143話 Accomplice

 *


 繁華街にある、大量の蔦が這う白い教会の廃墟────その地下にはかつて、とある組織の隠れ家があった。床があちこち汚れて、壁にかけられた抽象的な装飾品なども破壊されている。照明も破壊されているため、頼りになる明かりはない。

 その組織の名は、「ミストリューダ」。真なる神を崇め、世界を混沌に陥れようと活動を続ける、一見宗教団体のようなものであった。神々だけが生きる箱庭・キャッセリアにおいて、ミストリューダは最高神の意向や存在意義にすら反する集団だ。

 エンゲルというコードネームを与えられた構成員、ジュリオ・ベルサイファーは、薄暗い廊下の壁際に座り込み、目を閉じていた。白かった軍服はところどころ赤く染まり、穴が空いている部分もある。


「エンゲルさん……? どうしてここに?」


 炎が揺らめくランタンを手に、誰かがジュリオに声をかけてきた。黒いローブの人物が、ジュリオの前に姿を現したのだ。

 子供の声とジュリオより低い背丈以外、人物の特徴を言い表せるものはなかった。


「日中、隠れ家が魔特隊に見つかったという話を聞きました。ここはもう放棄すると、ノーファ様がおっしゃっていましたよ。計画は順調に進んでいますから、何も心配することはないって」


 ジュリオが何も答えず無視しても、独り言のように呟き続ける。ゆっくりと金色の瞳を開けたジュリオは、目の前に歩いてきた人物に自嘲の笑みを向けた。


「……ノルン。ぼくは神殺しになったんですよ」

「え? あの……?」

「アイリスを殺したんです。やっと、積年の恨みを晴らすことができたんです。これで、ぼくの大事なひとを取り戻すことができる……嬉しいはずなのに、なぜか素直に喜べないんですよ」


 日中、ジュリオは自身の銃でアイリスの頭を撃った。実際に死んだかどうかを確認する前に意識を失い、壊れた街から離れたので、現実味はおろか達成感すらうまく味わえなかった。そして、自分のやったことを何度も思い出すことをやめられないゆえに、一人で隠れ家の跡に佇んでいたのだ。

 ノルンはジュリオに近づき、ランタンを自分の横に置く。そして、片手をジュリオの身体へと向けた。


「『クロノス・オペレーター』〈リワインド〉」


 手のひらから青白い光が現れ、ジュリオの身体を包み込む。眩しすぎない光は、彼の傷口と衣服の損傷を徐々に「巻き戻して」いった。

 やがて、光が薄れて消えていった。その頃には、ジュリオの姿は作戦前の万全な状態に戻っていた。


「エンゲルさん……いえ、ジュリオさん。アイリス様は、まだ生きていますよ」

「…………え?」

「とはいえ、あまり長くないのは確かですが。僕は安心しましたよ。本当にアイリス様を殺したら、あなたの命が危なかったんですから」


 声色が少しずつ冷えていく中、ノルンは深く被っていたフードをとった。人物の顔立ちが露わになり、ジュリオは思わず目を見開いた。

 黒いローブの下に隠れていたのは、金髪の子供だった。赤と緑のオッドアイが目に入ったとき、今までノルンと呼んでいた人物の正体を理解する。


「トゥリヤ・デスティリオ様……!? なんで……」

「かしこまらなくていいですよ。お互い、ありのままの姿で話しませんか?」


 黒いローブを脱ぎ捨てて、懐中時計の装飾がついた中折れ帽を被った。ローブを着ている間は邪魔だったのだろう。

 ミストリューダという隠れた組織に属していながら、二人の神は自らの姿を偽ることをやめていた。奇妙な沈黙が流れ、ジュリオは怪訝そうにノルン──否、トゥリヤを見つめた。


「なんで、ミストリューダにいるんだ。あんたは現役のアーケンシェンじゃないか」

「個人的に知りたいこととやりたいことがあったからです。星幽術とかアストラルも、そのために必要だったんですよ」

「……アイリスに何か言われたのか?」

「アイリス様や他の皆さんの意思は関係ありません。僕自身が望んだことです」


 キャッセリアの一般神たちにとって、トゥリヤはあわてんぼうだがとても礼儀正しく、穏やかな少年という印象が強かった。だが、今ジュリオの前にいるトゥリヤの態度は、その印象とはかけ離れているほど淡々としており、しかめっ面をしている。色違いの瞳の奥で何を考えているのかさっぱり掴めない。

 わざわざ放棄される予定の隠れ家に舞い戻ってきた挙句、同じ構成員に正体を明かすという大胆な行動に出た理由など、考えられるわけもなかった。


「それより。アイリスを殺したらおれが危なかったって、どういうことだ」

「今殺してしまえば、逆にあなたが殺されることになるんです」

「……誰に?」

「リコリスです」


 ジュリオたちと同じくミストリューダに属している、ある構成員のコードネームだった。

 今回の生誕祭での作戦で、リコリスは作戦の要を担っていた「ピオーネ」を連れ戻す役割を担っていた。ピオーネの精神はひどく不安定な状態であるため、自力で行動することが困難であったからだ。


「リコリスに殺されるって……あいつの正体を知っているのか?」

「知っています。とある事件以降、僕はずっと彼女を監視していますので」

「誰なんだ?」

「詳しくは話せません。だけど、彼女はアイリス様に凄まじい執着を向けています。仮にアイリス様が亡くなるようなことがあれば、その矛先があなたに向く可能性があるということだけお伝えしておきたくて」


 ふと、ジュリオはリコリスの口から出た「お母様」という言葉の正体を考えた。人間がミストリューダに入っているかもしれないという噂に憤慨した彼女は神であり、それなら生みの親は自分と同じということになる。

 リコリスとはまったく気が合わず、彼女の意見に賛同できない部分が多かったのも納得した。ジュリオとリコリスでは、考え方がほとんど正反対だったからだ。


「アイリス様を殺したいのなら、止めはしません。僕にあなたを止める資格などありませんから。だけど、しばらくは大きな動きを見せない方がいいと思います」

「……まさか、そんなことを言ってくるとは思わなかったな。トゥリヤは、いつミストリューダに入ったんだ? 少なくとも、おれより後だろう?」


 ジュリオの問いに、トゥリヤは帽子のつばを持って目元を隠すように深く被った。


「長年の疑問の答えがここにあると確信して、もう十年くらい経ちました。でも、もはやここにいる意味はないかもしれません」

「あんたも罪深い奴だな。十年前からミストリューダに与しているなら、神隠し事件や他の事件の犯人も最初から知っていたはずだ。あの断罪神と一緒に事件の調査もしたくせに、告げ口すらしなかったんだろう? ひどい話だ」


 ジュリオは憐れむような目でトゥリヤを眺める。深く被った帽子の下で、気まずそうに目を逸らしていた。


「……あなただって似たようなものじゃないですか? 僕と同じ、共犯者ですよ」

「共犯、か。そうかもな」

「僕たちは神々の裏切り者です。今更、足を洗うことなんてできないでしょう」


 奇妙なことに、互いに自嘲の笑みを浮かべている。

 ジュリオは壁から身を離し、元隠れ家の奥へと歩いていく。トゥリヤはその場に立ち尽くしたまま、右肩にのみ翼が生えた背中を目で追うだけだった。


「……聞かないのか? おれがどうして、アイリスを殺そうとしたのか」


 自分を追ってこないトゥリヤを不思議に思い、振り返って尋ねた。ランタンの明かりに照らされながら、未だに自嘲の笑みを張り付けている。


「相手の傷をむやみにほじくり返すのは好きじゃありません。それに、アイリス様に不満を抱くひとって、実は意外と多いんですよ?」

「おれのは不満なんてものじゃない。あいつのせいで、おれたちは完全な形で生まれることができなかったんだぞ」


 ジュリオは俯き、拳を握りしめながら奥歯を噛み締める。左手で引き寄せる右肩越しに、銀白の鎖が巻かれた白銀の翼が震えているように見えた。トゥリヤは自嘲をやめ、ほとんど無表情の状態でジュリオを見つめている。

 やがて、ジュリオは俯くのをやめて、トゥリヤの色違いの瞳と目を合わせた。


「トゥリヤ。あんたは、おれたち神がどうやって生まれるか、知っているか?」

「……いいえ。僕の中にある『時の記憶』にも、それについての記載はありませんし」

「キャッセリアのすべての歴史を把握しているあんたでも知らないのは当然だ。これは、アイリスが必死で隠している秘密だからな」


 そんなものを、なぜジュリオが知っているのか────当然、トゥリヤは疑問に思った。だが、この場では余計なことだろうと、何も聞かずに彼の話を聞き入れるのだった。


 *


 ぐちゃ、ぐちゃ。何かを貪る音が部屋中に響き渡っている。

 この地下室の奥には、白く大きな炉のような装置が置かれていた。それよりも入り口に近い手前には、複数の本棚が壁際に設置され、いくつかの不透明な黒い箱が部屋を取り囲むように置かれている。

 今は、その黒い箱の蓋がすべて開けられ、翼のようなシルエットを持つ人影が箱の中身を荒らしている。部屋自体に照明というものはなく、部屋のとある場所に置かれた一つのランタンだけが今ある明かりだった。


「ほうほう。現代神とは、こういう作られ方をしているのか。どうやってあんな量になるまで繁殖しているのだろうと思っていたのだが……まさか、人体実験で生産されているとはね」


 部屋の端には、広いテーブルと椅子が置かれていた。ランタンをテーブルに置いた状態で、とある人物が椅子に座って本を読んでいた。短い銀髪が橙の光を照り返し、虚ろな銀の瞳の中でゆらゆらと明かりが揺れている。

 左頬の泣きぼくろが特徴的なその人物は、男とも女とも判別できない見た目をしていた。黒い装束には煌びやかな装飾がいくつも施されており、一見とても知的で高貴な人物に見える。


「現代神は、古代人の死体を材料に作られた、人ならざるひと……平たく言ってしまえば、人間の死体を繋ぎ合わせて独自の魂を定着させた『人造人間ホムンクルス』といったところか。随分と傲慢なものだ」

「アンタ、さっきからうるっせぇんだよ。ちょっとは静かに待てねぇのか」


 ふと、人影が動きを止めて泣きぼくろのひとへ悪態をついた。人影の声に、紙をめくっていた手を止めて顔を上げる。泣きぼくろのひとは笑うことも、怒ることもせずに返事を返した。


「まあまあ、気にしないでくれ。君こそ、箱を早く空っぽにしてしまった方がいいんじゃないかな?」

「……ちっ」


 舌打ちが聞こえてしばらくした後、再び人影は気味の悪い音を立てながら食事を続行する。それを確認した泣きぼくろのひとも、読書を再開した。

 何かを乱暴に食い尽くす音と、僅かに立ち込める腐臭を背景に、泣きぼくろのひとは悠々自適に本を読み進めていた。ぶつぶつと独り言を呟きながら紙をめくっていくが、呟きを聞いているのは本人と箱の中身を貪る人影だけだ。


「並の神に、こんな奇跡を量産するようなことができるとは思えん。アイリスに何か特別な力があるのかもしれないな。現代神は人間の死体から生まれた長寿の生命体に過ぎないが、彼女はれっきとした古代神の子孫だ。初代から力を受け継いでいても不思議ではない」

「おい、終わったぞ」


 音が止み、人影が箱から離れた。泣きぼくろのひとに近づいていくと、ランタンにその姿が照らされる。黒が強い赤にまみれた身体と黒い血で固まった髪、そして青と赤の鋭いオッドアイが視認できた。背中には少しボロボロだが、黒い翼も生えている。

 泣きぼくろのひとは近づいてきた人影を見上げ、読んでいた本を閉じた。


「ご苦労だったね。これで、君は晴れて自由の身だ。どこでも好きなところへ行くといい」

「……いいのかよ? オレの正体はもう向こうに割れてるぜ。しかも死んでるってのに」

「でも、君の身体は生前とかなり近い状態になったのではないかな? 魂だけは生き残っていてよかったじゃないか。損傷を直すためには人の血肉が必要だったんだから、君も私も得しかしていない」

「アンタの得ってなんだよ。まあ、別にどうでもいいけど」


 泣きぼくろのひとはランタンを持ち、椅子から立ち上がる。


「ああ、そうだ。これを君に返しておこう。大いに役立たせてもらったよ」


 先程まで読んでいた本を掴んで、男に差し出した。男はしばらく何も答えなかったが、やがて忌々しそうに目を逸らす。


「オレの研究資料、こんなところに隠されてたんだな。オレが死ぬ前にカラスのじじいに回収された後、どうなったんだろうと思ってたけど」

「機密事項のようだからね。だが、自力でここまでの真実に辿り着けたなんて素晴らしいよ。もっと自分を誇りに思ってもいいんじゃないかな?」

「今となっては負の遺産だよ」


 男は本を乱暴に奪い取り、ボロボロになった服の懐にしまい込んだ。それを確認した泣きぼくろのひとは、何もないところから真っ黒で長い杖を召喚する。杖を掲げ、禍々しい力を先端から溢れさせた。真っ黒で視認しづらい不気味な光が、二人の者を包み込もうとしている。

 彼らは、誰にも悟られないようにこの場所から離れるつもりでいる。そのための力が、今にも行使されようとしていた。


「預言者サンよ。ここまで連れてきてくれたことには感謝してる。けど、多分アンタには二度と協力しない」

「くふふ、それでいい。私はいくら敵が増えようが構わないさ。むしろ、新たな力を得た君が成長して、いつか私を倒しに来てほしいくらいだ」

「……アンタ、マジで頭イカレてるな」


 男が冷めた目で吐き捨てる中、泣きぼくろのひと──預言者は、このとき初めて不気味とも言える笑みを浮かべた。


「そう言われてもねぇ。底知れぬ虚無へ立ち向かう偽神君たちを傍観することが、今の私にとって最高の娯楽だからねぇ?」


 時間の感覚が失われそうな地下深くで、預言者と呼ばれた銀髪の人物は世にも邪悪な笑い声を上げるのだった。

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