6-3
肉を焼く手際も良かった。ひょいひょいと肉を網の上に載せ、焼けた順に次々と口の中に放り込む。
「他に食べたいのあったら自分で頼んで焼いて食べてよねー。あ、カルビ食べる?」
「あ、いえ、結構です。そんなに食欲なくて」
かりんさんは「ふーん」とだけ言って肉をビールで流し込んだ。
「まこちゃん、そろそろ壁にぶち当たってない?」
「壁、ですか?」
「そ、夜職の壁。私が勝手に名前つけてそう呼んでる」
網の上のホルモンから滴る油で、火は一層強く燃える。顔が熱くて、私はできるだけ距離を取るように椅子に深く座った。
「お客に対するアンビバレンス」
私には、かりんさんが酔っ払っているのか真剣なのか、判断しきれない。目線はずっと網の上だけど、涼し気な声色が焼肉に似合わない。
「お客に対して、ひとりひとりの人間として向き合おうって気持ちと、きもちわりーくたばれって気持ちがせめぎあう、みたいな」
思い当たる節がある。いやむしろそれしかない。
永瀬さんや鹿野さんに抱いた憤りを見透かされているような気がして、恥ずかしくなる。
「この仕事してるとさ、自分のこと気に入ってくれる人、好きになってくれる人が出てくる。そんな人たちがお店でお金使ってくれて、その中のいくらかが自分に還元されて。感謝の気持ちから、もっと楽しませてあげようとか、仕事やお客に対して真摯に向き合いたい、みたいな。なんかそういうこと考えない?」
「考え……ます、ね」
「で、お客の気持ちにホステスとして応えようとすると、お客たちはみーんな勘違いして自分を客という枠から外そうとする。何なら最初からその枠にもはまっていなかったとか馬鹿なことを考えるやつもいる。いやおめーら客じゃなかったらそもそも相手しねーよって」
私のここ数ヶ月の苛立ちが言語化されて、胸がざわざわとする。かりんさんは容赦なく続けた。
「キモくてムカつくけど、私たちの時給はその馬鹿たちの財布から出てる。ただおじさんにニコニコして気を遣ってお酒出すだけの仕事に、お昼の世界は時給二千円にインセンティブ上乗せなんてしてくれない。居酒屋で飲むよりずっと高いお金出して私たちに相手されてるような人たちがさ、何でその枠を外れることができると思ってんだろうね。でも私たちはその勘違いを食い扶持にしてる。お互いが根本的に食い違ってる世界で、私たちは生きてるんだよね」
かりんさんの言葉は刺々しいけど、私の鬱屈した思いが私だけのものでないことを教えてくれているような気がして、救われる。
「かりんさんは、夜職の壁、どう乗り越えたんですか?」
何となく聞いてはいけないような気はしながらも、聞かずにはいられなかった。
お箸を置いたかりんさんに真っ直ぐ見つめられて思わず目をそらしてしまいそうになる。
「乗り越えるってことは多分、その食い違いの世界に対して割り切って迎合することだと思うんだよね。だから私は、乗り越えずにここまで来ちゃった」
網の上の肉はもう平らげられている。炭火はただそこでパチパチと鳴りながら、私達の間の空気を温めている。
「漫画以外にやりたいことがなくて、やる気もなくて、だけどお金は必要で。最低限の生活資金を得るための最も効率の良い方法、って感じかな」
かりんさんの頬にはうっすらとそばかすが見えた。肌色にごく近い、薄い薄い茶色のそれは、私の目に焼き付いて離れそうになかった。
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