第14話 3人目の魔人

 乾ききったコンクリートの臭い。

 廃墟に漂う滅びと死。

 それが、鼻の粘膜から脳の奥まで、じくじくと染み込んでくるようだ。

 その臭いが嫌で、若頭の雄島おじま崇裕たかひろは顔をしかめた。

 だが、前を歩く悪口あっく大橋信おおはしのぶは、口元に笑いを浮かべながら平然と歩いていた。

「ご自慢の戦闘部隊。やられたそうだな」

 信は訊くと、崇裕の浮かない顔が更に影が落ちた。

「申し訳ありません……」

 消え入りそうな声で崇裕は答える。

 信は振り返りもせず言葉を続けた。

 冷たい声だった。

 だがそれはいつもの事だ。

 そう言い聞かせて崇裕は耐えた。

 この男は、誰よりも冷徹なのだ。

 信の言葉が続く。

 淡々とした口調には感情などない。

 だがそれが余計に崇裕の心を突き刺すのだ。

 責められるより辛かった。

 この男のやり方は、まさに非情そのものだから。

 崇裕の表情を見て、信はさらに満足そうに笑った。

 崇裕率いる戦闘部隊は、ここ最近、急速に力を付けてきた新興勢力だった。その武力を背景に、裏社会でのし上がってきたのだ。

 しかし、それも終わった。

 青年一人に、ほぼ右腕一本で敗れ去ったのだ。

 しかも6人全員で挑んだのにだ。

 それ程までの圧倒的な強さだった。

 その事実を聞いた時、崇裕は自分の耳を疑ったが、事実であった。傷一つ付けられなかった結果に、崇裕は全身の血が逆流するような怒りを覚えた。

 だが、それだけしかできない。もはや打つ手は無いのだ。

「負けるだろうと思っていたが、予想以上のボロ負けだな」

 信の言葉には容赦が無い。

 だが、反論する余地も無いほどの結果だった。

 信は足を止めて振り返ると、崇裕を見据えた。

 崇裕も立ち止まり、目線を合わせる。

 二人の身長差は頭半分以上あるため、崇裕が見上げるような格好になった。その視線を受け止める信の目つきは鋭い。

 だが、そこには憐れむ様な色もあった。

 崇裕はその視線の意味を知っている。

(……この男は俺を殺したいんだ)

 崇裕は思った。

 そして同時に、自分の死期が迫っている事も感じていた。

 それは当然だ。

 今や自分などより、信の方が遥かに強い。

 ほんの数日前まで、たかが準構成員だった信が今や白菱組の立場も力も上なのだ。

 信の剥いた唇から、凶悪な牙の数々が見えた。

 肉食恐竜の様な凶悪な牙。

 人間が持つ歯ではない。

 どうやってかは知らないが、信は魔人とでも言える《力》を手に入れたのだ。この男に勝てる人間がいるとすれば、それはあの青年しかいない。

 青年が来れば、信は全てを失う事になる。

 それなのに、信は未だに余裕があった。

 その理由が崇裕には分かっていた。

「着いたぞ」

 信は言った。

「はい……」

 崇裕は答えたが、心ここにあらずという様子だ。

 信が向き直った先に、闇があった。

 しかし、それ以上にその影は濃かった。

 まるで、光を飲み込むかのような黒さだ。

 そして何より――。

 そいつは人の形をしていたのだ。

 人の形をした何かが、こちらに背を向けて立っていた。

 それが誰なのかは分からない。

 ただ、そいつが何者であるかだけは理解できた。

 悪口あっく・大橋信が、間違うはずがない。

 信はゆっくり歩み出て、声を上げた。

 喉から絞り出すようにして、感嘆を叫ぶ。

 すると、それに呼応するかのように、黒い影も振り返った。

 間違いない。

 信の目の前にいるのは――。

貪欲どんよく

 信の呼びかけに、闇に2つの眼光が灯る。

 新聞記事・石川健太郎を殺害した時に2人目の魔人は仕上がっていた。

 そして、これで3人目の魔人だった。

 信が考える青年を殺す駒は、これで揃った。

 信は笑うと、魔人に命令を下した。

 《貪欲》が動き始める。

 信の命令を受けて、魔人が動いた。

 両手を大きく広げて、空気を掴み取るような動作をする。

 その瞬間に、辺りの空気が変わった。

 重くなったのだ。息苦しさすら感じるほどの圧迫感。

 まるで巨大な獣に睨まれたようだった。

 崇裕は動けなくなった。

 体が硬直してしまっているのだ。

 これが魔人の力だとしたら、なんと恐ろしいものだ。

 こんなものが存在するなんて……。

 崇裕は恐怖した。

 だが、それと同時に興奮していた。

 戦いなのだ。

 戦闘部隊を組織し、今まで自分がしてきた事は、ただの遊戯に過ぎない。

 崇裕はそう思った。

 この力が欲しいと思ったのだ。

 そして、その力で自分の組織を大きくしたいと考えた。

 信はそんな崇裕を一顧だにせず、魔人を凝視している。

 獲物を狙う捕食者のような目つきだ。

 しかし、それは崇裕に向けたものとは明らかに違っていた。

 これは信にとって、ただの大義に過ぎないからだ。

 信はこの力を知っていたし、使いこなせる自信もあった。

 だから今更恐れる事は何も無いのだ。

 信が求めるものは、青年の死だけだ。

 それ以外の事に、興味は無かった。

 魔人は大きく口を開けた。

 そこに吸い込まれるように、周囲の大気が集まっていく。

 やがて、その口の前に直径50cm程の球体が形成されていく。その球体はゆっくりと回転を始める。

 風の球体。

 まるで空気がミキサーでもかけられたように荒れ狂い、風と風が共食いをし始める。

 そのスピードは徐々に増していき、ついに肉眼では追えないほどになった。

 もはや、それは凝縮された竜巻と言っていいだろう。

 凶暴な風が吹き荒れる音だけが聞こえる。

 信はそれを見ても微動だにしない。

 だが、崇裕はその光景を見て戦慄した。

 しかし、今の自分に出来る事など何も無かった。

 信は目を閉じて、その時を待っている。

 そして、魔人の口から球体が発射された。

 それは一瞬の出来事で、避ける暇など全くなかった。

 信と崇裕の脇を音速で飛ぶ戦闘機の様に、凄まじい勢いで飛んで行ったのだ。

 その軌道上にあったコンクリートの柱や壁、あらゆる物を粉砕しながら突き進む。

まるで隕石が落下する様だ。

 その軌道上にあるもの全てを破壊しながら進み、信が立っていた場所から20mほど離れた地点。

 壁に衝突した時、球体が爆発した。

 爆風が巻き起こり、周りの物を根こそぎ巻き込んで行く。

 崇裕は子供が怯えるように地面に伏して頭を抱えるしかなかった。

 恐る恐る目を開けてみると、そこには信じられないような景色が広がっていた。

 6m四方の範囲がクレーターのように大きく陥没し、周辺の物が全て粉々に砕け散っている。

 信は喜々とした表情で立っていた。

「時間がかかっただけあって、良い仕上がりだ」

 そう呟くと、信は魔人に向き直った。

 貪欲の魔人は、それに答えるかのように、静かに佇んでいるだけだった。

 そして、その視線は信に向けられている。

 《王》逆らう愚かな反逆者に裁きの鉄槌を下すべく、魔人達が動き出そうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る