冒険者協会の養い子~エリカは冒険の旅に出る~

あんとんぱんこ

第1話

その日、その夜、王都の細い裏路地で、一人の男が独身のまま人の子の親となることを決意した。


「エリカ…お前さんの名前は、エリカだぞぉ。今はとりあえず、おっとぉの腕の中で安心して寝ちまいなぁ」


気持ちの悪い猫なで声で話すこの男の名は、センティアボイズ・ガンドーラ。年は、26歳。

通称、旋風大戦斧のボイズ。この国のこの王都で、若くして特級階級を持つ数少ない上位階級冒険者の一人。

そして、今しがた付き合いの長い娼館の贔屓の女に3年ぶりの再会を果たし、ガチのプロポーズをして、すげなく振られた可哀想な男。

大熊のような体躯、浅黒い色の日焼けした肌、大戦斧を軽々と振り回す太い腕と、体幹を支える発達した腹筋と背筋、どっしりと存在感のある太もも。

どこからどう見てもいかつい見た目の、冒険者オブ冒険者。

赤子を見かけた2秒後には腕に抱き、5秒後には名前を付け、その瞬間に父になると決めた男。

その顔は、数秒前まで大泣きしていた生まれたばかりであろう赤子を前に、だらしなく眉尻を下げ、見るも無残なデレデレ顔。

厳めしい体とはかけ離れた可愛らしい大きな二重瞼の瞳が、たった今エリカと名付けられた女の赤子をぶち込まれても痛くないと言わんばかりに、笑んでいた。


路地裏に打ち捨てられた、美しい赤子。薄い肌掛け一枚だけを巻かれ、胸にはセンティアボイズでも何度かしか見たことのない遠い異国の護符を下げ、この辺りでは滅多にお目にかかれない美しい髪の色を持つ女の子。

何らかの問題を抱えているだろうことがアリアリと分かる、小さな小さな命。

振られたショックで飲み過ぎた男には、どんな女との出会いよりも衝撃的な出会いだった。

名付けた名の由来は、昔々に母と姉から擦り切れるほど聞かされた物語の優しく美しいお姫様。

そうこうしているうちに安心したのか泣き止んで眠ってしまった小さなお姫様を腕に抱え、王都での常宿にしている友人宅へと向かって男は速足で歩き出した。


「エリカ~!だめぇ~!それバッチィから~!魔物の核だから~!」

「あぶぶ…」

「だめだめだめ…それもだめぇ!毒薬草の根っこは、死んじゃうから~」

「あ~?…ふぇ…ふぇ…ふぎゃ~~~~~!」

「あ~ったく、何やってんだよ。会長さんよぉ…いきなり取り上げるから、泣いちまったじゃん。エリカ、エリカ、ほら、おじちゃんのキャッシュ君と遊ぼう?ほらほら、お猿さんだぞ~?キャッシュ君だぞ~?」

「う?…きゃ~!」

「キ?キキ…ギギャ~~~!」

「あ~!ダメダメ、尻尾は、尻尾は、やめてやってくれ!噛むな噛むな噛むなぁ!我慢だ、我慢だぞキャッシュ!エリカを、ひっかくな~~~!」

「ふぎゃ~~~!あ~~~~!」

「「ミザリ~!早く来てくれぇ~~~」」

「はいはい。なんで、お乳を作る間ぐらい、ちゃんと遊べないんですか!会長!ハンセン!」

「だって…エリカがぁ!あ~…昨日から書いてた重要書類がぁ…」

「勘弁してくれよぅ…俺に子守なんて、無理だってぇ…こいつ、魔物より魔物じゃねぇかよぉ」

「よしよし、エリカちゃん。お腹すいたよねぇ。馬鹿な男どもは無視して、いっぱい飲んでねぇ」

「んぐんぐ…んぐんぐ…」

大の大人の男2人が1人の赤子に泣かされるという茶番劇が繰り広げられているのは、王都で冒険者たちを取りまとめる冒険者協会の受付。冒険者たちが集い、依頼を受けて出ていき、戻って来ては成果を換金する所。

赤子に弄ばれていたのは、協会の会長であるマスルガン・マドルッセンと2級冒険者ハンセンにその従魔であるサル型魔物のキャッシュ。

そして、その腕に可愛らしく人口乳を咥えて一心不乱に乳を貪る赤子を抱いているのは、上級受付係ミザリー。

エリカと赤子に名付けた冒険者センティアボイズから、依頼をこなす間の子守を申し付けられた可哀想な面々である。


バッタ~ン!!

「エリカ~!エリカちゃ~ん!エリカちゃんの大好きなおっとぉが、帰ってきたぞぉ~!」

「ボイズ!遅いよ!」

「おかえりなさい、ボイズ。エリカちゃんは、今日もお利口さんだったわよ」

「お前が!振ってきた仕事だろうが!マスル。ミザリー、ありがとな。エリカちゃんは、いつでもお利口さんですよねぇ~」

バッタ~ンと大きな音を立てて受付に入ってきた大戦斧を背に担いだセンティアボイズは、開口一番に文句を言う会長に文句を言い返し、隅でサルの機嫌を取るために必死に戯れるハンセンを一瞥して、ミザリーに礼を言うや否や、金髪碧眼の美赤子を抱き上げる。

その顔は、だらんと下がった目尻に、でろんと伸びた鼻の下。顔に似合わぬ高い声で、自らが名付けた赤子の名を呼ぶ。

いくら頬を引っ叩かれても、引き千切らんばかりに唇や瞼や耳たぶを引っ張られても、微塵も動じず、ただひたすらにだらしない笑顔であった。

「マスル、早く清算してくれよ。エリカちゃんが、おねむで待ってんだろうが」

「はいはい…くっそ…センティアちゃんのくせに…」

「あ?」

「何でもない、何でもない。はい、清算金」

「今度その名前言いやがったら、お前ん家どうなるか、わっかんねぇぞ?なぁ?」

同郷の幼馴染の友人であるが故にかどうか、禁忌であるセンティアボイズを活発な美少女だと勘違いしていた時の呼び名をウッカリ口にして、恫喝されるという自業自得で哀れな男である。


こんなにも賑やかしい空気の中でも、エリカと呼ばれる赤子はセンティアボイズの腕に抱かれてすやすやと眠る度胸の据わった女の子であった。

ボイズのならず者の様な大声も何のその、まるで子守歌でも歌われているかのように眠っている。

ある意味では、案外似たもの親子になるかもしれない。

薄桃色の赤子服、胸に下げられた裏面に小さく日付の書かれた円の中に八望星の描かれた遠い異国の小さな護符を身に着けたすべすべとした白い肌、ふっくらとした桃色の頬、ゆるく波打つハニープラチナの髪、今は閉じられた大きなサファイアの瞳の美しい赤子が、今回の物語の主人公である。

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