ夫人が、バルディオの胸の中で笑みを浮かべるのが見えた。
「さあ、それで?」
バルディオが促すと、彼女は目を潤ませて訴える。
「さ、先程、アレイナ様が突然、あの方のお嬢さんを連れて参りまして」
と、指さされたのはサティだ。
「まるで見せつけるように、高難度のダンスを披露して。
それを教えたユリシア様の方が、お嬢様の家庭教師に適していると仰ったのです!」
ボルドゥイ夫人が首を振ると、涙がこぼれた。
「そればかりか……ユリシア様は、わたくしの娘が……ルクレールが嫌がるのに、無理やりダンスを踊らせて……自分の娘の方が優れていると、わたくし達を嘲笑ったのですわ!」
俺はユリシアの方に顔を向ける。
あいつ、手で口元隠して、笑みを浮かべてやがった。
……おい、笑ってんじゃねえよ。事実なのか?
なんかサティは地団駄踏んでるし。
「……バルディオ様。
今まで黙っておりましたが、こうまでされてはわたくしも耐えられません。
わたくし、普段からアリシア様に――バルディオ様に取り入ろうとしている淫売などと罵られておりましたが、バルディオ様の奥様だからと思い、堪えてきたのです!
ルクレールもお嬢様に、ひどい言葉をかけられていたようですわ!」
ボルドゥイ夫人はハンカチを取り出して、涙を拭う。
「……夫を亡くし、旧知のバルディオ様におすがりするしかないわたくしを……アレイナ様は気に入らなかったのでしょうね」
土むき出しの地面に、そのまま崩れ落ちる彼女に。
騎士や衛士達は同情の表情を向けて。
それからアレイナ達へと厳しい視線を向けた。
「――ご当主っ! 俺は奥様が普段から平民出の俺達を見下してるって聞きました!
自分は譜代の家の出だから、俺達とは違うってバカにしてるって!」
「お嬢様もそうです!
わがままばかりで、侍女のクビを切りまくってるって!」
「奥様ともども、侍女なんていくらでも替えが利くって言ってたらしいです!」
「陰でルクレール嬢の事もいじめてたらしいですよ!」
騎士や衛士が、口々にアレイナとクラウへの不満をあげていく。
いやぁ、アレイナやクラウの性格はよく知ってるが、これは……
俺は口を挟める立場じゃねえのはわかってるんだが、さて、どうしたものか。
「――閣下、あのよ……」
ひとまず騒ぎを鎮めようと、俺がバルディオに声をかけると。
バルディオの奴は俺に向かって、片目をつむって見せやがった。
「――静まれっ!」
腕を一振りしての一喝。
よく通る声が練兵場に響いた。
それだけでこの場にいた全員が押し黙る。
「今、発言した者は前に……」
騎士達は顔を見合わせ、発言していない者が一歩下がる形で、発言した者が前に押し出される。
それを見て、バルディオは薄い笑みを浮かべた。
「おや、おかしいな。
妻や娘の不満を言っていたのは、見事にボルドゥイ家からの出向組じゃないか」
……よくわからんが。
あの女の家の騎士が、この場に混じっていたって事か?
「……コンスタンス。
私はね、夫を失って哀れだと思ったから、君を受け入れたんだ。
君の夫――エリオット先輩には、学園時代に世話になったしね……」
バルディオはボルドゥイ夫人の前にしゃがみ込み、ひどく優しい声色でそう告げた。
「……ああ、バルディオ様……」
両手で顔を覆っていたボルドゥイ夫人が、ゆっくりと顔を上げる。
そして――
「――ひっ!?」
バルディオの顔を見たボルドゥイ夫人は、悲鳴をあげた。
あーあ、バルディオのやつ、本気で怒ってるな。
表情は笑顔なのに……目だけはひどく冷たい色を帯びている。
「使用人にも、ボルドゥイ家からの者がいたね。
丁度良い機会だ。
――誰か! 全員、この場に呼んで来い!」
騒動の中で無言を貫いていた、ダストール家の譜代騎士達が主命に従って、練兵場から飛び出していく。
「バ、バルディオ様!?」
すがるような目をするボルドゥイ夫人に、バルディオは立ち上がって、彼女を見下ろした。
「そもそも君に名を呼ぶ許可を出した覚えはないんだが……
いやあ、さすがに社交界を渡り歩いていただけある。
なかなかしっぽを掴ませてくれないから、私も苦労させられたよ」
前髪を掻き上げて、バルディオは嘆息。
「――クラウ、おいで」
と、彼は娘を呼ぶ。
おずおずと歩み寄ったクラウを抱き上げて。
「――よく今まで我慢したね。偉かったよ。
気づけずにいた、お父様を赦してくれ……」
そう呟いて、額にキスを落とす。
「――お父様ぁ……」
クラウは大粒の涙を流して、バルディオに抱きついた。
――その腕を。
「クラウ、もう少しだけ我慢してくれるかい?」
バルディオは割れ物でも扱うように慎重に手に取って、その袖をまくりあげて。
「ボルドゥイ夫人、娘のこの痣はなんだ?
よくもここまで、私の娘を傷つけてくれたものだよ」
低く唸るような声色。
細いクラウの腕には、紫に染まったミミズ腫れがいくつも重ねられていた。
「――し、しつけです!
わ、わわ……わたくしは――っ!」
脚にすがりつくボルドゥイ夫人を払って、バルディオは鼻を鳴らした。
「――ただで済ますと思うなよ?」
その言葉に、ボルドゥイ夫人の悲鳴が響き渡る。
「――奥様っ!」
ボルドゥイ家に仕えているのだという騎士達が動いた。
……だから。
「――ふむ。これは俺の出番だな?」
俺は模擬剣片手に一歩を踏み出す。
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