第6話 キレイ
少々不穏なことも考えたが、出発してから三十分ほどで、僕は自宅マンション前に戻ってきた。
でもおかしいな。狂歌の家から僕の家まで、バイクを使えば十分ほどで着くはずなのに。
「送っていただいてありがとうございます。それにしても、随分時間がかかりましたね」
「そうですか? まぁ、道が混んでたから仕方ありませんね」
「なるほど。それなら仕方ありませんね」
めちゃくちゃ軽快にバイクを走らせていた覚えがあるが、きっと気のせいなのだろう。タンデムツーリングを楽しむために遠回りをしたとかではないはず。
後部座席から降りて、ヘルメットを脱ぐ。僕の住んでいるのは、狂歌のところ程ではないがそれなりに立派な六階建てマンション。一人暮らし用ながらセキュリティはしっかりしており、不法侵入などしようものならすぐに関係各所に通知が行く。入居者の入退室情報もばっちり記録されていて、僕の生活情報のほとんどは鳳仙花さんに把握されている。
「それじゃあ、僕はここで失礼しますね」
「……バイクに二人乗りすると神経を使うので疲れるんですよ。少し休ませてもらってもいいですか?」
「まだ開いてるファミレスありますよ。行きますか?」
「……黒咬君は意地悪です」
「はて、なんのことやら」
鳳仙花さんが僕をジト目で見てくる。その表情を見ていると、部屋に入れてあげるしかないかなと思ってしまう。
僕は女性に甘いのである。だらしないともいう。
「おもてなしはできませんが、いいですか?」
「黒咬君がいれば他に何もいりません」
「そうですか。では、僕はしばらく散歩してくるので、ゆっくり休んでください」
「なんでそうなるんですか! もう! 意地悪過ぎますよ!」
鳳仙花さんがそろそろ泣きそうな目をしているので、この辺でふざけるのは止めておく。
「すみません。冗談が過ぎました。上がってください」
僕が承諾すると、鳳仙花さんがふわりと笑って、広い駐輪場にバイクを置く。ここはバイクも置いて良い場所なので問題はない。
エントランスのオートロックをカードキーで開錠し、三階の僕の部屋に鳳仙花さんを案内する。十畳程度の広さがあるし、あまり余計なものは置かないので、二人なら悠々と過ごせる。
「それにしても、護衛対象と過剰な接触をするとお仕事クビになったりしません?」
「クビになったら気兼ねなく会えますね」
「……そうですね」
なんてポジティブ思考。もっとも、別に政府機関の人間というわけでもないので、もし僕と恋仲になってもクビになることはない。ちょっとした冗談のつもりであった。
「私がお茶を用意しますから、黒咬君は座っててください」
「ここは僕の部屋のはずですが?」
「キッチン用品の配置整えたのは私ですから」
「ですが、ここはやっぱり僕がやるべきでは?」
「……私がやりますので、お気遣いなく」
しつこく食い下がるね。何を考えているのだか。
「僕が死なないからって、変な薬とか盛らないでくださいね」
「……変な薬は盛りません」
「市販のちゃんとした薬でもダメですよ?」
「…………そんなことしませんよ。何を疑っているんですか?」
「いやぁ、僕の周り、だいぶ型破りな方が多いもので、つい疑り深くなってしまうんですよ」
「……とにかく大丈夫です。安心してお待ちください」
「わかりました」
これだけ言えば変な真似はすまい。鳳仙花さんは僕と近しい人の中では常識人だけれど、どこかずれたところはあるからな。用心用心。
ま、何をされても死にはしないんだけれど。
五分ほど待つと、温かい緑茶が出てきた。軽く様子を見ていた感じ、特に怪しい動きはなかった。素直にお茶を口にする。変な味はしない。
鳳仙花さんも、ぷしゅう、と音を立てて缶ビールを開け、それを口に流し込んだ。って、おい。
「……鳳仙花さん、何をしているんですか? 帰りもバイクでしょう?」
「ああ、ついうっかり。これではもうバイクに乗って帰ることができませんね」
「……っていうか、どこにビールなんて隠してたんですか?」
「この部屋に常備してありますよ?」
「……未成年の部屋に当たり前のようにアルコールを備え置きしないでください」
「飲むのは私だけですから大丈夫です」
「まぁ、仕方ないので帰りは電車で……」
「だから! なんでいつもいつも黒咬君はそんなに意地悪なのですか! どうして私とだけは距離を置こうとするんですか! 色んな女性ともう男女の関係になっているのに!」
「鳳仙花さんとは清い関係でいたいんですよ」
「なぜですか!? 黒咬君なら、今更清いとか清くないとか、気にする必要もないでしょうに!」
「僕にだってこだわりはあるんですよ」
「……どういうこだわりですか?」
「んー、そうですねぇ……」
鳳仙花さんは、僕が関わりを持つ他の女性たちとは少し違うと認識している。
僕が男女関係を持つ女性は、殺され屋としての商売がきっかけで仲良くなっている。血生臭く狂気に満ちたイベントを経ているので、男女の淫らな関係になることに抵抗はない。
しかし。
「……上手く伝わるかわかりませんが、僕からすると、鳳仙花さんはキレイ過ぎるんですよ。血と精液と愛液にまみれた僕なんかが触れてはいけないような気がしてしまうんです」
僕なんかが、汚していいとは思えないのだ。真っ直ぐに生きている女性については。
「……そんなのは黒咬君の勝手な思いこみです。私はキレイではありません」
「そうですか? なら、鳳仙花さん、僕を殺せますか?」
僕の問いかけに、鳳仙花さんがぴくりと体を震わせた。
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