【彩愛】第三話「それっぽいでしょ……?」

 私は毎日が楽しかった。


 世界はしちサイに溢れ、人はこんなにも幸せになって良いものなのだと初めて実感をしていた。


 だからこそ怖くもあった。今の場所から一歩進んでも、一歩下がっても、この幸せな状態が崩れてしまうのではないかという恐怖に。


 彼と出会ってから二年弱。私の周りには色とりどりの花が咲き乱れていたが、一歩先には深い崖があるように感じ、立ちすくんでいるままだった。


◇ ◇ ◇


 そう思っていた数日後、アパートの共用廊下部分で彼の方から声をかけられた。


「ユキナちゃん、伝えたい事があるんだけどちょっといいかな……」


 漠然ばくぜんと嫌な予感がした。


 彼は私の眼を見ていないし、明らかに苦い表情だった。


 彼の方から声をかけてきたのに、何故か私の部屋に集まって話が始まった。


「……実は、僕が進めている調査の件で海外の方へ行くことになってしまってね。イギリスなんだけど……」


「……何日間くらいなんですか?」


 このトーンで話して数日では無いことなんてわかりきっていた。


 それでも、抵抗せざるをえなかった。


「何日――か……。そうだね、本当に早ければ数日で帰ってくるなんてこともあり得るかもしれないけど、早くて年単位で――それこそ何十年と帰ってこれない可能性だってあるくらい……」


「もう会えなくなっちゃうことなんてないですよね……?」


「それは……」


 流石の私でも察しはつく。


 これはもう二度と会えなくなるという宣言なのだ……。


 涙が止まらなかった。年甲斐としがいもなく声を出して泣いてしまった。


「ごめん……」


 彼が呟く。


「そうだ、明日どこか出かけないかい……? 最後っていうと縁起が悪いけど、せめてもの思い出づくりのためにさ」


 私は涙を浮かべながら頭を縦に振った。


◇ ◇ ◇


 翌日、私たちは手を繋いで水族館を回り、喫茶店きっさてんでお茶を飲み、ゲームセンターで遊び、充実した一日を過ごしていた。


 最後は、夜景が見たいという私のリクエストで、東京タワーのトップデッキに行くことにした。


 時刻は午後八時。二人で手を繋ぎ、夜景を見たまま黙っている。


 先に口火くちびを切ったのは彼の方だった。


「ユキナちゃん、僕がやっている調査について、これまで必要以上に詮索せずにいてくれて本当にありがとう……。君がそういう子だったから、きっと僕もこういう道を選んでしまったのかもしれない」


 私は初めて自分の行いというものをめられた気がして、思わず照れてしまった。


「僕のやっている調査について詳しいことは話せない。けれど、世界中の人にとって大きな影響を与える内容ではあるんだ。そうだな、この世界はいま一つの選択肢しかない。今はサラリーマンになるしかないところに、無職になる選択肢や、アイドルになる選択肢が生まれる。そこに選択肢があるかどうかというのが重要だと僕は思っている。良くなる選択肢だけじゃない、悪くなる選択肢もあって、もしかしたら結果が違ってくるかもしれない、そんな世界を作っていきたいんだ」


 多分、彼がここまで自分のことを自ら語ったのはこれが初めてだと思う。彼は彼なりに明確な区切りを付けようとしているのかもしれない。


 ただ、正直なところ、結局私は彼がやっていることがわからないし、その例えですら正解から遠すぎて理解ができない。


 それでも、彼が何か大事なことを伝えようとしているということはわかる。


 しかし、そう思ってしまうと彼が一気に離れていってしまうような感覚に襲われる。


 胸が苦しい……。


「あの……。私、あなたのことが好きなんです……。ずっと一緒にいたい……。だからどこにも行かないで……」


 私は自分でも驚くくらい突然告白をした。


 今まで伝えたくても言葉にできていなかったことを……。


 ムードも何もなく、周りも気にせず泣きじゃくっていた。


「ズルいよ、そう言われちゃったら僕が悪者じゃないか……」


 彼が泣きじゃくる私を抱きしめ、やさしく頭をでてきた。


「……ここは、そのままキスするところですよ」


「いやぁ、女心おんなごころがわからなくてすまない。でも……これ以上君との関係を進めてしまうのは、僕にとっても、ユキナちゃんにとっても本当に駄目なんだ……」


 微笑んでいた彼の顔が少し寂しそうになる。


 どこか遠いはる彼方かなたを見ているように感じた。


「僕がやっていることは本来であれば定住して行うようなたぐいのものではなく、調査が進めば違う場所へ行ってしまう。そういう流浪るろうの民みたいなものなんだ。そうしたら、いつかは君を一人残して行かなければならない」


「そ、それなら! 私も連れて行ってください……!」


「それは出来ない。君のためを思うからこそ、君を連れていくわけにはいかないんだ……。だから、これ以上の関係を進めるっていうことは君か調査のどちらかを諦めることになってしまう。僕の調査が完了した時、それはこの世界全てに影響を与えるくらいの大きな出来事となるんだ……。それは僕と君の二人分の心と天秤てんびんにかけることすらおこがましいことだ……。だから、君とはこれ以上関係を進めることは出来ない。例え、それが全ての世界で最愛サイアイの人であったとしても……」


 彼が抱きしめてくる腕の強さから、彼もまた離れたくはないのだという気持ちが伝わってくる。


 彼と離れないという選択肢を生み出すことは出来ない。それはもう二人とも理解している。単に認めたくないだけなんだ。


「私、【ルーラシード】さんがどこへ行っても、帰ってくるのを信じて待ち続けます。それと、【ルーラシード】さんが行った先で困っていたら、私の方から助けにいきます。帰って来られないかもしれないし、助けることも出来ないかもしれないけど――それでもこれが私が選んだ選択肢なんです……!」


「ユキナちゃん……」


「だからその代わり、私がキスしたくなった時は代わりにギュッて抱きしめてください……。あなたが出発するまでの間はそれで我慢します」


 私は涙を貯めた眼をにっこりと微笑ませ、彼に笑顔を見せつけた。


「そうだな……じゃあ、おまけで僕の事は『さん』を付けずに呼んでよ。何というか、今更だけどそれっぽいでしょ……?」


 彼は――【ルーラシード】は照れ笑いをしていた。


◇ ◇ ◇


 それから数日して、彼の部屋は空き部屋となり、本当にいなくなってしまった。


 何度か抱きしめてもらったけれど、結局数え切れるくらいの回数だった。


 日時を決めていたらお互いに尾を引きそうではあったし、決められた別れほど辛いものはない。こっちの方がむしろよかったのかもしれないとすら思っている。


 彼がいた部屋に背を向ける。これからまた新しい人生の始まりだと思うと、それはそれで清々すがすがしい気持ちになる。



「宅配便でーす。お名前あってますー?」


 せっかく人が新しい人生を始めるいいシーンを決めていたのだから、こういうのは本当にやめてほしい。


 ついつい無愛想ぶあいそうな顔で受け取ってしまったが、よく考えたらこのアパートに来る前までは私はずっと無愛想な顔をして生きていたのだ。笑って暮らしている時間の方が圧倒的に短かいはずなのに、いつの間にかそれが当たり前になってしまっていた……。


 私はいつからか変わっていたのだろう。


「日付指定便……? ん? かあさんから?」


 私は宅配便の送り主が思いもよらぬ人であることに驚き、部屋に入ってすぐに開封をした。


 中には一通の手紙と、桐箱きりばこに入った上等じょうとうな着物が収められていた。


 手紙には母のつたない字で私宛のメッセージがつづられていた。


□ □ □


 ――ユキナちゃんへ、二十歳の誕生日おめでとう。


 東京で元気にくらしていますか? お母さんは元気です。病気もしていません。


 今までユキナちゃんには迷惑ばかりかけてしまって、ごめんなさい。


 ユキナちゃんがこうしてしっかりした大人になってくれて、お母さんはうれしいです。


 お母さんからユキナちゃんにプレゼントできるものは、これくらいしかないので役に立たないかもしれないけど、よかったら使ってください。


 ユキナちゃんがお父さんのことをきらいだっていうことは知ってます。


 でも、お母さんにとっては最愛サイアイの人です。


 これはお母さんがお父さんと結婚した時に使った花嫁衣装です。


 きっとユキナちゃんにも似合うとおもいます。今までありがとう。


 ――私の最愛サイアイの子へ


□ □ □


 母に手紙越しで言われて初めて気が付いた。今日は私の誕生日だった。


 桐箱から着物を取り出して広げると、それは漆黒しっこくの中に赤く美しい花が咲いた振り袖だった。


 私は母親の昔の話を聞いたことなんてなかったし、母も聞かれないから話さなかったのだろう。


 私からしたら母は母親になってからしか知らないが、当然だが母になる前は母親ではない。ただの女だ。


 当たり前のことなのだが、この振り袖を見るまで何故かそのイメージが出来ていなかった。


 私からしたらクソみたいな父親だけど、母からしたら最愛サイアイの人だなんて考えすらしなかった。


 私の嫌いなブレメンテという姓も、母からしたら父と繋がる唯一のものなのだろう。


 私は今ただの女だけど、私もいつか母になる日が来るのだろうか……?


 想像ができない。特に……あの人以外の妻となることなんて……。


「ホント、色のセンスが彼と同じだし……。出来の悪い母親なんだから……」


 私は涙が振り袖に落ちないよう、上を向きながら涙を何度も拭っていた。


 本当に……本当に、もうちょっと早ければなぁ……。見せたかったな、花嫁姿……。

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