3 解析班長ルカの平凡でない夜

 王国警備団特務部隊解析班長のルカ・ヘイワードは困惑していた。


 目の前には、苦悩の表情を浮かべて麦酒ビールを見つめる同期の開発班研究員、マクシム。

 とにかく仕事一筋で、興が乗ると、周囲が誘い出さなければ酒場どころか食堂にも姿を現わさず、飲まず食わずで研究に没頭するこの男が、何の気の迷いか、今日の仕事終わりに突然自分を飲みに誘ってきた。わざわざこちらの仕事部屋まで出向いてきて、相談がある、と深刻な顔で告げられれば、何事かと心配にもなる。


 それで、行きつけの店で個室まで確保して話を聞いてやることにしたのだが。

 とにかく話が入ってこない。内容も、話している本人の様子も、ルカの知っている普段のマクシムからはかけ離れていて、自分の脳が受け入れることを拒否しているようだ。

 しかしそこは、日々、第2の戦争とも言われる熾烈な情報戦の世界に身を置いているルカである。混乱しながらも、とにかく何とか話を整理しようと試みる。


「つまりあのリンゴの持ち主は、掃除係のかわいい女の子で」

「いや、かわいいと言うのとは少し違う。可憐でかつ凛として、美しい波動だった」


 いや、今はそこはどうでもいい。まあマクシムが、女の子をこれほど豊富な語彙で形容することも、ある意味驚きではあるが。

 ルカはボリボリと頭をかく。


「あー、とにかく掃除係の女の子で。お前はその子の大事なリンゴをかじっちゃって、泣かれたと。お詫びに高給で部下として雇おうとしたけど、あっさり断られて、その後はデートに誘っても無視され続けてる、と……」

「デート、ではない。せめてもの詫びに食事でもと思っているだけだ。しかしあれ以降、彼女の姿を見ることすらできていないし、執務室に置き手紙をしても、返事どころか開封された形跡もない」


(うんまあそれ、普通に避けられてるだろ……)


 話しながら、あまりの内容に笑えてくる。初等科くらいの少年を相手にしているようだ。


「あのリンゴ、かじっちゃったんだ……。 なんつうか、お前時々、ものすごくバカになるよな」

「猛省している。しかし雇用の件は、償いのつもりではなかった。彼女の魔術は研究に値するし、提示した待遇は適切だったはずだ。ただ、確かに……慰謝料代わりと取られてもおかしくない、のか。……ちょっと待て、もしかして俺、人のリンゴを拾い食いした挙句、札束で頬を張る、とんでもない野郎になっていないか?」

「今更気付いたのか」

「何てことだ……。とにかくもう何でもいいからお詫びがしたい。……ルカ、俺はどうすればいいと思う?」

「……どうしようもないんじゃね? この先、その子の視界に入らないように努力する以外」

「一生の不覚だ。このままでは死んでも死にきれない」


 ルカは若干呆れて、すっかり泡の消えたビールのマグを握りしめる友人を眺めた。


(罪悪感があるにしても、ひどく入れ込んだもんだな)


 付き合いは長いが、マクシムが生身の人間にここまで執着するのを初めて見た。ルカはその女性にがぜん興味がわく。


「その子、ずいぶんユニークな魔術の使い手らしいな。研究員の話は、即断られたのか」

「そうだ。被験者として協力してくれれば十分で、彼女自身が労働する必要はない。期間も、希望通りで構わないと言ったんだが」

「普通に考えたら、これ以上ないくらい美味しい話なのにな。……それにしても、その子は魔術をどこで身に着けたんだろう。少なくともこの国の魔術学校には行っていないよな」


 この国で魔術に関わる教育機関に在籍していたなら、これまで一度も自分やマクシムの目に留まらないはずはなかった。

 

「おそらく、民間の伝承だ。彼女の故郷の一帯に、未知の力を有する血が、残っていた可能性が高いと思う。――彼女以外の全ては、失われてしまっただろうが」


 そこで、自分の言葉に、マクシムは微かに眉を寄せた。


「村が焼き打ち、か。2年前――特務部隊には、報告はなかったな……」


 ルカがつぶやき、二人は目を見合わせる。そこには、先ほどまでの埒もない与太話をしていた男たちはもういない。忙しく巡らし始めた思考に瞳を底光りさせた、二人の特務部隊員がいるのみだ。


「ルカ、ありがとう。私情で目が曇って、危なく大変な見逃しをするところだった」

「いや。これは一応、仕事ミッション扱いさせてもらう。俺は俺で動く。……彼女の直接対応は、面識のあるハンスが適任だろう」

「ハンス……」


 そこで、マクシムは露骨に渋面になった。


「あいつと彼女の1対1の対応は、……望ましくない」

……ね。分かった分かった」


 ルカは笑いをこらえる。


(こいつは重症だ)


 ぬるくなったビールを飲み干して、二人は同時に立ち上がった。

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