EPISODE 29:治療


「……ん、あれ、ここは?」


 まぶたを開くと、視界いっぱい暗緑色の木々。微かに聞こえてくるのはせせらぎ。近くで川が流れているようだ。

 どうやらここは山の中。いつの間にか日はとっぷり沈んでおり、墨を流したような暗闇が立ち込めていた。

 眠っていた、否、気絶していたのだ。

 はっとした遊は弾かれたように起き上がるも、


「――ッ!?」


 腹部を中心に、鋭い痛みが突き抜け波紋を描いていく。よく見れば上半身裸で包帯ぐるぐる絆創膏ばんそうこうべたべた。不器用な処置の隙間から覗くのは、くっきり押印された歯型のキスマークだ。キュームの吸血痕が痛々しく刻み込まれている。


「待って遊ちゃん、今包帯取り替えているところだから」


 隣でわちゃわちゃ、ピットが救急箱と格闘している。不器用な治療は彼女によるものらしい。何故白衣の天使役までミイラ状態なのか意味不明ではあるのだが。


「もう、血をいっぱい吸われて真っ青で、ホントに大変だったのよ?」

「血? ……ああ、そうか」


 段々と思考が回り始め、記憶も鮮明によみがえってくる。

 下塩塚に潜んでいたキュームとの戦闘、という名の不意打ち攻撃とわいせつ行為のコンボ技。あれよあれよという間に抑えつけられ、強制的に献血ぶっこ抜きで貧血状態。薄れゆく意識の中でピットを召喚した記憶はあるものの、そこで意識はブラックアウト。以降は全く覚えていない。

 あれから一体何がどうしてこうなったのだろうか。


「うふふ、ママがだっこで運んであげたのよ~?」

「あ、そうなんですか。ありがとうございます」

「もうっ、かしこまっちゃって! 遊ちゃんのママなんだから当然でしょ~」

「はぁ」


 こうして無事なのも、滅茶苦茶めちゃくちゃながらも治療を受けられたのも、全てピットが頑張ってくれたおかげらしい。

 本当に危ないところだった。もし召喚が少しでも遅かったら、今頃血抜きの末に哀れな干物と化していただろう。


「……あれ?」


 だが、違和感があった。

 気を失って無防備だったはずなのに、どうしてピットは助けてくれたのだろうか。召喚しただけで指示を出す暇はなかった。そもそも意識がないので制御も何もなく悪戯いたずらし放題。まな板のこい、どうぞ好きにして下さい状態である。これまでの犯行からして何かしない方がおかしい。

 だが現実は真逆。気の迷いなのか、大真面目に治療をしてくれているのだ。変態怪人の生態とはかけ離れた行動だろう。明日は大雪でも降るのだろうか。首を傾げずにはいられない。

 もしかして、ピットは……。


「目が覚めたみたいランな」


 ふよふよ~、ふよふよ~。

 淡い輝きを伴いグランがほたるのように飛んでくる。入浴後、正確には川で水浴びをしたのだろう。髪の毛とワンピースがしっとり濡れており、地肌に貼り付いてボディラインがくっきり。控えめな胸の膨らみが緩やかな曲線を描いている。スモールサイズのくせに妙な色気だ。普段の騒がしさとのギャップに面食らってしまう。


「ありがとう、助けてくれたんだよね」

「そうランよ。まったくあのひる女、こっちが条件を呑んだってのに不意打ちなんて、マジで許せないラン」


 グランは青筋ピクピクおかんむり、怒りの爆裂地団駄を踏んでいる。相変わらず地に足が着いておらず、一匹震えるバイブ妖精でしかないのだが。


「私も賛成。遊ちゃんを傷つけたんだもの。あのリキュールとかいう女、完膚かんぷなきまでボコボコにしちゃいましょう」

「キューム、ランな」


 ピットも同意見のようだ。険しい言葉遣いで鼻息荒く、双眸そうぼうには業火が燃え盛っている。

 身を案じてくれるのは嬉しい。それは否定しない。心遣いを無下にして不意打ちする相手を許せない気持ちも理解出来る。しかし、


「僕は……キュームさんを封印して、仲間にしたいと思います」


 遊は一石を投じる。

 意外な言葉にグランとピットは目を白黒、口をあんぐりさせている。無理もないだろう。一番酷い目に遭ったはずの被害者が言うのだ、驚愕もやむなしである。


「本気で言ってるかラン?」

「そうよ。絶対危険、ママは反対だわ」

「いや、お前は人のこと言えないランよ」

「それに、陰気で何を考えているかわからない子じゃないの」

「穏やかそうに見えて危険な奴が言うなラン」

「いちいちツッコミがうるさいわね」


 振り下ろされるガラガラで撃沈するグラン。さすが封印されても怪人、相変わらず妖精には当たりが強い。

 もっとも、グランとピットがうれいてしまうのも当然だろう。卑怯な手段で襲われたのだ、仲間に引き入れようとする方が希少な部類だろう。

 それでも、遊の気持ちは変わらないし、血迷った訳でもない。


「鍵はあと一本残っています。塔に攻め込む前に空席を埋めて、戦力増強をした方がいいはずだよね?」

「だからって、あの蛭女じゃなくたってよくないラン? あれは絶対ヤバい、味方にするリスクがビッグサイズ過ぎる。グランの勘と経験がそう告げているラン」


 生まれて間もない妖精談。


「確かにヤバい……ううん、ちょっと取っつきにくい人なのは認めるけど。それでもあの人には、キュームさんには何か近いものを感じるんだ」


 他人から見れば異端、だけど自分の好きに一直線。

 そんな彼女の姿は、かつての遊――平和だった頃の弱虫だった自分と重なるのだ。

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