02.夜想曲~nocturne~『例えばそれは、死神と魔女が出会う話』 4
4
貿易と生産工業の街、ナノハ第二地区。
日中は汽笛と機械音が響くナノハ一騒がしい場所も、夜になれば鳴りを潜め、辺りは世界にただ一人取り残されたような静寂に包まれていた。
……とはいえ実際のところ、僕は完全な孤独とは言い難い。百メートルほど離れた防波堤には、この世のものとは思えないほど美しい少女がいる。
名前・
性別・女。
年齢・十代後半。
国籍・不明。
特徴・金髪碧眼、見目麗しい容姿。
罪状・組織の現金を窃盗、日本への密入国。
制裁・可能ならば盗まれた現金を回収し、命を奪う。
彼女──山田ハナコの発見は捜索を始めてから半時あまりと早く、ナノハ第五地区内のカフェテリアで確認できた。その頃はまだ陽も高く時間にして八時間ほど前のことであったが、ここまで生かしているのは相手が顔見知りゆえに躊躇したわけではない。
行動に移せなかったのは、彼女のある特性が原因だった。
いわゆるカリスマとでも言うのだろうか。彼女の声、視線、手の動き、髪の揺らめき等、そんな些細な動作の一つ一つが人の目を惹き付けては周囲の者が盾となったのだ。
すると結果はこの通り。
すれ違いざまに致命傷を負わせるなんて出来る訳もなく、完全に陽が落ち一人になる現在まで尾行することになってしまった……。
こんなにも長い時間を観察に費やすのは意図するところではなかったが、しかしそうしていると見えてくるものがある。
それは山田ハナコという少女が、至ってどこにでもいる普通のお嬢さんだということだ。
第五地区を一日中遊び歩いた彼女は、クレーンゲームで景品が取れればガッツポーズをしたり、道行く幼稚園児に手を振られ笑顔で振り返したり、シュークリームとエクレアのどっちを買うか五分も悩んだあげく結局どちらも買ったり、幸せそうに食べては笑みを浮かべ「美味しいなぁ」と呟いたり、と。
端から見ていると、これがとても金を盗むような悪人には思えない。
何かの間違いではないのかと、そんな風に思えてきてしまったのだった。
……けれどこれも、きっと彼女の特性なのだろう。
潔癖で、高潔で。彼女を見る者は妄信的にその在り方を肯定してしまうのだ。
案外、組織の者が金を奪われてしまったのも彼女のそんな魅力のせいかもしれない。
彼女とは「またどこかで会えると良いね」なんてロマンチックに別れたけれど、まさかそんな彼女を殺すことになるとは……運命とはホントに残酷だよな。
「……はあ。迷うんじゃない、バカ」
深く息を吐き、僕は懐から〝白い仮面〟を取り出す。
すべすべと凹凸の無いこれは、元々は父さんの持ち物だった。
殺し
ある意味、形見と言えるのかな……。
初めこそ顔を隠すためのモノであったが、いつしか僕にとってこの仮面を被ることは、人を殺すための儀式となった。
「────」
目を閉じ、仮面を被る。
その瞬間より、緋野ユズリハという人間は〝死神〟となる。
死神は決して惑わされない。死神は情に心を動かさない。死神は死の痛みを思考しない。死神は殺しを疑わない。
殺すと決めたのならば──『僕』の感情はただ捨て去るだけだ。
「…………」
瞼を開けば、ターゲットは変わらず人けのない防波堤に一人。
キャリーケースの上に腰を下ろし暗く蠢く地平線を眺める姿は、もうかれこれ三十分にもなるか。
ナノハの地形は、第一地区を中心に残り六つが円を描くように配置されている。
その姿はさながら花弁が六枚の花のようであり──。ここ第二地区は第五地区のほぼ対極に位置し、距離はタクシーで一時間。
夜になり年頃の娘がこの場所まで赴いたのは、隠した金を取りに来たのか、はたまた誰かと落ち合う予定なのか。考えが読めず暫し観察をしていたものの、しかし彼女は呆然と海を眺めているだけであった。
……であれば、ここいらが潮時だろう。
幸いこの場所は、悟られることなく誰かを消すにはお誂え向きだ。
闇色のコートから拳銃を一丁取り出し、百メートル先の少女に照準を合わせる。
通常、拳銃の有効射程距離は五十メートルと言われているが、僕にとっては関係ない。
銃を教えたボス曰く──天才。
幼少期から他人よりも物が良く見えると思っていたが、どうも緋野ユズリハの〝眼〟は常人とは比べ物にならず、遠距離視力と動体視力、それから空間把握能力がほぼ機械レベルらしい。
実際、僕はこの距離からでも少女の瞬きを確認でき、次の瞬間には、痛みを悟られないほど素早くあの世へ送ってやれるだろう。
「──ッ────」
引き金に指を掛け、流れるように二度動かす。
銃口は闇の中で落雷のように閃光し、銃弾は破裂音を響かせながら射出──側頭部へ一発、胸部に一発──コンマ数秒のうちに命中。少女は悲鳴を上げる間もなく血飛沫を上げ、硬いコンクリートの上へ投げ出されるように倒れ込んだ。
一秒、二秒。そのまま動き出す気配はない……が、まだ終わっていない。
僕は素早く近付き、確実な死を確認するため少女の肩を爪先で突いてみる。
「…………」
依然として反応はない。
血だまりに横たわる少女は頭と胸に鮮血の花を咲かせており、誰の眼から見ても明確に絶命している。もちろん即死であろう。
実際に言葉を交わし人となりもある程度には理解していたというのに、やはり僕はそれほどショックを受けてはいない。初めて人を殺した夜は食事も睡眠も満足に出来なかった筈なのに、今はもう、多少の嫌悪感を残す程度に留まっている。
──まるで本物の死神みたいだ、なんて……。
いつかはこの胸の引っ掛かりも完全に消え、それこそ息を吸うように、僕は人を殺せるようになってしまうのだろう。
「のくたーん、たたん……たんたん、たたん……」
呟き、少女の亡骸に背を向ける。
これにて僕の役目は終わり。あとは組織へ連絡し、死体の処理を頼めば依頼も完了だ。
終わってみれば呆気ないものだった。今回のために軍用ナイフ二本、拳銃三丁、弾倉を四つも準備して来たが全て無駄だったな……。
確かにこの世のものとは思えないほど美しかったが、彼女は《亡霊》ではなかったのだろう。奴がこんな簡単に殺されてくれるはずがないし、冷静になってみればそもそも彼女は僕と同年代だ。五年前の時点で都市伝説の《亡霊》と恐れられ、この国を裏から支配していたなんてのはつじつまが合わない。
……だから彼女は、ただ美しいだけの小悪党だったのだ。
またつまらぬものを殺してしまった……なんてね。
僕は自身の行いに嫌気がさしながら仮面を外し──一歩踏み出した、その瞬間。
「それ、何かの歌ですか?」
無音の防波堤に、ただただ涼やかな声が木霊した。
まさかと思った……。
そんなハズはない、きっと堤防にぶつかるさざ波が偶然そう聞こえたのだろう。
僕はそう信じ、たっぷり十秒かけて振り返る。
「あーもぉ、お気に入りの服が台無しじゃないですかぁ〜」
するとそこには、血だまりで上体を起こす少女がいて──。
痛みなんて毛ほども感じていないような声で、まるでパスタソースがはねたくらいの言いぐさで立ち上がり、その場に血染めの上着を脱ぎ捨てた。
「──おいおい、化けて出るには早すぎだろ……」
一連の動作を前に、僕は意味が分からなかった。
どうして彼女は生きているのか。何故そんな風に平然としているのか。確かなのは、それが世界のルールから逸脱した光景ということで……。
「あら?」
辛うじて絞り出した声に、碧い瞳は僕を見上げる。
続けて少女は、昼間に見せたのと同じように愛らしく首を傾げた。
「あまり驚かないのですね?」
「はっ……そんなわけないでしょ。確かに脳も心臓も撃ち抜いたし、その出血量で立ち上がり話をするなんてのはたとえ麻酔が効いていたとしても不可能なんだ。となれば幽霊かモノノケかって。そうとしか思えなかったから化けて出たのかって言ったんだよ」
「──あはっ! 随分と冷静な状況判断じゃないですか!」
そんな受け答えがツボったようで、少女はなんの嫌みも無い無邪気な顔で笑った。
血塗れの口でくすくすと、この世のものとは思えないほど美しく。
「勘弁してくれよ……」
女の子を笑わせて、こんなにも心が躍らないのは生まれて初めてだ。
状況が違えば、僕はきっとこの愛らしい笑顔に胸をときめかせていたに違いない。そのまま恋に落ちていたってのも有り得ただろう。
けれど今の心境に──そんなモノは、ちっとも入りこむ余地がない。
喜びよりも、恐れよりも、泥のようなねちっこい感情が出口を彷徨い渦巻いている。
触れて心肺を確認したわけではないけれど、確実に死んでいたんだ……。
その証拠に、少女の長い髪やワンピースの下から露になった下着は多量の鮮血に染まり、足元の血溜まりと合わせれば致死量はとっくに超えている。
他の誰でもない僕自身の手で殺したというのに、もはや僕は自分の頭が信じられない。
殺しの日常に耐えきれず、ついに心が壊れてしまったという方が何倍も説得力があった。
「生憎と私は幽霊ではありません。正真正銘、生きていますよ?」
少女はひとしきり笑い声をあげると、次の瞬間には悪戯っぽい笑みを浮かべ、僕の眼を覗き込んできた。
月夜に浮かび上がる碧い瞳は、やはり昼間に眼を合わせた時となんら変わらない。
けれど今は、それが悍ましくて仕方がない……。汗ばむ拳を握り締め、僕は震える声を絞り出した。
「そんな話が事実だって?」
「ええ、そうですよ。こうして会話をしているのに、まだ信じて頂けないのでしょうか?」
「……そりゃ、簡単には信じられねぇでしょ」
自慢ではないが、僕は直接人を殺した数に関しては世界でもトップクラスだろう。
効率的に命を奪う方法は熟知しているし、急所を二ヵ所も打ち抜かれピンピンしている荒唐無稽な人間なんて今日この時まで眼にしたことが無いのだ。
「最後に信じられるのは自分自身なんて言うけれど。僕が掛け値なしに信じられるのは、真夜中に啜るカップ麺の罪深い美味さと、言葉ではなく行動で示す人間なもんでね。悪いけど、さっさと消えてくれないか──僕の妄想さん?」
「……むぅ、存在を妄想扱いされるとは中々貴重な体験ですねー。ああでも、つまり貴方は私が本当に生きていると証明できれば良いのですね?」
「まあ……出来るものならね」
「ふむ、でしたら触って確かめてみますか?」
少女はそう言うと、僕に向かって手を差し出した。
それは昼の時と似た状況で。あの時は邪魔が入り触れることは叶わなかったけれど──僕はその言葉を聞いて、思考するよりも早く手を伸ばす。
ふにんっ。
ふにふに、ふにんふにんっ。
下着の上からでは布特有のごわついた感覚はあるものの、手の平には今まで感じたことのない、男のそれとは違う至高の柔らかさが広がった。
「へえ……?」
これはこれは、大福とも肉まんとも水入りビニールとも違う。
それは思わず本能が思考することを放棄し、もうなんか凄すぎて凄い以外の言葉が思いつかないくらい凄く凄いすごいスゴイ────おっぱいであった。
「キミって、意外と着やせするタイプなんだね」
「……いや! なにナチュラルに揉んでるんですかっ!」
ばちんっ、と勢いよく手を払いのけられた。
少女は自身の身体を抱きしめるようにして距離を取ると、すかさず僕を睨みつける。
どうやら怒らせてしまったようだが、彼女は先の行動の何を咎めているのだろう?
「え、どこでも触っていいって言わなかったっけ?」
「言ってませんけどっっっ!?!」
……言ってなかったかもしれない。
実際には三秒にも満たない時間だったというのに随分と長い間揉んでいた気がするが、ともあれ、叩かれた手にはぴりぴりと痺れるような痛みが残り、彼女が実体を伴っているという言葉に疑いの余地はないようだ。
そうなると今度は、新たな〝何故〟が僕の思考を支配する。
殺したのに──死んでいない。
そうだ、僕の頭が正常だったというならばどうして彼女は生きているというのか。
何故……? いや、そんなのは分かりきっている。目の前で起きたことが全てであり、それこそアニメや映画などのフィクションではよくある話じゃないか。
「不死身ってやつ、なのかな? キミみたいなのは初めて会うなぁ……」
「ええ、それは同感ですね。殺された相手に平然と胸を揉まれたのは私も初めてですよ」
平然か。平然に……見えるのか。
決してそんなことはない。許可も無く彼女の胸を揉んでしまったのは、やはりそれだけ僕が動揺しているということの表れだろう。
都市伝説にまでなった僕の存在が中学生の妄想ノートみたいなものだけど、それでも辛うじて現実に起こりうる範囲のものだ。
──けれど彼女は違う。
その事象には説明が付かず、時間が経てば経つほど恐怖の念は肥大していく。
完全に反転した。今はその声が、笑みが、髪の揺らめきが。怖くて、怖くて、怖くて。腹のそこから沸き上がる吐き気に指先が震えるようだ。
恐ろしい、逃げたい、そうやって銃を握る手に汗を滲ませていると、
「不死身なのか、ですか? まあその疑問に答えればご覧のとおり、私は死にません」
ほら、と。少女はわずかにブラジャーをズラした。
露になった白い胸部は血に塗れているものの──どこにも銃痕が存在しない。
その事に気付き顔を上げれば、頭部の孔も同様。やはり傷は塞がり消失していた。
「……わぁお、マジもんのバケモノじゃんか」
「む、失礼ですね! こんな美少女を前にしてバケモノとはなんですか!」
「あ、はは……。美少女って、自分で言っちゃうんだそれ?」
「ええ、良いことは誇るべきなのです。謙虚を美徳とするのは日本人だけですよ!」
そりゃあ文句を付けようがない美少女ではあるけれど……。
しかしこの場合、容姿は関係ない。彼女が美しいということに疑いの余地がないように、彼女の本質は死ぬことのないバケモノなのだ。
僕が拳へ力を籠めると、少女は服を正し、
「確か……ユズリハさんでしたっけ? 結局のところ貴方は何故私を殺したのですか?」
恨みを買うような真似した覚えがないのですけど、なんて心当たりがなさそうに言った。
──ああ、やはり僕は酷く動揺しているらしい。
不意に名前を呼ばれ、そこで初めて仮面を外したままだったことに気が付いた。
まずいな、素性がバレてるじゃんか……。
「そりゃ頼まれたからだよ」
心の中で舌打ちをしながら、僕は笑顔を作り答えた。
「頼まれた、ですか……?」
少女の言葉にああ、と続ける。
今度はお姫様のピンチに駆けつけた王子様ではなく、大金を盗んだ悪人の後始末を命じられた殺し屋なのだ──と。
本来であれば依頼に関する事は他言無用なのだけど、続く動揺のせいか、僕の口からは驚くほどすらすらと言葉が出ていった。
「悪人の? ああ──ということは、貴方が《死神》さんですか」
すると少女は手を叩き、納得がいったようにその名を口にする。
死神と──僕を体現する罪の名を。
「あれれ、おかしいな……。そう名乗った覚えはないんだけど、まさかキミは死なないだけじゃなく超能力まで使えるのかな?」
「あははっ、まさかー。ただ、ナノハにはそういう都市伝説があるって知っていただけですよ。悪人殺しの、顔の無い《死神》でしたっけ? その反応からするに、本当に貴方が死神さんだったのですね。なんだ、結構かわいい顔をしているじゃないですかぁ〜」
「……名乗った覚えはないって言っただけで、別に認めたわけじゃないけどね」
僕は苦し紛れに笑顔で否定する。が、そんなものは通じなかったらしい。
少女はそっぽを向くと、どこかつまらなそうに溜息を吐いた。
「まあ、死神というより道化って感じがしますけどね。会話の主導権を握るのは得意なつもりだったのですが、掴み所のない感じに私の方がペースを乱されちゃっていますし? 正直なところ、死神さんは私が死なない事をご存じだったんじゃないですか?」
「……まさか。さっきも言ったけれど、こう見えて結構驚いているんだよね。内心ドキドキで、手汗どころかパンツまでビチャビチャよー?」
そりゃあもう、ヘラヘラと口を動かさなきゃ正気を保てないくらいには動揺している。
いつもの調子でジョークのひとつも口にしてみたものの、やはり少女はくすりともしなかった。
「確かに昼間助けて頂いた時よりはやや素っぽい感じがしますがー……って! そう言えばあの時、貴方は『また会えると良いね』なんて言ってましたが、もしや昼間のあれは私に近づくための自作自演ですか? まったく、感謝したのがバカらしいですね!」
「おっと、それは違うよ。あれはほんと偶然。ラブコメならあそこから甘酸っぱい恋愛が始まったかもだけど、ほんと偶然ってのは残酷だよねぇ?」
「……ふうん? そんな、誰かの意志が介入してそうな偶然ってあるのですねー?」
不思議ですねー、なんて。少女はちっとも信じてはいなさそうに目を細めた。
そんな表情は軽蔑したというより、どこかガッカリといったニュアンスを含んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「うん、びっくりだよねー? ……っと、まあそんなわけなんだけど。今度は僕のほうが質問しても良いかな?」
「? ぶしつけですね。まあ構いませんが、バストサイズは教えませんよ?」
「はは、それは魅力的だけど。僕が訊きたいのはキミの正体だよ」
さしずめ吸血鬼とか、かな?
伝承や創作で不死性を持ち合わせる人外は数あれど、人を魅了する美しい存在と言えば真っ先に思いつくのはそれだろう。
加えてナノハには、〝血を吐く《吸血鬼》〟という都市伝説があったはずだ。
「──はあ、なんですか吸血鬼って?」
確信があっての問いかけだったが、しかし返ってきたのは鼻での笑いだった。
「違いますよ。そんな吸血鬼なんてこの世にいる訳ないじゃないですか」
「いない、のか……? いや、じゃあキミは何だってのさ?」
「私は魔女ですよ。悪魔と契約をし、取引の結果この不死の肉体となったのです」
たんたんと、少女は月を見上げて言った。
そんな横顔は海を眺めていた時と同じように、どこか愁いを帯びていて。
まるでそれは望んだ結果ではなかったかのような──。無意識か、意図してか、妙に含みを持った言い方であった。
「魔女、ねぇ……?」
僕はその言葉を噛み締めるように反復する。
魔女──そして悪魔か。
ナノハにそんな都市伝説は無く、裏社会に長くいるボスからも聞いたことは無い。
しかし死んだ人間が蘇るなどまさに魔法以外のなにものでもなく。たとえその存在が今まで目にしたことのない非科学的なものであったとしても、彼女の答えは最後のピースが綺麗にハマったようにすとんと胸に降りた。
「それで、どうしますか?」
まだ殺すつもりですか、と少女は眼差しで問うてくる。
今まで彼女を殺そうとしてきた者がどれだけいて、彼女が死なないと知ってその者達がどういった行動に出たかは分からない……が。
緋野ユズリハにとって、それは愚問だ。
「どうするもこうするも、こっちにも信用ってのがあるんでね。依頼を受けた以上は投げ出すわけにはいかないんだよ。だから悪いけど、大人しく殺されてくれるかな?」
「あはっ、だからどうやっても死ねないって言ってるじゃないですかー」
それはもう飽きたと言わんばかりに苦笑し、少女は肩をすくめる。
やれやれ仕方ない、そっちがその気なら──と。心底面倒くさそうに膝を伸ばし、肩を回しては、
「じゃあ、逆恨みしないでくださいね?」
金色の髪を螺旋状に振り乱し──少女は弾丸のように地を蹴った。
彼女が起き上がってからというものその一挙一動を注視していたため、僕が動いたのもほぼ同時だった。縛めを解かれたように腕は自然と動き、右の仮面は投げ捨て、左の銃口は向かってくる魔女へと狙いが定められる。
視界良好。距離三メートル。所要時間、一秒未満。
流れるように発射された弾丸は、魔女の左眼窩から頭部を撃ち抜いていく。上体を大きく反らすほどの衝撃は、周囲に鮮血を撒き散らすほどの致命傷であり、
「痛────ったいですねぇええええええええええ!」
けれど魔女は止まらない。
苦痛で引きつった笑みを浮かべると、細い足で力強く地を踏み締め、僕に向かって何か黒いモノを投げてよこした。
瞬間──闇の中に閃光が迸る。僅か一秒。それが本来、手元のスイッチを押し続けなければ作動しないスタンガンであると気付いた時にはもう間に合わない。
どんなに動体視力が優れていようと、空気を裂く音を立てながら迫るそれを僕は躱しきることが出来ず。電流は一瞬のうちに、胸部から全身に向かって駆け巡り、
「っ──ぐぁ──!」
脳内で火花が弾けたのかと錯覚するほどの痛みが襲い掛かった。
バチバチと視界は点滅と共に失われ、通常では考えられない電圧に身体中のありとあらゆる筋肉が硬直する。まずい、と思ったがどうしようもない。
肉体は既に己の支配を離れ、僅かな時間、僕の意識は空白の中に堕ちていった。
「うふっ、あははは……! 捕まえましたよ、ねえ……死神さん?」
新鮮な血液の匂いと、さらさらとした毛先が鼻を擽る。
物の輪郭が判別できる程度に視界が戻って来たが……どうやら僕は、馬乗りになる少女によって両手首を拘束されているらしい。
油断は無かったと思う……。これはそう、単純に常識が通用しなかったのだ。
相手は不死のバケモノなのに姿形がなまじ人だったばかりに、五年分の対人経験が仇となった形だ。
後頭部に残る鈍痛と全身を襲う倦怠感に抵抗する余裕はなく、僕は漠然と、その美しい顔を眺めることしか出来ない。
痛いのは嫌だなぁ、なんて……。ぼうっと纏まらない思考の中でそんなことを思ったが、逆光から見下ろす少女は無表情のまま何故か動く気配がない。
僕をどう料理するのか悩んでいるというよりは、どこか戦意を感じられない──ような。
「どう、したんだよ……? っ、早く……殺さないのか?」
「死神さんは殺して欲しいのですか?」
「? 僕的には……そのまま胸を押し付けてくれると嬉しい、かもね……?」
「……はあ、重病ですね貴方」
様子見にジョークを挟んでみるも、少女は笑うでもなく、ただ呆れたように息を吐いた。
その様子は随分と余裕というか。
いくらでも止めを刺す時間はあったのに、そんな緊張感のない会話のうちに、僕の視界と思考はすっかり正常さを取り戻してしまった。
「一応断っておきますが、私は恋愛感情の無い殿方にそういうことはしませんからね!」
「ははっ……そっか。それは残念だね」
血と汗の匂いが混じるなか、類を見ない美少女から情熱的に押し倒されるだなんて、もう少し状況が違えば夢のような状態であったのに。
ほんと──夢であれば良かったのにね。
キミの所為で、もう殺さずに済むんだなんて。そんな身勝手なことを思ってしまったじゃないか──ッ!
「まあでも、生憎と僕は女の子には乗りたい派なんでね? お楽しみのところ悪いけど、そろそろソコを……どいて貰おうかッッッ!」
腕は塞がれど頭と下半身は自由なままだというのに、流石に舐め過ぎだ。
脚で反動を生み、僕は勢いよく上体を起こす。すると見下ろしていた顔へ額を打ち付ける形となり、少女は小さな悲鳴を残しながら後方へと崩れ落ちる。
「──ッ!」
そこから先は、ただ一方的な殺しだった。
腿のホルスターからナイフを二本引き抜き、僕は目の前の対象を殺し続ける。
それはきっと八つ当たりだったのだろう。……らしくない、こんなの矛盾している。そう分かっていても、僕は強い怒りから手を振るわずにはいられなかった。
頸動脈を掻き切り、眼孔から脳を掻き回し、逆手で握った柄で頭蓋骨を粉砕し、喉仏を押しつぶし、みぞおちを裂き、心臓を抉り出し、首をねじ切り、再生するよりも早く刻み、ミンチにし、息つく暇もなく、思いつく限りの方法で命を奪い続け──十回。
そこまで殺し、僕の手はようやく止まった。
死なないのならば再生限界まで殺し続ける。そんなものは不死を題材とした創作物では飽きるほど擦られてきた解決方法……そのハズなのに。
少女は殺す度に、立ち上がってみせた。
そこに肉片の大小、臓器の欠損は関係なく。飛び散った血肉はそのままに、彼女の身体は細胞分裂を何百倍も早送りで見ているかのようにたった十数秒で元通り再生してしまう。
即ち初めに死を確認したとき彼女は蘇っており、死んだフリをしていたわけだが……。
ともあれ、一度ならず十度。そんな非科学的な光景を目の当たりにすれば疑り深い僕も否応なしに理解する。
彼女は決して死ぬことがない──文字通り不死の魔女なのだ、と。
「……いい加減にしてくれ。一体どれだけ殺せば気が済むんだ?」
止まった手が、再び動き出すことは無い。
血に塗れたナイフを握ったまま、ただ血肉の海に横たわる少女を睨みつける。
「っ……はは、気が済むのかって貴方がそれを言うのですか? そんな風にぽんぽんと殺されても、こっちだって痛いんですが?」
すると少女はそれまでの十一回と同じように上体を起こし、そろそろ飽きてきたと言いたげに僕を見上げた。
殺しの過程で殆ど裸と変わらない格好となった彼女を覆い隠すのは、周囲に転がるのと同じ、かつて彼女の一部であった血肉の残骸だ。それだけの数を殺したし、痛がる素振りは見せるものの、少女は恐怖なんてものは欠片も感じていないみたいにけろっとしている。
「もう分ったでしょう? だってのに、それでもまだ諦めないおつもりですか?」
「……うる、さいなぁ! だったら早く、くたばってくれませんかねぇ……ッ!」
「それは無理な相談ですねー。生き返ってしまうのは私の意思とは関係ありませんし?」
「ああ、そうかよ……! そいつはクソ最高に良かったな!」
一方で、こちらは息も絶え絶え。気を抜けば膝が折れ地面に口づけをしてしまいそうだ。
原因の大部分は、スタンガンによる電流と、押し倒された際に負った後頭部の傷だろう。どうも先ほどから指先が痺れ、頭痛から眼も霞んでしまっている。
「……ふう」
思考をまとめるため、深く息を吐く。
体力の限界から殺せてもあと三回と言ったところだが、彼女の様子からしてそれで足りないのは明白だ。じゃあ、どうするか。殺すことを諦め見逃すのか? 現実から目を背け、思考を放棄し殺し続けるのか?
灯りの無い堤防に呼吸を響かせ、一秒、二秒、わずかな自問自答を繰り返し。
そうして僕は、ただ一つの活路を見つけた。
「オーケー、殺せないのは十分に分かった。だからもう殺すのは止めにしよう」
僕はナイフをその場に捨て──。
懐から口径が通常の三倍ある拳銃を取り出し──少女に突き付ける。
「あれあれ、大丈夫ですか死神さん?」
座る少女は、向けられた銃口に首を傾げた。
正気を疑い憐れむように、細いまゆは可哀想なものを見るように顰められている。
「それ、言動と行動が一致していなくないですか?」
「……いいや? これで良いんだよ」
そう、これで構わない。
殺せないからといって、彼女をここで見逃すわけにはいかないのだから。
「だってほら、なにも殺すことだけがキミを無力化する方法じゃないでしょう?」
「へぇ……?」
素っ頓狂な声が上がると同時に、僕はトリガーを引く。
通常の拳銃よりも三倍近く大きいボディから放たれた弾丸は、射出されて間もなく、少女の眼前で展開する。
──荊棘の枷〈アンカー・バレット〉。
これは、ナノハの裏・都市伝説。自称タイムトラベラーの《技術者》が造った、僕が現在所持するなかで唯一〝不殺生〟の特徴を持つ武器だ。
銃弾の内側には五本の超合金ワイヤーが仕込まれており、発射とともに展開、正面のターゲットへ速やかに絡みついて捕縛。そのまま両端に付いた返し刃が肉に深く食い込んで、決して自力で外すことは出来ないようになっている。
「い、痛っ──! ちょ、何ですかコレぇ!? なんか食い込んでいるんですけどもぉ!!?」
「うん? そりゃ、藻掻けば藻掻くほどに食い込むようになっているからね。製作者曰く、そのワイヤーは象でも切れないらしいから引き千切ろうとしても無駄だよ」
「なっ、なんですとぉ──!?」
裏にも表にも、世界中のどこにも流通していない代物に流石の魔女も驚いたようだ。
涙目で、「大事なところが裂けちゃいますうううううう」と叫ぶ姿には、先程までの余裕は微塵も感じられない。
いや大事なところて。
「お、お願いします! これを外してっ……このままじゃホントに裂けちゃいますぅ! いや、実質裂けてはいるんですけども! と、とにかく外してくださいぃ!」
……うん、よーし。ジョークを言えるくらい余裕があるなら大丈夫だな。
なので「ああ駄目、死神さん無視しないでぇ」と切羽詰まった抗議の声は無視する。
今はとにかく、頭痛から立っていることが難しい……。僕はズボンが汚れるのも構わずその場に腰を下ろし、脱力とともに深く息を吐く。
とにかく疲れた……。足元では依然としてぎゃあぎゃあ五月蠅い声がするけれど、ともかくこれで文字通り一息つくことができたかな。
身柄確保と最低限の責任は果たせたし、あとはボスに指示を仰ぐとしとよう。
「ああっ、もう! じゃあ死にますよ!」
「……ええ? それは流石に自暴自棄になりすぎじゃない──っと?」
何を無茶苦茶言っているのかと眼を向ければ、そんな僕に向かってヌメリと小さなものが吐き飛ばされる。
何かと注視してみれば、その赤くテラテラとしたモノは、周囲に転がる無数の死体と同じ色をしていて……。
それが何であるかを理解したのは、少女が咳き込み吐血した後だった。
「なっ……おまえ、なんで舌をっ!」
噛み切った──? そう口に出し掛けた言葉を、僕はすぐさま飲み込む。
たとえ生き返るとしても、返し刃の痛みから解放されるために一次的に死ぬなんてのは全くもって合理的ではない。だから彼女の狙いはソレじゃない。
疲弊しきった頭で少女の狙いに気付く──が、今度は肉体の方が付いて来ない。
故に僕は、分かっていながら突如背後に生れた気配に対応しきれず、
「っ、ぐぁあ……ッ!?」
振り返るよりも早く、後頭部にガツンと衝撃が走った。
視界は九十度前へと倒れ、これで二度。元々ダメージを負っていた箇所を叩かれたことにより、僕の身体は受け身すら取れずに崩れ落ちる。
「惜しかったですね死神さん? 残念ながら、今回は私の勝利ですっ!」
残る力を振り絞り眼球でその声を見上げれば──。
一糸纏わぬ少女が、千切れた腕を鈍器のように振り下ろす瞬間だった。
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