第149話 素数


8日目―――1



目が覚めた僕は、壁のレリーフの前にいた。

隣りには『彼女』が立っている。

レリーフの顔が、すっかり聞き慣れた声で告げてきた。


『汝に問う。次の数字は?』


数字……

ここまで(1),2,3,4,5、と来たけれど、4の空間だけ、閃光では無く、黒い何かによって転移させられた。

そして転移先には、他の空間とは比較にならない位、強力なモンスター、ジャイアントアネモネが待ち構えていた。

4はいわゆる“ハズレ”だったのかもしれない。

とすると、最初がアリ、2で食料、3でクモ、5で食料……


もしかして?


「7」


試しに口にしてみた数字に応じるかの如く、レリーフが閃光を発した。

そして周囲の情景は、磨き上げられた白い大理石のような素材で構成された空間へと切り替わった。

どこからともなく、虫の羽音のようなものが聞こえてきた。


と、『彼女』がささやいた。


「気を付けよ、ポイズンワスプだ!」


間も無く突き当りの角を曲がって、羽音の主である巨大なスズメバチの化け物、ポイズンワスプが姿を現した。

『彼女』は直ちに剣を抜くと、ポイズンワスプ目掛けて駈け出した。

僕も霊力の盾を展開してみたけれど……


「は、早い!?」


ポイズンワスプは空中でホバリングしながら、『彼女』の繰り出す攻撃を素早く回避していく。

そして時折腹部の先のレイピアの様な毒針で、『彼女』を刺し貫こうと試みていた。

『彼女』は今の所、それをギリギリでかわしている。

それら全てが凄まじい速度で繰り広げられていく。

その攻防を目で追うのがやっとな僕は、参戦するタイミングを完全に見失っていた。

その内に段々と、『彼女』が防戦一方になってきた。

『彼女』は、今までは霊力を使用して戦ってきたはず。

しかし今は霊力を使用出来ず、手に持つ剣のみでの戦いを強いられている。

そうした事情が影響しているのかも。


ふいに『彼女』の言葉を思い出した。



―――霊力を持っていても、お前はその使い方を知らないのだな。



そう言えば『彼女サツキ』と初めて邂逅かいこうした時、『彼女サツキ』の霊力が自分に向けて流れ込んで第43話きた事があった。

ならば僕の霊力を『彼女』に分け与える事も可能なのでは?

ここで参戦のタイミングを失って棒立ち状態の僕では無く、『彼女』が霊力を使用すれば、もっと楽に戦えるのでは?


僕は試しに微弱ながら今展開出来ている霊力の流れを、『彼女』へと向けてみた。

僕から流れ出した霊力が、『彼女』の身体へと吸い込まれて行くのが“視えた”。

霊力を帯びた『彼女』の身体がほのかに発光し、それに気付いたらしい『彼女』がポイズンワスプから素早く距離を取った。

そして右の手の平をポイズンワスプに向けた。


次の瞬間……


ポイズンワスプがいきなり動きを止めて地面に落下した。

そしてひとしきり苦しそうに痙攣した後、そのまま動かなくなった。


僕は『彼女』に駆け寄った。

ポイズンワスプは絶命しているようだけど、無傷に見えた。


もしかして……?


「魔結晶だけ狙い撃ちした?」


400年前のあの世界で、さらわれたミルム達を救出しに行った時、確か『彼女サツキ』は、魔結晶のみ狙い撃ちしてモンスターを斃していた。


しかし『彼女』は、不思議そうに自分の右手の平を見つめたまま、言葉を返してこない。


「どうしたの?」


再度の声掛けに、『彼女』がようやく反応した。


「あ、ああ、すまぬ。今のは、お前が霊力を分けてくれたのだな?」

「うん。ダメもとで君に霊力の流れを向けてみたんだけど、うまくいって良かったよ」

「霊力の流れを……だとすれば、霊力を操る能力を失ったわけでは、なかったのか? ならば……」


『彼女』はつぶやくと、いきなり自分の左の手の平を剣で傷つけた。

紅い血が、彼女の綺麗な白い手から、ぽたぽたとこぼれ落ちた。


「ちょ、ちょっと!?」


しかし慌てる僕に、『彼女』は澄まし顔で言葉を返してきた。


「心配するな。ちょっとした実験だ」


その言葉が終わらない内に、左の手の平の傷が、しゅうしゅう湯気を上げながら塞がり始めた。

そして数秒経たずに、傷は完全に消滅した。

それを確認した『彼女』が再び口を開いた。


「やはり私は、霊力そのものも失ってはいなかったのだな」

「? どういう事?」

「霊力を操る能力を元々持っていなければ、いくら霊力を分け与えられても、それを使用する事は出来ない。加えて霊力を全て失っておれば、傷がこのような形で修復されることも有り得ない」


『彼女』はそこで言葉を区切ると、複雑な表情になった。


「私は霊力を失ってもいなければ、操る事が出来なくなったわけでもない。理由は不明だが、単に自身の霊力を引き出せなくなっているだけのようだ」


霊力を引き出せなくなっている?

それって……


「今の僕の状況に似ているね。僕の場合は、まだいくらかは引き出せるけど」


『彼女』は少しの間考え込む素振りを見せた後、ポツリと呟いた。


「やはり、しゅが何かなさったとしか考えられぬか……」

「それって、君の神様が、僕達の霊力を抑制しているって事?」

「恐らく」

「でも僕の霊力はともかく、君の霊力まで抑え込んじゃったら、かえって、神様には都合悪いんじゃ……」


確かあの女神は、『彼女』に“冥府の災厄”――僕の事だ――を処断しろ、と命じていたはず。

『彼女』の霊力を抑制して、『彼女』を弱体化させても、女神に得は無さそうな。


「きっとこれも、しゅが課せられた“ばつ”の一環に違いない」


そう話すと、『彼女』はそのまま項垂うなだれてしまった。


『彼女』的理解に従えば、女神は霊力無しで、霊力を使える“冥府の災厄”をどうにか殺して、かつ、この空間から脱出して、神都に戻って来い、と命じている事になるけれど……

それは“ばつの範疇を超えた、無理難題というやつでは?


少なくとも、この世界の女神様は、あまり慈悲深くは無いらしい。

『彼女』にかけるべき適切な言葉が見つからず、とりあえず僕は『彼女』に謝った。


「ごめんね。なんか僕のせいで、ややこしい事に巻き込んじゃって」

「なぜお前が謝るのだ? まあ、お前が実は“冥府の災厄”でした、とカミングアウトするのならば、話は別だが」


彼女は冗談めかしてそう言うと、まっすぐ僕の目を見つめて来た。

僕は静かに言葉を返した。


「僕は、“冥府の災厄”じゃない」


『彼女』が微笑みを浮かべた。


「分かっている。お前は戦闘が下手なくせに、自分を殺そうとした私をかばい、自分だけ逃げられるチャンスをふいにして私を助けてくれた。そんな“冥府の災厄”などいるものか」


束の間、『彼女』と見つめ合う形になってしまった僕は、気恥ずかしさを感じてそっと視線を外してしまった。


「とにかくここでこうしていても仕方ないし、動こうか?」



僕達はモンスターの気配が消えたその空間を調べてみた。

するとすぐに、壁に彫られたレリーフが見付かった。


『汝に問う。次の数字は?』


最初がアリ、2で食料、3でクモ、【4でハズレの巨大イソギンチャク】、5で食料、7でハチ、と来たから……


僕は『彼女』にささやいた。


「多分、次は“11”で、また食料が用意された空間だと思うんだよね」


『彼女』が不思議そうな顔になった。


「何故そう思うのだ?」

「素数だよ。1以外で割り切れない数字。この空間を用意した何者かは、“当たり”のルート上にモンスターと食料を交互に配置しているんじゃないかな?」

「なるほど」


『彼女』は素直に感心しているようだけど、僕は複雑な気分になった。


べたな設計。


九分九厘、あの女神が造ったのだろう。

もしかすると何らかの手段を使って、僕達が右往左往するのを眺めて、楽しんでいるのかもしれない。

とは言ってみたものの、これが意地悪なひっかけで、また凄いモンスターのいる空間へ転移させられたら嫌だな……

どうか順当に“当たり”でありますように。

って、あれ?

この場合、祈る相手って誰になるんだろう?


若干場違いな事を考えつつ、とにかく願いを込めて数字を口にした。


「11」


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