第55話:露見

1629年1月26日:江戸柳生大和守上屋敷:柳生左門友矩16歳


「左門、腹を切れ」


 兄上と拙者を屋敷の呼び出した父上が殺気の籠った表情で言い放つ。

 ついに上様の性癖が露見したのだろう。


「拙者はそう簡単に死ねない立場なのです。

 天下泰平を維持するために生きなければいけなのです。

 父上の言葉には従えません」


「この不忠者が!

 上様を女のように従えておいてよくそのような事を口にできる!」


「拙者がやらねば、寝所で上様を意

 ろくな武功もない其方が、上山と古河の二十万石を手にしているのだぞ!」


「そのような衆道加増、拙者一代で終わりでございます」


「なっ、一代だと?」


「はい、上山は上様が望まれた忍者を確保するのに、将軍が最も信頼する家臣に与えられる領地となるでしょう」


「……そうか」


「古河は拙者が死ねば幕府に収公されます。

 それが衆道加増の暗黙の了解ではありませんか」


「これまでの加増はそうだったが、あのような悪癖の上様だと……」


「拙者が子を作らなければ跡を継がせようもありません。

 上様の悪癖を受け止めて加増された分、断念する事もございます。

 結婚も子孫を残す事も諦めております」


「左門の覚悟は見事だが、それでも見逃せる事と見逃せない事がある。

 上様が小姓を抱くのは武士の嗜みだ。

 だが、上様が小姓に抱かれて支配されるのは絶対に許されぬ!」


「許されない悪癖をお持ちの上様だからこそ、忠誠心と自制心のある柳生が受け止めて、他の者に悪用されないようにすべきなのです」


「いや、そこまでするべきではない。

 上様に道を踏み外させる者を誅するのは忠義だ。

 堀田と金森を誅殺した事は見事だった。

 だが上様の悪癖を認めたのは不忠だ。

 認めずきっぱりとお断わりすべきだった」


「意に沿わなければ殺すと言われたら、殺されろと申されるのですか?」


「そうだ、腹を切って諫言しろ、諌死するのが忠臣の生き方だ」


「拙者が死んだ後で、悪臣が上様に取り入ると分かっていてもですか?」


「その時は忠義の士が悪臣を討ち果たして上様に諫言すればよい」


「無礼討ち、上意討ちにされてもですか?」


「そうだ、無礼討ち、上意討ちにされても諫言するのだ」


「無礼討ちにされず、寝所に引きずり込まれたらどうするのですか?」


「腹を切って諫言すればいいのだ」


「……忠臣がいなくなってしまいます」


「忠臣がいなくなるか、誅殺されるのを恐れて皆が上様の悪癖を断るようになるのか、上様が忠臣の死を見て悪癖を治してくださるか……」


「上様が悪癖を治してくださるのを信じて諌死しろと申されるのですね?」


「そうだ、この場で腹を切れ!」


「拙者に腹を切らせたら、父上もただではすみませんよ?」


「儂も死を賜る覚悟はしている。

 柳生家が絶える事は……」


「父上、拙者も死を恐れる訳ではありません。

 ですが、新次郎伯父上を追い落としてまで大きくした柳生家を、上様への忠誠心の為に潰してもいいと申されるのですか!

 拙者は忠誠心よりも家名と剣技を残す事が上だと思っております!」


「くっ、忠義を貫いて家名を残す方法はないのか!」


「父上、ここは思い切って頭の良い奴に相談してみましょう」


 ずっと黙っておられた兄上が不意に意見を口にされた。

 拙者と父上が死ぬことになっても、兄上だけは生き延びて欲しいと思っている。

 だから兄上に話を振らないようにしていたのに。


「上様の悪癖を広めるというのか?!」


「いえ、具体的な内容は黙ったまま、上様に悪癖がある事だけを伝えて、それを治さなければ左門が腹を切ると上様にも伝えるのです。

 その上で頭の良い奴に知恵を借りるのです」


「本当に良い方法など見つかるのか?」


「それは分かりませんが、上様に何も知らせずに勝手に死ぬよりは、上様の怒りも少ないでしょう。

 少しは自分の悪癖を反省してくださるかもしれません。

 良い知恵が出なくても、上様が悪癖さえ治してくださればいいのです」


「十兵衛の申す通りだ、上様が悪癖を治してくだされば全て解決する事だ!

 御世継問題は勿論、年寄衆も多少の事で文句は言わなくなる。

 衆道加増が多い事だけは、これからもくどくどと文句を言われるだろうが、代替わりしたら減知されると断言すれば、多少は少なくなるだろう」


「では、三人そろって上様に諫言するという事でいいですね?」


「ああ、それでいい」

「兄上の申される通りにします」

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