第4話:急転直下の覚醒へ

 イエシキは何食わぬ顔でそこにいた。

 呆然と見上げる江刈内のマヌケな表情に、「イ」とも「ヒ」とも取れない発音で笑う。

「俺の……『夢』?」

 どうして急に現れたのか、どこにいたのか、無事だったのか、など。

 聞きたいことはたくさんあるが、それよりも彼女の登場で安堵する気持ちが大きかった。

「言葉の通りさ。ここは『奴ら』に鑑賞される『君』の夢」

「鑑賞?」

「人間の恐怖や怯えは『奴ら』の大好物だからね。ここは、君の潜在的な恐怖や悪夢を表現しているわけだよ」

 にわかには信じられない話だ。だが、この非現実的な世界では、何が正しいのかなんて判断できない。

「何で俺なんだよ!」

 そんなよく分からない者に目を付けられる覚えなどない。

 顔を青くする江刈内に、イエシキは独特な笑い方をしながら、どうと言うこともなく答える。

「運が悪かったね。『奴ら』にとっては、誰であろうと大差はない。偶然見つけた虫を拾う子供と同じ。理由なんてないよ」

「そんな。理不尽な」

「理不尽だよ。『奴ら』にとって人間なんて、取るに足らぬ存在なのさ」

 信じられない。でも、彼女のセリフが本当のような気もしてきた。

「あの化け物たちが、お前の言う『奴ら』って存在なのか?」

「いやいや、それはあくまでも君のヴィジョン。しいて言えば、あれかな」

 イエシキが指さすのは外の巨大な目。

「『奴ら』の一部を認識した君が、それっぽい存在として作り上げた物だがね」

「ちょっと、意味が分からない」

「分からなくていいんだよ。全て認識してしまったら、人間の頭なんてパーンだよ」

 楽しげに破裂する仕草をして見せる。何がおかしいんだ?

「ここが俺の夢なら、お前は何なんだ?」

 ここが自分の作り出した妄想ならば、どうしてイエシキがいるのか。

 彼女は頭をポリポリと掻く。

「そうだよね。そりゃ、そう思うよね。ホント困ったちゃんだよね。僕は意識だけ、君の夢に囚われてしまった被害者」

「なんで、俺の夢に?」

「ほら、僕って人に気を使って生きてるじゃない? だから、共感性が高いわけよ」

「ウソを吐くんじゃないよ! お前から気付かいなんて1mmの感じたことないわ」

 イエシキの言葉に食い気味で突っ込んでいた。それは意図したというよりも勝手に口から、言い慣れた感じで出る。

「飲み会の乾杯の前にドリンクは飲み干す。大皿のサラダを直箸で食べ始める。唐揚げに勝手にレモンをかける。おまけに、お前は唐揚げを食べないってどうゆうことだよ! 自己中過ぎるだろ」

「いやー。名は体を表すと言いますからな」

「やかましわ!」


 あれ? なんでこんなにもイエシキと仲良く話してるんだ?


「まぁ、君と僕には繋がりがあったんだろうね」

「繋がり?」

「起きたら分かるんじゃないかい?」

 はぐらかすための言い訳にも聞こえるが、それ以上は答えない。

「どちらにしても、君が夢から覚めないと、僕も出れないわけ。だから、『奴ら』からの影響を薄くしようと思ってね」

「薄く?」

「共通言語だよ。江刈内君」

 平らな胸を逸らしてドヤ顔を向けてくる。

 心底、ウザい。

「これを言い続けることで、夢の中の無意識を刺激するんだ。すると悪夢は、どこか君の見覚えのあるものに変化していく」

 飲み会、ウザい先輩、ゼミの同期たち。言われてみれば、そんな気もしてきた。

「じゃぁ、このラウンジにも?」

「いや、ここは君の深層心理が働いてるんだろう。ざっと見た限り、性的欲求を現すシンボルが多いから……」

「止めろ! それ以上、男子大学生の頭の中を冷静に分析するんじゃない」

 逆にこっちが冷静になる。

「それでこの夢からは、どうやったら目覚められるんだ?」

 イエシキは大きな目を嬉しそうに細め、近距離まで接近してくる。

「簡単だよ。君はすでに覚醒寸前まで浮上している。あとは『奴ら』が君とのリンクを切れば終わりだ」

「そのリンクはどうやって切るんだ?」

「残念ながら、人間側からは切れないよ。そんな恐れ多いことはね」

「なら、どうすんだ?」

「『奴ら』はこの夢を楽しんで見ている。君は面白くない番組を見たら、見続けるかい? チャンネルを変えるか、電源を切ってしまうだろ?」

「俺が怖がったり、ビビったりしなきゃいいのか?」

 そう言いながら、視線をイエシキからラウンジへ移すと、そこには埋め尽くすほどの影が見つめている。見開かれた目だけが異様に生々しく、忘れていた恐怖がぶり返してきた。

「こらこら、せっかくいい調子なのに」

 イエシキが両手で江刈内の顔を挟み込むと、強引に視線を自分へ向けさせる。

「ここは君の深層心理から作り出される悪夢。抗うことのできない恐怖さ。克服する前に自我が崩壊しちゃうよ」

「じゃ、じゃあ。どうすればいいんだよ」

 激しくなった動悸をなだめながら視線を向けると、彼女は「フッフッフ」と不敵に笑っている。

 何が面白いんだ! こっちは必死なのに。


 怒りが湧いくる江刈内に、イエシキは一番のキメ顔をし、低い声を作り、言い放つ。


「ならば、神とも戦うまで」


「お? どうしたイエシキ?」

 突然、イエシキが演技めいたセリフを言い始めたので、目が点になる。

 さらに人差し指を上に向けるポーズを取る。


「江刈内君、天に帰る時が来たのだ!」


 何を言い出した? でも、どっかで聞いたことのあるセリフ。


 戸惑う江刈内を余所に、別の声が聞こえてきた。

「悪党に墓標はいらん‼ 将星、堕ちるべし!」

 見れば、服部の偽物が指の骨を鳴らしながら仁王立ちしている。しかも、身体もデカくなってる。

 イエシキと服部が、謎の緊張感を纏いながら、なぜか対峙する。

 

 え? 何が始まった? 別の意味で自分の正気を疑いたい。


「イエシキ。貴様だけが奥義を取得したと思うなよ」


「何?」


 服部は静かに息を吐く。

「この心を血に染めて、哀しみを背負うことができたわ」


 すると声が増えた。

「もはや奥義は武器にならぬ。いわば無。ゼロに戻った」

 頭の大きい男が神妙な面持ちでいた。


「神はなぜ、同じ時代に2人の非凡な者を送り出したのだ!」

 口だけの連中が口々に言う。


 影たちは2人の対峙を凝視し、どよめきが起こる。

 まるでお遊戯内のような状況がどんどんと勝手に進んでいく。


 なんだこりゃ? 北斗の、けん?


 その瞬間、「モォ~」との不快音が鳴り響き、外にあった巨大な瞳が収縮。そのまま消えた。同時に学校が揺れ始め、窓ガラスが割れて、壁が崩れていく。

「こ、今度はなんだ?」

「お、リンクが切れたね」

 気が付けば、影も頭の大きな男も、口だけの連中もいない。イエシキだけが立っている。


 学校の崩壊と同時に、周囲の景色が目まぐるしく変わっていく。

 学校の園庭、家、教室、近くのファミレス、駅、そして乗り慣れているローカル電車の車内。


 誰もいない車内に江刈内は立っていた。

 窓の外からは見慣れた光景が流れている。

「どうなってんの?」

「だ、か、ら、共通言語で君の夢をいじったのさ」

 頭上の荷物棚に寝転がるイエシキは達観したように言う。

 ってか、どこでくつろいでるんだよ。

「君の想像をほんの少し押してやれば、後は夢が勝手に転がってくれる」

「そんなことで?」


「夢なんてこんなもんでしょ」


 ニンマリと笑うイエシキに、釈然としない江刈内は正面の席に腰を下ろす。

「それに、言うほど簡単な事じゃない。僕のような第3者がいないと無理な話さ。まぁ、だから君の夢は僕を排除しようとしたんだ」

 ここで1番の疑問を聞いてなかったことに気付く。

「お前、なんなんだよ?」

「僕の存在を、疑っているのかい?」

 ぎこちなく棚から降りてくる。

「いや、じゃなくて、なんでいろいろと詳しいんだよ? こんな状況なのに焦ってないし」

「焦っているさ。ホントは焦りすぎて脇汗すっげーよ。見てみる?」

「見ない」

 ぶっきらぼうに返す江刈内に、万歳のポーズを取るイエシキは可笑しそうに笑う。そして、小さく息を吐き出して答え始める。

「君はどんな答えを期待しているのかな。でも僕は普通の大学生で、君の同級生さ。少しばかり『奴ら』を観察するのが趣味ってだけ」

 不意に飲み会の記憶が蘇ってくる。その場でも彼女は、手当たり次第に人を捕まえては『奴ら』について話していた。江刈内も例外ではない。

「でも、ホントにそれだけか?」

「……そうだね。まぁ、夢を共有した仲だ。特別に教えてあげよう。僕はね……」

 思わず身を乗り出して聞く姿勢を取った江刈内だったが、イエシキからの回答はない。

 そこにはスッと立ち上がり、窓から入ってくる赤い陽光を浴びる姿が。その顔は、まるで猫のように気持ちよさそうに目を閉じる。

「イエシキ?」

「すまないね。どうやら時間のようだ。いやー楽しい時間だった。さらば!」

「ちょ、待て! 『さらばだ』じゃねぇよ! 教えてから消えろ!」

 そういう頃には、イエシキの姿は消えていた。

 江刈内の体も浮かび上がるような感覚が強くなっている。

 覚醒が近い。


 しかしあいつ、わざと言わずに消えやがった。



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