27 つかの間の休息
グラズヘイムへ帰投するまでの間に、飛行船内に設置されたシャワールームで汚れを落とした。
〈グレイプニル・ファング〉に縛られてもどうにか洗えることができた。
マグネアメシスト・アーチンスライムのベトベトと、鉱山ならではの砂埃の合わせ技で想像以上の汚れだったけどな。
シャワールームから休憩室に出ると、青と赤のコントラストが映える髪を束ねたフェンリスが椅子に座っていた。
重武装からTシャツにダボッとしたパンツ姿に変わったラフな格好だ。
「後輩君、あたしよりも時間がかかるなんてまだまだねー。もっとスピードを上げないと駄目だからね。ま、新人として大目に見てあげるよ」
「そいつはどうも。次から一分で洗えるように頑張りますよ」
「よろしい。飲む? まだお務め中なのでお酒は駄目だけど」
フェンリスは小さな冷蔵庫から取り出した牛乳瓶を掲げた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
はいよ、とフェンリスから牛乳瓶を受け取り、対面の席に座る。フタを開け、一気に飲み干した。
冷えていてほのかに甘みが美味い。
この世界でも冷蔵や冷凍技術は魔道具のおかげで意外に水準が高い。
まあ、場所によるんだが。
しかし、不思議と懐かしい味に思えるのは、シチュエーションのせいなのかね。前世の俺もこうして飲んでいたのかもな。
「お、いい飲みっぷりだねー」
俺の飲みっぷりに満足したフェンリスは、また自分の尻尾にブラシをかけ始める。
「意外? あたしみたいなのが身だしなみに気を遣うのって?」
フェンリスが視線を落としたまま聞いてきた。
「意外じゃないが。戦士が身だしなみに気を遣っちゃいけない決まりなんてないだろ。俺みたいなヒューマンと違って気を遣う部分は多いしな。なにより綺麗なものは綺麗な方がいいと俺は思う」
本当にフェンリスの鮮やかな毛並みは綺麗に映って見える。
「綺麗って……痛っ!?」
フェンリスがブラシを強く動かして尻尾の毛を絡め取ってしまったらしい。
「先輩、大丈夫か?」
「だいじょうぶだいじょうぶー。平気だから心配しないでいいから。ま、まあ、そうだね。あたしの故郷じゃみんなオリジナルの編み込みとかしてたしねー」
「ならいいが、先輩の故郷ってどこなんだ?」
本当は知っているけども。以前の記憶なので知らない振りをよそおう。
「あー……見て分かるとおりアロクシス
フェンリスは奥歯に物が挟まったような曖昧な答えではぐらかした。
アロクシス獣竜共和国はソレイユ教導神聖国と同盟を結んでいる国家だ。〈地の
ただフェンリスは物語の都合で直接関わらないのだが。
今は……踏み込む場面じゃないか。
「なるほどな。色々あって隊長にまで上り詰めたわけか。凄いな」
「今や転落の危機だけどね。君だって自由修復士のアダマンタイトプレートでしょ? 真人間ならトップのオリハルコンプレートでもおかしくない実力だと思うけど」
「だからこうして真人間になるべく修練を積んでるわけですよ」
「あはは。よく言うよ。そんな気なんて一切なさそうに見えるけど」
フェンリスにはもう見抜かれてしまっている。まあ、だいたいの奴は俺の言い分なんでまともに受け取らないか。
「少なくともこの国にいる間はなるべく大人しくするつもりだよ」
「なるべく、ね。あたしもなるべく信用してあげる。だから、聞くけどさ。さっき討伐したマグネアメシスト・アーチンスライムについてどう思う?」
「どう思う、って言うのは?」
「ビョルグ鉱山であんな魔獣は今までいなかったからさ。ちょっと都合がよすぎるかなーって。だからあたしと違って、自由修復士として旅をしてきた後輩君のフラットな意見が聞きたくなったんだよ」
フェンリスは真剣な声で質問を投げかけてきた。嘘はつけないだろうな。
「誰かがミスリル鉱の横流しの件を魔獣の仕業に見せかけるためか」
あるいは、
「あっさり討伐した本人が実はその魔獣をけしかけた張本人で、自分の疑いを誤魔化すためにやったとか」
「あー……そんな感じにまた噂が流されちゃうわけ?」
「かもしれないってだけだ。今は一つの意見として受けとめてくれ」
これもアーサーの仕業なのだが、ここで言っておかしなことになっても困る。そもそも信じられないだろうしな。
どのみちアーサーと配下の者が動くだろう。それはそれで好都合だ。動けば必ず付け入る隙が生まれる。
「大事なのは人為的に起こされたかもしれないってことだ。もちろん突然変異の野生が迷い込んだ可能性もあるけどな」
「なるほどねー。ありがと、後輩君。参考にさせてもらうよ」
「俺も気がついたことがあったら伝えるようにする」
「お願いね。さて、と」
フェンリスはおもむろに立ち上がると、足音を殺して休憩室の入り口に向かう。
「で、あんたたちはいつまでそこいるわけ?」
入り口のドアが開けられると四人の隊員が倒れ込んできた。
悪意のある気配じゃなかったから放置していたが、賑やかそうな連中だ。
「いやいや! 別に聞き耳を立ててたというわけじゃなくてですね! そうウルネが気になる――いやいや! 心配だから見守ろうって言い出して!」
「はあ!? あーしじゃないし! クララがこれは参考になるって言ったからだし!」
「そ、そんなあ。私はやめようって言いましたよお。なのにティリファさんが面白くなるって聞かなくてえ」
「わたくしそんなこと言いましたでしょうか? わたくしは純粋な好奇心で動いただけです。一番動こうとしなかったのはベガリナさんじゃありませんでしたか?」
「ちょお! なんであたしに戻ってくるんですか!?」
獣人にヒューマンにエルフに妖精と人種豊かで喧しく、責任の押し付け合いがひどい。
「分かった分かった。どうやら君たちはフェンリス特別プログラムを受講したいわけだ」
フェンリスは腰に手当て不敵な笑みを浮かべている。
「それだけは許してください!」と声を揃えて言う四人。
多分、フェンリス特別プログラムは想像を絶する訓練のことを指すんだろう。
「喧しいですよ。なんの騒ぎですか。ここが空の上であってもソレイユ教の教えを忘れず、陽天聖騎士団として節度ある行動を心がけてください」
「なんでみんな土下座してるんでしょうか……」
さらに天使の男とヒューマンの青年まで現れ、ますます密度があがってしまった。
「げっ。陰険メガネ副隊長まで。これはつんだ?」
四人の誰かがボソッと呟いた。
陰険メガネ副隊長と呼ばれた天使はメガネをクイッと持ち上げる。
「誰が陰険メガネ副隊長ですか。ともかく状況は察しますが。隊長。いかがいたしますか?」
「そうだね。今回は大目に見て上げようか。ザキエラ。全員、持ち場に連れてって」
「了解です。アルケイディス。ベガリナとウルネを頼む」
「はい! 了解です! ほら立った、立った!」
アルケイディスと呼ばれた青年がキビキビとした動きで、担当の二人をさっと立たせた。
「あ! 最後に! 最後に一つだけ言わせてください!」
と、獣人のベガリナがなぜか俺の前に一歩出て頭を下げた。
「色々曰く付きの問題児とお見受けしますが、どうか隊長の無実を証明するのに力を貸していただけませんか!」
さらに他の三人も前に出てきた。
「そうだよ! 隊長が横領なんて卑怯な真似なんてするはずないってか、そんな頭脳派なことなんてできるたまじゃないし!」
「どんくさい私と違ってえ、隊長は本当に凄い人なんですう。居場所がなくて困っていた私たちを受け入れてくれた優しくて強い人なんですう」
「自分の上司が悪く言われるのは、気分がいいものではありませんからね。どうかお力添えをお願いできましたら」
「未熟な自分からもどうかお願いします!」
さらにはアルケイディスまで頭を下げられてしまった。
「貴様ら……直情的で勝手な行動は慎めと日々言っているだろうに」
ザキエラは大きくため息をつき、首を横に振った。
「全く君たちと来たら。急にそんなことを言われたら後輩君も困るでしょうに」
フェンリスも似たように苦笑いを浮かべている。
「困るというか。俺の素性とかは知ってるんだろ? そんな奴を信用できるのか?」
フェンリスと違って他の隊員とは交流はしていない。
信頼されることは何一つしていないのだ。
「んー、でもクララが言ってたみたいに、あたしたちみたいな落ちこぼれやぼっちや半端者や偏屈者とあんまり変わらないですよね?」
ベガリナがケロッとした顔で言ってのけた。
彼女たちから見たら俺は同類になるらしい。
でも、悪い気はしない。
「そっか。まあ、さっきも言ったけど、協力できることはさせてらもうよ」
俺の言葉を聞いた五人は表情を和らげ、もう一度頭を下げた。
「ありがとうございます! では失礼します!」
満足したのか一瞬で休憩室から去って行った。
「ちょっとベガリナ! 別にあーしは落ちこぼれじゃないんだけど!? 普通に第二部隊希望で入隊したんだけど!?」
「え? そうでしたっけ! 最初は栄光の第一部隊に入隊できなかったーって泣いてませんでした?」
「なんとお……ウルネさんでも泣く時があるんですねえ。ちょっとだけ親近感が湧きましたあ」
「いえいえ。ウルネさんが一番泣き虫ですよ、クララさん」
「あ、そっちじゃないよ! ベガリナとウルネはこっちだよ!」
去った後も喧しい五人だな。
「では、私も失礼します。……どうか私たちの信頼を裏切らないことを願っています」
ザキエラは小さく会釈だけして、静かに五人の後を追った。
さっきまで喧しかった休憩室は一気に静寂に包まれる。
「なんかごめんねー。色々言いたい放題で」
フェンリスが変わらず苦笑いで謝ってきた。
「気にしてないから大丈夫だよ。そもそもまずはここ以外で俺の信頼を得ないと駄目だしな」
「それもそうだ。全くあの子たちと来たらすぐ調子に乗って、早とちりするんだから」
「けど、とても信頼されてるんだな」
「あの五人は最近入隊した子たちで手がかかるんだけどね。可愛いもんだよ」
フェンリスは一転して穏やかな笑みで喧しい声の方を向く。
その横顔を見て死なせたくない気持ちがより強くなった。
彼女や彼ら、なにより俺自身が自分の言葉を裏切らないようにしないとな。
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