虚ろう『奴ら』は夢見て嗤う
檻墓戊辰
第1話:目が覚めたら……
「この世界には、人間の知覚を凌駕する存在、『奴ら』が存在するのだよ」
彼女はそう言ってニンマリと笑う。
そんなことをいきなり言われても、俺はどうしたらいいんだ?
背筋を這うような寒気を感じて、思わず目を覚ました。
江刈内(えかりない)は体をビクつかせて顔を上げるが、しばらくその場所がどこなのか理解できない。
いや、自分のいる場所なら分かる。
いつもの教室だ。
大学の講義で使っている教室の景色。入学して9カ月。さすがに見慣れた物だった(8月と9月は夏休みなので、実質7カ月しか見てないが)。
そして、自分は後方の机に突っ伏して居眠りをしていたらしい。大学にも慣れたとはいえ、1年目で堂々と居眠りとは我ながら胆が据わっている。
ただ、いまいち思考が追い付かないのは、教室の様子がおかしいからだった。
生徒の姿が見えない。
40人程が入れる部屋は静まり返っており、まるで先ほどまで講義をしていたかのように前の黒板にはいろいろと文字が書かれている。室内には明かりが付いているが、所々のLEDライトが点滅しているせいか、妙に薄暗い雰囲気を醸し出していた。
そして、何よりも寒い。
季節は12月。寒いのは当然だが、常に教室には暖房がかかっているので、いつもなら室内は温かい、むしろ暑いぐらいなのだが……。
すでに講義は終わり、全員出て行ったのだろうか。自分だけ起こされずに?
頭に靄のかかったように思考が定まらない。まず、自分は何の講義を受けていたのか……。
やけに、点滅する光が作り出す暗闇が気になる。視線が引き込まれるようでいて、胸を締め付けられる不安に動悸がしてきた。
目が離せない。
「おい、江刈内!」
ジッと暗闇に見つめていた時、背後の席から肩を掴まれた。
集中していた上に突然のことで、不覚にも「うお!」と声が漏れてしまう。振り返ると、短髪メガネの男が不安そうな目を浮かべている。
「江刈内、どうなってんだ? 誰もいねぇぞ」
しばらくその男の顔を眺めていると、男は訝しげに「大丈夫か?」と尋ねてくる。
「あ、悪い、何かボーっとしてた」
そうだった彼は友人の服部(はっとり)だった。やっぱり思考が回ってない。友人の顔と名前が思い浮かばないなんて。
どうやら彼も居眠りしており、起きた所らしい。
いつものメンバー数人で講義を受けていたが、気が付けば江刈内を除いていなくなっていた……らしい。そうそう。そうだった。
やはり少し思考が回っていない。
改めて室内を見渡すと、1番前の席に人影を見つけた。
さっきは見落としていたようだ。
目を凝らすと、机に突っ伏している黒いフリースジャケットが微かに上下している。
「誰かいる」
寝ているらしい。
「ほっとけほっとけ。さっさと教室出ようぜ」
服部は促すも、ここに独り残して帰るのは心苦しい。それに、同じく置いていかれた好(よし)みだ。起こしてやろうではないか。
鞄とジャケットを持ち、教室も前まで移動して軽く肩を揺する。
すると、その人物は小さくうめき声を上げてから、ガバッと弾かれたように頭を起こし、大きな目を見開いて叫んだ。
「あべしっ!」
数瞬、時が止まった。
江刈内はいきなりの出来事に目を白黒させて、目覚めた人物は寝起きで意識が朦朧として。
見たことある顔だ。と言うより、知ってる。
その目覚めた人物は大学内でもかなり浮いた存在で、しかも江刈内とは同級生かつ同じゼミ生。親しいとは言い難いが、お互い知らない顔ではない。
何よりも不思議な性格だけでなく、名前が特殊すぎてぶっ飛んでいる。
己己己己 己(いえしき・つちの)
読めないが、一度見たら忘れない。
それがこの目の前で寝ている彼女の名前だ。
イエシキはキョロキョロと教室内を見渡してから、目前の江刈内に視線を戻す。
「ああ、江刈内君じゃないか。脅かさないでくれよ」
妙に間延びした特徴的な名前の呼び方をしながら、大きな目を細め、鋭い八重歯を見せながらニンマリと笑って見せる。
強いクセ毛を肩口で短く切っており、ツンと筋の通った鼻に小さめの口、特徴的な大きな目を持つ。美人で通りそうな顔つきだが、痩せており不健康そうなのが残念なポイントだった。体付きも細身と言うよりも痩せすぎ。170オーバーの長身のせいで、余計に細く見えてしまう。
「驚いたのは、こっちだよ。変な声上げて、起きるからさ」
「はて? そうだったかい。覚えていないね。何せ、寝起きだから」
そう言いながら、再び教室をキョロキョロしている。さすがの彼女も今の状況には驚いているようだ。
すると、ポケットから何かを取り出すとゴニョゴニョと呟き始める。最初はスマホを取り出したのかとも思ったが、よく見るとポケットラジオだった。しかもかなり古い。ってか、見るからに壊れてる。
その壊れたラジオに向かって、話しかけている。
やだ、怖い。
そう、このイエシキという女。所々、奇行が目立つ。
「あの、イエシキさん。何してるの?」
「すまない。江刈内君。待っていてくれ」
何待ちですか?
しばらく独り言を言い続けていると、ようやく「ふぅ」と満足したのかラジオをポケットに戻して視線を江刈内へ向けて一言。
「なるほどね!」
あ、ダメだ。会話できない人だ。知ってたけど。
「いいかい? この世界には、人間の知覚を凌駕する存在、『奴ら』が存在するのだよ」
「はい?」
唐突に不思議ちゃんパワー炸裂のイエシキに付いていけない。
「ほら、怪談や都市伝説、幽霊に妖怪、UMAに宇宙人。天使、悪魔、あるいは神。呼び方なんて何だっていい。摩訶不思議な物や事はね、『奴ら』の片鱗を認識して起こるバグみたいなものだよ」
「はぁ……」
いきなりそんなことを言われても困る。だが、何だろう。前に聞いた気もする。
「『奴ら』にとって、人間なんて取るに足らない下等な存在だからね」
ヤバい、早くここを離れて、帰りたい。
少し後ろにいる服部の面倒そうな視線を、背中で感じる。彼もイエシキと、あまり関わりたくないのだろう。
「そうなんだ。それは、大変だな。じゃぁな。良い話聞けたわ」
「江刈内君、非日常は『奴ら』の大好物だよ。君も運が悪いね」
「はっ?」
立ち去ろうとする江刈内に、イエシキは意味ありげな含み笑いをする。
この笑みを見ると、めまいがしてくる。言い返そうとした時、教室に取り付けられたスピーカーから、雑音が流れる。
「モォ~」
あえて文字に起こすならば、そんなところか。加えて言えば、濁点が付いているかもしれない。籠り間延びした音とも声とも聞こえるそれは、人の精神をざわめかせながら、底知れぬ不安を抱かせる何かがあった。
「おい、江刈内。行こうぜ」
服部がその音に身をすくませる江刈内を呼ぶ。
「そうだな。なんか変だよな。さっさと帰ろうぜ」
江刈内が言うと、言葉を返したのは服部ではなく、イエシキだった。
「そうだね。ここは変だね。帰るという提案には僕も賛成だね」
お前に言ってねぇよ。とも思ったが、グッと心に思い留めた。
見れば彼女も荷物を持って立ち上がっている。付いてくるようだ。
ただでさえ不気味な状況なのに、彼女がそばにいると余計にそう感じてしまう。
極力、イエシキを意識しないようにしながら、江刈内は教室を出た。
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