帰属


「どしたの、平野くん?」


 姉ちゃんがスマホに話しかける。


 平野くん? って誰だ? こないだ電話してたのも、そんな名前のやつじゃなかったっけ。


「……うん。…………うん、うん。……それで?」


 なになに? 何の話してんの?


「ハアッ!!?」


 うお! ビックリしたぁー。

 むやみに近づいたら危険だぜ。


「それでどうしたの? ……そう。換気はしてる? ……うん。今そこに、他に誰がいる? ああもう、わかったから、泣くな!」


 なーんだぁ。平野くんって、泣き虫くんなのか。


 姉ちゃんは電話越しに何やら指示を出しながら、狭い部屋の中をウロウロ歩きはじめた。おりの中のクマみたいだな。実物見たことないけど。


「……うん、わかった。それでいい。……え? ああ、それはいいよ。あたしの細胞、余ってるの分けてあげるから」


 しばらく歩いているうちに、今度は右腕が上がってきて、スマホを持つ左腕のひじを支えた。これも姉ちゃんがよくやるクセだ。


 けど、オレは知らなかったぜ。

 このポーズ、下から見るのと上から見るのとでは、全然意味合いが違ってくるんだな!


「じゃあ、三十分くらいで行けると思うから。……ハイハイ、それはあとで聞く。じゃあね」


 ん? 姉ちゃん、今「行く」って言った?


「って姉ちゃん、どこ行くの?」


 スマホをポケットに戻しながら、その足はもう部屋の外へ向かっている。


「後輩からSOS。ラボに帰らなきゃ」

「こんな時間に? もう夜中だぞ」

「まだ宵の口でしょうが」


 そんなことねえし! 一般のご家庭ならもうとっくにごはんの時間だし! 

 って抗議しようにも、足早に階段を上っていく姉ちゃんの背中を追いかけるので精一杯だ。


 くそー。今日は姉ちゃんと一緒に晩メシだって、思ってたのにぃ!

 恨むぜ、平野くん。


「遅くなるかもしれないから、ごはんは先に食べてね。食べたら歯磨きするんだよ」

「わーかってるよぅ」


 だいたい「帰る」って何だよ。ラボに「帰る」って。姉ちゃんの帰る先はコッチだろ。姉ちゃんはラボの住人かよ。ブーブー。


 寝室につくと、姉ちゃんはさっさと異世界の扉に入っていった。


「いってらっしゃーい」


 別に、ふて腐れてるわけじゃねえからな。

 オレもさっさと下戻ろう。さっき姉ちゃんが残してったおつまみ、全部食ってやるもんね!


 ……けど、姉ちゃんだって、仕事だもんな。もうちょっと、気持ち良く送り出してやったらよかったかな?


 姉ちゃん頑張って仕事してくれてるから、オレも美味しいご飯が食べられるんだもんな。

 こんな時間にまで行く必要はないと思うけど。


 姉ちゃん、ヘソ曲げて帰ってきてくれなかったらどうしよう……。


「なんだ? 姉ちゃん、忘れものか?」


 気配に振り向くと、扉の中に入っていったはずの姉ちゃんがボーっと立っている。


 異様だ。だって、姉ちゃんだぞ?


「……姉ちゃん?」


 まさか、異世界を行き来する間に別人になっちまったんじゃねえだろうな? オレは外見が変わって、姉ちゃんは中身が変わったとか。


 それか、さっき出ていった本物の姉ちゃんと入れ替わりで、ここにいるのはパラレルワールドから来た別の姉ちゃんで……?


 おとなしくておしとやかな姉ちゃんか。ふむ。それもなかなか……いや、そんなもん、どこの異世界探したってあり得ねえよ!


「おーい、姉ちゃーん?」


 姉ちゃんの目の前で、手をヒラヒラ振ってみる。こういう時、背が高いって便利だよな!


 だけど姉ちゃんは反応がない。

 見えてんのか、コレ? 目は開いてるけど……んん~?


「うわっ!? ……ビックリしたぁ」


 いや、急に大声出したら、オレのほうがビックリするって。


 姉ちゃんは叫ぶと同時に、よろめくように後ずさった。珍しく動揺してる?


「……そんな色の眼、めったにないんだからね!」

「え? ……あ、悪い」


 そっか。この眼が、姉ちゃんビックリさせちゃったのか。

 オレも最初ビックリしたのに、忘れてた。自分の眼って、自分じゃ見えねえんだよな。


「姉ちゃん、大丈夫か?」

「クロ。一回向こうに行って、戻ってきて」


 姉ちゃんはオレの問いに答えず、扉を指差して言った。


 え? なんで? おしおき? 追放?

 でも、さっきは姉ちゃんが向こうに行こうとしてたんだよな。


 よくわかんねえけど、とりあえず言われたとおりにする。


「うん。なんとなくわかった。時間がないから続きは今度にしよう。じゃあ、クロ。もう一度扉をひらいて」

「え? ……お、おう?」


 結局、何だったんだ??


 深い谷間が差し出される。

 ぐう……。こればっかりは、何回やっても慣れないぜ。


「早く……。時間ないんだからね」


 姉ちゃんはちょっと焦っているようにも見えた。ラボのことが気になってんのかな。


 扉をひらく。

 姉ちゃんはモヤモヤの中に消えて、今度こそ戻ってこなかった。



  

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