3-8

 収穫祭当日。今日はどこの店も通常営業は休み。薬屋も庭にテーブルをだして東雲膏しののめこうや薬草茶を配る予定だ。と、あんず亭をでようとしたら。

 

月白つきしろちゃん、ちょっと待って。ハイ、忘れ物」

 

 ももさんに呼び止められて小ぶりな鉢植えを渡された。咲いているのは酔芙蓉の白い花。


「あの、これは?」


 きれいだけれど酔芙蓉は薬にはならない。もちろん私のものでもない。思わず受け取ってしまったものの、渡された理由がわからなくて首を傾げる。


「収穫祭の日は店に酔芙蓉を置くきまりなんだよ。花が赤くなったら後夜祭の始まりの合図。みんな店を閉めて広場に集合するんだ」

「なるほど」


 酔芙蓉は一日の中で花の色が変わる珍しい花だ。朝は白いけれど、だんだんに紅色に色づいていく。その様がお酒に酔っているみたいで酔芙蓉の名がついたと言われている。

 何時に広場集合、ではなくて、酔芙蓉が赤くなったら、なんて、なかなか風流だ。


「それと髪を結ってあげるから髪飾りを持っておいで」

「え?」

「ほら早く。酔芙蓉は預かっておくから」


 手渡されたばかりの酔芙蓉が取り上げられて、部屋に向かって背中を押される。

 いや、だったらなんで今渡したの?

 戸惑いながらも部屋から髪飾りを取って戻る。てんがくれた空色の髪飾り。つけるのは夏祭り以来で、なんだかどきどきしてしまう。と、数十分後。姿見には困惑の表情を浮かべる私と満足そうに笑う桃さんが映っていた。


「うん! 完璧!」

「あの……桃さん、これは?」


 きれいに編み込んで結い上げられた髪に空色の髪飾り。うん、これはいい。少し気恥ずかしいけれど想定内だ。

 問題は服の方。当然のように手渡されたから思わず着てしまったけれど、これは何?

 柔らかな象牙色の七分袖のワンピース。袖と膝丈の裾にぐるりと薔薇の刺繍が施されていて、動く度に裾がふわりと揺れて可愛らしい。

 可愛らしいのだけれど、どう考えても私には似合わない。落ち着かない。


「似合う、似合う。あたしのお古で悪いけど、いいじゃないか!」

「いや、あの、こんな。私には似合いません」

「何言ってんの。お祭りなんだから、このくらいのおしゃれはしないと!」

「えっ、でも、汚してしまったら大変だし」

「ごちゃごちゃ言わない! ほら、時間はいいのかい?」


 慌てて脱ごうとした私は桃さんの言葉に時計を見る。と、予定していた時間をとっくに過ぎている。


「あっ!」

「ほら、酔芙蓉! 気を付けて行っておいで!」


 気が付いたらワンピースのまま酔芙蓉の鉢を持たされて、あんず亭を追い出されてしまった。


「ねぇ、このきれいな瓶は何?」

「あっ、それは東雲膏といいまして」

「この前、薬屋でだしてもらった薬草茶ってこれ?」

「はい、そうです」

「あら、可愛らしい格好。普段もすればいいのに」

「いや、あの、これは」


 東雲膏は色がきれいなこともあって予想外に好評だった。薬屋でだしていた薬草茶も飛ぶように無くなっていく。いろいろあったし閑古鳥は覚悟していた。でも逆は考えていなくて面食らってしまう。

 結局、用意した東雲膏も薬草茶も昼過ぎにはなくなってしまい、早々に店仕舞いすることになってしまった。

 庭に出した店の片付けをしても日暮れまでにはまだ時間がある。薬屋の入り口に外出中の看板をかけると用意しておいた小袋を持つ。時間があれば行きたい所があったのだ。


「あっ、つっきーじゃん。薬屋は?」


 行きたかったのは刈安かりやすさんの染物屋。こちらも今日は店前にテントを出して、色とりどりの布細工を並べていた。


「思いの外、たくさんの方が来てくれたので」

「ほらね。言ったでしょ。争奪戦だって」


 刈安さんの言葉に今更ながらに嬉しさがふわりと浮かんでしまって俯く。きっと誰もこないと思っていたのに。なんだか村の人たちに受け入れてもらえたような気がして少し嬉しかったのだ。

 そんな私を見てにやにやしている刈安さんに気が付いて、慌てて生真面目な顔を作る。持ってきた小袋を差し出して頭を下げる。


「先日はありがとうございました。あの時、作った東雲膏と薬草茶です。亜麻あまさんにもよければ」


 そう、この前は最後にバタバタしてしまってお礼を言いそびれてしまったから、後で渡そうと取り分けておいたのだ。染物屋は水仕事が多いから東雲膏はぴったりのはずだ。


「わぁ、嬉しい! 欲しいと思っていたんだよね。亜麻もきっと喜ぶよ。あっ、そうだ! 私からも。ねぇ、ちょっと手だして」


 言われるがままに手を差し出すと刈安さんが私の手首に何かを巻きつける。


「ハイ、出来上がり!」

「えっ? これって酔芙蓉?」

「正解! 今年の収穫祭を目指して新作を考えていたんだ。どう? 白とピンクと赤を用意したんだけど、やっぱりつっきーは白だよね」


 刈安さんの手が離れた私の手首には酔芙蓉の白い花が一輪咲き誇っていた。それは布で作られた酔芙蓉のブレスレット。本物と見紛う程の精緻な花に見惚れていると刈安さんが自分の左手を示す。


「あたしはもちろん赤! 早く後夜祭で遊びたいからね!」

「すごいです! 本物かと思いました!」

「へへっ、嬉しいこと言ってくれるじゃん」


 照れくさそうに笑う刈安さんにお代を払おうとすると。


「ちょっとやめてよ。これのお礼なんだから」


 そう言って私が持ってきた小袋を示す刈安さんに私も首を横に振る。


「それは先日のお礼ですから!」

「もう、硬いこと言わないの! だったら今日一日つけて宣伝してよ! 誰かにいいなって言われたらうちを宣伝しておいて」

「いえ、そういう訳には」

「いいから、いいから。そんなことより、これから天とデート?」


 押し問答をしている中でふいに投げかけられた言葉を聞いてびっくりする。


「へっ? いや、なんで?」

「違うの? 可愛い格好しているから、てっきり」

「こっ、これは桃さんが勝手に」

「ふ~ん」


 なんだか不満げな顔をする刈安さん。


「この後は薬屋に戻ります。患者さんが来たら困りますから」

「え~。収穫祭の日に来ないよ。そんなことより折角可愛くしてもらったんだから、天と遊んでおいでよ」

「いえ、そもそも、天がどこにいるか知りませんし」

「はぁ? 嘘でしょ! 探してあげるよ!」

「結構です! 私も仕事がありますから! あの、失礼しますね! 亜麻さんにもよろしくお伝えください!」


 これ以上面倒な話にならないうちにと慌てて染物屋を後にした。

 その後、薬屋に戻ったものの刈安さんの予言どおり患者さんは現れず。在庫の整理や道具の手入れをしているうちに酔芙蓉が真っ赤に色づいてしまった。


「さて、どうしよう」


 自分しかいない薬屋で独りごちる。刈安さんにも言ったとおり、今日は天と約束しているわけでもないし。


「まぁ、顔だけだして帰ればいいか」


 広げた道具を片付けて、出かけようとしたとき。


「間に合った~。月白、一緒に後夜祭に……って、えっ?」


 薬屋に飛び込んできた天が私を見て固まる。


「天? どうしてここに?」


 変な体勢のままの天に声をかける。


「いや、後夜祭に一緒に行こうかと」

「えっ? いいの?」

「もちろん! っていうか、月白、その格好どうしたの?」

「あっ」


 天の言葉に自分の格好を思い出す。


「似合わないよね」

「そんなことない! すっげぇ似合ってる……けど」


 そう言って口籠る天に思わず苦笑いしてしまう。本当にお世辞が下手なんだから。


「一度あんず亭に戻っていい? 着替えていくから」

「着替えなくていい!」

「えっ?」


 食い気味に言ってくる天の言葉にキョトンとする。

 

「でも、他の奴に見せたくない」

「はい?」

「だから」


 そこまで言うと天は急に黙り込む。


「えっと、何?」


 天が何を言いたいのかわからなくて首を傾げた私の前に天の手が差し出される。


「手繋いでいよう。絶対に俺から離れないで」

「はぁ?」

「月白は俺のだから! 他の奴、特に黄丹おうにとかにちょっかいだされないようにちゃんと手繋いでいて!」

「何それ。ちょっかいなんて」

「いいから!」


 思わず吹き出してしまった私の手を天が、ガシッ、と掴む。


「絶対に離したらダメだかんね」

「……うん」


 なんだかくすぐったくて私はうなずくことしかできなかった。

 手を繋いだまま薬屋を後にして広場につくと後夜祭が丁度始まったところだった。


「天! 月白ちゃん!」


 入り口近くで料理を配っていた桃さんと松葉まつばさんが天と私に気が付いて声を掛けてくれる。


「ほら、丁度焼きあがったところだよ。持っていきな」


 そう言って差し出されたのはあんず亭の名物料理、鳥のスパイス焼き。スパイスがたくさん入った特製ソースに一晩つけた鳥肉を香ばしく焼いたそれはあんず亭でも一番人気の料理だ。


「やった~! 月白、冷めないうちに食べようぜ!」

「うん!」


 天も私も笑顔でお礼を言って受け取ると近くの椅子に腰掛ける。お祭り仕様で串焼きにされたそれに少し行儀が悪いけれどガブッとかじりつく。と。


「うま〜い!」


 二人で揃って歓声を、とはいかず。声を上げたのは天だけだった。口の中に残った肉を無理矢理飲み込む。背中に冷たいものが走る。


「月白? どうかした?」


 そんな私を天が不思議そうな顔でのぞきこむ。


「えっ? いや、うん。おいしいね」


 慌てて笑顔で答える。祈るような気持ちで手元の串焼きにもう一度かじりつく。同じ結果に頭が真っ白になる。


「あれ? これ、苦手だったっけ?」


 天が心配そうな顔で聞いてくる。


「あっ、ううん。この服、桃さんから借りてるから汚したら大変って思っただけ」

「なんだそんなことか。皿とフォーク借りてくるよ」


 とっさに答えた言い訳を疑う様子もなく天は笑って立ち上がる。止める間もなく桃さんたちの元へ歩いていく天。

 その背中を見つめながら私は呆然とした。

 スパイスがふんだんに使われた串焼きからはすごくいい香りがしている。なのに全く味がしなかったのだ。

 森に入ってから十年。初めて感じた不調だった。

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