第11話 見捨てられた街 (2,100文字)

 マリアのボディーガードという新たな仕事が始まった。


 退屈だった。

 マリアが街頭で客待ちをしているのを、遠くから眺めているだけなんだもん。

 最初は、この間みたいな男たちが現われやしないかと緊張してた。でもそんなことは起こらず、マリアが客と一緒に建物に入っていくのを頬杖ついて見送るだけの時間だった。

 いいんだけどさ。なんだかため息でちゃうよね。


 僕は花売りの仕事も再開したんだ。

 だってね、マリアってほとんど仕事しないんだ。

 部屋へ行って、マリアが勝負用の青いドレスを着ていたらやる気だ。だらりと横になっていたら、仕事はなし。僕は用なしで帰される。

 まったく、理不尽極まりないよね。いいんだけどさ。


 だからこの日、声をかけて扉を開けた僕は、マリアを見て目をぱちぱちさせた。

 青いドレスを着てはいる。しかし髪は胸にかかったままで、ベッドの上で膝を立たせて座っている。

 ――これはどっちだ!?


「おはよう、ルイ」


「もう夕方近くだよ。ねぇ、鍵かけなよ。危ないよ。それか引っ越せば?」


 この間襲われたってのに、不用心だ。


「うふふ。あの男たちはルイのおかげで今は監獄だし、それに、どこへ隠れたって無駄だとわかったわ。このロンドンにいる限りね」


 確かにそうだけど。僕は無言で右手のものを差し出した。


「あ……コスモス。私に?」


「売れ残り。食べられないし」


 マリアは受け取った花に顔を寄せて目を閉じる。まつ毛に目がいき、僕の視線はストッキングを履いてない脚へと落ちる。白くて、すべすべしてそう。


「ねぇ、座りなさいな」


 やば。じろじろ見ちゃったかな。ぎくりとしつつ目線を上げる。マリアは笑みを浮かべて、ベッドをぽんぽんと叩いている。隣へ座れというの?


「ルイがいてくれるから安心よ。君、実は秘密の暗殺集団から逃げ出してきたとか?」


 遠慮がちに間を開けて腰を下ろしながら、僕は首を振る。


「なんだよそれ。違うよ。母さんから護身術を教わっただけだよ」


「へぇ。強い女、素敵ね」


「清、っていう国の生まれなんだ。俺はロンドン生まれだけど」


「清。アジアの国ね。このイングランドと戦争中じゃない」


「清のこと、知ってるの!?」


 思わず顔を向ける。間近にあるマリアの瞳に顔が熱くなった。そっと身を引く僕にマリアは勝ち誇るような笑みを浮かべた。


「男は自分の教養を隠せないの。おだてれば喋り続けるわ、暇つぶしね」


「ふーん……。それで、いつから戦争してるの?」


 お母さんはすべてを話してくれたわけではなかった。僕の目的を果たすためには、知らなければならないことがたくさんあると思うんだ。


「ええと……ごめんなさいね。そこまでは知らないわ」


 残念。肩を落としそうになったのをこらえ、そっか、とだけ返した。


「護身術ねぇ。もしかしてイーストエンド生まれかしら?」


 僕は首を振る。


「ロンドン塔から東側をイーストエンドと呼ぶのよ。この世の地獄ともいわれるわね。私はそこの生まれよ」


 犯罪の代名詞のように使われるのは、僕もよく知っている。


「そこではね、子供の半分以上が六歳になれずに死んでしまうの。飢えとか、疫病、暴力でね。十歳になった私は学校にも通ってた。私は運がいい、神様に守られてるんだって思ってたわ」


 でも、そうじゃなかったんだよね。


「両親はけんかが絶えなかったけど――まさか殺し合うとは思わなかった。母は暖炉の火かき棒で頭を割られて、父は生き延びたけど、絞首台ゆき。孤児となった私は……見てのとおりよ」


 ひどい世界だ。

 僕はマリアの手、そこで場違いに色づくコスモスがうらやましい気持ちになった。この花は、ロンドンの暗さなんて知ったこっちゃないんだろう。

 僕がコスモスをにらんでいるのに気づいたマリアが、くすりと笑う。


「お花、ありがとう。今日は仕事する気分じゃないわ。悪いわね」


 出ていけと言われている。

 僕は仕方なく立ち上がる。気の利いたこと言えないけどさ。辛い身の上話を聞かせておいて帰れなんて、こっちを何だと思っているんだ。


「また明日、ルイ。迎えに来てね?」


 わざとらしく甘えた感じで、首をかしげて言う。

 ――まぁ、いいんだけど。


 外に出ると、柔らかい日の光が僕を照らした。ジャックとネズミ退治をした頃は、雲から差しこむ光も眩しかった。監獄へ入っているうちに、夏の盛りは終わったようだ。


 僕はセントポール大聖堂へと足を向けた。

 約束したんだ。そこで会おうって。

 花を売ってる時も、かごを寝床に目を閉じる時も、そこで待ってる。

 大聖堂のドームが見えてくる。これだけ毎日行くのに、中には入ったことないんだよね。


 裏側から表へ周った僕は、足を止めた。

 大聖堂の広い階段に、ひょろっとした姿がある。

 見慣れていた帽子がなんだかすごく懐かしい。


 ショーン。


 声は出してないはずだけど、足を広げて座っていた横顔がこちらを向いた。

 にか、っと口が横に開いて、欠けた前歯がのぞいた。

 帽子を取ってみせる。短髪くらいの赤毛頭がりりしく見える。


「よう。待ってたぜ! シャバの空気はうめーなぁ!!」


 その台詞、監獄でたら叫んでやるって、ずっと言ってたやつだよね。



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