終之巻 風の音にぞおどろかれぬる(中篇)

「この家だな!」


「ようやくみつかりんした!」


「さあ!」


「おお待っておくんなんし、お前さん。心の準備がまだ出来んせんよ」


 はぎが板の間の方へ首を伸ばして、


「どなたか来なんしたえ」


 と、立ち上がろうとする。


「私が出ましょう」


 押しとどめて、しゅくさんがいそいそと土間へ下りた。


「どちら様で?」


 すだれをあげて入ってきたのは、破れ編み笠に土ぼこりで汚れた脚絆きゃはん、尻はしょりという出で立ちの男。後ろから顔を覗かせるのは男の妻か、夫と変わらぬみすぼらしい旅装だ。


 畳の部屋から覗いていたふぁしるが、はっと息を呑んだ。


「父ちゃん、母ちゃん!」


叫んで土間へと駆け下りる。


雪花せっかか!」


 涙を浮かべて、男も上がりかまちに走り寄った。


「父ちゃんだね? ……」


 熱いものがあふれ出して、言葉が続かない。


 男はずるっと音を立てて鼻の下をしごくと、照れくさそうに目をそらし、天秤棒につるした風呂敷包みをふたつ板の間に下ろした。


「母ちゃん」


 ふぁしるは女の方に向きなおる。


雪花せっかぞな……?」


ふぁしるは声もなく頷く。花小町はその肩を、強く強く抱きしめた。


「ほんにすまぬことをした。ふがいない母ちゃんをどうか許しておくれ」


 ふぁしるは母の胸に顔をうずめたまま首を振った。


「今日会えたんだから、もう――良かった」


 それだけ言うのが精一杯だった。


 母の背を何度も撫でながら、埃と汗の匂いの中に、なつかしい匂いをみつけた。尋ねたいことはたくさんある。そもそも生きていたのか、ということから。だが何か口にすれば、この素晴らしい夢が弾けて消えてしまいそうで、ふぁしるは何も言えなかった。


「ほんに七年ぶりじゃわいな。あんなに小さかったお前が、こんなに大きゅうなって」


 来夜も走ってきて、二人を見上げる。


「もしかして、与太郎さんと花小町さん?」


 恐る恐る尋ねると、


「おおいかにも。しておめぇは?」


 なんだか偉そうな与太郎に、


「俺、来夜らいやです。――父ちゃんでしょ?」


 男はにや~っと笑った。嬉しくてしょうがないという顔だ。来夜の頭に大きな手を乗せ、


「そうだともそうだとも。おめぇがあのちっこかった来夜か。面影ねえなあ。生意気そうなガキに育ちやがって」


 来夜の細い首が折れそうなほど、ぐりぐりと撫で回す。来夜はまぶしそうに目を細めて、満足そうだ。


「嫌じゃわいの、花小町さんだなんて。そんな名で呼ばれたは、幾年ぶりじゃろな。とんと聞かぬわいの」


 花小町ことお登勢とせさんは照れ笑いして、「来夜、こっちへおでなんし」と両手を差し出した。


 それから二人は子供たちに手を引かれて、畳の部屋に座った。


「与太郎さん、はじめやして。あっしは来夜の旦那に手下にしてもらった紀金兵衛きのきんべえです」


 与太郎に好意をいだいていた金兵衛が、早速話しかける。


「俺はけや木屋の若旦那――とかつては呼ばれた与太郎だ」


 勘当された身でよく言うもんだ。


「与太郎さん、よくここが分かったなあ」


 感心する金兵衛に、


「お番所で訊いたらご丁寧に地図まで書いてくれたぜ。お前ら本当に盗み屋やってんのか? 隠れ家変えた方がいいと思うぞ」


「なんでお番所に訊いたんで!?」


 そっちのほうに驚いて目を白黒させる金兵衛。かわって粛さんが恐る恐る尋ねる。


「お番所の何部屋で訊かれたんです?」


「警察部屋だな」


「なんでよりにもよって、そんなところに行くんで!?」


「お登勢とせの案だ。盗み屋のことなら警察が一番詳しいだろうと」


 当然と言わぬばかりの口振り。自失のていの金兵衛に、筆を動かていた円明まるあきが、


「盗み屋と修理屋の両親がやって来たってのは、書くのかい?」


「いや、いらねえよ。金之助きんのすけが馴染みの遊女を身請けするってとこまでで」


 物語の主人公は金之助と言うようだ。


「俺、父ちゃんたち死んだって聞いてたんだよ?」


 与太郎の膝の上で、来夜が甘えた声を出す。


「はっはっはっ。この与太郎様が水如きにやられるかってんだ。流れ流され見知らぬ土地で、七日前までは腕利きの漁師だったのよ」


 自慢げな与太郎とは正反対、ふぁしるは不安なまなざしのまま、


「嘘、私あの日見たんだよ。二人が川に流されて、それでばらばらになって――」


 今まで強がっていた分、両親を前に言葉が続かない。


「お前も金貸したちと一緒にだましちまったか。種明かしすりゃあなあ――」


 与太郎はようやく、在りし日の計略を告白した。

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