29 集いし役者
グリンティはフェンリスを見ても顔色一つ変えずにこちらに向かって来る。
廊下のど真ん中を堂々と歩き、道を譲る気はないと顔に書いてある。
一方のフェンリスは面倒くさそうに息を吐いてから、ななめにずれて俺の前を歩いていく。
青と赤、黄金の獣人が交差し、
「なぜ逃げる?」
グリンティが目も合わさないで淡々と言い放った。
これにはフェンリスも気に障ったのか、グリンティの方に振り向いた。
「別に逃げたわけじゃないし。猪族の誰かさんが猪突猛進してくるから道を譲ってあげただけですよ」
「そうだったのか。それは失礼した。てっきりやましいことがあると思ってしまったぞ。なら、私も礼に忠告を一つしてやろう。そいつに深入りするな。我が国を脅かす災厄の渾沌かもしれんのだからな」
さらには俺まで挑発してきた。
「どーも。褒め言葉と受け取っておくよ」
罵詈雑言の類いは聞き飽きたし、慣れっこだ。むしろ、災厄の混沌とか格好いい言い回しで悪い気はしない。
しかし、俺よりも強い反応を示したのはフェンリスだった。
グリンティに詰め寄り、険しい顔になる。
「彼は関係ないでしょ。なに? 今日はいつにもましって突っかかるじゃん」
「当然だ。同じ陽天聖騎士団の隊長として、心配で忠告しているだけだからな。むしろ感謝して欲しいくらいだな」
フェンリスもグリンティも同じくらいの長身の体型だ。
睨み合う姿はとても迫力がある。
「あんたが敬愛している団長は歓迎ムードだったけど? 異を唱えていいの?」
「団長殿は優しすぎるのだ。だからこそ配下である我々が戒めなければならない。むしろ、貴様の方こそやけに突っかかるではないか。
また落ちこぼれを拾って入隊させる気か? それともなんだ。年下の物好きでも起こしたか?」
「……ちょっと聞き捨てならないな。さすがに言い過ぎじゃない」
「言い過ぎだったらどうすると言うのだ?」
女の戦い……というよりは、戦士のそれだ。
って、関心してる場合じゃないか。大事になっても困る。
「まったく二人ともそんなカリカリしなくてもいいじゃろうに。美人が台無しじゃよ」
長い髭をたくわえた老人が風のように現れて話に参加してきた。
杖を持っているのに、床をつく音さえ聞こえさせなかった。
「ウォ、ウォーデンご老公……ごぶさたしています」
「爺ちゃん……じゃなかった。相談役が珍しいね」
ウォーデンと呼ばれた老人が現れた途端、二人は姿勢を正した。
彼こそ前陽天聖騎士団団長にして剣聖と呼ばれた達人で、今は相談役という名の隠居生活をしているはずだ。
「ふぉっふぉっふぉっ。神殺しの若人が現れたと風の噂を聞いてのう。家でのんきに茶をしばいてる場合じゃないと思ってな。一目見ておきたくてのう」
朗らかな笑い声でたちまち剣呑だった雰囲気を吹き飛ばしてしまう。
「それでお主が噂の神殺しか? お初にお目にかかる。ウォーデン・インフェルースと申す、しがない老人じゃよ」
ウォーデンが気さくに手を差し出してきた。
俺を見つめる顔は穏やかだ。なのに、底が見えない瞳に飲み込まれそうになる。不思議な感覚に陥りそうだ。
「どうも。噂の神殺しらしいロア・アルクスだ」
しわだらけの手を握る。長い年月を生きてきた証であり、したたかな力強さを感じる。
「うーむ……分からん」
ウォーデンが眉間のしわをさらに深くした。
「鍛えに鍛えているというわけでもない。眩しいようで暗くも映る。どっちつかずのふらふらステップ。おもしろおかしく分からん子じゃのう」
ウォーデンは力を入れているわけじゃないし、俺も同じだ。ただの握手にすぎないが、ウォーデンもなにか感じ取ったらしい。
「色々と栄えある称号も持っているしな。さっきも災厄の混沌って称号をもらったばかりだ」
「なるほどのう。そりゃごちゃ混ぜの分からん坊になるわけじゃ」
ウォーデンと一緒にヘラヘラと笑い合う。
爺さんとはなかなか気が合いそうだ。
「もう意気投合しちゃってるし。後輩君。一応、元お偉いさんだからね?」
フェンリスはすっかり毒気を抜かれ、グリンティも静かに唸るしかなかった。
「ウォーデン様ー……! ここにいらしたのですか!」
燃えるような赤い髪をした男性が息を切らして駆け寄ってきた。
「遅かったのう、アーサー。いったい今までどこをほっつき歩いていたのじゃ」
「それはこっちの台詞なんですが……。相変わらず自由なお方なことで。八十を超えているとは思えない……」
弱々しく呟き、息を整えるアーサー。
間違いなくソレイユ教導神聖国のメインストーリーで大ボスを張り、〈無望の楽園〉の使徒である人物だ。
くしくも主要人物が揃ってしまった。
「グルド様やリーヴァ様に比べたら、儂なぞただの老いぼれにすぎんよ」
「そうかもしれませんが、一般的な老人の範疇にウォーデン様は入れませんよ。入れるのは厄介極まりない老獪の類いです」
「アーサーもちょっとは言うようになったのう。感心じゃ」
「感心する前に、もう少し落ち着いていただけると助かるのですが……」
アーサーに黒幕のような雰囲気は一切感じない。柔和で人が良さそうな雰囲気をまとっている。
「団長殿。ご苦労様です」
グリンティとフェンリスがもう一度姿勢を正し、敬礼する。
「お疲れ様。楽にしてくれ構わないよ。それと……」
アーサーは二人に声をかけた後、俺の方を向く。
「ロア・アルクス君だよね。先ほどはどうも。早速活躍したらしいじゃないか。ありがとう。陽天聖騎士団を代表してお礼を言うよ」
彼もまた友好を示すかのように手を差し出してきた。
人が人なら即落ちするような眩しく、爽やかな笑顔だ。俺の倍以上生きている歳とは思えないな。
ためらわずにその手を取る。
「フェンリス隊長がいたおかげですよ。それにこちらも礼を言わないと。ノエルにあのような部屋を与えていただきありがとうございます。本来なら地下牢に入れられてもおかしくない立場でしょうから」
「礼を失する扱いをしたら、君たちに宮殿どころか聖都自体吹き飛ばされてしまうからね。なによりお姫様は丁重にもてなすのが常識だろう?」
「……結構なじゃじゃ馬でお転婆なお姫様ですが」
さっきも振り回されたばかりだしな。
「そうだね。でも、元気があっていい子だと思うよ」
握手を交わしても、お互いに仮面を被って会話を続ける。どちらも本音は包み隠したままだ。
ウォーデンと握手をした時とは全く違う。
無味無臭。なにも感じられない。
手を離した後ともなんら変わらなかった。
「元気が有り余って手はかかりますが、そうですね。大切な存在には変わりません」
「大切な存在、か。君の信頼を裏切らないようにこちらも気をつけよう。ところで三人でなんの話をしていたんだい?」
「ちょっとした世間話を。そろそろ
アーサーが気まずい表情を浮かべる。
「そうだったのか。これは呼び止めてしまってすまない。気をつけて任務に当たってくれ。フェンリス隊長。彼のことをよろしく頼む。グリンティ隊長も引き続き任務に励んでくれ」
アーサーはテキパキと指示を出し、最後まで変わらない態度を貫く。
「それじゃあまた今度のう、分からん坊。頑張るじゃぞい」
「また会えたらな、爺さん」
「まだまだヴァルハラに行くつもりはないから安心せい。二人も喧嘩はほどほどにの」
ウォーデンが茶目っ気たっぷりに笑い、アーサーを引き連れて去って行く。
「久々に食堂で飯を食ってから帰るとするかのう。アーサーや、団長権限で奢ってくれんかの? 財布忘れた」
「ええぇ……団長権限関係ないと思うんですが。はあ……しょうがないですね。ちゃんと返してくださいよ」
その背中は団長とは思えない頼りなさだ。
……アーサーは〈無望の楽園〉の中でも変わった立場の人物だと思う。
本当に隊員……いや国民全員の憧れの的であり、絶対的な信頼を得ているんだろう。
数十年仮初めとはいえ、国や民のために尽力してきただろうから。
ただその反面、フェンリスに対する仕打ちや裏工作だってしてきた。
なにより本質を知り、この後に起きるだろうことを考えれば見過ごすわけにはいかない。
「私は忠告したぞ。そいつに深入りするな、とな」
グリンティが最後にまた捨て台詞を吐いて、足早に去った。
あー……、とフェンリスが気の抜けた声を上げ、左右にフラフラと揺れる。
「見苦しいところを見せちゃってごめんね。隊長として情けない」
「部下をかばう隊長としては良かったと思うが」
「優しい部下をもって隊長
隣を歩くフェンリスは肩をすくめる。
悪く思っているようで、根っこの部分までそういうわけではないのが分かった。
……そのグリンティのことも考えると辛い。
けれど、全てを救えるほど俺は万能じゃない。
「ライバルってやつか」
「ライバルかー? 腐れ縁みたいなもんだよ」
「俺も先輩とは腐れ縁みたいなもんかね」
「うーん。後輩君は別に腐れ縁を感じるほど長い付き合いでもないしなー」
「残念だ」
だから、俺は。
「じゃあ、先輩。俺がこの国で信頼を勝ち得たらデートしてくれるか?」
「デートね、デート。デートくらいならお安いごよう……え? デート?」
フェンリスがこちらを向き、笑顔で硬直した。
「ああ。デートだ。この戦いが終わったらデートしてほしい」
だから、俺は死亡フラグを積み重ねる。
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