第十二話 姿は似ているのに何故違うーさよならのお告げ



 神無月。この時期は文字の通り、神のいない季節だ。神は天上へ故郷に戻るように出かけ、地上にはいられない季節。神々が日本に存在するコトの出来にくい時期だった。

 疾風は山の神の一部でありながら、故郷に戻れない。それだけではない、疾風は天狗の中でも希有な力を持ち。過去その為に村を滅ぼし、人々に害をなした。罰として、神々から阻害される人生を背負うこととなる。それでも一番この山の力となっている神からは力を与えられ続け、加護はいつまでも誰よりもあったのだが疾風にはぴんとこぬ。

 疾風は神無月が近づけば苛立ったり落ち込んだりする日が増えていき、とうとう人前にいるのも危険だと山へと帰っていった。

 早く、早く獣を食わねばと、喉が渇いていた欲望だけが疾風には刻まれて理性をなくしていた。



 存はそんな事実を知らず、ただ何かがおかしいなと感じていただけだった為に、疾風が行方不明となると放っておく行為が出来なかった。

 美味しい食事は麻薬だ、麻薬のようにないと不便さを感じてしまうし、物足りなさを感じる。

 アルテミスの食事も美味しいが、和食にならされた体には洋食三昧は中々こってりめで苦しく感じる。

 かといって不器用な存は料理も出来ず。切っ掛けは食事目当てではあったが、確かに疾風自身が無言でいなくなるのは希有で放っておけないのも事実だった。

 存は香水を手にすると、魔方陣を丁寧に埋め込んだ刺繍を広げて床に置き。蝋燭を点す。

 瞬くと、湯煙のような辺りに異空間。芳しさと共に、金糸の蜘蛛の巣があたりに散らばる。

 黄金がきょとんとした瞳で、存を見つめる。


「情報取りに来てから一週間よまだ。悪魔からお仕事受けたの? 働きものですわね、そんなに働いて過労死しないの?」

「そうじゃない……疾風がいないんだ、喧嘩しても顔出すあいつなのに」


 存の言葉に黄金は、すうっと目を細めてキセルを咥える。ふーっと吐息を噴けば、指先に子蜘蛛を乗せ遊ばせながら、存の言葉へ口ごもる。


「放っておいた方が宜しいわ。これは親切で言うの」

「どうして、今までいなくなったりしなかったぞ、なんやかんやで世話焼いてくれていた」

「この時期、神聖を失うの。山からの影響で神聖や理性を保てず、腹を減らした猛獣になりますのよ。今頃動物を襲ってますわ。この時期は神無月、疾風を押さえ込む神聖が消える月」

「獣……? 姿が変わるのか、美女と野獣みたいに?」

「いいえ、それだけならまだマシ。理性がなくなって、血肉に飢えていきますの。悪いことは言いませんわ、放ってさしあげて。お話しはそれだけなら今日はお代は結構。疾風にとっての有名な話ですから」

「……でも」

「それでも心配なら、Y県の山へ行きなさい。忠告はしてあげたわ」


 かこん、とキセルが灰を落とす音を切っ掛けに、現世に戻された存はまだ湯煙のするような感覚にくらりと首を左右に振る。

 存は以前、疾風からよく聞く名前を思い出し。アルテミスと弓へ書き置きしておいて。山へ登る支度を時間をかけて用意すれば、旅だった。家のことや弓のことはアルテミスに任せておこうと。

 獣になった疾風に会って何がしたいかは、存にはぼんやりとしている物だった。だからといって、疾風が弱味をさらけ出せないというのは、少しだけ不機嫌になるくらい寂しい思いだったのだ。このまま放っておくと、そのまま二度と笑顔の疾風に会えない予感がしてならないのだ。

 霊山に訪れ、山を登っていればばさばさと日が暮れていく時間帯に、鴉がやたらと集まってくる。鴉は虚無の眼で存を全員で一列に見つめている。異様な光景だ。

 小屋を目指そう、小屋まで行けば一晩過ごせるはずだ、と存は小屋まで只管体力を調整しながら登り切る。簡素な小屋には誰も居らず。無人ではあるが、整理整頓されて綺麗な小屋に丁寧に使われているのだなと、この山がいかに愛されているかを思い知る。

荷物を置いて、疾風をどう探した物かと思案していればいつの間にか眠りこけ。夜になるにつれて獣の叫び声が聞こえる。悲痛で、泣き声に近い慟哭だ。何か足音が此方に向かっている。どすんっと小屋にぶち当たった。振動で小屋が少し揺れ、裸電球はちかちかとした。

 存は思わずカンテラ片手に外へ出てみれば猪が倒れている。猪に触れ、よく見てみれば猪は「食われ欠け」だった。

 生きながら食われかけている状態で。そんな状態で逃げてきたのだろうか、と存は目を眇めた。

 途端。空気が変わる。

 痛いほどに伝わる怒りや警戒心の空気。張り詰めた空気に呼吸を忘れ、存は辺りを見回す。

 誰も周りには居ない。ただ鴉だけは沢山連なっている。外は天気も寒くなってきて、月が丸く満月で地上を照らしている。雲も無い良い天気だ。

 やがて、獣は姿を現す。獣は背に翼を現し、口周りを血でべっとりとさせ、瞳は血走っている。真っ赤な瞳が、血の色を思わせてしまう。

 疾風だ。見覚えのない威嚇に、存はいつもの疾風との違いに驚く。

 しかし覚悟していたことだ、黄金からは獣だと揶揄されているくらいには、恐ろしい状態だと聞かされているのだから。

 疾風はふーっふーっと呼気荒く威嚇すれば、地上に降り立ち、猪に近づく。猪をがつがつと血肉飛び散らせ頬張ると、その姿はまさに野獣だった。

「この姿が怖いだろう、僕が怖いだろう、馬鹿な獲物」

「怖いのはおまえだろう、逃げたければお逃げ」

 存はそっと疾風に手を伸ばす。その途端、疾風は敵意を示し、存へ襲い掛かり、押し倒してきた。存は抵抗することなく、疾風の喉に手を寄せた。滴る血の色が似合うなと、笑えてきた。

 こんな状況だというのに、のし掛かって今にも殺してきそうな疾風が美しく思えたのだ。涎を垂らし、野生そのものしか見えない姿がだ。


「……食べたいなら食べろ」


 元から疾風に助けられた命だった。どうするかは疾風に任せていい気持ちも存には持っている。ただ、存は現状を判らず、疾風が何故こうなるかは知っておきたかった。


「疾風、おまえはでもそれでいいのか? 何か目的があっておれを助けたんだろ、お前はおれを食べるために活かしたのか」


 存の言葉に疾風は、ぐあっと牙を見せ、首根に歯を当て。ぷつりと肉が切れ皮膚の破れる感覚がした――刹那、動きが止まる。肩に雫が墜ちる。肩に墜ちた雫は疾風の涙だった。


「あ、る……」


 疾風は泣きじゃくり、両手で顔を押さえた。




 昔、親友との出会いを思い出す。まだ理性をコントロールできない頃に、親友と出会ったのだ。肉に飢えた日は親友が芋を持ってきてくれた。一緒にふかした芋を食べて、腹を満たして笑っていた。あの日が恋しいと感じて目を開けば、目の前に親友がいる。

 いいや違う。これはあいつではない、と疾風は目を瞑ると現実の非常さに泣きたくなった。

 この人は、存だ。親友の生まれ変わりだ。あいつはもういない、死んだのだ。川へ投げられ、溺死し。人々は親友の死を願ったのだ。

 疾風は口腔に、人間の血が流れる感覚に嫌悪すると、ゆっくりと存から身を離しながら、口腔の血を吐いた。


「なんで、ここに」

「おまえの好きな作家の新刊が出ていたんだ」

「は?」

「しかも三週連続セールだ、これは限定品になりそうだプレミアがつくだろう、買っておいたんだから買い取ってくれ。あとはうちの料理、おまえの和食が恋しくなった」

「……本当。お前は……よくわかんねえな」


 疾風は口元の血を服で拭き取ると、存に山小屋へ入るよう勧める。真後ろにある小屋へ二人で入り、怪我の手当を存は疾風に任せる。

 存は手当されながらどう話そうかと考え込み。気遣いが下手くそなわりに、きちんと配慮をする存へ、疾風は少しばかり微苦笑を浮かべた。


「山は生命力が必要でな。この時期は、山の化身たちは生け贄を必要とする。血肉を喰らう行為で、エネルギーを補う。まさに年に一度の食事だ」

「そうか……食事なら自然じゃないか。何故そんな隠れてこそこそ食べるんだ」

「嫌なんだよ。獣じみた自分も、生け贄が必要な事実だって。昔、お前によく似た親友がいた。そいつは生け贄にされた。僕らのせいで死んだ。今も思い出す、あの瞬間ぶち切れたんだ」

「……そうか」


 存にとって疾風は価値ある存在だった。自分より価値のある者はすべからく幸せであるべきだ、と存は感じている。存にとって自然な考え方だった。ゆえに自己嫌悪を見せる疾風が不思議で、存は否定したい思いにかられるも。ぐっと抑えて、掌に爪を食い込ませる。

 慰めの言葉は安っぽい気がする、否定の言葉はこれまでの疾風を見下してしまう。

 存は否定も肯定もせず、ただ、頷いて聞いていた。

 疾風には、存がそんな感覚を疾風に抱いているのはお見通しだった。半人前が気遣うんじゃないと苛立つ。疾風は非常に、存へ苛立ってしかたがない。

 嫌いな姿を見られたくないのにわざわざ見に来るとは趣味が悪いとも感じる。ただ、存のことだから後先考えない心配だったのだろうとも即座に判る。


(ああ、そうか)

(同じ形だからといって、同じ者ではないんだな)


 疾風は残念な思いに気付く。存がそうであればよかったのに、と願っていた気持ちとは裏腹に完全に気付いてしまった。

 こんな魂の形、出会った覚えがない。あの親友とは完全に違う。悪魔は騙していたんだ、と。


(お前じゃないんだな、×××)


 おかしな話だ、何度も何度も呼びかけ続けた親友の名前が思い出せない。

 存は親友の生まれ変わりじゃない――気づいた事実とは反対に、疾風の心は満たされていた。

 何処を探してもあの子のようなひとはいないのだと納得した部分もある、目の前の不器用すぎる人間を好む気持ちもある。

 否定も肯定もしないのに苛立ち、苛立ちながらも暖かな思いに満たされていく。


「存」

「なんだ」

「……存」

「なんだ、初めて名前を知ったみたいな反応だな」

「……近いかもな」

「よくわからない奴なのは、おまえもだろ」


 存の言葉に、疾風は心から笑えた。親友でないのに、目の前の「友人」を大事にしたい気持ちに溢れる。

 親友に拘っていた、拘りすぎていた。素敵な日々の思い出を拘りすぎて、もう親友は決していないのだと受け入れられなかった。

 百年以上受け入れられなかった気持ちを、ようやく受け入れた疾風は、存の手当を終えると暖かな眼差しで存に笑いかけた。裸電球はじじじと、微かに電気音を鳴らし、真っ白の明るさは血まみれの二人を照らす。


「よろしく、存。僕は疾風だ。天狗で好きなのは読書。苦手なのは機械だ」

「……? 知っている」

「存も自己紹介してくれよ、今更だけどな」

「ううん? 加覧存だ。好きなのはハンバーガー。苦手なのはせわしさ、だ……これでいいのか? なんだ、笑っている。記憶喪失か」


 何が何だか判らない存だったが、何となく。疾風は素を初めて見せてくれた気がして、少しだけ嬉しさを見える表情を浮かべた。

 存は、この日。疾風にとって、何者でもない「加覧 存」になれたのだった。

 夜が更けていく。鴉の飛び立つ音が聞こえる。月明かりが窓辺から入ってくる。朝日に変わればきっと眩しいだろう。

 一緒に下山していこう、今なら。きっと、心は安定して理性を取り戻せる気がすると、疾風は初めての感覚に少しだけわくわくし。眠れない現象を覚えた。

 久しぶりの友達だ、帰宅したら何をしよう、何を話そう。どう遊んで、どういう日々を過ごそう。いやそれとも、まだ友達になれていないかもしれない。まだ、何せ疾風にとっては知り合ったばかりでもあるのだからと疾風は興奮しながら、朝日になっていく空を見つめていく。

 かつての親友への思いを、終わりにして行こう。戻らない者へいつまでも、引きずられるのは少しだけ切ない。それでもしばらくは忘れられないが。疾風は気持ちの整理をしていきながら、うとうとする頃には下山する時間になり存に起こされたのだった。


 後日悪魔に問い詰めれば、悪魔は悪びれもなく語る。


「君の親友は、悪人の八回目の転生だったから。もう地獄から出られないんだ」


 それならば何故存に引き合わせた、という文句はもう出そうとは思わない。

 新たな、大事な友達を得たのだから。限りなく親友に近くて、全然違う赤の他人だけれど。それが逆に救いだったのだと今なら疾風には実感できた。


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