ph57 SSSC当日の朝



 8月の、まだ朝日が顔を出さない時間。私はカードをデッキケースに入れ、レッグポーチに収納する。スマホ、ハンカチ、ティッシュ、ヘアゴム等の必要最小限の物も入れてファスナーを閉めた。


 ダビデル島では紙幣が使えず、通貨は全て電子マネーと聞いたので、SSCで得た賞金のうち、10万円分を10万SPサモンポイントに変えた。これだけあれば何があっても大丈夫だろう。


 親を起こさないように静かに階段を降りる。靴を履き、そっと玄関のドアノブに触れた。


 このままアイギスに向かえば、私は精霊狩りワイルドハントとの戦いに巻き込まれるのだろう。そうなれば、きっと後戻りは出来ない。思い描いていた平凡とは真逆な、波乱万丈な人生を送ること間違いなしだ。


 ……本当に行くのか?行って後悔しないか?


 込み上げる不安。ドアノブに触れる手の重量が増した気がした。


「サチコ、行くのね」


 私が今更になってSSSC参加に躊躇していると、後ろから聞こえた母親の声に驚き、後ろを振り向いた。


「お母さん……起きてたの?」

「当たり前でしょう?自分の娘の晴れ舞台よ。見送りぐらいしたいのが親心じゃない。パパも見送る気満々だったんだけど、急用が入ったみたいよ」


 警察官は大変ねぇと、母はのほほんと笑っている。


「私ね、サチコはSSSCに出ないと思っていたの。貴方って極度の面倒くさがりじゃない?SSCも強化訓練も嫌々だったものね」


 さすが私の母親だ。私のことをよく分かっていらっしゃる。



「サモンマッチを始めたのも、虚弱体質を治す為だったのにねぇ」


 しみじみと言う母の言葉に、数年前の事を思い出す。心がこの世界を受け入れられなかったのか、前世の記憶を思い出してからは、よく熱を出して寝込んでいたのだ。


 ベッドから出ることも儘ならず、保育園や幼稚園に通えなかった私を心配した父が、私の為にと世界的に流行っているカードゲーム、サモンマッチのカードパックを買ってきたのだ。


 私は別にカードゲームなんて興味なかった。元々、前世ではインドアな趣味を多く持っていた事もあり、体は辛いが部屋から出られないことに対して、苦痛を感じる事はなかった。本さえあれば暇は潰せるし、小学校に通えなくとも、前世の記憶のある私には小学生程度の勉学に対する心配はなかったから別に良かった。それどころか、小さな子供のテンションに合わせる方がキツいと、不謹慎ながらラッキーとすら思っていた。


 しかし、父親の気遣いを無下にするのは憚れた為、素直にカードパックを受け取り、開封した。すると、そのパックから影法師が現れたのだ。


 私はカードパックから飛び出してきた影法師に物凄く驚いた。驚きのあまり、悲鳴のような声を上げ、無意識にカードパックを父親の顔面に投げつけてしまった。父親も私の声に驚いて叫んでいたのを覚えている。


 そうして影法師と出会い、加護持ちとなってから何故か私の体調はみるみる回復し、元気に走り回る事も出来るようになった。


 理由は分からない。しかし、前世にはいなかった精霊なんてとんでも存在。もしかしたらこの存在が私に何らかの影響を与えてくれたのではないのかと思い、親に心配や迷惑を掛けていた事に対する罪悪感もあったので、影法師の為にもサモンマッチを始める事にしたのだ。


 ……そういえば、初めて買いに行ったカードショップに可哀想な子供がいたな。一発で主力モンスターを引き当てないと父親に怒られるとか何とか……。あまりに理不尽すぎた為、影属性パックでモンスター当てたって言ってたからそのままそのパックを押し付けたなぁ。



「それに、サチコは何も言わないけど、危険な事に首を突っ込んでるんじゃない?SSCから帰ってきてからかしら?少し、様子がおかしかったものね」


 母の鋭い指摘にビクリと肩が揺れる。


「サチコなら適当な理由をつけて意地でも行かないと思っていたのに……貴方って面倒臭がりだけど情に厚いものね。…………本当にそういうところはパパにそっくり」


 情に厚いかどうかは別として、母の言う通り、私はマナ使いの事や精霊狩りワイルドハントについては全く話していない。元々SSSCに出るつもりはなかったし、余計な心配をさせたくなかったから、そんな素振りを見せないように気をつけていたのに……何でバレたんだ?


「心配だけど、サチコにもサチコなりの事情があるようだから止めないわ。でも、その変わり、ちゃんと毎日連絡してちょうだい」


「怪我をしないでなんて言わないわ。でも、無茶はしないで。絶対に無事に帰ってくること」


 約束よと母親が差し出した小指に、応えるように自分の小指を絡めた。


 母の指は少し震えていた。本当は私を行かせたくないのだろう。当たり前だ。私はこの人の子供なのだから。自分の子供が危険な場所に向かうと知って平気な筈がないのだ。


 心が暖まるのを感じる。あぁ、この人は本当に私の母親なんだと改めて思う。


「……うん」


 私の今世での父親の職業は警察官だ。精霊という危険な存在が蔓延るこの異世界で、警察という職業はとても危険な仕事である。アイギスしか精霊に対する対抗手段を持っておらず、アイギスが来るまで、精霊関連の犯罪から身を挺して民間人を守っているのだ。


 今までは何故アイギスしか対処出来ないのかとか、そもそも精霊犯罪って同じ加護持ちが対応すれば何とかなるのではないのかと思っていた。しかし、マナ使いという存在を知り、それがどれだけ危険な事であるかを知った。


 母はきっと、ずっと父を見送っていたのだろう。危険な場所に向かう父を、行かないでと、そう言いたいのを我慢して……。父の仕事を、その気持ちを尊重する為に、自分の思いを圧し殺して来たのだろう。そして今、この瞬間も、私の為にそうしてくれている。


「心配しないで」


 ずっとずっと不安でいっぱいだった。マナ使いとか、精霊狩りワイルドハントとか、サタンとか……。私の理解を越えるようなとんでも展開が続き、更には私のせいでシロガネくんが敵に捕まったのだ。


 本当は、全部全部投げ出して、全部全部タイヨウくん達に押し付けて、温かい家の中で引きこもっていたい。でも、罪悪感に押し潰されそうで、少しでも軽くしたくて、自分から逃げ道をなくした。子供だけに任せてはいけないと、私が助けなきゃいけないんだと自分を奮い立たせ、その勢いのままSSSCに参加する事にしたのだ。


 けれど、母親が、この世界でのお母さんがこうして心配してくれてる事に安心感を覚えた。例え、私が怖くなって逃げ出しても、この人なら受け入れてくれる。情けない私でも居場所を与えてくれるんだと安堵したんだ。


「絶対に帰るから」


 不安な気持ちが少しだけなくなった。この人の思いに応えたいって、何があっても絶対に帰ってみせると前向きになれた。


「いってきます!」


 今度こそ玄関の扉を開ける。もう迷いはなかった。足を前に踏み出し、そのままアイギス本部に向かって走った。


 SSSCでどんな事が起きるかは分からない。五金コガネの言う覚悟なんて全然ないけど、私には帰る場所がある。待っていてくれる人がいるのだ。その事実が私の背中を押してくれる。


ーーシロガネを頼むーー


 すれ違い様、五金コガネにそう言われた時、私は反応する事が出来なかった。今までの態度から、どういう風の吹き回しだと勘探ってしまったのだ。


 けれど、五金コガネも態度に出さなかっただけで、内心ではとても心配していたのかもしれない。


 けれど、五金当主という地位が、アイギス総帥という立場がそれを表に出すことを許さなかったのでは?もしくは、私に余計な負担を抱えさせない為に、あえて冷徹な態度を見せていたのかもしれない。


「……私も、まだまだ子供だったんだな」


 五金コガネの期待に応えてみせるとは断言出来ないが、やれることはやってみよう。


 幸い、私にはタイヨウくん達がついている。結局は子供達を頼りにしていて情けないが、主人公チームが側にいてくれるなら百人力だ。ヒョウガくんと先輩からは守ると言って貰えたし、何とかなるだろう。











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