第9話 監獄で (4,100文字)

「くそったれ! なにが公共の治安を乱した罪だっつーの! 俺たちゃヒーロー側だぜ!? ほんっとに、警察ヤードってのは思考が腐ってやがるぜ!」


 狭い石の部屋で、ショーンは靴のかかとで地面を打っている。看守に聞こえるように言ってるみたい。なんの効果もないのは、この数時間で証明済みだ。

 僕たちはすぐに裁判を受け、一か月間の監獄での重労働刑を言い渡された。


「ショーン……ごめん」


 僕の行動が、ショーンを巻き込む形となってしまった。


「あやまんな、ルイ。俺もおまえも、何も悪いことしてねぇ。お互いがそれをわかってんだ、十分だ」


 さっきまで濡れ衣だの、誤逮捕だのと荒ぶっていたのにね。


「ショーン、俺――」


 言いかけたところで、看守の靴の音が近づいてきた。


「立て。移動する」


 僕たちは他の囚人たちと縄でつながれた恰好で外を歩かされる。その場所には数分で着いた。


「ウェストミンスター矯正院だ。しっかり反省するんだな」


 背後に立つ警官が、言った。




「嫌だ!! やめろ! 放せったら!!」


 それから一時間もしないうちに、僕は台の上に二人がかりで押さえつけられていた。


「こいつめ! 観念しろ!」


「嫌だ!! 触るな! 俺に触るなぁぁ!!」


 のけぞり、わめく。もがく手足が縄で括り付けられていく。


「おい! やめろよ!! 髪ぐらい許してやれよ!!」


 向かいではショーンが同じように、上半身を裸に剥かれた状態で警官に押さえられている。

 その横に立つ警官の手には、長いむちがある。


 これはむち打ち刑だ。

 身体検査の後、僕は髪を剃られそうになった。それが監獄のルール。

 もちろん全力で拒否した。暴れるうちに数人に取り押さえられ、別室まで引きずってこられたんだ。僕をかばおうとしたショーンも一緒に。


「悪ガキめ! ここがどういう場所か、覚えておくんだな!」


 肌を打つ音。背中に痛みが走り、からだがびくりと跳ねる。でも手足が固定されているせいで身動きすらできない。


「やめろ!! ちょっと抵抗しただけだろ! そいつ、髪が大事なんだよ!」


 ショーンが叫ぶ声が聞こえる。頭を押さえられて、顔を上げられない。

 二発目で僕は悲鳴を上げた。すぐに三発目がくる。救貧院でのむち打ちとはレベルが違う。からだから一気に汗が噴きだす。息が、息ができない。


「おいやめろ! やめてくれよ!! 痛がってるだろ!」


 四発目。ひぐっ、と喉から音がでた。


「ちくしょう! そいつ、なんも悪くねぇんだぞ!」


 五発目。涙とよだれが垂れてくる。

 向かいからむち打つ音と、うめく声が重なって聞こえた。

 ショーン。


「ううっ。頼む、もういいだろ……!」


 ごめんショーン。僕のせいで。


「頼むよ、代わりに俺がそいつの分も受けるから! もう気絶してんじゃねぇか……!」


 ショーンが叫ぶ声と、むちがしなり、空気を裂く音が遠くに聞こえる。目の奥が急激に重くなる。何かに頭を掴まれて、引きずり落とされるような。

 一瞬、瞼がびくりと動く。それが最後の感覚だった。

 




 真っ暗な場所。僕は泣いている。

 またあの夢だ。

 倒れたお母さんのそばで、悔しい、寂しいと叫んでいる。


 なぜ。

 なぜ僕は奪われたの。

 なぜ、世界はこんなにも苦しいの。


 ぴちゃり、と足音がする。振り向くと、あの黒髪の少年が立っていた。

 うつむき加減で、落ちくぼんだような眼で僕をじっと見てる。

 許さない、と。憎しみのこもった眼で。

 なぜだか目を離せなかった。

 少年はにたり、と尖った犬歯を見せると、何かを差しだした。

 僕はそれが欲しかった。だから手を伸ばした――。


「おい、そろそろ起きろ!」


 ばしゃ、という水の音と冷たい感覚に目が覚めた。

 看守がバケツを持って僕を見下ろしている。

 救貧院以来だな、この目覚め方。

 むち打ちの途中で気絶したらしい。


「ショーン……」


「相方は部屋で待ってるぞ」


 僕の声を聞き取った看守が言った。部屋ってなんだよ。牢獄だろ。

 心のなかで悪態つきながら身を起こした僕は、違和感に気づいて手を頭にやった。

 やられた。

 じゃり、と雑に残った毛先が指に触れる。

 ちくしょう、つるっぱげだよ。


 ちくしょう。ちくしょう。

 ちくしょう。ちくしょう。


 歩きながら頭の中で繰り返す。

 だめだ、悔しくて泣きそう。悔しくて、死んじゃいそうだよ。

 ぐっと、溢れそうになった涙を閉じ込めようと目をつぶる。


「ルイ!!」


 僕を呼ぶ声。

 立ち止まって顔を上げる。

 丸刈りの、青緑の瞳の少年が僕を見ていた。

 赤毛がなくなっちゃってるよ。

 なんだか、大きい赤ん坊って感じ。

 心配そうな目が、僕のおでこの上あたりをさまよう。

 しだいにその唇がわなつきだした。


「――ぶふっ!!」


 吹きだしたのは、僕。

 ショーン。これはこらえられないよ。


「うっくく、誰……!!」


 ショーンも歯を見せて笑い始める。


「うるせー、おまえだって誰だよ……! ぶははははっ!!」


 おかしいね。笑っちゃうよ。

 同部屋の囚人たちのじっとりとした視線が集まる。やばいかな。

 でもね。なんだかもう、全部へっちゃらな気がするんだ。




 とは言いつつ、夜になって鐘の音も聞こえなくなると、ここは監獄なんだと思い知る。

 冷たい石の床から身を起こし、小さな窓から月明かりが見えないかと首をのばしていると、ショーンがひそめた声で呼んだ。


「ルイ」


「ショーン。起きてたの?」


「俺はどんな環境でも眠れるタイプだけどよ。監獄の空気は初めてだ。カビ臭くって寝れやしねぇ」


 鼻をつまんでおどけてみせる。でもたぶん、背中の傷が痛むのだと思う。


「ルイってさ、いつもあんまし寝ないよな」


 気づかれてた。隠していたわけじゃないけど。


「うん、まぁ。……悪い夢ばかり見るから。それが嫌で、かな」


 半分本当で、半分嘘。

 ショーンの、僕をまっすぐに見つめる瞳から目をそらした。


「そうか。そういえば妹も、おねしょして叱られるのが嫌で寝つけなくなってたなぁ」


 ショーンが天井を見上げて、懐かしそうに言った。


「妹、いたんだ」


 ショーンの家族は皆死んだはずだ。気まずいことを聞いてしまった。僕は配慮ってやつができないね。


「ああ。四人兄弟のうちの、末の妹だよ。ファーラってんだ」


「そっか。かわいかったんだろうね」


「今でもかわいいぞ、たぶん」


「そっか。って、え?」


「生きてるよ。俺とファーラだけが生き残ったんだ」


 勝手に殺してしまった。でも、聞いてなかったし。


「二人きりになったとき、ファーラはまだ幼かった。だから孤児院に入れられたんだ。それから三年間会ってない」


「会いにいかないの?」


「約束したんだよ。立派に稼げるようになって、迎えに行くって」


 ショーンがお金稼ぎにこだわるのは、妹のためだったんだね。でも。それじゃ寂しいんじゃないかな、妹。


「一回くらい会いに行ったら? 忘れられるよ」


 冗談交じりに、遠回しに叱ってやるつもりだった。


「それでもいいんだ。なにが起こるかわからねぇロンドンじゃあな」


 ひとり言のようにつぶやく。

 どういう意味。僕は思いもよらないショーンの答えに顔が強ばる。


「それによぉ、俺が妹の立場なら、会いにくる暇あったら働け! って思うね」


 明るい口調で、同意を求めるように瞳を向ける。

 僕はうなずいた。意味を聞くのが怖かった。


「それにしても、あいつ! あの悪ガキグループのリーダー。拳銃なんか使いやがって! やべぇ奴だよ」


 拳銃。

 ショーンの言葉に、からだがびくっと反応した。

 あの黒髪の少年。数時間前の夢で、僕は奴を思い出していた。


「あのボサボサ頭の奴、俺、知ってるんだ」


「まじか! どこで会った!?」


 思わず大きな声がでて、ショーンは慌てて周囲を見回し、僕に顔を寄せる。

 ショーンは話してくれた。僕も話さなきゃね。丸刈り同士の打ち明け大会。


「俺は母さんと二人暮らしだった。テムズ川の向こう側、ランベス地区に住んでたんだ。住人みんな貧しかった、と思う。ある日、母さんと歩いていたら、子供にすれ違い際に足を引っかけられて転んだんだ」


「そいつが、あの悪魔フェイス野郎だったのか?」


「うん。俺より少し年上ってのは見た目でわかった。母さんは、謝りなさいってそいつに言ったんだ。自分より弱い者にちょっかいだすなってね。でも、そいつは謝らなかった。それどころか、俺につばを吐きかけたんだ。次の瞬間、母さんは奴を引っぱたいて、地面にこう、ひっくり返してやったんだ! こう、さ!」


「ルイの母ちゃん、こえぇ!」


「へへっ、だろ? お母さんは武術の達人だったんだ!」


 お母さんにはよく稽古をつけてもらったんだ。その時はただの遊び感覚だった。


「なるほど、それで……」


 ショーンが納得したようにうなずく。ネズミや少年グループと戦えたことが疑問だったんだろうね。あれは僕自身、びっくりしたんだ。


「それからすぐ、奴は姿を消した。家出したらしい。奴はがりがりだったし、顔にも青あざがあった。きっとひどい環境だったんだろう、って母さんは言ってた。そして、その数年後――」


 僕はつばを飲みこむ。


「母さんは死んだ。いなくなった、俺の父親に殺されたんだよ。俺は……寝床で銃声を聞いた」


 あの夜以来、眠ろうとすると耳が痛むんだ。警告するみたいに、空気を割るようなあの銃声が、頭の奥にまで響いてくる。

 僕の声が震えだす。ショーンの腕が、肩にまわされた。


「俺は……復讐するって決めたんだ。ショーン、俺……うっく。ひどいこと考えてる。ヒーローじゃない! あの悪党グループと心は同じなんだ。おまえの友達に、ふさわしくない!」


 泣いちゃだめだ、みっともない。

 目を閉じる。真っ暗闇に、あの少年が浮かんだ。世界全部を憎むような眼で、僕に差しだすのは拳銃。

 おまえも同類だろうと、その眼が言っている。


「ルイ」


 ぐず、っと鼻をすする。返事のつもり。


「ああいう悪ガキグループはロンドン中にいる。男を見せるため、着飾って絞首台に上る奴らだ。連中にとっちゃ、それがこの世の中への復讐なのかもな」


 なんて悲しい。なんて空しい最期。


「おらっ。腹が減るんだから、泣くな」


 肩を抱いたまま、ぺちぺちと頭を叩く。ちょっと腹が立ってくるね。

 涙を拭う僕に、ショーンは坊主頭をごつんと当てる。そして、こう言ってくれたんだ。


「ルイ。これだけは言えるぜ。おまえの眼は、連中と一緒じゃねぇよ」



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