第213話 対話

繋がるえにし……



――◇―――◇―――◇――



第051日―3



ヤーウェン郊外の軍営に帰着したハーミルは、ガイウスに休暇のお礼等の報告を行ったあと、自分が与えられている幕舎へと戻ってきた。

そのタイミングで、彼女がいつも右耳に着けているピアスを通じて、ミーシアからの念話が届けられた。


『ハーミル、今、大丈夫?』

『ミーシアさん。大丈夫ですよ。ちょうど今、自分の幕舎に戻って来たところです』

『じゃあ、近くに、シャナちゃんいる?』

『いる、と思いますけど』

『実は、シャナちゃんと直接話がしたいの』

『それは、少し難しいんじゃ……シャナ、一応、軍営内に留まる事になっていますし。ミーシアさんがこっちに来るくらいしか方法無いかも』

『私はある程度距離があっても、精霊魔法を使ってささやきで会話を交わす事が出来るわ』


ミーシアはこの世界では数少ない精霊魔法の使い手、ハイエルフだ。


『もしかして今、近くにいます?』

『実は近くの森まで来ているの。でも突然、私が囁き届けても、警戒されるかもしれないでしょ? だから事前に、シャナちゃんに私が話したがっているって伝えて欲しいの』

『分かりました。ではシャナと話して大丈夫そうなら、また念話で知らせますね』

『ありがとう。助かるわ』


ハーミルは、自分の与えられた区画で荷ほどきをおこなった。

そしてジュノやクレア達に帰還の挨拶をした後、シャナの区画へと向かった。


「シャナ、入っても良い?」

「ハーミル? いいわ。入って」


シャナは、ハーミルを快く自分の区画へと招き入れてくれた。


「帝都ではのんびりできた?」

「おかげさまで。って、ごめんね。私だけ楽しんできちゃって。シャナこそ、困った事無かった?」


シャナはにっこり微笑んだ。


「私は大丈夫」

「ねえ、シャナって、エルフなの?」

「この世界に合わせた言い方なら、そうなると思う」

「この世界? そっか、シャナって、別の世界の住人だったわね」

「そう」

「そう言えば、なんで言葉が通じるの?」

「さあ……?」


シャナが首をかしげた。

一緒にハーミルも首をかしげるが、当然答えは見つからない。


ひとしきりシャナと会話を交わした後、ハーミルはおもむろに切り出した。


「ねえ、シャナと話をしたいって人がいるんだけど」

「誰?」

「ミーシアさんっていう、私と一緒に『彼方かなたの地』に足を踏み入れた、エルフの女の人」


シャナは束の間、何かを考える素振りを見せた後、言葉を返してきた。


「私は構わないけれど。どうやって話をするの?」

「ミーシアさんって、精霊魔法っていう特殊な魔法が使えるの」

「精霊……魔法?」


シャナの目が僅かに見開かれた。


「うん。その精霊魔法を使えば、遠方の人に囁き声を届けられるの。それを使って、ミーシアさんと話してもらっても良い?」

「構わない」


ハーミルはシャナの返事を確認すると、自身の右耳のピアスに手を添えて、ミーシアに念話を送った。




ハーミルの様子をじっと観察していたシャナの耳元に、突然囁きが届けられた。


『シャナちゃん、こんにちは』


シャナは知らず、自身の眉根がねるのを感じた。

このささやきは、精霊の力によるもの!

シャナは極力感情を抑制した声で言葉を返した。


「あなたがミーシアさん?」

『そうよ。ごめんなさいね、突然』

「構わない。私の事はシャナと呼んで。話をしたい、とハーミルから聞いた」

『じゃあ、シャナって呼ばせてもらうわ。実は少し、あなたの世界について聞いてみたい事があるの』

「私は湖畔の村からあまり出た事が無い。だから答えられる話も限られる。それでも良ければ」

『もちろん、答えられる範囲で教えてくれたら嬉しいわ』


そして一呼吸置いた後、ミーシアが再び囁きで問い掛けてきた。


『あなたの世界にある円形都市と、その中央にそびえる巨大な塔について、なんだけど』




シャナとミーシアの会話は、シャナの目の前に座るハーミルにも届いていた。

彼女の視界の中、シャナの目が少しだけ細くなった気がした。




ミーシアが囁きを続けた。


『その場所について、何か知っている事は無いかしら?』


シャナは心の中の動きを極力悟られないよう注意を払いながら、ミーシアに言葉を返した。


「……どうして、その都市が私の世界にあると思ったの?」

『カケル君が連れ去られた先の世界を探った時に、“見えた第144話”の』

「それを“見た”のは、あなただけ?」

『複数人が見ているわ。でも安心して。みんな、カケル君を守りたいっていう人達ばかりだから』


シャナは少しの間考える風を装ってから、言葉を返した。


「ごめんなさい。私には、その都市について心当たりは無い」

『そう……』


ミーシアの囁きに、落胆の色が混じる。

そんな彼女に対して、シャナが逆に問いかけた。


「あなた達は、その都市について、何か知っているの?」

『残念ながら“見えた”のは、都市を上空から俯瞰する情景だけ。だからほとんど何も知らないわ』


シャナはちらっとハーミルの様子を確認した後、自身の精霊としての力を使って、ミーシアにだけささやきを届けた。


『ミーシア。このささやきは、あなたにしか聞こえない。二人だけで少し話したい』

「!」




突如、シャナから全く予期せぬ形で“ささやかれ”たミーシアは、息を飲んだ。


このささやきは間違いなく、精霊の力によるもの!


ミーシアは努めて冷静に、シャナにのみささやきを返した。


『あなたも精霊魔法を使える、という認識で良いのかしら?』

『私は精霊魔法と言う言葉を知らない。出来れば、あなたのその力について説明して欲しい』

『精霊魔法は、私達ハイエルフのみが、始祖ポポロから受け継いだ力よ。精霊に呼びかけて、その力を借りる事で、通常の魔法とは異なる現象を引き起こすことが出来るの』

『あなたは精霊の姿を見ることが出来るの? その声が聞こえるの?』

『ポポロは出来た、と伝えられているわ。だけど子孫の私達は、精霊の存在を感じることが出来るだけよ』

『ポポロ……あなたにとって、彼女はどういった存在?』

『ポポロは私の遠いご先祖様よ。彼女は数千年前、史上初めて精霊と交信し、闇を打ち払った、と伝承されているわ』




ミーシアと囁きを交わしていたシャナは、目の前に座るハーミルから声を掛けられた


「もしかして、もう話終わっちゃった?」


二人の交わすささやきは、当然ながらハーミルには届いていない。

彼女的には、急に会話が打ち切りになったように感じているのかもしれない。


シャナはハーミルに笑顔を向けた。


「ええ、終わったみたい。ミーシアには、あまり役に立てなくて申し訳ない、と伝えて欲しい」

「伝えておくわ」


ハーミルは自身の右耳のピアスを触りながら、シャナの区画から出て行った。

シャナは改めて、ミーシアにささやきを届けた。


『ハーミルには、話は終わった、と伝えた。彼女はもう、ここにはいない。今からお互い話す内容は、当面、私達だけの間に留めておいて欲しい』

『分かったわ』

『ポポロが打ち払った闇について、この時代まで何か伝わっている?』

『残念ながら、具体的な内容は何も。ただ個人的には、カケル君が別の世界にさらわれて、その世界からカケル君が帰還する時に、一緒についてきたあなたと話せた事で、思いついたおとぎ話があるわ』

『どんなお話?』

『たとえば、こんな話はどうかしら? 闇に苦しめられている世界がありました。その世界に生きていたポポロは仲間達と共に、時の彼方から強力な存在を召喚しました。彼等は協力してその闇を打ち払いました。召喚された強力な存在は役目を終え、元の世界へと帰って行きました。だけど一旦打ち払われたはずの闇は、虎視眈々、復活の時を待っています。その闇は、その名を口にする人が増える事で、力を取り戻してしまうかもしれません』


シャナの心の中で、ミーシアとポポロが重なった。


『なるほど。おとぎ話にしては、よく出来ている』

『そうでしょ? ついでに、あなたの興味を引きそうな話も教えてあげるわ』

『どんな話?』

『私達エルフは、自分達の子供に名前を付ける時、ポポロという名を決して使わない。それは神聖なる始祖の名前だからよ。同様に、決して使わない名前がもう一つあるの』

『それは?』

『シャナ、という名前。それはポポロが初めて交信し、共に闇を打ち払った偉大な精霊の名前だから』


シャナの心の中を、暖かい何かが満たしていく。


自分がポポロと関わった期間は、ほんの10年ほど。

1,000年の天寿をまっとうしたというポポロ。

そして本来、永遠不滅の存在である自分。

二人にとって、刹那の瞬間に過ぎないはずの10年。

しかしその10年は、シャナにとってだけではなく、ポポロにとっても、最も鮮烈な、そして大事な10年であったに違いない。

だからこそ彼女は、あの女神の痕跡を丁寧に拭い去ったにも関わらず、シャナの名前は残してくれた。


あの時、エレシュがポポロを見出さなかったら、

あの時、ポポロがシャナの声に耳を澄ませなかったら、

あの時、自分達が救世主の召喚に成功しなかったら、

あの時、守護者が救世主に心を開かなかったら、

あの時……


運命の歯車が複雑に噛みあい、そして今、自分は救世主と共にこの世界にいる。


ミーシアがささやきを届けてきた。


『シャナ、あなたと話せて楽しかったわ』

『私も楽しかった』

『あなたは、話せない事が多分、たくさんあるのだと思う。だから今はこれ以上、あなたから何かを聞き出そうとはしない。もちろん今夜の会話も、あなたが良いと言うまで、永久に私の中だけで留めておくつもりよ』

『理解してくれてありがとう。この世界で、ポポロの血を受け継ぐ者に出会えて本当に良かった。いつか話せる時が来たら、ポポロがどれだけ素敵な女の子だったか、教えてあげる』

『楽しみにしているわ』


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