3-4

 次の日、永瀬さんは店に飲みには来なかった。

「お疲れ様です」

「はい、お疲れ様。気を付けて帰ってね」

 聖子ママに見送られながらトルマリンのドアを開けると、携帯をいじる永瀬さんの背中が見えた。

 時間は既に深夜一時で、ほかに飲みに行こうとする様子でもない。

 思わずドアを閉めて店に引っ込んだ。

「あら、どうしたの?」

 聖子ママは怪訝な顔をした。

「なんでもないんです」

 迷惑をかけたくなくてその話はしないでおこうと思っていたが、聖子ママは「何があったの」と少し怖い顔をする。

「永瀬さんが、外に……」

 聞くやいなや聖子ママは額に手を当ててため息をついた。

「永瀬さん、やっぱそうなるか〜」

 さっきよりやや緊張の緩んだ、その代わりに残念そうな声で何度もやっぱりなあ、と言った。その理由は、想像がついた。

 大学四年生で、私より半年このお店の先輩のゆあちゃんに言われたことがある。永瀬さんはまこちゃんに「ガチ恋」だよね、と。もちろん言葉の意味が分からなかったわけではないが、私は心のどこかで、私相手にそんなわけはないだろうと思っていた。

「まこちゃん、今日はオーナーに車で送ってもらってね」

「え、でも、悪いですよ」

「念のためよ。最近、体調も悪そうだし……」

「すみません、ありがとうございます」

 オーナーは、聖子ママが電話して十分もしないうちに店に来てくれた。

 トルマリンに勤めてもうすぐ半年が経つが、三回ほどしかオーナーの姿を見たことはない。まともに話したことは一度もない。

 ポケットに片手を突っ込んでトルマリンのドアを開ける姿は、まるでドラマでよく見る借金の取り立て人だ。プロレスラーみたいな体格をスーツで包んでいるが、それは正装というより相手を威嚇する用途の、スーツに似た何かと言った方が良い。色付きの眼鏡の奥の目がどんな形なのかも、怖くて直視できない。


「車、店の前につけたで。まこちゃんやね、今日もありがとう。おつかれさま」

 予想に反して優しい声で名前を呼ばれ、その上労いの言葉までかけてもらった。勝手に失礼な印象を抱いたのが申し訳ない。

「オーナー、ありがとうね。永瀬さんはまだ外にお見えかしら」

「メガネの兄ちゃんやったら、俺がここ入るの見るなり向こうの方行ったわ」

 そう言って、私の家とは反対方向を指さした。

「あ、ありがとうございます……ご迷惑をおかけしてすみません」

「そんなんええねんええねん。ついでに聖子ちゃんとドライブする口実になってありがたいわ」

 またしてもすみませんと言いかけたところを飲み込みながら、私は恐縮してオーナーの車の後部座席に身を沈めた。

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