そして現在。マリーの懺悔

「どうだった?」 


 食堂にやってきたシャルを、サムは立ち上がって出迎えた。医者を連れ帰ってから

それほど時間は経過しているが、困憊気味だった疲労は癒やせていない。濡れそぼった髪の毛を充分乾かせてもいない。


 それでも、主の容態になにか進展があったのだと、漠然とした期待と不安に突き動かされる。


「お医者さまは、わからないと」

「はあ?」


 一瞬、まるでシャル自身を怒るようなサムだったが、すぐに我を取り戻す。そして診断した医者の見解、そして見立てを改めて説明する。 


 呪われ騎士だと知ってか知らずか。異形のエリクに触れるのをおそれていた医者の尻を叩いて催促したということは除いて。


「エリク様は、どの病の特徴にも当て嵌まらないそうです。なので、どのような処置をすればよいかわからないと。もしも原因が違う薬を飲ませてしまったら」

「悪化する、と?」


 コクンと小さく頷いたシャルに、やるせなさに包まれたサム。暖炉の薪が爆ぜ、焔が広がる暖かな空気が、今は虚しい。


「だけど、エリク様の容態は変わっていないんだね?」

「・・・・・・・・・・はい」

「そうか。ひとまず、医者には今日泊まってもらおう。それから交代で旦那様の側に。シャルちゃんはひとまず先に休んでくれ」

「いえ、サムさんこそ。こんなときに、寝ていられませんわ」


 それに、自分はなにもできていない。ただジャンヌの指示に従って動いただけだという無力感。エリクは尚も苦しんでいるのに、という悔しさのままエプロンの端をギュッと絞る。


 まずは全員を食堂に集めることになった。示し合わせたわけではないが、エリクが寝ている二階で一同が集まれる場所として都合がいい。


「マリーとジャンは?」

「ジャンは、きっとお茶の準備でしょうか。マリーさんは・・・・・・・・・・探してまいります。あの、サムさん?」

「うん?」


 出ていく間際、ふと気になったことをそのまま尋ねようと試みた。それよりも優先しなければいけない、と瞬時に考えを改めて尋ねずに終わった。


 暮らしはじめてからだいぶ経っているが、燭台だけを頼りに歩くにはいささか頼りない暗さ。屋敷の主人の危機を察しているかのような静けさは心細さと恐怖を掻きたてる。


 一階に下りてすぐ、心当たりのある場所へと進んでいくうちに啜り泣きが近くなってくる。


「マリーさん?」


 調理室、シャルの手にしている灯りに照らされてマリーの輪郭が浮び上がった。なにか用意をしようとしていたのだろうか、しかしこちらにまったく気がついていない様子のマリーはさながら亡霊のようだ。


「マリーさん、食堂に参りましょう」


 呼びかけても、近づいて強引にでも止めようと揺すっても石像のように動かない。ただ悲痛に塗れたままだ。


「マリー様、私が代わりますわ。お夜食でしょうか? お茶でしょうか?」


 こんなときジャンヌがいてくれたら。きっと彼女ならもっと上手にできるだろう


「マリーさん、マリーさんまでなにかあったら、私もサムさんも・・・・・・・・・・エリク様も報われませんわ」

「っ」


 僅かばかりの反応が、徐々に大きくなっていく。


「お兄ちゃんは、いえ。エリク、様は?」

「・・・・・・・・・・エリク様は、お医者様では治せないかもしれません」


 狼狽の気配が濃くなった。


「マリー様。なにがあったのですか? 教えてくださいまし」


 病ではない。だとするなら、別のなにかがあった。それは倒れたとき側にいたマリーが知っているに違いない。そう確信していた。


「エリク様の・・・・・・・・・・・・ためにも」


 狡い聞き方だと罪悪感を覚えているうちに、マリーは一度突っ伏しそうになるほど頭と上半身を曲げた。その顔はしわくちゃに歪み、なにかを吐きだしたいのに吐き出せない苦しさを感じた。


 噛み締めた下唇の隙間から、荒い息遣いとひ、ひぐ、ふぐ。絶望と混乱の入り混じった悲鳴が溢れ出ている。側にいるシャルに訴えかける響きがあって、彼女の彼の肩に手を載せた。


 そして、納屋にあった出来事をに話しはじめたのだ。


 話を聞いていると、マリーが嵌めていた腕飾りが鍵だとおもった。


「だから、私のせいです・・・・・・・・・私の・・・・・・・」

「マリーさんのせいではありませんわ。悪いのは――――――」


 言いかけた言葉を、咄嗟に呑みこんだ。口中がまごついていると、「私のせい」だとマリーが更に言い募った。


 小さいときから、エリクは優しかった。同年代の子供だったのもあるだろう。兄と共にいつも一緒に遊んでくれた。母に叱られたとき、失敗したとき、悲しいとき。エリクは慰めてくれた。


 もう一人の兄のようにおもっていて、お兄ちゃんと呼んで周りに窘められたこともあったが、エリクは喜んでいた。


 騎士を本格的に志してから口数が減って生真面目な性格になってからも、本質的な優しさは変わらなかった。王都に行ってからは寂しかったが、毎月手紙をくれて、嬉しかった。遠い地でエリクも頑張っているとわかってマリーの励みにもなった。


その手紙が途絶えた毎月欠かしたことがないやりとりだったのだ。下働きとして働きながら学校にも通っていたマリーの心の支えで、心配していた。

 

 「そんなとき、呪いにかかったエリク様が、ご両親の元に帰ってきたのです」


 ある日、学校から帰ってくるとエリクがきたと聞かされて最初は信じられなかった。跳びはねんばかりに喜び、深刻な面持ちの兄を振り切り、客間へとすぐに走った。


 エリクお兄ちゃん!


 そこにいたのは、マリーの知っているエリクではなかった。全身毛むくじゃらの化け物にしか見えず、恐怖で引き攣った喉から悲鳴が発した。


 自分の名を遠慮がちに縋るように呼びながら、俺だエリクだと言いながら、近づいてくる異形が触れようとして、払い除けてしまった。


 恐怖に塗れていたマリーが、動揺を鎮められたのはあることに気づいたからだ。


 茫々とした体毛の奥に埋まった、どんぐりほどの大きさ。表面が潤み、水の線を描きながら自分に注がれているのが、瞳だと。


 お兄ちゃんと同じ瞳だ。


「呪いにかかったというのを、その後聞きました・・・・・・」


 エリクは、その後すぐに領地を離れた。そしてエリクはそれっきり帰ってこなかった。手紙も寄越さなくなってしまった。


 呪いというものは、エリクがよく読んでくれた物語で知っていた。大抵が忌み嫌われて、人々から石を投げられる。酷いとおもった。可哀想だとおもった。呪いをかけられた人も、好きで呪われたわけではないのにひとりぼっちなのだ。


 自分もエリクと同じようなことをしてしまった。どれだけ後悔したか。どれだけ自責の念に駆られ、自分を恥じたか。申し訳なさから自分からも連絡ができなかった。


 数年経って、エリクが昇進し王都に屋敷を買う話を知り、兄とともに使用人として仕えると名乗り出た。だが、エリクは心を閉ざしていた。誰に対しても。久方ぶりに会ったサムもマリーもどこかで拒んでいた。


 働くうちに、王都での評判を聞いた。呪われ騎士として蔑まれ嘲られ避けられ恐れられていること。かつて将来を誓っていた恋人とも別れ、外にも滅多に出歩かなくなっている。必ず顔を隠し、人前では決して素顔を晒さない。


 自分のせいだ。自分があのときエリクを罵倒しなければ。拒絶しなければ。誰よりも身近にいた私がエリクを受け入れていれば。そのようにならなかった。


「せめて・・・・・・・・・せめてエリク様のお側で、エリク様のお役に立ってお助けしようと兄さんと約束を・・・・・・・・・そんなことしか・・・・・・・・・・・・なのに・・・・・・・・・・」

「マリーさんは・・・・・・・・・・・・・・・償いたいのですか?」


 ブンブンと激しく頭を振って否定した。乱れていた髪が余計酷くなった。


「謝りたかったのです・・・・・・・・・・・・・本当は・・・・・・ただ、エリク様を、お兄ちゃんを悲しいおもいをさせてしまったことを・・・・・・・・・ひどいことをしてしまったことを・・・・・・」


 許してほしいとおもっていない。償いたいと願うことすらおこがましい。


(そういうことだったのですね)

 

 シャルはこのとき、初めて理解した。元来が物事を前向きにしか捉えず、目的に対して猪突猛進な、世間知らずの王女様だ。


「旦那様はマリーさんにそのようなこと望んでいらっしゃるのでしょうか?」


 だが、本当に大切なことを見通せる力はあったのだ。


「え?」

「エリク様があのようになってしまったのは、エリク様本来の性格ゆえだとおもうのです。マリーさんがそのようなことをなさらなくっても同じでしてよ」

「それは――――」

「それに、エリク様は感謝していたのですよ? いつも美味しい料理を作ってくれていると。自分の側にいてくれることに」

「う、嘘です! そんなこと!」

「まことですわ。今日一緒に帰ってくるとき聞いたのですわ。それに、私もエリク様のお気持ちがわかるのです」

「な、なにがですか! どうしてそんなことが!」


 慰めようとしていると感じたマリーが、激しく否定する。叫ぶ。



「で、でも一度もそのようなこと!」

「きっとこわがらせてしまうとおもうのではないでしょうか。マリーさん達を嫌がらせると」

「っ」

「呪われた体が他者にどんな影響を及ぼすか不安がっていましたもの。私がお尻尾を触るのも許してくれませんでしたし」

「う、ううっ」

「エリク様は同情を求めるようなお人ですか?」

「な、」

「憐れみを乞うお人ですか? 悲しみを誤魔化すために都合のいい人をこき使うお人ですか? 相手の気持ちを利用するようなお人ですか?」

「違う! 違います! お兄ちゃんはそんな人じゃない!」

「私もそうおもいます」


 そうだ。だからこそ好きになったのだ。


「私は、つい最近エリク様と出会いました。とても真面目で、お仕事熱心で、感情を表に出すのが下手で。けれど優しい御方だとは知っているのです。きっと、昔からそうなのでございましょう?」


シャルロットはエリクのことが好きだ。


大好きだ。愛している。最初は呪われた姿が愛おしかった。可愛かった。だが、一緒に暮らすうちに本当のエリクを知った。


知れば知るほど出会ったときよりも好きになった。



「だ、だけど! 私は傷つけて! なにもできていなかったのですよ!」

「なにもできていなかったということはございません。私は小さいときに母を喪いました。悲しかったですが、それでも父も兄もお友達のような子も、側にいてくれてよかったとおもっているのですよ」

「っ」

「辛いときに、誰かが側にいてくれる。それだけで救われると、今ではわかります。だからこそエリク様はマリーさんとサムさんに感謝していたのでしょう。マリーさんを大切におもっているということも、きっと変わっておりません」

「あ、」

「 そうじゃなかったらマリーさんを助けようとなさらないでしょう?」

「あ、あ、あああ・・・・・・」


 マリーを諭しても、エリクが目覚めるというわけではない。そもそも諭そうという意図さえもない。


「わ、私は、私・・・・・・」


 好きだからこそ、エリクには幸せになってほしい。幸せにしたい。毎日に喜びを感じてほしい。笑ってほしい。


 エリクの幸せには、マリーが必要なのだ。嫉妬したことがあったとはいえども、厳しくて泣かされたこともあるが、敬意がある。


 自分とは違う形であっても、マリーの根底にはエリクへの愛がある。


 そしてエリクにも。


「シャル・・・・・・」


なにかやらずにいられようか。


「エリク様は、今苦しんでいます。けれど、私達にできることがあるはずですわ」


まっすぐすぎる純粋さが挫けそうになっていた心に火を灯し。


マリーは涙を拭ってシャルの手に重ね返した。





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