第174話 結界


14日目―――4



「シャナお姉ちゃん!」


幼い獣人の兄弟が少女にすがり付き、わんわん泣き出した。

しかし少女の方は、しばし呆然とした様子を見せた後、ポツリとつぶやいた。


「消滅……しなかった?」


少女は幼い獣人の兄弟の頭を優しく撫ぜた後、二人からそっと身を離した。

そして顔を上気させ、潤んだ瞳で僕を真っすぐに見つめ直してきた。

彼女の両手が僕に向かって伸ばされ、その温かい両の手の平が僕の頬に触れた。

そのまま少女はすっと僕に顔を近付けてきたかと思う間も無く、僕に唇を重ねてきた。



―――!?



重ねられた唇を通して、少女から再び竜気のような温かい何かが僕の中に流れ込んできた。

同時に、いつか確かに“視た第47話”、そしてこれから確かに“見る”はずの一連の情景が、僕の脳裏を駆け抜けた。



過去からの残響、

未来へ向けて放たれる想い、

まだ知らない誰かの詠唱の声、

セリエの絶望、

シャナの希望、

僕と仲間達の戦い、


そして……


『私は必ず“カケル”に会いに行く。たとえ何千年かかろうとも、必ず! だからその時は……』



―――これは……!



“視えた”情景に想いを馳せようとした瞬間、猛然と駆け寄って来た『彼女』がシャナを突き飛ばした。

『彼女』が顔を真っ赤にして叫び声を上げた。


「な、なななな何をしているのだ!?」


そして直ちに光球を顕現した。

一方、突き飛ばされた少女は裾のホコリを払って立ち上がると、頭を下げてきた。


「ごめんなさい。他意は無い。感謝の気持ちを表しただけ」

「感謝の気持ちを表すのに、キ、キ、キスは必要ないはずだ!」

「あなたのそのお方に対する気持ちは尊重している。本当にごめんなさい」


重ねて謝罪する少女の姿に気勢を削がれた形になったのであろう。

『彼女』は光球を消すと、僕の方を振り向いた。


「な、何か邪術を掛けられなかったか?」

「多分、何も掛けられてないと思うけど」


『彼女』は僕の様子を探るような雰囲気を見せた後、やや不機嫌そうな声で言葉を返してきた。


「大体、カケルにも隙があり過ぎだ。正体不明の精霊を名乗る少女に不用意に近付くなど……」


僕は『彼女』に頭を下げた。


「ごめんね。でもあのままだったら、彼女が消滅しそうだったから、つい」


『彼女』は、僕とシャナとに交互に視線を送った後、嘆息した。


「過ぎたことは仕方ない。ところでさっきは、何が起こっていたのだ?」


精霊を感知出来ない『彼女』には、消滅しかかっていたシャナが、僕が手を触れた瞬間、徐々にその輪郭を取り戻していった、という風に見えたらしい。


「霊力……は展開していなかったな。一体、どうやってその娘を助けたのだ?」


僕は改めて事の経緯を説明した。

話を聞き終えた『彼女』が、寂しそうな顔になった。


「精霊……私はこの世界について、知らない事が多過ぎるな」



話が一区切りついた所で、自身の両側に縋りついている幼い獣人達の頭を優しく撫ぜながら、シャナが口を開いた。


「この子達を村に送らないと。一緒についてきて」



獣人達の村への道すがら、『彼女』がシャナと名乗る少女に問いかけた。


「ところでお前は、なぜ代行者を殺そうとしたのだ? お前達精霊が、かつてしゅに敗れた、という話と関係するのか?」


シャナは『彼女』の問い掛けに答える代わりに立ち止まると、振り返って僕をじっと見つめてきた。

端正な顔立ちの少女に見つめられて、僕の視線は泳いでしまった。

唐突に、耳元にシャナの囁き声が届いた。


『そのまま聞いて。守護者は監視されている。女神に話を聞かれてしまう。『彼女』の前では全てを話せない』


慌てて僕はシャナの口元を確認いてみたけれど、そこに一切の動きは見られなかった。

もしかして精霊達の力を借りて、前の世界でミーシアさんが使っていた精霊魔法みたいな感じで囁きを届けている?


僕はそっと竜気を身体に巡らせてみた。

しかしシャナの周囲に、渦巻き輝く“精霊達”の姿は見当たらない。


シャナが微かな微笑みを浮かべた。


『私は精霊。本来の私自身の力で囁きを届けている』


急に見つめ合う形になった僕とシャナの様子を不審に思ったらしい『彼女』が、声を掛けてきた。


「二人とも、一体どうしたのだ?」

「あ、いや、何でもないよ」


咄嗟にそう返したけれど、『彼女』は不審そうな顔のままだ。

シャナが口を開いた。


「村に着いたら色々教えてあげる。行きましょう」


彼女はそのまま前を向いて再び歩き出した。


歩き出してすぐ、シャナの囁き声が耳元に届いた。


『救ってくれた事、改めて感謝します。私はシャナ。私の全存在はこれよりあなたのモノ。古き竜王が竜気をあなたに託したように、私は私の全存在をあなたに託します』


以前、神樹王国の生き残りのロデラが精霊魔法を使って囁き声を届けてきた事があった。

あの時第105話、僕の方は普通に話せば、返事が相手に届いていた。

しかし先程のシャナの言葉からは、今、声を発するのは、避けた方が良さそうだ。

だとすれば、どう返事をすれば良いのだろう?


首を捻っていると、再びシャナの囁き声が届けられた。


『先程、あなたにパスを繋いだ。あなたはただ、念ずるだけで私に意思を伝えられる』


あの唐突な口付けは、パスを繋ぐためのものであったらしい。

念ずるだけで意思を伝えられるというのは、銀色のドラゴンが使っていた念話のようなものだろうか?


僕は試しに、心の中で話をしてみた。


「君が助かって良かった。でも君を治したのは、僕と言うよりも、あの虹色の精霊みたいな“何か”だよね?」

『虹色の精霊……始原の精霊……選ばれた者の為にしか力を振るわない存在。あなたこそが救世主であるあかし

「その救世主っていうのは、止めてくれないかな。僕はさっきも話した通り、この世界でただ右往左往しているだけの小さい存在だよ」

『ごめんなさい。だけどやっぱりあなたは救世主。私が勝手に呼ぶだけ。気にしないで』

「さっき、守護者は監視されているって言っていたけど、僕も含めてって事だよね? 僕に話した内容も、あの神様に聞かれちゃうんじゃないの?」

『それは大丈夫。実体化した女神は、能力に著しく制限を受けている。直接監視して盗み聞きできるのは、守護者に対してのみ』

「どうして、そう言い切れるの?」

『女神にちかしい存在が教えてくれた。だから知っている。ただ、その“協力者”は、あなたにその存在を知られる事を望んでいない。だからこれ以上はごめんなさい』



ジャングルの中をさらに30分程歩くと、シャナが突然立ち止まった。


「この向こうが獣人達の村」


しかし依然として、目の前には、鬱蒼と木々が茂るジャングルが続くのみ。


「ついてきて」


そう話すと、シャナと獣人の兄弟は、前方に進み……って、え?


なんとシャナたちは、前方の緑の中に、溶けるように消えてしまった。

驚く僕に、シャナからの囁き声が届けられた。


『これは精霊達の結界。あなた達はそのまま通り抜けられるはず』


僕は、同じく驚きで目を見開いている『彼女』に声を掛けた。


「行ってみよう」



そのまま進むと、突如、風景が切り替わった。

ジャングルは唐突に消え、開けた場所に出た。

小さな湖と、その周りを取り囲むように建ち並ぶ質素な民家。

何人かの獣人達が、野外で思い思いに過ごしている。

呆然としている僕達に、先行していたシャナが声を掛けてきた。


「ここは、女神に見捨てられた獣人達の村、リーベル」


『彼女』が呆然とした様子で呟いた。


「……どうなっているのだ?」


シャナが『彼女』に視線を向けた。


「周囲の森にはモンスターがいる。だから結界の中に村を造った」

「結界は、お前が張ったのか?」

「そう。他の精霊達にも手伝ってもらった。私の家に案内する。ついてきて」


シャナが先に立ち、僕と『彼女』が後に続いた

と、幼い獣人の兄弟が走り出した。


「ママ!」

「メロエ、パリカ!」


二人は母親と思われる獣人のもとへと駆け寄って行った。

母親はシャナに頭を下げてきた。


「シャナ様、ありがとうございました」

「問題ない。怪我はしていないはず。これからはあまり遠くへ行ってはダメ」


シャナは手を振る幼い兄弟に微笑みを向け、手を振り返した。

僕はシャナに聞いてみた。


「そういえば、僕達と会った時って、どういう状況だったの?」

「あの子達が村の外に遊びに出て迷子になった。私が探しに行って、恐らく私を待ち伏せしていたらしい神の眷属たるあのモンスターに襲われた」


シャナのその“言葉遣い”に、『彼女』がやや憤然とした表情になった。


「適当な事を口にするな。モンスターは、別にしゅの眷属では無い。しゅは神都の外の住民達に試練を与えるため、モンスターを配置なさっているだけだ」

「あのモンスターは、女神の指示で私を殺しに来ていた。誰かの制御下にある存在を眷属と呼ぶのでは?」

「それは……もとはと言えば、お前が代行者を暗殺しようとしたからであろう」


シャナはちらっと僕に視線を向けた後、すぐに前を向いて歩き出した。


「行きましょう。家に着いたら、この世界の真実を教えてあげる」



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