第46話:腹蔵

1627年7月23日:京二条城:柳生左門友矩14歳


「上様、帝との話し合いが上手く運んで良かったですね」


「うむ、左門が側にいてくれて心強かったぞ」


 上様と帝の腹を割った話し合いが朝から昼を挟んで日が暮れるまで行われ、双方決定的な対立を起こしかねない強い口調で文句を言い合った。


「朕は帝である、将軍家の言い成りになるのは屈辱だ!」


「天下を平定して戦国乱世を終わらせたのは徳川家です。

 皇室は何の役にも立たなかった」


「飾りと言えども朕が徳川に将軍の位を与えている」


「平和になったからと言って、戦国乱世で何の役割も果たしていなかった皇室や公家がしゃしゃり出るのなら、大陸のように皇室を滅ぼして徳川が皇帝を名乗りますぞ」


「……だが、お飾りと言えども朕が公家の主である事に変わりはない。

 朕に仕える女官が不義密通をしていたのに、処刑する事も許されないのでは、主としての威厳を損なう」


「朝廷の法に死罪がない以上、帝といえども全員を処刑する事は許されません。

 そのような事をすれば、帝の悪評が歴史に残ってしまいます。

 それでも帝の顔を立てて主犯の二人だけは死罪にしたのですぞ」


「……朕の名誉よりも感情を優先して欲しかったぞ。

 だが、だったら、お与津の事はどうなのだ。

 朕が心から愛する者を無理矢理落飾させて遠ざけたではないか。

 徳川の娘が入内するとはいえ、朕が寵愛する女官や側近に罰を与える。

 そのような法など朝廷の歴史にはなかったぞ!」


「何を身勝手な事を申される。

 与津はあの猪熊の実妹ではないか。

 本来なら連座させて御所から追放すべき女ですぞ。

 不義密通を行った公家と女官を全員死罪とするなら、親兄弟を連座させて流罪にするのが当然ではないか。

 それを寵愛して子供まで産ませるとは、言動不一致も甚だしい」


「では、賀茂宮の事はどうなのだ!

 あのように徳川に都合よく賀茂宮が死んだのは何故なのだ!?」


「少なくとも余は何もしていない。

 余の調べられる範囲では賀茂宮を暗殺した者はいなかった。

 だが、絶対に徳川がやっていないとは言い切れない。

 あの父上と母上なら、賀茂宮の暗殺くらいはやりかねない」


「……本気か、本気で実の父や母ならやりかねないと言い切るのか」


「ああ、東照神君が選んだ余を嫌って何度も刺客を放った両親だ。

 自分の孫を帝にするためなら、それくらいの事はやりかねない。

 ただ証拠はない。

 証拠があるのなら、余が二人を処刑している」


「ふむ、将軍がそこまで腹を割ってくれるのなら朕も腹を割って話そう。

 徳川は何がしたいのだ?

 朕を、皇室を、朝廷をどうしたいのだ?」


「徳川がどうしたいのかは余にも分からない。

 余は将軍だが、まだ父親である大御所が力を持っている。

 幕府の舵取りをしている年寄衆も、余よりも大御所の言う事を聞く。

 だから幕府や徳川が何をしたいのかを余は知らない。

 しかし余がしたい事なら話す事ができる」


「それでよい、将軍がしたい事を朕に話せ」


「余は今の平和を続けたい。

 戦国乱世に戻したくない。

 千姫や和姫に幸せになってもらいたい。

 そのためなら父と弟を殺す覚悟がある。

 帝を殺して歴史に悪名を残す事も辞さぬ」


「ふむ、朕を殺す覚悟があるというのだな」


「やりたくはないが、必要ならば断じて行う」


「朕はまだ殺されるのは嫌だ。

 ここは将軍の言う事を信じよう。

 朕は何をどこまでする事が許されているのだ?」


「古から続く朝廷の法に従う限りは許されます。

 ただし、天下に乱を起こすような、徳川家の威信を傷つけない事。

 帝と朝廷の権威を傷つけない事が大前提です」


「朕に徳川の顔色を伺えと申すのか?」


「戦国乱世では、帝も朝廷も足利や三好、織田や豊臣の顔色を伺っておられた。

 いえ、同時に何人もの有力者の顔色を伺い、綱渡りのようにして皇室と朝廷を守らなければいけなかった。

 多くの皇室行事を行いえないどころか、日々の食事にさえ事欠き、大喪や即位式さえ満足に行えなかった。

 徳川が力を失い、戦国乱世の世に戻ったら、同じ事が繰り返されますぞ」


「朕に徳川の余が続く手伝いをしろと申すのか?」


「はい、その代わり、徳川が健在な間は皇室も朝廷も滅びません。

 日々の食事に事欠くようなことはありません。

 大喪を行うことができず、帝の遺体が腐るのを放置する事もありません。

 何十年も即位式が行えない事もありません。

 生きるために公家が地方に下向し、朝廷に人がいなくなるような事もありません」


「……朕は世が落ち着いてから生まれたので、朝廷が衰微していた時代を知らぬ。

 だが後陽成院や中和門院から色々と聞いている。

 あのような時代に戻してはならぬと何度も言われておる。

 しかしながら、朕の体面も保ってもらいたい」


「では、猪熊事件の時に処罰できなかった者達に厳しい処分をなされよ。

 もう帝が愛した与津を僧にしました。

 他の者達に手心を加える必要はありません。

 余が勤役懈怠を理由に二人の大名を改易します。

 帝も同じように勤役懈怠を理由に連中を改易されればいいのです。

 当人が死罪にされるよりも、家を潰され一族一門が滅ぶ方が遥かに厳しい」


「将軍は朕よりも悪党よな」


「父母に忌み嫌われ何度も殺されそうになっているのです。

 悪党にもなります」


「分かった、あの連中の家を改易にしてくれる」


「ただ、念のために武家相伝を通じて京都所司代に相談してください。

 中宮様が逆恨みされて害されるようなことがあれば、報復に皇室と公家を滅ぼさなければいけなくなりますので、事前に大丈夫か確認していただきたいのです」


「……朕の代で皇室を滅ぼすわけにはいかぬ。

 何事も京都所司代に相談してから行おう」

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